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第8部 妄執のハーデス

#71 インターバル③

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 ぽっかり開いた体育館の入り口から、悪鬼の舌のように紅蓮の炎が噴き出している。

 やがてカチッというかすかな音がしたかと思うと、通路の天井から滝のように水流がほとばしり始めた。

 同時に鳴り出したサイレンが、杏里の耳をつんざいた。

 水流に押されて徐々に炎が弱くなっていくと、体育館の内部の様子がぼんやりと見えてきた。

 煙と火に包まれた空間に、黒い人影が佇んでいる。

 細部までは見て取れないが、ほっそりとしたシルエットからして、どうやら女性のようだ。

 熱風になびく長い髪。

 細く長い手足。

 女にしては、かなりの長身である。

 あれが、X?

 ぞわり。

 全身の産毛が、静電気を帯びたようにざわついた。

 胸の底で、得体の知れぬ冷たい恐怖が、静かに広がり始めるのがわかった。

 何だろう?

 この嫌な予感は…?

 何かが引っかかった。

 記憶の奥で、何か、とてつもない嫌なものが、ゆっくりと目覚めようとしている。

 そんな感覚だった。 

 女は、はためく炎のカーテンの向こうに、滑るような足取りで遠ざかっていく。

 誰なの? あなたは?

 杏里は熱気と黒煙でかすむ目を一心に凝らした。

 が、見えたのはそこまでだった。

 立ち上る黒煙と水蒸気が束の間女を包みこみ、視界が晴れた時にはすでにその姿は消えてしまっていた。

 炎が急速に下火になり、サイレンの音が次第に尻すぼみにフェイドアウトしていった。

「信じられない…」

 網膜に焼きついた忌まわしい残像を消し去るために、杏里は激しく瞬きをした。

「見たか?」

 杏里をかばった姿勢のまま、由羅がかすれた声で訊いてきた。

「Xって、ひとりなの? チームじゃないのね?」

「たぶん、そうだと思う。最初っから、そんな気がしてた」

「でも、そうだとすると…」

 杏里は周囲を見回した。

 水浸しのリノリウムの床に、焦げた丸太のような物体がいくつも転がっている。

 近づいて見るまでもなかった。

 人間の手足である。

 太さや長さからして、十中八九、柚木のものに違いない。

「後を追うんだ」

 杏里を離し、由羅が歩き出す。

「危険だよ」

「まだ美晴は生きてるかもしれない」

 由羅は片足を引きずりながら、まっすぐ体育館に向かっていく。

 追いかけようとしたとたん、足の裏がじゃりっと固いものを踏んだ。

 眼鏡だった。

 柚木がかけていた銀縁眼鏡である。

 杏里は立ち竦んだ。

 半分焼けただれた柚木の頭部が、床から恨めしげにこちらを見上げている。

 首の断面はギザギザなっていて、爆ぜた肉やら白い神経線維、そして折れた脊椎の先などが飛び出している。

 今更ながらに、ひどい、と思う。

 さっきの炎は、柚木がバイロキネシスで放った最後の一撃だろう。

 が、Xは、その炎をものともせず、柚木をバラバラに解体してしまったのだ。

 しかも、たったひとりで。

「待って」

 杏里は駆け出した。

 由羅が危ない。

 突如として、そんな切迫した思いに突き動かされたからだった。

 

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