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グラス侯爵領編

211話 なんで人生ってこう、うまいこと行かないんだろう

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 レアさんを疲れさせたくなかったので、また明日も来るから、と約束して病院を出ました。ミュラさんはお仕事内容を確認するために役場へ。わたしと美ショタ様は、ぶらぶらとマケトスの街を散策することにしました。アシモフたんもいるし。警備の二人も着いてきています。
 お互い、無言で。生きている。レアさん、生きている。それはよかった。でも、今の状況を手放しでよろこべるかと言われたら、それはむりな話で。
 ミュラさんは、アベルがオリヴィエ様に扮してレアさんと行動をともにしていた人物だと知っています。蒸気機関車のお部屋で、なにを話したのかな。ちょっとだけ二人の空気と距離感が前と違う気もして、わたしはどうしようと思って、でもなにも言えませんでした。
 グレⅡの、二次創作で。
 レアさんは、アベルのことを想っているという設定のものが多かったです。それは公式設定というか、クロヴィスシナリオでレアさんが『上司』を尊敬しているということを示していたことからの拡大解釈です。……でもきっと、拡大じゃなかったんだろうな、と思いました。とっさに、アベルをかばって、それで刺されたんだもの。
 みんな、それはなんとなく察しているようで、でもだれも口にはしませんでした。どんな言葉も、きっとレアさんの気持ちを踏みにじるものだから。
 アベルも、なにも言いませんでした。だからわたしも、なにも言いませんでした。もしかしたら美ショタ様はアベルをなじるんじゃないかとも思ったんですが、無関心な様子で、互いに関わりを持っていません。
 レテソルの公使館で、お手洗いへ行くタイミングを見計らっていた忙しい日々がなつかしくて悲しい。

「変な顔して歩くのやめなよ」

 美ショタ様がひどいことを言いました。ひどい。変な顔とはなんだ。元からだ。アシモフたんのリードを持っている美ショタ様は、わたしみたいに引きずられる様子もなくしっかりと制御しています。やるな、少年。
 わかっています。ツンデレです。彼なりの励まし方です。はい。考えてもどうにもならないことは、考えたってどうにもならないんですよね(K構文)。
 お買い物とかは明日行こうってことになりました。アシモフたんを連れて来ているし。白い壁に緑三角屋根の木造の建物が多い街でした。歩いていると、やっぱりアウスリゼに来たばっかりのときみたいに通行人さんにガン見されたりしました。なつかしい感覚です。
 ホテルに戻ってから、やることがないからか美ショタ様がわたしの部屋に来て居座りました。アシモフたんにわたしの故郷では一般的であるお手を教えていることを伝えました。

「オテ」
「わう」

 ――なんで一発だよ⁉ なに人見てるのアシモフたん⁉
 せっかくの機会なので、美ショタ様にいろいろ教えを乞うことにしました。はい。……ご実家、グラス侯爵ボーヴォワール家のことを。ところでわたしたちはお部屋に二人きりでもいいんですかね。ここらへんの線引きってどうなんでしょうか。わからん。

「父さんはドナシアン・ボーヴォワール、たしか五十六くらい。僕の実父の兄。母さんはブランディーヌ。五十二歳。僕の実母の従姉」
「はえー」

 なるほどですね! そりゃほぼ実子みたいなものですわ。いや違うけど。そこらへんの事情はオリヴィエ様とやり取りした緊急通信の内容だったり、実際に顔を合わせて話し合ったりしたんでしょう。まったくなんでもないことのように教えてくれたので、わたしもちょっと安心しました。美ショタの成長は著しいですね。

「グラス領は、六代目ボーヴォワール家当主のアリスティドへ下賜されたものだ。そのときにデシャネル伯爵からグラス侯爵になった。もともと持っていた伯爵領地にさらに加えられたから、領地が飛び地になっている」
「その場合、デシャネル伯爵って称号、どうなるんです?」
「――ボーヴォワールの中のだれかが持つことになるよ」

 聞いてから、気づきました。……聞いちゃいけないやつだった。……美ショタ様は、ブリアックのことを、決して口にしない。オリヴィエ様も、だけど。

「グラス領とか、特産はなんですか?」

 そんなに不自然じゃない話題の変え方だと思います。はい。美ショタ様は表情を変えずに「養蜂。シルラっていう香木。だから林業が主だね。それに鉱物が取れる」とおっしゃいました。わりとすごい。たくさん。
 そんな話をしていたら、ノックがありました。出てみたらミュラさん。美ショタ様といっしょなことを見て目を真ん丸にしました。こってり怒られました。はい。やっぱだめだったんだー。どこで線引きするのー。わかんないー。

「二人で話せますか、ソノコ」
「あっはい。どこでですか」

 ホテルのラウンジみたいなところです。公共スペースだからね。美ショタ様はそのままわたしの部屋でアシモフたんとだるーんとするみたいです。なんか、お付きの人といっしょの部屋にいるのが嫌なんですって。監視されているみたいで。わからんでもない。おかわりの概念もお知らせしておきました。はい。
 半個室だけど人目はあって、話はいい感じに聞かれなさそうなスペースを確保して、二人でそこに入りました。警備のアベルたちはつかなくていいのかな。ホテル内だからいいか。
 わたしはオレンジジュース。ミュラさんは紅茶。頼んでいない細長い揚げパスタみたいなのといっしょに届けられた後、ミュラさんは口を開きました。

「――アベル・メルシエ氏のことを、あなたは知っていたのですか」
「はい。レアさんといっしょに住む前のマンションで、お隣りさんでした」

 わたしが即答すると、ミュラさんは長いため息をつきました。……そうだよね。ミュラさんだけが知らなかったようなものだもの。
 いまさらグレⅡ内のことを基準に考えるのもなんか違う気はするんですけれど、ミュラさんと美ショタ様は、シナリオ内にまったく登場していませんでした。NPCでもモブでもなかったんです。やり込んだわたしが言うんだから本当です。リシャール周りで確認できたゲーム内モブは、侍従っぽい茶髪そばかすくんくらいかなあ。アウスリゼに来たばっかりのときにエリメダ宮へ連行されて、リシャールから尋問受けたときに居ました。オタ心が沸きましたね。
 ミュラさんや美ショタ様がゲーム内キャラだったら、初めましてのときに全力でミーハーしたんですけれど。それも大きな理由のひとつなんです。わたしがこのアウスリゼを、現実の世界であってゲームの世界ではないと確信できたのは。
 だって。ゲーム内ではいなかった人物が、こんなに大きな影響力を持って存在している。生きている。そして、実際に物事を組織し、動かし、シナリオにはなかったことを成し遂げた。戦闘は生じなかったとはいえ一度開戦された戦争を、こんなに早く停戦とその後の終戦まで導くことができたのは、ミュラさんという存在があったからにほかなりません。
 美ショタ様だってそう。これだけ急いで事が運ばれたのは、美ショタ様が引き金だった。ミュラさんがマディア領へ送り込まれたのは、美ショタ様の身柄を安全に確保するという目的があったから。
 でも、それはそれとして、ゲーム内に登場しなかった理由はあるのかな、と思ったり。そして、アベルの存在をミュラさんが知らなかったのは、その理由によるのではないかと思いました。なんとなくだけれど。

「……昨日、機関車の中で彼と話しました」

 ぽつり、とミュラさんがおっしゃいました。次の言葉を待ったんですけど、ミュラさんはなにかを考えるように沈黙して、しばらくわたしは飲み食いして待ちました。揚げパスタしょっぱおいしい。

「彼は、リシャール殿下の手の者なのだと。マディア軍にも、特命を受けて潜入していたと」

 わたしはなにも言いませんでした。アベルがそれを口にしたということは、リシャールが明かしてもいいと言ったのでしょう。
 ミュラさんにも、本当の手の内を見せたんだ、リシャールは。きっと。
 それはどうしてなのか、わたしにはわからなかったけれど。

「あなたは、ルミエラの雑貨屋の上に住んでいたときから、彼について把握していたのですか、ソノコ」

 把握していたというか。知っていたというか。なんて言えばいいのかわからなくて、わたしは「んー」と言いました。

「把握っていう言葉が合っているのかわかりませんけど。どう考えても、アベルって一般人には思えなかったので。すぐにリシャール殿下の監視だって思いました」

 そう言うと、ミュラさんは目を上げてわたしを見ました。ミュラさんは迷子になったわんこみたいでした。

「あのころ、わたしはものすごく警戒されていたし。そのくせ日記を提出するだけでいいって言われて、なんで? って思って。そしたらすぐに隣人が、あんまりなさそうな理由で入れ代わったので。あー、まったく信用されてないんだなあ、と思った流れですね」

 なつかしいな。あれからどれだけ経っただろう。十、十一、十二……ちょうど十カ月だね。あっという間だった。
 ミュラさんはわたしの言葉にある程度納得したのか、「そうですか」とひとことつぶやきました。そして、ちょっと考えて。

「――レアさんは」

 その言葉の続きはありませんでした。
 どっちの質問が来たとしてもわたしに答える資格はなかったから、ミュラさんが冷めた紅茶を手に取ったとき、ちょっとだけほっとしました。
 わたしは、とても複雑な気持ちで。
 ミュラさんも、レアさんも、アベルも。
 わたし、大好きなんだ。
 今日のオレンジジュースは、ちょっとすっぱい気がしました。
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