夜空のラムネ

佐藤強也

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夜空のラムネ

〈昼の思い〉

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 思った通り。今日も朝から太陽が地面を焦がしていた。

 せっかく昨日の夜、田中さんの力を借りて渡辺さんの机を綺麗にしたのに、渡辺さんは、昼間になってやっと登校してきた。

 この時間に登校してきたという事は、きっと給食のタルトが狙いだろう。

 このタルトはみんなが大好きで、たまたまその日に休んだ生徒がいると、じゃんけん大会が始まるほど人気のあるデザートだ。

 だから渡辺さんが途中から登校して来た時は、クラスのみんなが、いつも以上に邪魔者を見る目で渡辺さんを見ていた。

 いつものようにクラスの端から、給食を順番に取っていく。

 僕も列に並び、給食とタルトを手に取ると、列の後ろから手塚が声を上げた。

「おい、お前給食だけ食いに来たんだから、一番後ろ並べよな」

 見ると渡辺さんが列から弾かれていた。

 渡辺さんは「ごめん」と一言つげ、列の最後尾にまわると、子供のように列の先を覗いている。

 やっとのこと自分の番が回ってきた渡辺さんは、給食のお弁当、牛乳、と順番に取っていき、最後のタルトに手を伸ばすが、そこに渡辺さんの分はなかった。

 なんとなくクラスの雰囲気でわかる。いつもは一つ余る田中さんのタルトもない。誰かが多く取ったのだ。

 しょんぼりと席に座る渡辺さんは、タルトの数を数えているのか、周りをキョロキョロと見ている。

 逆に何事もなかったように座っている手塚と水上が、不自然に見えた。

 遅れて川澄が教室にやってくるが、川澄の分はすでに給食係が教卓の上にタルトまで用意してあるため、数が足りない事なんてまったく気づいていない様子だった。

 その証拠に川澄は自分のタルトを持ち上げ言った。

「ほれ、食べたい人はいるか?」

 元気よく立ち上がり手を挙げて手塚や水上。そしてその他の生徒達の中に、渡辺さんが一生懸命手を挙げて混じっていた。

 誰よりも気づいてもらうように、高く綺麗に、少し背伸びして腕を伸ばしている。

 私の分がありませんって言えばいいのに。

 結果じゃんけんは水上が勝ち、一発目で負けた渡辺さんは渋々牛乳を飲んでいた。

 給食が終わり昼休みになると、渡辺さんはいつものようにカバンを持って、教室を出ていった。背中の丸まり具合と、なんだろうか。歩く速さとか、髪の揺れ具合というか。なんだか泣いているようにも見えた。

 本日最後の授業は道徳だ。

 川澄はまるでドラマの先生を演じるかのように、こっそりと声を潜ませて特別感を演出する。

「こっそり映画でもみるか?」 

 川澄がホラー映画のDVDを見せると、このクラスにはホラー好きしかいないのか、女子達までもが喜び飛び跳ねた。

「お前ら他のクラスには内緒だぞ」

 クラス全員が児童館室に向かった。

 向かう最中、別のクラスも授業とは違う、何やら楽しそうなゲームをしているのを見て、別に川澄がドラマの先生みたいに、やんちゃな授業をしたのではない事に気づいた。

 普通の学校生活に、特別な事なんて無いのだと改めて思う。

 僕はホラーが苦手だったので、こっそりと歩く団体からはみ出し、消えるように保健室へ向かった。

 廊下の壁から生えている保健室の看板を見ると、なんだか心までも休憩モードへ入り、大人は立ち入る事のできない秘密基地に入る気分へと変わっていく。

 いつもの強さとリズムで扉をノックし中に入ると、スーと特別な消毒の匂いと、涼しいクーラーの冷たい風が体をすり抜けていく。

「あら、佐藤くんどうしたの」

 何も深く聞いてこない矢澤先生が、椅子を僕に差し出すが、今日は保健室で寝る為に来た訳では無かった。

「氷ってもらえますか?」

「えぇ。もちろん」

 僕がそれ以上口を開かなかったからか、矢澤先生が喋りかけてくれた。

「今日は具合悪くないみたいね」

 それから矢沢先生は冷凍庫から氷を取り出し、袋に入れて手早く口を閉めると、不思議そうな瞳で僕に視線を合わせた。

「今日。何かあったの?」

 相変わらず、矢澤先生も戸田先生と似ていて、僕の変化に気づいてくれる。

「タルトが足りなかったんです」

 その僕の一言に、矢澤先生の表情はなんとも言えない、優しさと、悲しみが入り混じった瞳に変わっていく。

「それで泣いていたのね」

「え?」

 ゆっくり、おっとりと、優しく矢澤先生が言うものだから、僕は言葉の意味を考えるのを忘れてしまった。

「はい。氷」

 きっと矢沢先生の手に僕が触れたのだろう。差し出された氷はなぜか温もりを感じた。

「ありがとうございます」

 そう告げ廊下へ出ると、一気に暑さが押し寄せ、頬を汗がつたっていく。

 このまま氷を額に当てたかったが、今日はいつもと用途が違うため僕は教室へ急いだ。

 あんな渡辺さんの姿を見た後だ。僕は食べる事が出来なかった。どうせ食べても今日は美味しくないと思ったから。

 僕はこっそりカバンの中に隠してある、タルトの上に氷をそっと置いた。

 今日の夜。もしも渡辺さんがいたら。そこであげよう。

 それからは、なんだか放課後が待ちどうしかった。

 いつも以上に早く帰りたかった。

 いつもは早く進む誰もいない時間も、今日はなんだか遅く感じる。

 ただ動く時計を眺め、時間が経つのを待った。

 よく授業を抜け出した奴らが、こっそりと隠れて教室に入って来る事がある。だけど僕の場合は、このまま席に座っているだけで良かった。こうして席に座っていれば、徐々に帰ってきたクラスの生徒が、一人だけ教室に居る不自然な光景を、勝手にいつもの景色に戻してくれるから。

 それは今日も変わらず同じだった。

 チャイムが鳴るとさっきまで居心地の良かった教室は、一瞬で元のうるさい溜まり場へと戻っていき、やがて帰りの会が始まる頃には、僕の存在なんて完全に消えていた。

 なんとなく聞いていた川澄の話も終盤。最後に礼をして帰るだけだと思っていた矢先だった。

 川澄の口から全く嬉しくない連絡事項が告げられた。

「来週からまた台風で雨が続くので、授業を入れ替えて、急遽だけど明日体育の授業が一、二時間目に入るぞ、全員水着を忘れないように」


 手塚と水上のハイタッチを交わした音が鼓膜を揺さぶった。

 川澄の話はまだ終わっていなかった。

「それと、明日は記録測定をするらしいので、皆万全な体調で望むように」

 記録測定。最悪だった。

「以上。気をつけ。礼」

 川澄が号令をかけ、プールの件もあり、いつもより明るく帰りの会が終わると、教室を出て行く生徒達の隙間から今日は呼ばれた。

「おい、佐藤」

 こっそりカバンに隠したタルトがあるし、記録測定がある事を聞いた後だ。嬉しく無かった。それでも先生に呼ばれたら生徒に断る権利は無い。

「なんですか?」

 僕が近づくと、川澄はまるで他人事のように僕の目を見ずに言った。

「富山先生が終わったらプールに来るようにって言ってたぞ」

 今までうまくかわして来たのだが……。

 富山に呼び出されるのは初めてだった。でも何を言われるのかはだいたい想像できる。きっと川澄も想像できたはずだ。だから僕の目を見なかったのだろう。

 それから川澄は僕の肩を三回叩いて教室を出て行った。

 教室に取り残された僕を笑うように、時計の秒針は音を立て、僕を見下ろしていた。

 笑われようが、バカにされようが、時間に逆らう事のできない僕は、教室の電気をしっかりと消して富山の待つプールへ向かった。

 道中。いろんな言い訳が頭をよぎった。

 具合が悪いは一度使ってしまった為、もう使う事はできない。水着を忘れたは、貸し出しがあるからダメだ。

 足が痛いとか、お腹が痛いとか。とっさに思いつく言い訳はどれも嘘っぽく、本当かと攻められたら、言い通す自身がなかった。

 結局、富山に攻められても、堂々と言い通す事のできる理由は見つからず、なんとか遠回りしながら向かうも、プールは現れてしまった。

 すでに富山は来ているらしく、入り口の扉は、まるで罠でも仕掛けてあるかのように堂々と開いていた。

 罠だとわかっていても入る以外の選択肢はない。勇気なんてものではなく、諦めの気持ちが僕を前へと動かせた。

 脱衣所を抜け、シャワー室を通過すると、太陽の光で真っ白く光る出口から、富山の姿が見えた。

 僕が入って来たのがわかっているくせに、富山は大きな網で水面に浮かぶ虫の死骸をすくっていて、僕の方なんて見もしなかった。

 この感じが心臓を握られているみたいに圧迫され、いつも先生に話す時のような先読みの頭が働かない。簡単に言うと、頭の中が真っ白になってしまうのだ。

「先生」

 触れるところまで近づき声をかける事で、やっと僕を認知してくれた。

「なんだ」

 視界の端で僕を見ているのだろう。富山の目線は今だに、プールに浮かぶ虫達を見ている。

「川澄先生から、富山先生が呼んでいると聞いたので来ました」

「最初からそう言わないとわからない」

 やっと富山は僕を見た。

「すみません」

 僕が頭をさげると、さらに上から押さえつけるように言葉が降ってきた。

「お前。明日の体育、絶対に休むなよ」

 やっぱりね。

 僕が即答しないと富山は、ゆっくり、ハッキリと、もう一度訊いて来た。

「わ、かっ、た、か」

 僕に用意されている返事は一つしか無かった。

「はい」

 僕のわかっている答えを聞くと、富山はまた網で水面の虫達をすくい出した。そして目線を網に向けたまま「いっていーぞ」と一言。「はい」と返事を残しプールを出ると、さっきまで富山の圧力で逃げだしていた夏の暑さが、バカにするように僕の元へ帰って来た。

 頬を垂れる汗を、拭くのもめんどくさく、なんだか日常が奪われた気分だった。

 

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