君よ、涙の海を渡れ

戸影絵麻

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#32

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 青年が懐から取り出したのは、黒いネズミのような生き物だった。

 キイキイ鳴くそれには、折れ曲がった翼が生えている。

「コウモリ…?」

 風花が目を丸くした。

「知ってるか? コウモリは、超音波を発して夜空を飛び、餌である昆虫を捕まえる。だが、その超音波は、人間の耳には捕らえられないほど高い領域のものだ」

「エコーロケーション…」

「そうだ。そして、その能力は、イルカにもある」

「イルカにも?」

「ああ。そして、イルカの能力は、コウモリよりも更に優秀だ」

「…何が、言いたいんですか?」

「つまり、コウモリは、イルカが近くにいると、その影響を受けざるをえないということさ。超強力なエコーロケーション能力を持つイルカは、コウモリたちにとって、いわば”女王”のような存在になる」

 あたしは右手の水槽のおーちゃんを見た。

 おーちゃんは、つぶらで真っ黒な瞳であたしたちをじっと見つめている。

 時折、何か言いたげに口を開くと、突き出た口吻の隙間からボコッと透明な気泡がこぼれ出た。

「でも、それが、真帆とどういう関係が?」

 風花が更に言いつのったときだった。

 次の瞬間、あたしはあっと小さく声を上げていた。

「まあ、見てな」

 子そう言うなり、右手を大きく振って、青年が手の中のコウモリを、無造作な仕草で頭上に放り投げたのだ。
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