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マディア公爵邸にて
112話 私は、変わらない
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「やっぱりエルネストをやって正解だっただろ?」
マディア領からの報せに目を細めて微笑みながら、リシャール殿下が言った。毎日必ず朝と夕に緊急通信で状況報告をしてくるミュラは、かの地で公使としての職責を存分に果たしている。これまで表舞台での役割ではなかったが、意外にも適正があったのだろう。
数日前にはマディア領の地元新聞に顔写真つきで談話記事が載ったというのだから、きっと今まではその能力を袖裏に隠していたのだ。そしてそれを開花させることこそが、リシャール殿下の狙いであったに違いない。かねてからミュラについて、「綺麗な道を歩んでもらう」と述べていらしたのは、きっとこういうことなのだ。華やかで、堅実な表舞台。事がすべて上手く運べば、ミュラは内戦を終結させた外交官としておそらく近代史に名を遺すことになるだろう。リシャール殿下の、汚れなく美しい手駒の完成だ。
「僕はね、綺麗なものが好きなんだ」
殿下のおっしゃるその言葉は、計り難くまたたどり難い。私自身もその基準の内にあろうと思い足掻くが、その努力が正しいのかもわからない。見た目の美しさを表すこともあれば、内面の美しさを評することもある。私はどのようにあればよいのだろう。
十四の歳に叔父が亡くなり、それ以来正しくある道を模索してきた。そのさなかリシャール殿下に見出され、今がある。殿下はかつて私を拾い上げた理由を「君は、綺麗だから」とおっしゃった。
私はオリヴィエ・ボーヴォワール。ミュラとは違う。私は彼のように、真っ直ぐに義を求め、それを飾らずに述べることも自分の軸として頼ることもできない。彼と私と、どこを違えてしまったのだろう。じくじくとした、言いようのない不安な気持ちが私の中にある。
「君が苦悩と挫折によって得た泥まみれのすすけた矜持はとても綺麗だ。這いつくばっておいで。僕の隣に立ちなよ」
私は、その資格に敵うだろうか。
マディアとの和平に関する協議を行うことが決定した。日時は大々的に報道され、世間はもう終戦したかのような祝いぶりだ。たしかについ一カ月ほど前まで生じていた緊迫した状況は、今はない。形としてマディアと王国直轄領での対峙は続いているが、それも平和的に解除されるであろうという見込みもできた。
公に語られることはおそらく今後もないが、それもこれも、とある外国人女性が作り出した状況だ。ソノコ・ミタ。とても不思議で、不可解な女性だった。
リシャール殿下は彼女のことを「僕の『友人』」と呼ぶ。当初ソノコは殿下の立場を脅かす危険人物として監視対象だった。秘密裡に処分してしまうのは容易いが、そうなさらなかったのは殿下の気まぐれのように見えて、その実こうした流れを予想したものではないかと思えてくる。尋ねてみたことがある。ソノコをなぜ放流したのかと。「その方が、おもしろくなりそうだったから」と、あっけらかんとおっしゃった。その不確定な予感のみで、彼女が生活しやすい環境を整えてやったのだから、おそらく殿下は『友人』を気に入っているのだろう。
今はその『友人』の元に私の弟が滞在している。定期的にやりとりをしているが、のびのびと生活しているようだ。緊張関係がいくらかほぐれたとはいえ敵地にあることには変わりなく、それは私が和平協議の開催を急いだ理由のひとつだ。すべての人に資するものであるから、この公私混同は許されたい。
弟からの連絡には、必ず一度は『ソノコ』という名が含まれている。どうやら弟も彼女を『友人』としたようだ。マディア公爵邸にその身柄があるときでさえ、『早くどうにかしてよ』と案じる言葉が送られてきた。多少彼女が妬ましく感じられるのはしかたがない。
私は、これからマディア領へ赴く。リシャール殿下の側近、また名代として。そしてアウスリゼのひとりの宰相として、この国を案ずるゆえに。
「オリヴィエ。君に尋ねておこう」
リシャール殿下が、微笑みながら私に向き合った。私もそれに応じる。
「――ブリアックは、マディアにある」
なにをおっしゃりたいのかはわかっている。私は殿下の前に膝をついた。首をたれ恭順を示す。
「君は、どこにあるつもりだ」
「生涯、あなたの下に。リシャール殿下」
私は、変わらない。なにがあろうとも。
マディア領からの報せに目を細めて微笑みながら、リシャール殿下が言った。毎日必ず朝と夕に緊急通信で状況報告をしてくるミュラは、かの地で公使としての職責を存分に果たしている。これまで表舞台での役割ではなかったが、意外にも適正があったのだろう。
数日前にはマディア領の地元新聞に顔写真つきで談話記事が載ったというのだから、きっと今まではその能力を袖裏に隠していたのだ。そしてそれを開花させることこそが、リシャール殿下の狙いであったに違いない。かねてからミュラについて、「綺麗な道を歩んでもらう」と述べていらしたのは、きっとこういうことなのだ。華やかで、堅実な表舞台。事がすべて上手く運べば、ミュラは内戦を終結させた外交官としておそらく近代史に名を遺すことになるだろう。リシャール殿下の、汚れなく美しい手駒の完成だ。
「僕はね、綺麗なものが好きなんだ」
殿下のおっしゃるその言葉は、計り難くまたたどり難い。私自身もその基準の内にあろうと思い足掻くが、その努力が正しいのかもわからない。見た目の美しさを表すこともあれば、内面の美しさを評することもある。私はどのようにあればよいのだろう。
十四の歳に叔父が亡くなり、それ以来正しくある道を模索してきた。そのさなかリシャール殿下に見出され、今がある。殿下はかつて私を拾い上げた理由を「君は、綺麗だから」とおっしゃった。
私はオリヴィエ・ボーヴォワール。ミュラとは違う。私は彼のように、真っ直ぐに義を求め、それを飾らずに述べることも自分の軸として頼ることもできない。彼と私と、どこを違えてしまったのだろう。じくじくとした、言いようのない不安な気持ちが私の中にある。
「君が苦悩と挫折によって得た泥まみれのすすけた矜持はとても綺麗だ。這いつくばっておいで。僕の隣に立ちなよ」
私は、その資格に敵うだろうか。
マディアとの和平に関する協議を行うことが決定した。日時は大々的に報道され、世間はもう終戦したかのような祝いぶりだ。たしかについ一カ月ほど前まで生じていた緊迫した状況は、今はない。形としてマディアと王国直轄領での対峙は続いているが、それも平和的に解除されるであろうという見込みもできた。
公に語られることはおそらく今後もないが、それもこれも、とある外国人女性が作り出した状況だ。ソノコ・ミタ。とても不思議で、不可解な女性だった。
リシャール殿下は彼女のことを「僕の『友人』」と呼ぶ。当初ソノコは殿下の立場を脅かす危険人物として監視対象だった。秘密裡に処分してしまうのは容易いが、そうなさらなかったのは殿下の気まぐれのように見えて、その実こうした流れを予想したものではないかと思えてくる。尋ねてみたことがある。ソノコをなぜ放流したのかと。「その方が、おもしろくなりそうだったから」と、あっけらかんとおっしゃった。その不確定な予感のみで、彼女が生活しやすい環境を整えてやったのだから、おそらく殿下は『友人』を気に入っているのだろう。
今はその『友人』の元に私の弟が滞在している。定期的にやりとりをしているが、のびのびと生活しているようだ。緊張関係がいくらかほぐれたとはいえ敵地にあることには変わりなく、それは私が和平協議の開催を急いだ理由のひとつだ。すべての人に資するものであるから、この公私混同は許されたい。
弟からの連絡には、必ず一度は『ソノコ』という名が含まれている。どうやら弟も彼女を『友人』としたようだ。マディア公爵邸にその身柄があるときでさえ、『早くどうにかしてよ』と案じる言葉が送られてきた。多少彼女が妬ましく感じられるのはしかたがない。
私は、これからマディア領へ赴く。リシャール殿下の側近、また名代として。そしてアウスリゼのひとりの宰相として、この国を案ずるゆえに。
「オリヴィエ。君に尋ねておこう」
リシャール殿下が、微笑みながら私に向き合った。私もそれに応じる。
「――ブリアックは、マディアにある」
なにをおっしゃりたいのかはわかっている。私は殿下の前に膝をついた。首をたれ恭順を示す。
「君は、どこにあるつもりだ」
「生涯、あなたの下に。リシャール殿下」
私は、変わらない。なにがあろうとも。
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