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第6部 淫蕩のナルシス
#46 由羅と零
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老婆専用の風呂は、眼が飛び出るほど豪華な仕様だった。
広い浴槽に、黄金製の蛇口。
石油王の浴室もかくやと思われる空間なのに、なぜか壁面に描かれているのは赤富士だ。
趣味、悪い…。
呆れてしまう。
高級なボディソープとシャンプーを湯水のように使いながら、杏里はここにもあの沼真布の奇妙に気まぐれな性癖の一端を目の当たりにしたように思った。
老婆の部屋に戻ると、入れ代わりにヤチカが風呂に立った。
椅子に浅く腰かけた杏里の太腿のあたりに目をやって、にやにやと老婆が笑った。
「おやまあ、ショーツを穿いていないのかい? まさか、まだ足りないとでも?」
「違います」
短すぎるスカートの裾を懸命に引っ張って、杏里は憤然と言い返した。
「だって、おばあさんがあんなことするから…」
正直、愛液で濡れそぼったパンティは、もう穿けたものではなかった。
こんなに汚してしまったら、いくら洗っても染みは取れないだろう。
そう思って、脱衣場のゴミ箱に捨ててきてしまったのである。
「じゃあ、後で回収して、私がもらっておくことにするかね。毎晩ナイトキャップ代わりに頭にかぶって、おまえさんの匂いを嗅ぎながら眠ることにするよ。そうすれば、きっと若返るだろうからねえ」
「やめてください!」
ひっひっひと笑う老婆に、真っ赤になって杏里は抗議した。
「そんなのただの変態じゃないですか! 沼工房の女主人ともあろうお方が、そんな変態行為をしていいんですか?」
「何を今更。人形を愛でる道を選んだこと自体、もはや変態の証なんだよ。この世にフェティシズムほど崇高なものはない。変態呼ばわりされるのは私にとって誉め言葉以外の何物でもないんだ」
「そんな…」
杏里は弱々しくかぶりを振った。
かなわない、と思う。
このおばあさん、まるで妖怪みたい…。
そこにヤチカが戻ってきた。
「時間もないだろうから、シャワーだけ、使わせてもらいました」
濡れた髪を頭の上にまとめたヤチカは、すっかり元のスタイリッシュな姿に戻っている。
「ようし、じゃあ、ふたりとも、ここにお座り」
老婆がモニター画面の前の椅子を指さした。
ヤチカとふたり、場所を移動すると、なんだか空港の管制官にでもなった気がした。
「録画が24時間以上あったから、ハイライト部分だけ編集しておいたよ。ちょっと刺激が強いが、友だちのためなんだろう? 何を見ても我慢するんだね。ほら、正面の一番大きなモニターを見ててごらん」
老婆の言葉とともに、それまで死んでいた杏里の目の前の画面が明るくなった。
映し出されたのは、ガランとした広い空間である。
体育館か廃工場の内部のように見える。
右手の入口に近いほうに、由羅が立っている。
黒い革のベストにマイクロミニ。
膝までのブーツを履いたいつものスタイルだ。
その由羅から10メートルほど離れた左手に、背の高い少女が佇んでいた。
体の線が透けて見える薄いガウン。
胸まである漆黒の長い髪。
ドキッとするほど整ったその横顔は、紛れもなく、あの黒野零のものだった。
「由羅が、零と一緒に…?」
杏里は呻いた。
嫌な予感がした。
何かとんでもなく悪いことが起ころうとしている。
そんな気がしてならなかった。
「おそらく、あれでおびき出されたんだろうねえ。よく見てごらん。奥のほうに、裸の女の子が倒れているのがわかるだろう?」
「杏里…杏里じゃない」
ヤチカが息を呑む。
同時に杏里も気づいていた。
位置的には対峙するふたりの間あたり。
ずっと奥の壁に、全裸の少女が斜めになってもたれかかっている。
そっくりだった。
髪型も顔も、いや、体つきさえも。
杏里は自分がまさにその場にいるような錯覚にとらわれ、混乱した。
「わからないかい?」
老婆が言った。
「正二に聞いただろう? この人形の館から、正一の試作品が盗まれたって」
「あ」
声を上げたのは、ヤチカだった。
「杏里ちゃんの、お人形」
「そうさ。正一作の、杏里をモデルにしたラブドール。あれはこんなところにあったんだ」
「つまり、由羅をおびき出すために、零が盗んだ…そういうことなんですか?」
呆然と眼を見開いて、杏里はたずねた。
「おそらくね。あの杏里人形を拷問にかけた映像を、その由羅とやらにメールで送ってやる。義理堅いおまえさんの相棒は、早速出向いていって、罠に嵌った。そんなところじゃないかと思うよ」
「由羅…」
ごめんなさい…。
私…。
込み上げる思いを奥歯で噛みしめた時、その由羅が動いた。
佇む零に向かって突進すると、テイクバックした右腕で強烈なストレートを放ったのだ。
が、零は信じられないほど敏捷だった。
最小限の動きでなんなくその攻撃をかわすと、すっと由羅の背後に立った。
振り向こうとする由羅の腹を、その長い脚で無造作に蹴りつけた。
大して力を込めた一撃とは見えなかった。
だが、破壊力は抜群だったようだ。
ダンプカーと衝突したかのような勢いで、由羅が後方に吹っ飛んだ。
壁に全身を叩きつけられ、壊れた人形みたいに床に崩れ落ちた。
そこに零が大股に歩いて行く。
前に立って由羅を見下ろすと、足で腹を踏み、両手で交互に顔を殴り始めた。
脳震盪でも起こしているのか、由羅は抵抗しようともしない。
「ゆら…」
視界が涙で霞んだ。
こんなこと、あり得ない。
あの無敵のパトス、由羅が、こんなにもあっさり、やられてしまうだなんて…。
「驚くのはまだ早いよ」
杏里の手を握り締めて、老婆が囁いた。
「覚悟をおし。気絶しないようにね」
広い浴槽に、黄金製の蛇口。
石油王の浴室もかくやと思われる空間なのに、なぜか壁面に描かれているのは赤富士だ。
趣味、悪い…。
呆れてしまう。
高級なボディソープとシャンプーを湯水のように使いながら、杏里はここにもあの沼真布の奇妙に気まぐれな性癖の一端を目の当たりにしたように思った。
老婆の部屋に戻ると、入れ代わりにヤチカが風呂に立った。
椅子に浅く腰かけた杏里の太腿のあたりに目をやって、にやにやと老婆が笑った。
「おやまあ、ショーツを穿いていないのかい? まさか、まだ足りないとでも?」
「違います」
短すぎるスカートの裾を懸命に引っ張って、杏里は憤然と言い返した。
「だって、おばあさんがあんなことするから…」
正直、愛液で濡れそぼったパンティは、もう穿けたものではなかった。
こんなに汚してしまったら、いくら洗っても染みは取れないだろう。
そう思って、脱衣場のゴミ箱に捨ててきてしまったのである。
「じゃあ、後で回収して、私がもらっておくことにするかね。毎晩ナイトキャップ代わりに頭にかぶって、おまえさんの匂いを嗅ぎながら眠ることにするよ。そうすれば、きっと若返るだろうからねえ」
「やめてください!」
ひっひっひと笑う老婆に、真っ赤になって杏里は抗議した。
「そんなのただの変態じゃないですか! 沼工房の女主人ともあろうお方が、そんな変態行為をしていいんですか?」
「何を今更。人形を愛でる道を選んだこと自体、もはや変態の証なんだよ。この世にフェティシズムほど崇高なものはない。変態呼ばわりされるのは私にとって誉め言葉以外の何物でもないんだ」
「そんな…」
杏里は弱々しくかぶりを振った。
かなわない、と思う。
このおばあさん、まるで妖怪みたい…。
そこにヤチカが戻ってきた。
「時間もないだろうから、シャワーだけ、使わせてもらいました」
濡れた髪を頭の上にまとめたヤチカは、すっかり元のスタイリッシュな姿に戻っている。
「ようし、じゃあ、ふたりとも、ここにお座り」
老婆がモニター画面の前の椅子を指さした。
ヤチカとふたり、場所を移動すると、なんだか空港の管制官にでもなった気がした。
「録画が24時間以上あったから、ハイライト部分だけ編集しておいたよ。ちょっと刺激が強いが、友だちのためなんだろう? 何を見ても我慢するんだね。ほら、正面の一番大きなモニターを見ててごらん」
老婆の言葉とともに、それまで死んでいた杏里の目の前の画面が明るくなった。
映し出されたのは、ガランとした広い空間である。
体育館か廃工場の内部のように見える。
右手の入口に近いほうに、由羅が立っている。
黒い革のベストにマイクロミニ。
膝までのブーツを履いたいつものスタイルだ。
その由羅から10メートルほど離れた左手に、背の高い少女が佇んでいた。
体の線が透けて見える薄いガウン。
胸まである漆黒の長い髪。
ドキッとするほど整ったその横顔は、紛れもなく、あの黒野零のものだった。
「由羅が、零と一緒に…?」
杏里は呻いた。
嫌な予感がした。
何かとんでもなく悪いことが起ころうとしている。
そんな気がしてならなかった。
「おそらく、あれでおびき出されたんだろうねえ。よく見てごらん。奥のほうに、裸の女の子が倒れているのがわかるだろう?」
「杏里…杏里じゃない」
ヤチカが息を呑む。
同時に杏里も気づいていた。
位置的には対峙するふたりの間あたり。
ずっと奥の壁に、全裸の少女が斜めになってもたれかかっている。
そっくりだった。
髪型も顔も、いや、体つきさえも。
杏里は自分がまさにその場にいるような錯覚にとらわれ、混乱した。
「わからないかい?」
老婆が言った。
「正二に聞いただろう? この人形の館から、正一の試作品が盗まれたって」
「あ」
声を上げたのは、ヤチカだった。
「杏里ちゃんの、お人形」
「そうさ。正一作の、杏里をモデルにしたラブドール。あれはこんなところにあったんだ」
「つまり、由羅をおびき出すために、零が盗んだ…そういうことなんですか?」
呆然と眼を見開いて、杏里はたずねた。
「おそらくね。あの杏里人形を拷問にかけた映像を、その由羅とやらにメールで送ってやる。義理堅いおまえさんの相棒は、早速出向いていって、罠に嵌った。そんなところじゃないかと思うよ」
「由羅…」
ごめんなさい…。
私…。
込み上げる思いを奥歯で噛みしめた時、その由羅が動いた。
佇む零に向かって突進すると、テイクバックした右腕で強烈なストレートを放ったのだ。
が、零は信じられないほど敏捷だった。
最小限の動きでなんなくその攻撃をかわすと、すっと由羅の背後に立った。
振り向こうとする由羅の腹を、その長い脚で無造作に蹴りつけた。
大して力を込めた一撃とは見えなかった。
だが、破壊力は抜群だったようだ。
ダンプカーと衝突したかのような勢いで、由羅が後方に吹っ飛んだ。
壁に全身を叩きつけられ、壊れた人形みたいに床に崩れ落ちた。
そこに零が大股に歩いて行く。
前に立って由羅を見下ろすと、足で腹を踏み、両手で交互に顔を殴り始めた。
脳震盪でも起こしているのか、由羅は抵抗しようともしない。
「ゆら…」
視界が涙で霞んだ。
こんなこと、あり得ない。
あの無敵のパトス、由羅が、こんなにもあっさり、やられてしまうだなんて…。
「驚くのはまだ早いよ」
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「覚悟をおし。気絶しないようにね」
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