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第7部 蹂躙のヤヌス
#16 凸凹コンビ
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1日目はそれだけらった。
美里が出て行くと、教室の空気は一気に緩み、ごく普通の中学校の日常が戻ってきた。
そそくさと帰り支度を始める者、仲間同士集まって、部活に急ぐ者…。
だが、相変らず誰も杏里に話しかけてこようとはしない。
今までの経験からすると、転校初日には、部活動の勧誘に来る生徒や、あれこれ話題を持ちかけてくる生徒など、なんらかの形で杏里に関心を向けてくる者たちが、必ず何人かはいたものである。
だが、ここではそれすらもない。
こんなにあっさり無視されるのは、初めての経験だった。
屈辱感と孤独で、震えだしそうだ。
このままでは帰れない。
杏里は思い切ってこちらから話しかけてみることにした。
ほとんどの生徒たちが供す津を出て行き、残っているのは杏里を含めて数名である。
隣の席の山田と呼ばれた少女が、リュックに荷物を詰め終え、立ちあがったのを見計らい、
「ちょっといいかな」
その前に回って、杏里は言った。
「あなた、名前は? 山田、何さんっていうの? 私は笹原杏里。よろしくね」
少女が杏里を見つめた。
肩までの髪を綺麗に梳かした、お洒落な感じの女生徒である。
リュックには動物のキーホルダーがいくつもいくつもぶら下がっていた。
「唯佳…だけど。何か用?」
警戒するようなまなざしをしている。
この少女も、あまり友好的とは言えないようだ。
「さっき先生が言ってた、2者面談って何? 私たちまだ2年生だから、進路の相談には早いと思うんだけど」
「明日になればわかるよ」
無造作に言い捨てて、席を離れようとする唯佳。
その手を握って、杏里は引き留めた。
「ね? 教えてくれない? 美里先生って、どんな人? ずいぶん生徒に人気あるんだね」
「あんた何? 教頭たちのスパイ?」
唯佳の声が尖った。
「美里先生のこと色々詮索して、どうするつもり? 教育委員会にでもチクる? そんなことしたら…」
「あたいらが許さないよ」
ふいに肩越しに声がした。
「え?」
びっくりして振り返ると、教室の後ろの入口に、妙な二人連れが立っていた。
凸凹コンビとでもいおうか。
小柄でやせた、鋭い目つきの少女。
その後ろに、杏里の倍ほども横幅のある大女。
ふたりとも、濃いグリーンのユニフォームを身につけている。
「あ、璃子…。それから、ふみ…」
唯佳が名を呼んだ。
「早くしろよ。きょうは準備の当番、2年生だろ?」
「ご、ごめん。ちょっと探し物してたら、この子につかまっちゃって」
「転校生か」
璃子とよばれたやせた少女がじろりと杏里を見た。
剃刀のように酷薄なまなざしの持ち主だ。
「最初に言っとくけど、おまえ、美里のこと、ほかの先公にチクりやがったら、ただじゃおかねえからな」
「美里はね、うちらの顧問なんよ。うちら、女子バスケ部のね」
にやにや笑いながら、大女が細くする。
こちらは一見痴呆めいた、つかみどころのない顔つきをしている。
「そんなことしないよ。私はただ、どんな先生か、興味があるだけ。なんだか、あの人、普通と違うような感じがするし」
ともすればひるみそうになる己を奮い立たせて、杏里は言い返した。
「それが余計だっつーんだよ」
璃子の声が険を帯びた。
「おまえは大人しく面談してもらえばいいんだよ。美里はな、あたいらのストレスを解放してくれる、最高の先生なんだ。美里がいなくなったら、あたいらみんな、受験だの規則だの親だの人間関係だの、そんなくだんないことのためににいつかみじめに押しつぶされちまうんだ。あたいたちの味方は、美里はだけなんだから。だから美里を悪く言うやつはあたいが許さない」
やっぱり、彼女、すでにタナトスの仕事、始めてたんだ。
それにしても、これは何?
なぜこの子たち、タナトスの仕事の意味を知っている?
それに何より変なのは、まだ”浄化”されていないらしいってことだ。
浄化が済んだ者は、欲望をすべて消化されたせいで、ふつう、しばらくの間はタナトスに関心を示さなくなる。
なのに、この子たちの美里へのこだわりはどうだろう?
「わかったら、消えなよ」
脅すように璃子が言った。
「ぐずぐずしてると、ふみが暴れるぞ」
「やだあ、璃子ったらあ」
大女がしなをつくって巨体をくねらせた。
「でもこいつ、可愛いから、いつかやってみたいよね」
杏里はあとじさった。
何、この会話?
少し身の危険を覚えたのだ。
「今日は時間がない。またにしろ」
言い捨てると、踵を返す璃子。
「あーあ、つまんないの」
ふみがそのうしろについて、のっしのっしと出て行った。
「じゃ、あたしも行くから」
唯佳が急ぎ足で後を追う。
「何よ」
ひとり取り残された杏里はつぶやいた。
「まわりは全部、敵ってわけ?」
美里が出て行くと、教室の空気は一気に緩み、ごく普通の中学校の日常が戻ってきた。
そそくさと帰り支度を始める者、仲間同士集まって、部活に急ぐ者…。
だが、相変らず誰も杏里に話しかけてこようとはしない。
今までの経験からすると、転校初日には、部活動の勧誘に来る生徒や、あれこれ話題を持ちかけてくる生徒など、なんらかの形で杏里に関心を向けてくる者たちが、必ず何人かはいたものである。
だが、ここではそれすらもない。
こんなにあっさり無視されるのは、初めての経験だった。
屈辱感と孤独で、震えだしそうだ。
このままでは帰れない。
杏里は思い切ってこちらから話しかけてみることにした。
ほとんどの生徒たちが供す津を出て行き、残っているのは杏里を含めて数名である。
隣の席の山田と呼ばれた少女が、リュックに荷物を詰め終え、立ちあがったのを見計らい、
「ちょっといいかな」
その前に回って、杏里は言った。
「あなた、名前は? 山田、何さんっていうの? 私は笹原杏里。よろしくね」
少女が杏里を見つめた。
肩までの髪を綺麗に梳かした、お洒落な感じの女生徒である。
リュックには動物のキーホルダーがいくつもいくつもぶら下がっていた。
「唯佳…だけど。何か用?」
警戒するようなまなざしをしている。
この少女も、あまり友好的とは言えないようだ。
「さっき先生が言ってた、2者面談って何? 私たちまだ2年生だから、進路の相談には早いと思うんだけど」
「明日になればわかるよ」
無造作に言い捨てて、席を離れようとする唯佳。
その手を握って、杏里は引き留めた。
「ね? 教えてくれない? 美里先生って、どんな人? ずいぶん生徒に人気あるんだね」
「あんた何? 教頭たちのスパイ?」
唯佳の声が尖った。
「美里先生のこと色々詮索して、どうするつもり? 教育委員会にでもチクる? そんなことしたら…」
「あたいらが許さないよ」
ふいに肩越しに声がした。
「え?」
びっくりして振り返ると、教室の後ろの入口に、妙な二人連れが立っていた。
凸凹コンビとでもいおうか。
小柄でやせた、鋭い目つきの少女。
その後ろに、杏里の倍ほども横幅のある大女。
ふたりとも、濃いグリーンのユニフォームを身につけている。
「あ、璃子…。それから、ふみ…」
唯佳が名を呼んだ。
「早くしろよ。きょうは準備の当番、2年生だろ?」
「ご、ごめん。ちょっと探し物してたら、この子につかまっちゃって」
「転校生か」
璃子とよばれたやせた少女がじろりと杏里を見た。
剃刀のように酷薄なまなざしの持ち主だ。
「最初に言っとくけど、おまえ、美里のこと、ほかの先公にチクりやがったら、ただじゃおかねえからな」
「美里はね、うちらの顧問なんよ。うちら、女子バスケ部のね」
にやにや笑いながら、大女が細くする。
こちらは一見痴呆めいた、つかみどころのない顔つきをしている。
「そんなことしないよ。私はただ、どんな先生か、興味があるだけ。なんだか、あの人、普通と違うような感じがするし」
ともすればひるみそうになる己を奮い立たせて、杏里は言い返した。
「それが余計だっつーんだよ」
璃子の声が険を帯びた。
「おまえは大人しく面談してもらえばいいんだよ。美里はな、あたいらのストレスを解放してくれる、最高の先生なんだ。美里がいなくなったら、あたいらみんな、受験だの規則だの親だの人間関係だの、そんなくだんないことのためににいつかみじめに押しつぶされちまうんだ。あたいたちの味方は、美里はだけなんだから。だから美里を悪く言うやつはあたいが許さない」
やっぱり、彼女、すでにタナトスの仕事、始めてたんだ。
それにしても、これは何?
なぜこの子たち、タナトスの仕事の意味を知っている?
それに何より変なのは、まだ”浄化”されていないらしいってことだ。
浄化が済んだ者は、欲望をすべて消化されたせいで、ふつう、しばらくの間はタナトスに関心を示さなくなる。
なのに、この子たちの美里へのこだわりはどうだろう?
「わかったら、消えなよ」
脅すように璃子が言った。
「ぐずぐずしてると、ふみが暴れるぞ」
「やだあ、璃子ったらあ」
大女がしなをつくって巨体をくねらせた。
「でもこいつ、可愛いから、いつかやってみたいよね」
杏里はあとじさった。
何、この会話?
少し身の危険を覚えたのだ。
「今日は時間がない。またにしろ」
言い捨てると、踵を返す璃子。
「あーあ、つまんないの」
ふみがそのうしろについて、のっしのっしと出て行った。
「じゃ、あたしも行くから」
唯佳が急ぎ足で後を追う。
「何よ」
ひとり取り残された杏里はつぶやいた。
「まわりは全部、敵ってわけ?」
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