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#55 夫の行方
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「こ、こんな夜中に、どこへ・・・?」
無茶もいいところだ。
冷たく閉ざされたドアを呆然と見つめて、琴子は思った。
住宅街だから、この周辺に飲み屋や居酒屋などない。
JRの駅まで行けばまだ開いている店はあるだろうが、そこまで行くバスはすでに終発が出てしまっている。
このあたりはタクシーなど通らないし、仕事帰りで疲れているのに30分以上歩くなんて論外だろう。
「心配すんなよ、あんなの嘘だよ」
後ろに立った和夫が、憎々しげに言った。
「親父の行く先なんて、とっくの昔にお見通しさ」
「どういうこと?」
驚いて振り向くと、仮面の口元がニタリと笑いの形に歪んだ。
「知りたいか? 後悔しても知らないぞ」
「何言ってるの? ずっと入院してたあなたに、何がわかるっていうの?」
「そんなの家を離れててもわかる。だいたい、かあさんは鈍感すぎるんだよ」
土間に降りると、和夫がクロックスに足を入れ、玄関のドアに手をかけた。
「来いよ。教えてやる」
「・・・・・・」
はやる胸の鼓動を抑え、和夫に続いて外に出る。
階段にもエレベーターにも、正一の姿はない。
不思議なのは、エレベーターの階数表示がこの階になっていることだった。
正一がエレベーターを使ったなら、当然表示は1階を示しているはずである。
ここは5階だから、階段を使ったとはとても思えない。
正一がエレベーターで1階に降りた後、入れ替わりに誰かがここまで上がってきたのだろうか。
いや、そんなはずはないと思う。
いくらなんでも時間が短すぎるし、上がってくる者があったとしても、その人はいったいどこへ行ったというのだろう?
混乱したまま、エレベーターを見つめて立ちすくんでいると、馬鹿にしたような口調で和夫が言った。
「とことんおめでたいな、かあさんは。まだわからないのかい?」
「な、なによ? あなた、何が言いたいの?」
「とうさんが逃げ込んだのは、そこだよ」
気色ばんだ琴子を遮って、和夫が顎をしゃくってみせた。
その先に見えるのは、隣の朝比奈仁美の家のドアである。
「おかしいと思わないか? お隣さんは母子家庭で、ひとり息子の健太は、小学校2年生だ。夜中の1時過ぎても、ほら、あかあかと部屋の電気がついてる」
和夫の言う通りだった。
ドアの向こうの窓は、カーテンこそかかっているものの、昼間のように明るかった。
琴子の脳裏に、いつか郵便受けの前で出会った、薄幸そうな女性の姿が浮かんだ。
琴子より若く、痩せてはいるが胸の大きい、見ようによってはひどく官能的なあの女・・・。
それが本当なら、あのパソコンの画像の主も、朝比奈仁美ということになる。
「いい加減なこと言わないで! そんなこと、あるわけないでしょ!」
叱りつけるように言葉を叩きつけ、琴子は玄関に和夫を押し戻した。
あり得ない、と思った。
いくら正一が私に不満でも、目と鼻の先に住んでいる女と浮気するなんて・・・。
大胆というより、そんな人を馬鹿にした話があっていいはずがない。
「なんだよ。疑うんなら、ドアホン押して確かめればいいだけだろ? なんなら俺が代わりに」
「やめて!」
腹立ちまぎれに、衝動的に和夫を突き飛ばしていた。
「痛えな」
廊下に尻もちをついても、和夫はにやにや笑ったままだ。
「隣の奥さん、ああ見えても、なかなかいい女なんだぜ。いつも胸の谷間を強調する服や、パンティラインがばっちり見えるスカート穿いてるしさ。ありゃ、絶対男を誘ってるなって、前々からずっと俺も思ってたんだ。かあさんより若いし、シングルマザーだからって、馬鹿にできないぜ」
「もう言わないで! けがらわしい!」
両手で耳を押さえて、玄関にしゃがみ込む琴子。
が、耳を塞いでも、和夫の声を遮断することはできなかった。
「はあ? けがらわしいだって? 今のかあさんに、そんなこと言えるのかよ」
無茶もいいところだ。
冷たく閉ざされたドアを呆然と見つめて、琴子は思った。
住宅街だから、この周辺に飲み屋や居酒屋などない。
JRの駅まで行けばまだ開いている店はあるだろうが、そこまで行くバスはすでに終発が出てしまっている。
このあたりはタクシーなど通らないし、仕事帰りで疲れているのに30分以上歩くなんて論外だろう。
「心配すんなよ、あんなの嘘だよ」
後ろに立った和夫が、憎々しげに言った。
「親父の行く先なんて、とっくの昔にお見通しさ」
「どういうこと?」
驚いて振り向くと、仮面の口元がニタリと笑いの形に歪んだ。
「知りたいか? 後悔しても知らないぞ」
「何言ってるの? ずっと入院してたあなたに、何がわかるっていうの?」
「そんなの家を離れててもわかる。だいたい、かあさんは鈍感すぎるんだよ」
土間に降りると、和夫がクロックスに足を入れ、玄関のドアに手をかけた。
「来いよ。教えてやる」
「・・・・・・」
はやる胸の鼓動を抑え、和夫に続いて外に出る。
階段にもエレベーターにも、正一の姿はない。
不思議なのは、エレベーターの階数表示がこの階になっていることだった。
正一がエレベーターを使ったなら、当然表示は1階を示しているはずである。
ここは5階だから、階段を使ったとはとても思えない。
正一がエレベーターで1階に降りた後、入れ替わりに誰かがここまで上がってきたのだろうか。
いや、そんなはずはないと思う。
いくらなんでも時間が短すぎるし、上がってくる者があったとしても、その人はいったいどこへ行ったというのだろう?
混乱したまま、エレベーターを見つめて立ちすくんでいると、馬鹿にしたような口調で和夫が言った。
「とことんおめでたいな、かあさんは。まだわからないのかい?」
「な、なによ? あなた、何が言いたいの?」
「とうさんが逃げ込んだのは、そこだよ」
気色ばんだ琴子を遮って、和夫が顎をしゃくってみせた。
その先に見えるのは、隣の朝比奈仁美の家のドアである。
「おかしいと思わないか? お隣さんは母子家庭で、ひとり息子の健太は、小学校2年生だ。夜中の1時過ぎても、ほら、あかあかと部屋の電気がついてる」
和夫の言う通りだった。
ドアの向こうの窓は、カーテンこそかかっているものの、昼間のように明るかった。
琴子の脳裏に、いつか郵便受けの前で出会った、薄幸そうな女性の姿が浮かんだ。
琴子より若く、痩せてはいるが胸の大きい、見ようによってはひどく官能的なあの女・・・。
それが本当なら、あのパソコンの画像の主も、朝比奈仁美ということになる。
「いい加減なこと言わないで! そんなこと、あるわけないでしょ!」
叱りつけるように言葉を叩きつけ、琴子は玄関に和夫を押し戻した。
あり得ない、と思った。
いくら正一が私に不満でも、目と鼻の先に住んでいる女と浮気するなんて・・・。
大胆というより、そんな人を馬鹿にした話があっていいはずがない。
「なんだよ。疑うんなら、ドアホン押して確かめればいいだけだろ? なんなら俺が代わりに」
「やめて!」
腹立ちまぎれに、衝動的に和夫を突き飛ばしていた。
「痛えな」
廊下に尻もちをついても、和夫はにやにや笑ったままだ。
「隣の奥さん、ああ見えても、なかなかいい女なんだぜ。いつも胸の谷間を強調する服や、パンティラインがばっちり見えるスカート穿いてるしさ。ありゃ、絶対男を誘ってるなって、前々からずっと俺も思ってたんだ。かあさんより若いし、シングルマザーだからって、馬鹿にできないぜ」
「もう言わないで! けがらわしい!」
両手で耳を押さえて、玄関にしゃがみ込む琴子。
が、耳を塞いでも、和夫の声を遮断することはできなかった。
「はあ? けがらわしいだって? 今のかあさんに、そんなこと言えるのかよ」
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