上 下
17 / 288
第6部 淫蕩のナルシス

#15 心変わり

しおりを挟む
 ヤチカの愛撫は巧妙だった。
 がさつで粗暴な痴漢たちとは、天と地の開きがあった。
 乳首には触れず、その周りを丹念に撫で回す。
 パンティの中心だけを残して、太腿のつけ根から大陰唇ぎりぎりのところまでを、指で何度もなぞった。
 まるで蛇の生殺しだった。
 乳首はびんびんに勃起し、痛いほどだ。
 乳房がはちきれそうなくらい、張っている。
 陰核が硬くなり、体の奥でマグマが滾り始めているのがわかる。
 じらされているうちに、杏里は体中が火照ってたまらなくなり、無意識のうちに身をよじった。
 霞がかかったような頭の中に、淫らな映像が浮かび上がる。
 全裸で仰臥した杏里の肉体を、隈なくヤチカがまさぐっている。
 細くしなやかな指が、杏里のいちばん感じるところを、責めまくっている。
 して・・・。
 危うく呻き声がもれそうになった。
 股間で、襞と襞の間にぬるりとした熱いものが溢れ出た。
 その感触で、杏里はふと我に返った。
 いけない。
 あわてて太腿を閉じる。
 これではヤチカさんに感づかれてしまう。
 自分がはしたないほど感じてしまっていることを。
 こんなにたっぷり濡れそぼっていることを・・・。
 杏里はぶるっと首を振った。
 奥歯を食いしばり、妄想を振り払う。
 確かにこの人、すごく魅力的。
 大人の女性だけあって、愛撫も繊細だ。
 悪い人じゃない。
 私を気に入ってくれている。
 でも、私には、由羅がいる。
 由羅を裏切るわけにはいかないんだ。
 
「私、帰ります」
 ヤチカの手を払いのけ、スカートの裾を引っ張って、杏里は立ち上がった。
 こぼれ出た乳房をきついブラになんとかしまい込み、タンクトップの肩紐を元に戻す。
「そう、残念ね」
 ヤチカが未練たっぷりの表情で杏里を見上げた。
 心なしか、瞳が潤んでいるように見える。
「もっと、一緒にいたかったのに」
 がっかりしたような口調で、そうつぶやいた。

「あ、あの、友だちと、約束があるので」
 一礼すると、杏里は逃げるように駆け出した。
「モデルの件、前向きに考えておいてね」
 ヤチカの声を振り切り、ドアを開け、個展の会場に戻る。
 増えてきた客たちの間を縫って、出口に向かった。
 踊り場に出ると、小走りに階段を駆け下りた。
 いつの間にか、雨は上がっていた。
 1階ロビーに日差しが斜めに差し込み、床に幾何学模様を映し出している。
 杏里はソファを見つけると、そこにぐったりと座り込んだ。
 ソファが深いせいで両足が上がってしまい、スカートから下着が覗く。
 パンティの白い三角地帯の中心に、恥部の割れ目に沿ってうっすらと濡れた染みができていた。
 かっと頭に血が上るのを感じた。
 膝の上にバッグを置いて両手で押さえて隠す、
 体が震えていた。
 触りたい。
 火照った身体を。
 びんびんになった乳首を。
 もの欲しげに濡れて光っているあそこを。
 その思いを懸命に押し殺す。
 両手で肩を抱き、背中を丸めた。
 気持ちを逸らすために、他事を考えることにした。
 遅れている勉強のこと。
 2学期から通う中学のこと。
 好きなアイドルグループのこと。
 最近気になったテレビ番組のこと・・・・。
 震えがやむまで、かなりの時間がかかった。
 杏里は太い息を吐いた。
 危ないところだった、と思う。
 タナトスとしての”仕事”とは別の次元の出来事だったような気がした。
 いってみれば、心を持って行かれそうになったような、そんな気分だった。
 しっかりしなきゃ。
 これじゃ、また由羅に笑われちゃう。
 まるで、さかりのついた雌犬じゃないかって。

 何組かの家族連れが近くにやってきたのをしおに、杏里は腰を上げた。
 展示室をめぐる通路に沿って歩くと、トイレがあった。
 幸い、中は空いていた。
 個室に入り、用を足すついでにビデを使って恥部を洗浄する。
 あまり長くお湯を当てているとまた感じてしまいそうだったので、ほどほどのところでやめた。
 トイレットペーパーで下着についた愛液を丁寧にふき取ると、やっと気分が落ち着いた。
 洗面台で顔を洗い、ハンカチでごしごしと拭く。
 杏里の”設定”は中学生だから、化粧はしていない。
 でも、ヤチカさんは、この顔を、すごくかわいいといってくれた・・・。
 これで、お化粧したら、どんな顔になるんだろう・・・?
 杏里はもともと睫毛が長く、眼がぱっちりしている。
 自分でも、ときどきかわいいと思うことがある。
 鏡に向かって、色々な表情をつくってみる。
 済ました顔。
 微笑んだ顔。
 すねた顔。
 泣き出しそうな顔。
 そして、おねだりをするときの顔・・・。
 なかなかいいかも。
 真顔に戻ると、杏里は思った。
 帰りに化粧品、買ってみよう。
 勇次は嫌がるだろうけど、私だって女の子なんだもの。
 バッグの中のスマホが鳴ったのは、そのときだった。

 急いで取り出すと、LINEのメールが来ていた。
 バットマンみたいな、コウモリのマーク。
「あ、由羅だ!」
 杏里の顔に日が射したような明るい微笑が浮かんだ。
「なにやってんの! 今頃」
 くすくす笑いながら、メールを開いた。
 とたんに杏里は息を呑んだ。
 予想外の文字が目に飛び込んできたのだ。

 -やっぱり、おまえには耐えられないー

 文面は、それだけだった。
「・・・なに、これ・・・?」
 杏里は危うくスマホを取り落としかけた。
 頭の芯がすーっと冷えていく。
 文字から目を離せない。
 体から力が抜けていく。
「見てたの?」
 思わずつぶやいた。
 私が、ヤチカさんの愛撫に、感じてるところを・・・?
 すぐにかぶりを振って、否定した。
 ううん、そんなはずない。
 あの楽屋には、私たちのほかには、誰も居なかった。
 あんなに狭いところだもの。
 由羅が入ってきたら、絶対にわかったはず・・・。
 それでも、うしろめたさは消えなかった。
 スマホが、また鳴った。
 新たな文字が浮かび上がる。

 -おまえとは、もうやっていけないー

 たった1行。
 でも、なんて冷たい響きだろう。

「どうして?」
 そこがトイレの中だということも忘れて、杏里は叫んだ。
 堰を切ったように、涙が溢れてくる。
「由羅、ゆら・・・」
 うめくように、最愛の少女の名を呼んだ。

 洗面台の前にしゃがみこむと、杏里は両手で顔を覆って大声で泣き出した。

 

しおりを挟む

処理中です...