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第8部 妄執のハーデス
#122 逆襲②
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杏里は死を覚悟した。
今度こそ、殺される。
零はすでに正気を失い、凶獣と化してしまっている。
もう、何を言っても、その狂った耳には届かない。
零は、肉弾戦に特化した由羅の四肢ですら、バラバラに寸断してしまったのだ。
今の零にかかったら、杏里のやわな肉体など、紙のようにやすやすと引き裂かれてしまうに決まっている。
いくら治癒能力が格段にアップしているといえども、杏里とて、頭を狙われたらそこでおしまいだ。
杏里には、零と違って脳はひとつしかない。
この大脳を潰されでもしたら、もう回復どころではなくなってしまう。
だが、ここで死ぬわけにはいかなかった。
私さえ生き延びれば、まだ由羅を助けることができるかもしれないのだ。
さっき、一度死んだかに見えた由羅が蘇ったように、あるいは…。
こぶしを握りしめ、腰を浮かせて、杏里は祈るようにそう思った。
杏里のほうを向いて立った零は、さながら地獄からやってきた悪鬼そのものだった。
独立した生き物のように、うねうねと動き回る漆黒の髪。
牙を剥き出した大きな口には、ちぎれた由羅の片足をくわえている。
断面から尖った白い骨と糸のような腱、そして裂けた筋肉組織をギザギザにはみ出させたその足は、トマトジュースのボトルを傾けたようにどぼどぼと血潮を床に吐き出し続けている。
その太腿の肉を食いちぎると、零が無造作に足を放り投げた。
くちゃくちゃと咀嚼音を立てながら、毛細血管が網の目のように浮き出た眼で、じっと杏里を見つめている。
由羅との死闘の際、下着をはぎとられたのか、零も杏里同様、全裸になっていた。
無駄な肉の一切ないその体には、表皮の下から鎧のごとき筋肉の束が浮き出している。
以前の華奢で美しかった零の身体とは、明らかに似て非なる様相を呈していた。
おそらく、と思う。
限度を超えた怒りが、零の種としてのリミッターを、一気に外してしまったに違いない。
左腕を失った零に比べると、杏里の五体は、どこもほぼ元に戻っている。
左右でいびつだった乳房の大きさにしても、そうだ。
我ながら驚異的な回復力だった。
しかし、この能力も、今目の前に立ちふさがるこの狂獣に、どこまで通用するものか…。
ガウッ。
獣じみたうなり声をあげ、零が一歩足を前に踏み出した。
刃物のような爪がずらりと並んだ5本の指を開き、獲物を前にした羆のように、無事なほうの右手を頭上に高々と振り上げる。
全身から陽炎のように立ち上る憤怒が、零の周囲の空間を歪めてしまったかのように、空気が揺らいで見える。
あっと思った時には、もう遅かった。
万力のような零の指が、がっしりと杏里のまろやかな左肩をつかんでいた。
ぎしぎしと爪が肉に食い込んでくる。
赤い血がふつふつと玉となって吹き出し、杏里の肩を見る間に朱に染めていく。
が、痛みを感じている余裕すらなかった。
零がガッと口を開けた。
サメの口腔内を連想させる、牙が幾重にも重なり合った巨大な口だ。
それが、杏里のか細い首筋を狙って、容赦なく襲いかかってきた。
恐怖にすくみ、杏里は目を閉じた。
噛みちぎられた首が宙を舞う、そんな不吉な幻影が、一瞬、杏里の脳裏を去来する。
殺される!
次に全身を襲うだろう激烈な痛みを予想して、思わず身体を固くして身構えた時である。
ふいに、零の動きがs止まり…。
そして、それが起こった。
今度こそ、殺される。
零はすでに正気を失い、凶獣と化してしまっている。
もう、何を言っても、その狂った耳には届かない。
零は、肉弾戦に特化した由羅の四肢ですら、バラバラに寸断してしまったのだ。
今の零にかかったら、杏里のやわな肉体など、紙のようにやすやすと引き裂かれてしまうに決まっている。
いくら治癒能力が格段にアップしているといえども、杏里とて、頭を狙われたらそこでおしまいだ。
杏里には、零と違って脳はひとつしかない。
この大脳を潰されでもしたら、もう回復どころではなくなってしまう。
だが、ここで死ぬわけにはいかなかった。
私さえ生き延びれば、まだ由羅を助けることができるかもしれないのだ。
さっき、一度死んだかに見えた由羅が蘇ったように、あるいは…。
こぶしを握りしめ、腰を浮かせて、杏里は祈るようにそう思った。
杏里のほうを向いて立った零は、さながら地獄からやってきた悪鬼そのものだった。
独立した生き物のように、うねうねと動き回る漆黒の髪。
牙を剥き出した大きな口には、ちぎれた由羅の片足をくわえている。
断面から尖った白い骨と糸のような腱、そして裂けた筋肉組織をギザギザにはみ出させたその足は、トマトジュースのボトルを傾けたようにどぼどぼと血潮を床に吐き出し続けている。
その太腿の肉を食いちぎると、零が無造作に足を放り投げた。
くちゃくちゃと咀嚼音を立てながら、毛細血管が網の目のように浮き出た眼で、じっと杏里を見つめている。
由羅との死闘の際、下着をはぎとられたのか、零も杏里同様、全裸になっていた。
無駄な肉の一切ないその体には、表皮の下から鎧のごとき筋肉の束が浮き出している。
以前の華奢で美しかった零の身体とは、明らかに似て非なる様相を呈していた。
おそらく、と思う。
限度を超えた怒りが、零の種としてのリミッターを、一気に外してしまったに違いない。
左腕を失った零に比べると、杏里の五体は、どこもほぼ元に戻っている。
左右でいびつだった乳房の大きさにしても、そうだ。
我ながら驚異的な回復力だった。
しかし、この能力も、今目の前に立ちふさがるこの狂獣に、どこまで通用するものか…。
ガウッ。
獣じみたうなり声をあげ、零が一歩足を前に踏み出した。
刃物のような爪がずらりと並んだ5本の指を開き、獲物を前にした羆のように、無事なほうの右手を頭上に高々と振り上げる。
全身から陽炎のように立ち上る憤怒が、零の周囲の空間を歪めてしまったかのように、空気が揺らいで見える。
あっと思った時には、もう遅かった。
万力のような零の指が、がっしりと杏里のまろやかな左肩をつかんでいた。
ぎしぎしと爪が肉に食い込んでくる。
赤い血がふつふつと玉となって吹き出し、杏里の肩を見る間に朱に染めていく。
が、痛みを感じている余裕すらなかった。
零がガッと口を開けた。
サメの口腔内を連想させる、牙が幾重にも重なり合った巨大な口だ。
それが、杏里のか細い首筋を狙って、容赦なく襲いかかってきた。
恐怖にすくみ、杏里は目を閉じた。
噛みちぎられた首が宙を舞う、そんな不吉な幻影が、一瞬、杏里の脳裏を去来する。
殺される!
次に全身を襲うだろう激烈な痛みを予想して、思わず身体を固くして身構えた時である。
ふいに、零の動きがs止まり…。
そして、それが起こった。
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