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第8部 妄執のハーデス

#56 バトルロイヤル⑩

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 ヤッコが芝居がかったしぐさで、両手をシャッターに向け、伸ばした。

「はうっ!」

 手のひらを立て、裂帛の気合を込め、叫ぶ。

 ドーン!

 やにわに、大地を揺るがすような、凄まじい音が響き渡った。

 鋼鉄のシャッターが、ど真ん中に目に見えない鉄球を食らいでもしたかのように、見る間にひしゃげていく。

 杏里は半ば口を開いたまま、凍りついた。

 今目の前で起こっている現象が、信じられなかった。

 なんて威力なの…。

 これが、サイコキネシス?

「うううううううっ!」

 ヤッコが歯を食いしばり、獣のようにうなった。

 ぐにゃり。

 へこんだ中心に亀裂が走り、シャッターが紙のように破れ始める。

 その隙間から外界の光が差し込んだと思った瞬間、爆音とともにシャッターが吹っ飛んだ。

 鉄の破片が紙吹雪のように舞い、あたりにばらばらと降り注ぐ。

「下がるんだ」

 由羅が杏里をかばって後退した。

「ヤッコ!」

 ユリが悲鳴混じりの声で相棒の名を呼んだ。

 爆風が収まると、シャッターの残骸を踏みしめて立つヤッコの姿が見えてきた。

 半袖のセーラー服から突き出た腕と、スカートから伸びた長い脚の所々に、うっすらと血がにじんでいる。

 それ以外は、別にどうということもないようだ。

「どう?」

 振り向くなり、ニカッと笑ってみせた。

 バレーボールの試合で、先制のサーブを決めた主将みたいな、そんな爽やかな笑顔だった。

 いったん近づこうとした警備員や警官たちも、ヤッコの力に恐れをなしたのか、今は壁際に退却している。

「さ、ユリ、そんなとこでぼけっと突っ立ってないで、行こうよ」

 大きく右腕を振って、友を呼ぶ。

「部活の試合も近いんだしさ、こんなとこで油売って、みんなに迷惑かけられないよ」

「う、うん」

 夢遊病者のような足取りで、ユリが歩き出した。

 ヤッコはそれを待たずに、大股にシャッターの残骸をまたぎ越えていく。

「なんてやつ…」

 杏里を抱きしめたまま、由羅が茫然とひとりごちた。

「あいつ、ここにいるパトスの中で、最強じゃないのか? 出て行ってくれて、マジでよかったかもな」

 確かにそうだ。

 杏里は無言でうなずいた。

 絶対当たりたくない相手である。

 マコトの狂気も気味が悪いが、鋼鉄のシャッターをも引き裂く念動力の持ち主と戦ったら、まず勝ち目はない。

 タナトスである杏里は、ほぼ不死身に近い存在だ。

 だが、あの力で脳を潰されたら、あっけなく死んでしまうに違いない。

 あの子は、おそらく誰にも止められない…。

 去り行く少女の背中をぼんやり眺めながら、そんなことに思いを馳せた、その時だった。

 だしぬけに、ヤッコの歩みが止まった。

「うわああああ! 何よ! これ!」

 左手首を右手で押さえ、がっくりとその場にひざまずく。

「ヤッコ、どうしたの?」

 ユリが、小走りに駆け出した。

「始まった」

 由羅がつぶやいた。

 ヤッコはすでに床に倒れ、手足をばたつかせて苦しんでいる。

 杏里も息を呑んだ。

 毒?

 北条の言った通り、腕輪の毒がヤッコの体内に…? 

 ヤッコのところまで行きつかないうちだった。

 今度はユリが悲鳴を上げ、左手首を押さえて地面にうずくまった。

 前のめりに倒れると、仰向けになって、苦しげに喉を掻きむしり始めた。

「どうして? あの子はまだ外に出ていないのに?」

 杏里は唖然とした。

 ユリはシャッターの残骸の内側にいる。

 つまり、まだ本部の敷地を出ていないのだ。

 なのに腕輪の毒針が作動したというのだろうか?

「これが、連帯責任ってことか」

 苦々しげな口調で、由羅が言った。

「連帯責任?」

 はっとして、由羅の横顔を見つめる杏里。

「ほら、あの柚木とかいう優等生ぶりっ子が言ってただろう? パトスとタナトスは、連帯責任だって」

「じゃ、ひとりがルールを破れば、何もしてなくても、もうひとりも罰を受けるってこと?」

「そうだ。そうとしか思えない」

 ヤッコとユリはすでに動かなくなっている。

 ふたりとも、奇怪な形に指を曲げ、空をつかもうとするかように、腕を伸ばして固まっている。

 由羅の背に隠れるようにして、杏里はふたりに近づいた。

 シャッターのこちら側、ユリの死体のすぐそばで足を止める。

 あんなにきれいな顔立ちをしていたユリは、杏里の足元で、凄まじい形相のまま、死んでいた。

 口から血の泡を吹き、眼窩から眼球を半ば飛び出させて、無残にもこと切れている。

 唇の端から突き出た舌は紫色に膨れ上がり、まるで海辺の軟体動物のようだ。

 ヤッコも同じだった。

 ふたり分の吐しゃ物のすえたような臭いが、ぷんと強烈に鼻をつく。

 ふと気がつくと、周囲を警備員たちに取り囲まれていた。

「おまえらは、部屋に戻れ」

 防弾チョッキを紺の制服の上から着込んだ中年男が、威圧するような口調で言った。

「こうなりたくなかったらな」

 能面みたい表情で、ふたりの死体を顎で示して、静かに威嚇する。

 杏里は左手首にはまった腕輪を、右手で無意識のうちになでさすっていた。

 見た感じ、ただの薄い金属製のワッカである。

 が、その威力はもう疑いようもなかった。

 この中に、毒針が…?

 瞬時にして脳まで達し、タナトスをも殺してしまう猛毒が、仕掛けられている…?

 ふたりの死を確認しただけで、警備員たちが散り始めた。

「死体を片付けないのか?」

 信じられないといった口調で、その背中に由羅が声をかけた。

 リーダーらしき、さっきの男が振り返る。

「こいつらは、見せしめのために、このままにしておく。同じような馬鹿が、二度と出ないようにな」
 

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