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第6部 淫蕩のナルシス
#17 媚薬
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茶色の大理石でできた、珍しい浴槽だった。
中は牛乳色のお湯に満たされていた。
足が伸ばせるほど広い浴槽でたっぷりとしたお湯に浸かるのは、久々の体験だった。
おかげで温泉気分をたっぷり堪能することができた。
今まで住んでいたマンションや借家の風呂では、とてもこうはいかない。
きわめてすっきりした気分で風呂から上がると、脱衣場にはふかふかのバスタオルまで用意されていた。
服も着替えたいところだったが、さすがにそこまで贅沢はいえなかった。
少し汗の匂いのする下着をつけ、タンクトップを頭からかぶり、ミニスカートを穿き直す。
髪を拭きながら、大部屋に戻る。
ヤチカは奥に席を移していた。
ちょうどあの人形の前が広く空いていて、そこにソファとテーブルが置かれているのだった。
「リリーも杏里ちゃんとおしゃべりしたいって」
近づくとヤチカがいった。
和服から、白い薄手のワンピースに着替えている。
髪も解いて、背中に垂らしていた。
杏里はどきりとして思わず壁際に目をやった。
椅子に座っているのは、ドレスを着た西洋人形である。
体の大きさは5歳児くらい。
ふっくらした頬に、青い目がいかにも古いデザインの人形っぽい。
「この人形、しゃべるんですか?」
おっかなびっくりたずねると、
「って冗談よ。杏里ちゃんたら、なに青い顔してるの?」
「だって、そのお人形、なんだか生きてるみたいで、恐くって」
「リリーはなにしろ年季が入ってるからね。ま、この子のことはそんなに気にしないで、杏里ちゃんのその可愛い顔を見せてあげてよ。大丈夫、別に動いたりしないから」
テーブルの上に紅茶のカップを並べながら、ヤチカはそんなことをいった。
藤の器に盛られたクッキーがおいしそうである。
「夏なのに紅茶なんて、と思うかもしれないけど、これ、うちの庭で栽培してるハーブが入ってるの。ちょっとオツな味だから、ぜひ飲んでみて」
「いただきます」
風呂上りでちょうど喉が渇いていたこともあって、杏里はためらうことなくカップに口をつけた。
強い香料の香りが鼻腔を突く。
確かに珍しい味だった。
紅茶というより、まるで漢方薬だ。
それでもまずくはなかったので、またたくまに一杯飲み干してしまった。
「気に入ってくれた? うれしいなあ」
ヤチカが新たに紅茶を注ぎ足しながら、笑う。
「いただきます」
クッキーをかじりながら、2杯目を飲んだ。
風呂で温まった全身が、今度は内側からぽかぽかと温まってくるようだった。
それに比例して、気分が開放的になってくるのがわかった。
いつか、小田切の書斎に置いてあったワインを盗み飲みしたときのことを思い出した。
ちょうどあのときと同じだった。
酔っ払ったように、思考が大胆になってくる。
頭の中で、それまで杏里を縛っていた何かがパチンと音を立ててはずれたような感じだった。
「あの、モデルの件ですけど」
気が大きくなって、杏里はいった。
「無理しなくてもいいのよ」
ヤチカがカップに口をつけ、生真面目な顔で応じる。
「わたしはただ、実物のあなたを前に絵が描けたら素敵だろうなって、そう思っただけだから」
「輪切りにされたり、解剖されたりするのは嫌です」
杏里がいうと、ヤチカがぷっと吹き出した。
「バカね、そんなことするわけないじゃない」
楽しそうに杏里の瞳を覗き込むと、
「あれは全部わたしのここから生まれた想像の産物」
自分のおでこを指差して笑った。
「そうなんですか」
杏里は目を見開いた。
訊くなら今だ、と思った。
「あんまり真に迫ってるし、それに、あの中に知ってる子の身体があったような気がしたから・・・」
「知ってる子?」
「ええ。胸にほくろのある子です。今、行方不明になってるんですけど」
「絵を描くために、その子をわたしが殺したとか?」
「ま、まあ、その可能性もあるかな、と・・・」
ヤチカが腕を組み、ソファに背をもたせかけた。
「確かに、あの絵にはすべてモデルがいることは認めるわ。わたしの絵に興味を持ってくれたファンの子や、街で声をかけた子を呼んで、このアトリエでモデルを勤めてもらったの。でも、そのたびにモデルを殺してたら、ここは死体の山になってしまう。そのほくろの子が、わたしのモデルをやってくれたことは覚えてる。でも、その後どうなったかまでは知らないの」
「そうですよね」
杏里は納得した。
紅茶の成分のせいなのだろうか。面倒なことを考えられなくなっていた。
「モデルを勤めた後、失踪したって可能性も、もちろんありますから」
「モデル料はけっこう払ってるのよ。それもらって、気が大きくなって、県外に出ちゃったとかね」
「ありえますね。今時の女子中高生なら」
「って、杏里ちゃん、あなたもそのイマドキの女子中高生のひとりでしょ」
「いえ、私は頭が固いので」
「とにかく」
ヤチカがまた杏里の瞳を覗き込む。
「わたしがいいたいのはね、わたしがあなたのその奇麗な身体を傷つけるはずないってこと」
「奇麗な、体?」
杏里はまたしても、あの楽屋裏で味わった疼きが、肉体の奥底に生じるのを感じていた。
「わたしはあなたの喜びの顔を描きたいの」
熱っぽい口調で、ヤチカがいった。
「今度の画集のタイトルはね、『快楽少女画集』にしようって決めてるの」
「快楽、少女、画集?」
「そう。それにはとっても感じやすい、杏里ちゃん、あなたみたいな子がぴったりなんだ」
杏里は顔に血がのぼるのを覚えた。
知らず知らずのうちに、深いソファに背を預けていた。
両足が上がり、スカートの間からパンティが見えてしまっている。
「ねえ、杏里ちゃん、わたしに見せてくれないかしら」
ヤチカがテーブルの上に身を乗り出した。
瞳がねっとりとした光を帯びている。
「な、何を、ですか」
杏里の声がうわずった。
「あなたが、気持ちよくなってるところ」
「え・・・?」
「あなた、よく自分でしてるでしょ」
ヤチカが秘密めかした、どことなく淫靡な口調でささやいた。
「隠してもダメ。わたしにはわかる。杏里ちゃん、あなたはどうしようもなく、自分が好きなんだってことが」
中は牛乳色のお湯に満たされていた。
足が伸ばせるほど広い浴槽でたっぷりとしたお湯に浸かるのは、久々の体験だった。
おかげで温泉気分をたっぷり堪能することができた。
今まで住んでいたマンションや借家の風呂では、とてもこうはいかない。
きわめてすっきりした気分で風呂から上がると、脱衣場にはふかふかのバスタオルまで用意されていた。
服も着替えたいところだったが、さすがにそこまで贅沢はいえなかった。
少し汗の匂いのする下着をつけ、タンクトップを頭からかぶり、ミニスカートを穿き直す。
髪を拭きながら、大部屋に戻る。
ヤチカは奥に席を移していた。
ちょうどあの人形の前が広く空いていて、そこにソファとテーブルが置かれているのだった。
「リリーも杏里ちゃんとおしゃべりしたいって」
近づくとヤチカがいった。
和服から、白い薄手のワンピースに着替えている。
髪も解いて、背中に垂らしていた。
杏里はどきりとして思わず壁際に目をやった。
椅子に座っているのは、ドレスを着た西洋人形である。
体の大きさは5歳児くらい。
ふっくらした頬に、青い目がいかにも古いデザインの人形っぽい。
「この人形、しゃべるんですか?」
おっかなびっくりたずねると、
「って冗談よ。杏里ちゃんたら、なに青い顔してるの?」
「だって、そのお人形、なんだか生きてるみたいで、恐くって」
「リリーはなにしろ年季が入ってるからね。ま、この子のことはそんなに気にしないで、杏里ちゃんのその可愛い顔を見せてあげてよ。大丈夫、別に動いたりしないから」
テーブルの上に紅茶のカップを並べながら、ヤチカはそんなことをいった。
藤の器に盛られたクッキーがおいしそうである。
「夏なのに紅茶なんて、と思うかもしれないけど、これ、うちの庭で栽培してるハーブが入ってるの。ちょっとオツな味だから、ぜひ飲んでみて」
「いただきます」
風呂上りでちょうど喉が渇いていたこともあって、杏里はためらうことなくカップに口をつけた。
強い香料の香りが鼻腔を突く。
確かに珍しい味だった。
紅茶というより、まるで漢方薬だ。
それでもまずくはなかったので、またたくまに一杯飲み干してしまった。
「気に入ってくれた? うれしいなあ」
ヤチカが新たに紅茶を注ぎ足しながら、笑う。
「いただきます」
クッキーをかじりながら、2杯目を飲んだ。
風呂で温まった全身が、今度は内側からぽかぽかと温まってくるようだった。
それに比例して、気分が開放的になってくるのがわかった。
いつか、小田切の書斎に置いてあったワインを盗み飲みしたときのことを思い出した。
ちょうどあのときと同じだった。
酔っ払ったように、思考が大胆になってくる。
頭の中で、それまで杏里を縛っていた何かがパチンと音を立ててはずれたような感じだった。
「あの、モデルの件ですけど」
気が大きくなって、杏里はいった。
「無理しなくてもいいのよ」
ヤチカがカップに口をつけ、生真面目な顔で応じる。
「わたしはただ、実物のあなたを前に絵が描けたら素敵だろうなって、そう思っただけだから」
「輪切りにされたり、解剖されたりするのは嫌です」
杏里がいうと、ヤチカがぷっと吹き出した。
「バカね、そんなことするわけないじゃない」
楽しそうに杏里の瞳を覗き込むと、
「あれは全部わたしのここから生まれた想像の産物」
自分のおでこを指差して笑った。
「そうなんですか」
杏里は目を見開いた。
訊くなら今だ、と思った。
「あんまり真に迫ってるし、それに、あの中に知ってる子の身体があったような気がしたから・・・」
「知ってる子?」
「ええ。胸にほくろのある子です。今、行方不明になってるんですけど」
「絵を描くために、その子をわたしが殺したとか?」
「ま、まあ、その可能性もあるかな、と・・・」
ヤチカが腕を組み、ソファに背をもたせかけた。
「確かに、あの絵にはすべてモデルがいることは認めるわ。わたしの絵に興味を持ってくれたファンの子や、街で声をかけた子を呼んで、このアトリエでモデルを勤めてもらったの。でも、そのたびにモデルを殺してたら、ここは死体の山になってしまう。そのほくろの子が、わたしのモデルをやってくれたことは覚えてる。でも、その後どうなったかまでは知らないの」
「そうですよね」
杏里は納得した。
紅茶の成分のせいなのだろうか。面倒なことを考えられなくなっていた。
「モデルを勤めた後、失踪したって可能性も、もちろんありますから」
「モデル料はけっこう払ってるのよ。それもらって、気が大きくなって、県外に出ちゃったとかね」
「ありえますね。今時の女子中高生なら」
「って、杏里ちゃん、あなたもそのイマドキの女子中高生のひとりでしょ」
「いえ、私は頭が固いので」
「とにかく」
ヤチカがまた杏里の瞳を覗き込む。
「わたしがいいたいのはね、わたしがあなたのその奇麗な身体を傷つけるはずないってこと」
「奇麗な、体?」
杏里はまたしても、あの楽屋裏で味わった疼きが、肉体の奥底に生じるのを感じていた。
「わたしはあなたの喜びの顔を描きたいの」
熱っぽい口調で、ヤチカがいった。
「今度の画集のタイトルはね、『快楽少女画集』にしようって決めてるの」
「快楽、少女、画集?」
「そう。それにはとっても感じやすい、杏里ちゃん、あなたみたいな子がぴったりなんだ」
杏里は顔に血がのぼるのを覚えた。
知らず知らずのうちに、深いソファに背を預けていた。
両足が上がり、スカートの間からパンティが見えてしまっている。
「ねえ、杏里ちゃん、わたしに見せてくれないかしら」
ヤチカがテーブルの上に身を乗り出した。
瞳がねっとりとした光を帯びている。
「な、何を、ですか」
杏里の声がうわずった。
「あなたが、気持ちよくなってるところ」
「え・・・?」
「あなた、よく自分でしてるでしょ」
ヤチカが秘密めかした、どことなく淫靡な口調でささやいた。
「隠してもダメ。わたしにはわかる。杏里ちゃん、あなたはどうしようもなく、自分が好きなんだってことが」
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