汚れちまった悲しみに、きょうも血潮が降り注ぐ

戸影絵麻

文字の大きさ
42 / 58

#41 恋慕

しおりを挟む
 巧が車を止めたのは、国道沿いのレストランだった。
 その頃にはすっかり日が暮れ、風が冷たくなっていた。
 巧はその人懐っこい外見通り、話術に長け、しかも聞き上手だった。
 話題はほとんどがお互いの失敗談だったが、芙由子はつかの間、嫌な思いを忘れることができた。
 こんなに他人と話したのは、何年ぶりだろう。
 帰りの車に揺られながら、芙由子は思った。
 孤独な時間が長かったせいで、会話の楽しみというもの自体、忘れてしまっていた。
 それだけに、アパートの前で車が止まった時、いきなりたとえようのない寂しさがこみ上げてきて、芙由子は思わず口を開いていた。 
「あの、よかったら、うちに寄っていきませんか?」
 え?
 ルームミラーの中の巧が、そんなふうに目を見開いた。
「いいですけど、僕のアパートもすぐそこですよ」
「あ、ご迷惑なら、いいんです。今の、忘れてください」
 顔が熱い。
 私ったら、何を言ってるんだろう。
 こんな、10歳近くも年下の男の子に…。
「どうしたんですか? 急に」
 巧の声が、ふと、やさしくなった。
「いえ、ちょっと、思っちゃって…。こんな日に、ひとりでいるのは、辛いかなって…」
 泣きたい気分に襲われ、蚊の鳴くような声で芙由子は答えた。
 自分がいかに馬鹿なことを言おうとしているのか。
 それは痛いほどわかっている。
 巧は貴重な協力者なのだ。
 その巧に敬遠されてしまったら、比奈を救うことはほとんど不可能になる。
 だが、それでも芙由子は言わずにはいられなかった。
「巧君といると、とっても楽しくって…なんだか、自分がふつうの人間に生まれ変われるような気がして…」
 芙由子の馬鹿。
 頭の隅っこのほうで、冷静なもうひとりの自分が声を荒げるのがわかった。
 芙由子ったら、あんた、自分が何歳だと思ってるの?
 彼から見れば、十分におばさんなのよ?
 それなのに、何甘えるみたいなこと言ってるの!
 と、ひどくあっけらかんとした口調で、巧が言った。
「変なこと言うなあ。芙由子さん、立派に普通の人間じゃないですか。それに、女性としても、とっても魅力的だし」
 え?
 今度は芙由子が絶句する番だった。
 巧、君…?
 今、なんて…?
 おせじに決まってる。
 胸の底から浮かび上がりかけた希望的観測を、芙由子はかぶりを振ってすぐに打ち消した。
 社交辞令だよ、芙由子。
 わかるでしょ? 彼はこういうの、慣れてるの。
 もうひとりの自分が、頭の中でせせら笑う。
「そんな…からかわないでください」
 むっとして、小声で吐き捨てた時だった。
「いいですよ。おいしいコーヒー、飲ませてもらえるなら」
 ルームミラーの中で、巧が人懐っこく破顔した。
「実は僕、正直、思ってたとこなんです。あのレストランのホットコーヒー、薄くて白湯みたいだったなって」
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

意味が分かると怖い話【短編集】

本田 壱好
ホラー
意味が分かると怖い話。 つまり、意味がわからなければ怖くない。 解釈は読者に委ねられる。 あなたはこの短編集をどのように読みますか?

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

女子切腹同好会

しんいち
ホラー
どこにでもいるような平凡な女の子である新瀬有香は、学校説明会で出会った超絶美人生徒会長に憧れて私立の女子高に入学した。そこで彼女を待っていたのは、オゾマシイ運命。彼女も決して正常とは言えない思考に染まってゆき、流されていってしまう…。 はたして、彼女の行き着く先は・・・。 この話は、切腹場面等、流血を含む残酷シーンがあります。御注意ください。 また・・・。登場人物は、だれもかれも皆、イカレテいます。イカレタ者どものイカレタ話です。決して、マネしてはいけません。 マネしてはいけないのですが……。案外、あなたの近くにも、似たような話があるのかも。 世の中には、知らなくて良いコト…知ってはいけないコト…が、存在するのですよ。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

処理中です...