真冬の逃げ水 Mirage d'hiver

つこさん。

文字の大きさ
36 / 38
隣りの空白

しおりを挟む
 あいつさ、ほんとバカだったよな。なに考えてたんだろうな。なにも考えてなかったかな。バカだしな。いや、でも一番バカなのは俺だよ。なにも気づけなかったんだからさ。長いことずっと隣にいたのに、なにも。あいつのこと。
 信じられるか? ――死んだんだ、ブリアック。

 病気だってよ。あの、風邪ひとつひかなかった体力バカが。なんだろうな、まだ信じられない。病気で死ぬなんて、そんな言葉あいつには似合わねえよ。まじで。

 ――俺たち、いつもここで集まってた。あのダイヤみたいに高いワイン……わかるか? あいつは妙に気取ってジゼルのグラスに注いで。ジゼルは『やめて、あふれる!』って笑いながら……ああ、懐かしいな。あれ、何年前だっけな。

 ――ああ、ごめん。なんか、ひとりで話してたな。
 今の話? ……ブリアックってやつのことだよ。ブリアック・ボーヴォワール。俺の悪友。死んだんだ。病気で。墓見てきたから本当。あった。あったよ、墓。まじかよって感じ。
 俺? 俺はノエル・ビュファンっていうんだ。がっこの事務職員。
 ……えっと、ごめん、あんたは? 名前も聞かずに話しかけてたわ。すまんすまん。……なんか小難しい名前だな。兄さんでいい? あんがと。
 ……なんか酔ってんな、俺。わけわからんこと話しかけてごめん。あいづち上手いね。よく聞き上手って言われない?
 この店、気安くてさ。この立ち飲みテーブルも、俺らの定位置って感じで。なんか、つい語っちまった。ごめんごめん。

 ――続き聞かせろって、なにをさ? え、ブリアックのこと? なんで。
 ……いやまあ、そりゃ、そうだよ。でも聞きたいやつなんかいないだろ、男のめそめそ昔話なんて。……いやさっきしてたけど。
 ――うん、まあ。必要なんだろうとは思うよ。俺も。心の整理ってやつが。兄さんいい人だな。なんでわかるの。
 あー、そっか、語ってたからね、俺。さっき。ひとりで。あいつなんで死んだーってね。恥っず。酔っ払い過ぎだろ。
 でもさー、聞きたかないだろこんなん。死んだやつの思い出話。え、酒の肴? ……まあそうか。そんくらいにはなるか。
 兄さんいい人だと思ったけど、それなりにいい性格してんね。嫌いじゃないよ。
 ……じゃあ、まあ、語るわ。酒の肴に。――なんか、そんな気分だ。

 ブリアックとは、同じディルゼーの出身なんだ。そう、グラス侯爵領。雪が多い、山に囲まれた、空気が美味いとこ。でもまあ、そんなとこのわりに栄えてる。そりゃルミエラのが便利だけどな。こっちみたいに美術館がやっつもあったりはしねーし。ふたつだけだな。
 でも秋の、いっぺんに山が紅葉したときとか、他じゃちょっと観られない感じですげえの。あとなー、水! どう考えても、水が美味い! 本気で! ルミエラはその点、ディルゼーにはひっくり返ってもかなわんよ。いいとこだよ。
 なんかさ、グラス侯爵領じゃ、ちょっといい家の出だと、中学からルミエラで寮に入って学校通うのよ。なんかそういう文化なの。……あ、そう? 兄さんもそんな感じだった? そっか、どこの領でも似たようなもんなのかね。どこ出? ――フルツリーってどこだっけ。
 あー、マディア公爵領の隣りか。じゃあやっぱオレンジ多いの? ――へえー、品種改良してんだ! 食べやすく小型化? えっ、兄さんそういう仕事なん? すげーじゃん。……学会発表の帰り? すげー! 先生じゃん! まじかよ、学者兄さんだな!

 なんの話だっけ。あー、ブリアック。
 そう、出身はいっしょだけど、小学生のときはべつに仲良かったわけじゃないの。お互い顔知ってたくらい。こっち来てから、やっぱ同郷ってことでつるむじゃん。それでなんか、馬が合ったんだろうな。あいつバカだし。俺も同じくらいバカだし。なんか小難しいこと言ってるやつのことわからんし。まあ、馬が合ったんだよ。
 あっちは、エスクライムの選手になるんじゃないかってくらい、ちっちゃいころから剣技叩き込まれてたからさ。打ち込めることがあっていいなって思って見てたよ、俺は。――そう。ボーヴォワールだから。しかも嫡男だしな。いずれグラス侯爵様になる予定だった。
 だからなんとなく、そういう夢っつーか、目標みたいのはあったんだと思う。エスクライムでいい選手になって、国代表になって、そのうち侯爵になる、みたいな。ガキだからな。ちょっとでかいこと考えたりするよ。ガキだから。
 でもまー、なんつーか。あれだよ。素行ってやつで。年少者強化選手にはなれんかったの、結局。

 ――あれ。俺たち、戦後第一世代って言われてるやつなんだけど。
 そうそう、『失われた世代ジェネラシオン・ペルデュ』。終戦直後に中学生なったやつ。アウスリゼは戦地じゃなかったから、あんま実感なかったけど。俺らが小学生のときは、ずっと戦事中だったんだよな。俺の叔父さんとかも、帰って来なかった。
 だからさー、なんかこう、けっこう厳しかったのよ。俺ら世代の教育って。なにせ、次代を背負う若者たちって立場じゃん? 兄さんどうだった?
 ――えっ、従軍してたの⁉ まじで⁉ うっわ、お務めお疲れさまでした! すげー、それで戻ってきてオレンジの先生してるの⁉ まじかよ、天才じゃねーか。天才兄さん!

 あ、ごめん。話それた。うん。なれなかったの。選手。――試験も受けさせてもらえなかったんだよ。今よりずっと厳しかったからな、内申とか。競技エスクライムだしね。どうしたって、品行方正が求められるんだよ。
 それに、ほら、戦勝国ではあるけど、今よりずっと景気悪かったし。戦争の正当性については、俺は意見する立場にねーけど。どうにか国をあげて清く正しく前向きにーみたいな、空気感あったじゃん。あのころ。でしょ? その波に乗れなかった俺らみたのは、落第生なの。
 ……残念だったね。めちゃくちゃ。荒れてたね、あいつ。俺でさえ悔しかったからね。当然だよ。
 それでさー、ちょっとやんちゃが過ぎちゃって。矯正院入れられちゃったのよ、ブリアック。十六のときに。半年だけど。たぶん、親御さんの意向だったんじゃないかな。保護的な意味で。

 俺は、矯正院はやり過ぎだと思ったよ。やんちゃではあったけど、今じゃぜったいそこまで問題にならないようなことだよ。なにやったかは言わんけど。まあ、やんちゃだよ。
 でも、時代が時代で、なにもかも厳しくて、あいつはいい家の嫡男だ。俺なんかの擁護の声が届くわけもないし。
 あいつが気の毒過ぎて、らしくもなく手紙とか書いたよ。あいつも、らしくもなく返事寄越した。ウケた。二回くらいやり取りしたかな。
 そして、まあ。出てきた。良くも悪くもってやつ? うん。あいつが入院して、出てきて、良かったことも、悪かったこともあった。

 良かったこと。なんか、たくさんダチ作って出てきた。
 悪かったこと。そいつら全員札付きだった。

 まあ、たのしいやつらだよ。今でも連絡取ってるやついるし、俺。――うん、まあまあ更正したやつ。連絡取れないやつは……あー、あれだ。まあ、だいたい刑務所ん中だ。それか死んでる。たぶん。
 あいつ……ブリアックはさ。根っこが真っ直ぐなの。なんか、真っ直ぐ過ぎてバカなの。だから、思い込むと一直線なところあって。
 すーぐ、感化されっちまった。まあ俺もだけど。若かったし。若き日の過ちってやつだよ。だれだってあるだろ。
 結局、なんか、親御さんがブチ切れちゃってさあ。それはそう。十代でモキセトアとか通ってたし。――うん、そう。賭場。最初は、たぶんあいつ、卒業したらディルゼー帰る気だったんだと思うけど。逃げるみたいにアウスリゼ国軍に入った。うん。なんかこう、まあ。逃げだ。しかたねえよ、勘当される手前だったみたいだし。

 あいつの親父さんが、軍部に知り合いいたみたいで。大人版矯正院みたいな感じで。さすがに軍だから、きっちりしてたみたいだな。で、根っこが真っ直ぐだから、すーぐ感化されて、しばらくいい軍人さんやってたよ。エスクライムの社会人代表選手に推薦とかもされて。
 たまに会ったら、真剣に俺に「俺の管理担当者にならねえか」って相談してきたり。まじで。俺も本気にして、エスクライム選手の補佐の仕方勉強したよ。こう、公式規定とか時間計測方法覚えたり。なんか記録の付け方とか、筋肉のほぐし方とかも勉強して。そういうの。
 ……一番たのしかったかもなあ、あのころが。なんか、将来に希望みたいのがあった。純粋に、明日はもっといい日になるって、思えてた。ガキなりに。

 でもまあ。そうはならなかった。……ならなかったんだ。試験は受かったし、公式選手にもなるにはなったんだけど。だから、今でも昔の記録見たら載ってるよ。あいつの名前。――いろいろあったんだよ。うん。――俺は、あいつは悪くないって思ってる。誰が、なんと言おうと。
 で、俺はしばらく親の脛から出汁取って生活して、ぷらぷらしてた。なんか。俺が、あいつの管理担当者じゃない職に就いたら、あいつ、エスクライムやめちまうんじゃないかとか、なんかそんなこと考えて。……いいだろ。そ、俺なりの友情ってやつだよ。……若かったよなあ。
 ブリアックは――あいつたぶん、わかってたんだろうな。俺がそういうこと考えてるの。あるとき言ったんだよ。俺に「おまえもさっさと、定職就けよ。親御さん泣いてるぞ」ってね。どの口が言うってやつだよな! うはははは!

 そのころには、オリヴィエが――あー、ブリアックの弟だけど。すぐ下の。あいつも、ルミエラに来てがっこ通ってた。
 だからブリアックも、兄貴として思うところはあったんじゃないかな。選手じゃなくなっても、わりといい感じに折り目正しく生活してたよ。
 俺も就職して。親の縁故を十分に利用させていただいて。美味しいよね、親の脛。
 しばらく穏やかだったね。可もなく不可もなくな感じ。なんだけど、あー、いつだったかな。たぶん、俺らが二十一? 二十かな? どっちか。十九かも。なんかそこらへん。
 そんときに、あいつらの叔父さんが死んじゃったのよ。冬に、外で酒呑んだくれて、そのまま寝ちゃって。
 ……自殺ってことになった。不審死だけど。どう考えても不審死だけど。でも、なんかそういうことになった。俺も葬式参加した。オリヴィエがねー、すごかったね、あんときは。
 なんか、特別オリヴィエのこと目にかけてた叔父さんだったらしくて。だから、べつにブリアック自身はそんなに思い出なかったらしいけど。
 オリヴィエっていうのは、こう、なんか俺とかブリアックとは違って、頭の切れるやつで。その叔父さんってのが財務省官僚で。なんか、自分みたく文官に育てたかったんじゃねえかな。――ああ、うん。そうだよ。オリヴィエ・ボーヴォワール。我が国の現最年少宰相様。
 叔父さんの狙い通りになったよな。

 その後になんだけど、オリヴィエが、ずーーーーーっと言ってたわけ。叔父さんは自殺なんかじゃねえ! って。
 でも警察がそうやって幕引きしたわけじゃん? どうしようもないよな。そんな十五やそこらのお子ちゃまがなに言ったって、なにも覆らない。騒いだところで、白い目で見られるだけ。相手にされない。
 それでもなんでか、オリヴィエが騒いでたことで、ブリアックの軍部内での肩身が狭くなったらしくて。……まあ、その理由はあとでわかったけど。
 オリヴィエもさあ、荒れてたから。もしかしてブリアックみたいに、やんちゃ始めるかなーって思ったんだけど。そうじゃなくて、あいつは女に転んだ。コロッと。どこで知り合ったんだろな? ジゼルっていう女。
 まあまあ、美人で。出るとこ出てるし、いい女ではあるんだけど。俺の好みじゃねえんだよな。
 俺はこう、清楚な感じが好きでね。出るとこ出ていても、隠していて欲しいんだよ。それは俺だけが知っていたい、みたいな。……お、わかる? 兄さんも? ――だよなー! 隠してこその尻とおっぱいだよなー!
 でさー。ちょっと聞いてほしいんだけど! すまん、さっきから聞いてくれてたわ。……あのさー、やっぱ血は争えないね! 兄弟で女の好みって似るんだね! なんと、ブリアックがさ、ジゼルに一目惚れしやがったの! うっはっはっはっはっは!

 で、そっからは泥沼よ。そもそも、オリヴィエはまだ高校生で。そんなの引っ掛けるジゼルも大概な女だと思うが。略奪しやがった。ブリアックが。オリヴィエから、ジゼルを。
 そんなこんながあってー。俺、オリヴィエとその一族に嫌われてんの。悲しーい。ブリアック煽ったと思われてる。俺じゃねえし。どっちかってーとブリュノだし。でもまあ、やめとけーとは言ったけど、真剣に止めもしなかったからな。
 そもそも、好いた惚れたって、どうこうなるもんじゃないし。なんか、ジゼルも単純に鞍替えとかじゃなくて、ブリアックの熱意にあてられて、それなりに相思相愛って感じになったし。……まあ、まじで気の毒だよ。オリヴィエは。

 ――兄さん、酒足りてる? あー、なんか飲まない? 俺のおごり。なんか、こんな駄弁聞いてくれてさ。あんがとね。ちょっと冷静になったわ。
 え? 続き? なんかたのしい? こんな、よく知らんやつの話。
 しかも俺の家のことじゃない家庭の事情話しちゃったよ、俺。宰相様の黒歴史とか。どうしよう、消されるかな俺。ふはは!
 ――いやいやいや、いくないでしょ。ちょっと手洗い行ってくるわ。給仕に声かけとくから、なんか頼んで。あー、うん。俺のも。適当に、兄さんの感性で。強いやつひとつ。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

思いを込めてあなたに贈る

あんど もあ
ファンタジー
ファナの母が亡くなった二ヶ月後に、父は新しい妻とその妻との間に生まれた赤ん坊を家に連れて来た。義母は、お前はもうこの家の後継者では無いと母から受け継いだ家宝のネックレスを奪うが、そのネックレスは……。

はじめまして、私の知らない婚約者様

有木珠乃@『ヒロ弟』コミカライズ配信中
ファンタジー
ミルドレッド・カーマイン公爵令嬢は突然、学園の食堂で話しかけられる。 見覚えのない男性。傍らには豊満な体型の女性がいる。 けれどその女性から発せられた男性の名前には、聞き覚えがあった。 ミルドレッドの婚約者であるブルーノ王子であることを。 けれどミルドレッドの反応は薄い。なぜなら彼女は……。 この世界を乙女ゲームだと知った人々による、悪役令嬢とヒロイン、魔女の入れ替え話です。 悪役令嬢を救いたかったはずなのに、どうしてこんなことに? ※他サイトにも掲載しています。

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

処理中です...