制服の胸のここには

戸影絵麻

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プロローグB

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 階段を降り、ダイニングキッチンに入ると、母が忙しく朝食の準備をしている最中だった。
 氷室基子はその背中を眺めながら「パパは?」と訊きたい誘惑をかろうじて押しつぶした。
 そんなことをしても何の意味もない。
 訊くまでもなくあの男の所業などお見通しだ。
 そもそも責められるべきはママではなく、あの下半身から先に生まれてきたようなケダモノなのだ。
「今マフィンが焼けるわ。ちょっと待っててね」
 わざとらしいほど明るい口調で母が言う。
 本当は一晩帰らぬ夫を思って叫び出したいほどストレスが溜まっているはずなのに。
「うん」
 不愛想に相槌を打ってテレビをつけると4Kの液晶画面に見慣れた女性キャスターが現れた。
 ローカル局の朝のニュース番組である。
「つい先ほどまた地震がありました。この地域の震度は2。震源は息吹山から移動を続けており…」
 移動する震源?
 基子の眉が曇る。
 そんな現象があり得るだろうか。
 理系が苦手な基子でもそれくらいわかる。
「最近多いわね」
 テーブルに焼き立てのマフィンを乗せた皿を並べながら、母が言った。
 その時、制服のスカートのポケットの中でかすかな着信音がして、基子はテーブルの下で画面を開いた。
 ー会いたいです ふぁみぞうー
 Xのメッセージの最新がこれだった。
 基子が昨夜ポストした画像に対してのコメントである。
 来た。
 自然と口元に笑みが浮かんだ。
 大きな魚を釣り上げた漁師の気分だった。
 風呂上がりに撮った自画像は自分でもなかなかセクシーに見えたのだが、それが功を奏したのだろう。
 ”ふぁみぞう”とはこれまで2度ほど会っている。
 一流企業勤務を標榜するいわゆる”イケおぢ”のひとりである。
 既婚者だが金払いはよく、これまでの2回はタッチだけで済ませてくれた。
 駈け出しの基子にとっては上客の部類に入る”おぢ”だった。
「どうしたの?」
「ううん、委員会の連絡」
「学級委員会?」
「うん。朝のホームルーム前に、ちょっと打ち合わせしたいって」
「定期試験近いのに、大変ね」
「まあね。でも、学園祭の概要、夏休み前に決めときたいから」
「まだ2年生なのに、えらいわね」
「別に。普通だよ」
「帰りは?」
「図書委員会があるから、遅くなる」
「夕飯までには帰るのよ」
「善処します」
 玄関を出て、マンションを振り返る。
 ごめんね、ママ。
 心の中で詫びた。
 だけどさ、と思う。
 今のうちにお金貯めとかないと、いつあのケダモノに捨てられるか、わかんないでしょ、あたしたち。
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