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3:惚気話と猛省
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バーバラが照れたような、でも嬉しそうな顔で自慢気に話している。
「でね、いっつも子供達を洗う間に身体が冷えちゃうし、子供達に付き合ってお風呂で遊ぶから毎日のようにのぼせちゃうんだけど、フリッツさんってば、俺がお風呂に入れるよって言っても、『他のことは任せてるんだから、これぐらいは俺がやる』ってね、言ってくれるんだぁ」
「ただ単に子供達を洗うのが楽しいんじゃないかい?」
「それもあるかもだけど、『風呂に入っている間くらい、ゆっくり茶でも飲んでろ』ってね、言ってくれるんだ。まぁ、その間に夕食の後片付けとかしてるんだけど。でも、そう言ってくれるだけでなんか嬉しくて」
「フリッツさんは優しいわよねぇ。子供達の相手で家のことに全然手が回らなくても、ちぃーっとも怒らないし」
「うん。掃除してくれたりとか、洗い物してくれたりもするしね」
「へぇ。フリッツがねぇ。なんか意外だなぁ。フリッツ1人の時は店はかなり埃積もってたのに」
「あ、うん。まぁ、その、四角い部屋を丸く箒で掃く感じ?」
「あー……バーバラ的には微妙なレベルの掃除なんだ」
「えっ!やっ!し、してくれるだけで嬉しいしっ!」
「そうねぇ。気持ちが嬉しいわよねぇ」
「そうそう!」
「そんなものなのかい?」
「うん」
「ダリスさんもね、私と一緒にお掃除してくれるのよ。お掃除以外の家事もね。『一緒にやった方が楽しいだろう』ってね、言ってくれるのよ」
「へぇ!フリッツよりそっちの方が意外だね!ていうか、ダリス様家事なんてできるのかい?生粋の上級貴族じゃないか」
「私が教えながら一緒にやってるの。でもね、ダリスさん器用だし、結構凝り性でね。今では私よりずっとお掃除もお洗濯も上手いのよ。お風呂なんてね、本当に新品みたいに浴槽も床も壁もピッカピカなんだから」
「うちのお風呂もね、お義父さんが掃除してくれるんだよ。だからどれだけ家の中にが散らかっててもね、お風呂だけはすっごいキレイなんだ。俺が何やっても落とせなかったしつこい黒黴もね、お義父さんがやったらあっという間にキレイになったんだ。ビックリだよね」
「へぇー。風呂掃除なんて僕はやったことがないなぁ。ていうか、部屋の掃除すらしたことがないよ」
「『やってみたら意外と楽しい』ってダリスさんが言ってたわ。でもね、お料理も手伝ってくれるんだけど、最後の味付けだけは私がいつもしてるの。『ルリアの味が好きだから』ってね、言ってくれるのよ」
「おやおや。お熱いねー」
「うふふっ。私ね、ダリスさんに会うまで頑張ってお料理しても、『不味い』としか言われたことないのよ。でもね、ダリスさんは『今日はここがいい』っていつも言ってくれるし、フリッツさんもね、『バーバラとおんなじ味がする』って言って食べてくれるのよ。もう私嬉しくて」
「フリッツさん、特に母さんのパン好きだよね。『優しい味がする』って言ってたよ」
「ふふっ。嬉しいわ。でもフリッツさんが1番好きなのはバーバラの穀物粥よね。生姜をきかせた」
「うん。フリッツさん少食だけどね。いつもね、おかわりしてくれるんだ」
「やー。いいねいいねー。作り甲斐があるね」
「うん。毎日ね、寝る前に『お疲れ様』って言ってくれるのも嬉しいんだ。『頑張りすぎるなよ』ってね、言ってくれるんだ。なんかもうそれだけで頑張れるよね!」
「頑張りすぎるなって言われるのに、頑張るのかい?」
「んー……ほら、獣人と人間ってやっぱり違うからさ。獣人は人間より体力あるし頑丈だし力も強いし。今は子供達はまだ手加減っていうのができないからね。あんまりフリッツさんとは遊ばせられないんだよ。その分、俺が相手して、ちゃんと手加減とか教えてやらないと。誰かを怪我させてからじゃ遅いからね」
「あー、なるほど。言われてみれば確かにそうだね。人間にはちょっと獣人の子供の相手はキツいかなー。特にフリッツや僕みたいなもやしっこには無理だね!」
「でしょー?フリッツさんが怪我するの嫌だし、俺が全力でいつも遊んでるんだ。あ、でもね、クレスはお義父さんがいつも剣をみっちり教えてくれるから、今のところ1番あの子が手加減が上手いんだ。ハイルとナートも習わせようかなぁ、って考えているとこなんだ」
「へぇー。でもハイルもナートも大人しいよね」
「うん。性格はね。でも、それとこれとは話が別なんだ。興奮したりした時とか、咄嗟に力任せな所があるからね。そういう時でも人間相手には力加減することを徹底的に教え込まないと。その為には打たれる痛みを身体で覚えるのが1番早い気がするんだよね。俺が教えてもいいけど……うーん、俺あんまり剣は上手くないから。お義父さんに教えてもらった方が中途半端にならないと思うんだよね」
「雌なら、まぁせいぜい人間の大人の雄くらいの力にしかならないけど、雄だとねぇ。どうしてもねぇ」
「ねぇー」
「はー。大変だね、なんか」
「でも子供達は可愛いし、毎日大変だけど、すごく楽しいよ。フリッツさん優しいし」
「意外と素敵な旦那様なのかな?フリッツは」
「すっごく素敵な旦那様だよ!」
スウィードは黙って3人が楽しそうに話しているのを聞いていた。話を聞いていると、買い物からダリスが戻ったので、庭で遊んでいた子供達と一緒にスウィードが買ってきたマドレーヌを食べた。『そろそろ禁断症状が……』とドーバが言い出したので、バーバラや子供達に見送られて、遊んでもらっていつになく興奮しているアンリを連れて帰った。禁断症状というから、何かヤバい薬でもやっているのかと思ったら、ドーバは重度の活字中毒らしい。3時間文字を見ないと落ち着かなさすぎてヤバい、と言っていた。どんだけだ。
ドーバとは帰り道の途中で別れた。家の方向が違うからだ。アンリは中々ドーバの手を離そうとせず、スウィードが無理矢理抱っこして、ドーバとさよならをさせた。
ーーーーーー
スウィードは寝酒を1人で飲みながら、重い溜め息を吐いた。
今日の昼間に聞いたバーバラとルリアの話で、何故マリアがスウィードを捨てて出ていったのか、漸く理解した。
スウィードは、家事は嫁と使用人がするもの、育児は母親がするもの、とずっと思っていた。自分は働いて養っているのだから、家のことはやって当然だと。掃除や皿洗いどころか、使った食器を運ぶことさえスウィードはしたことがない。マリアと使用人がやるのが当たり前だと思っていた。当然、マリアが頑張っているとも思わなかった。
アンリができたのは結婚して7年目だった。マリアがスウィードの昨年亡くなった父と母から、いつも会う度に『子供はまだか』と言われているのは知っていた。そう言われるのがツラいと泣くマリアに、スウィードは『ただ孫の顔が早く見たいだけだよ』と、今にして思えば頓珍漢なことを言っていた。マリアが望んでいたのは、そんな適当な言葉ではなかった筈だ。アンリができた時にあんなに泣いて喜んだのは、多分スウィードの両親からのプレッシャーからやっと解放されると思ったからではないだろうか。スウィードは確かに子供は欲しかったが、授かり物だからと暢気に思っていた。両親がマリアに何を言っても気にしたことはなかった。きっとマリアは色々堪えていたのではないだろうか。
アンリが産まれてからも、子育ては母親であるマリアの仕事、と割り切って、殆んどスウィードは何も手伝わなかった。獣人と人間の違いも、本当に全然考えなかった。マリアがアンリに引っかかれたり、噛まれたりして怪我をしていた時も『気をつけろよ』としか言ってなかった。
アンリを産んだ後、なんだかいつも疲れてイライラしているマリアが少し面倒くさくなって、必要以上に残業したり、同僚と酒を飲みに行ったりして、家にいる時間を少なくしていた。何故疲れて、何故イライラしているのか、理由を知ろうともしないで。
マリアはいつも疲れていて、イライラしていて、そして生傷が絶えなくなった。それでもスウィードは何も知ろうとせず、ただ子供の面倒をみるのは母親の仕事だろう、と思って、自分の子供なのに何もしようとはしなかった。
帰宅してアンリが夜泣きしていると、『そんなに泣かせるなよ。可哀想だろ』と言い、なんだか家の中が散らかったりしていたら、『働かずに1日中家にいるのに、何でできないんだ?』とマリアに言っていた。今思えば、よくもまあ平気でそんな酷いことが言えたものだ。
自分は何の手伝いもマリアを労ることすらしていないのに。
バーバラとルリアの話を聞いて、何故スウィードが捨てられたのか、よく分かった。スウィードは何もせず、何も知ろうとせず、必死で頑張っていたマリアに文句さえ言っていた。
もう、マリアに帰ってきてくれなんて言えない。馬鹿で愚かで恥知らずな自分が酷く憎い。
マリアは頑張っていたのだ。どれだけ疲れても。どれだけ傷だらけになっても。アンリを必死に育てようとしてくれていた。
獣人の子供は人間の子供とは全然違う。産まれた時から首がすわっているし、二足歩行は流石にできないがハイハイならできる。歩きだすのもアンリは1ヶ月くらいだった。人間の子供は歩きだすのに遅いと1年近くかかると聞いたことがある。それだけ獣人と人間は違うのだ。人間には獣人のような毛がなく、特に雌の肌は柔らかく脆い。人間には獣人のような鋭い爪も牙もない。体力だって段違いだ。
力加減もできない、何をやったら悪いのかも、自分の力が誰かを傷つけることも分からないような幼い獣人の子供を、人間の、しかも雌が1人で相手できるわけがないのだ。そんなことにも思い至らなかったくせに、何が自分なりに愛して大事にしていたつもりだ。本当に『つもり』なだけじゃないか。スウィードはちっともマリアを大事になどしていなかった。
マリアに謝りたい。でもきっと、もうマリアはスウィードの顔を見ることさえ嫌な筈だ。
どうしたらマリアを苦しめた償いをできるのだろうかと一晩中考えた。考えて、考えて。このままマリアを完全に手放して、2度と会わないことが、マリアにとって1番いいのではないか、と思った。
スウィードが考えたことが正解とは思えない。だってスウィードは、何も考えず、何も察せず、何も思ってこなかったのだから。自分の愚かさには本当に反吐が出そうだ。
スウィードはもう2度と結婚などしないと決めた。スウィードのような男と伴侶になるなんて、相手が可哀想にも程がある。アンリはスウィード1人で育てるしかない。今までマリアと使用人の老夫婦に任せきりだった。すぐに上手くできるとは思えない。
それでもアンリは大事なマリアとの子供だ。スウィードにはまるで懐いていないが、それも当然だろう。スウィードがまずアンリと触れ合おうとしてこなかったのだから。風呂にだって入れたことはないし、一緒に遊んでやったことも殆どない。食事の世話もトイレの世話も着替えも何もかも人任せだった。何をもって自分を父親だと思っていたのだろうか。こんなに何もしていないのに。
スウィードは決意した。
これからはアンリの為だけに生きていくと。アンリの世話をして、アンリを元気に健康に育て、アンリが幸せになれるように少しでも手助けがしたい。
ベッドから降りてカーテンを開けると、もう朝日が昇っていた。
スウィードはその日、異動希望届けを提出した。出世コースを順調に進んでいたが、もう出世なんてどうでもいい。アンリを養えればいいのだ。スウィードは定時出勤定時退勤の事務方の部署を希望した。
上官は、これまでのキャリアを捨てる気か?と言ってきたが、そんなものどうでもいい。アンリと過ごす時間が欲しい。そう言うと、上官は溜め息を吐いて、異動希望届けにサインをした。春の人事異動で、スウィードは記録課に配属されることになった。そこは犯罪の報告書等を管理するだけの部署だ。スウィード以外は皆文官らしい。今まで身体を動かすことしか殆んどしてこなかった。自分がうまくそこで働けるのか分からない。でも、やらなければならない。
アンリを健康で元気な子供に育てる為だ。
今更だが育児書を買いに行こう。経験者にも話を聞きたい。……フリッツの小さな本屋なら両方できる。それに、アンリが懐いているハイルもいる。
スウィードは暫くフリッツの店に通うことにした。
いい父親になんて、今更なれるわけがない。それでもスウィードはアンリを愛したい。大事にしたい。アンリには、幸せを自力で掴み取れるくらいに強く逞しく育って欲しい。
その為に、スウィードが何をする必要があるのかも調べなければならない。
今からスウィードがやらなければならないことは、本当に山積みだ。でも、1つ1つクリアしていかなければならない。
マリアが1人で必死に頑張っていたように、スウィードも1人で頑張らなければならない。頑張るしかない。
スウィードは大きく深呼吸して、まずはアンリとの信頼関係を1から築くためにどうしたらいいのか考え始めた。
「でね、いっつも子供達を洗う間に身体が冷えちゃうし、子供達に付き合ってお風呂で遊ぶから毎日のようにのぼせちゃうんだけど、フリッツさんってば、俺がお風呂に入れるよって言っても、『他のことは任せてるんだから、これぐらいは俺がやる』ってね、言ってくれるんだぁ」
「ただ単に子供達を洗うのが楽しいんじゃないかい?」
「それもあるかもだけど、『風呂に入っている間くらい、ゆっくり茶でも飲んでろ』ってね、言ってくれるんだ。まぁ、その間に夕食の後片付けとかしてるんだけど。でも、そう言ってくれるだけでなんか嬉しくて」
「フリッツさんは優しいわよねぇ。子供達の相手で家のことに全然手が回らなくても、ちぃーっとも怒らないし」
「うん。掃除してくれたりとか、洗い物してくれたりもするしね」
「へぇ。フリッツがねぇ。なんか意外だなぁ。フリッツ1人の時は店はかなり埃積もってたのに」
「あ、うん。まぁ、その、四角い部屋を丸く箒で掃く感じ?」
「あー……バーバラ的には微妙なレベルの掃除なんだ」
「えっ!やっ!し、してくれるだけで嬉しいしっ!」
「そうねぇ。気持ちが嬉しいわよねぇ」
「そうそう!」
「そんなものなのかい?」
「うん」
「ダリスさんもね、私と一緒にお掃除してくれるのよ。お掃除以外の家事もね。『一緒にやった方が楽しいだろう』ってね、言ってくれるのよ」
「へぇ!フリッツよりそっちの方が意外だね!ていうか、ダリス様家事なんてできるのかい?生粋の上級貴族じゃないか」
「私が教えながら一緒にやってるの。でもね、ダリスさん器用だし、結構凝り性でね。今では私よりずっとお掃除もお洗濯も上手いのよ。お風呂なんてね、本当に新品みたいに浴槽も床も壁もピッカピカなんだから」
「うちのお風呂もね、お義父さんが掃除してくれるんだよ。だからどれだけ家の中にが散らかっててもね、お風呂だけはすっごいキレイなんだ。俺が何やっても落とせなかったしつこい黒黴もね、お義父さんがやったらあっという間にキレイになったんだ。ビックリだよね」
「へぇー。風呂掃除なんて僕はやったことがないなぁ。ていうか、部屋の掃除すらしたことがないよ」
「『やってみたら意外と楽しい』ってダリスさんが言ってたわ。でもね、お料理も手伝ってくれるんだけど、最後の味付けだけは私がいつもしてるの。『ルリアの味が好きだから』ってね、言ってくれるのよ」
「おやおや。お熱いねー」
「うふふっ。私ね、ダリスさんに会うまで頑張ってお料理しても、『不味い』としか言われたことないのよ。でもね、ダリスさんは『今日はここがいい』っていつも言ってくれるし、フリッツさんもね、『バーバラとおんなじ味がする』って言って食べてくれるのよ。もう私嬉しくて」
「フリッツさん、特に母さんのパン好きだよね。『優しい味がする』って言ってたよ」
「ふふっ。嬉しいわ。でもフリッツさんが1番好きなのはバーバラの穀物粥よね。生姜をきかせた」
「うん。フリッツさん少食だけどね。いつもね、おかわりしてくれるんだ」
「やー。いいねいいねー。作り甲斐があるね」
「うん。毎日ね、寝る前に『お疲れ様』って言ってくれるのも嬉しいんだ。『頑張りすぎるなよ』ってね、言ってくれるんだ。なんかもうそれだけで頑張れるよね!」
「頑張りすぎるなって言われるのに、頑張るのかい?」
「んー……ほら、獣人と人間ってやっぱり違うからさ。獣人は人間より体力あるし頑丈だし力も強いし。今は子供達はまだ手加減っていうのができないからね。あんまりフリッツさんとは遊ばせられないんだよ。その分、俺が相手して、ちゃんと手加減とか教えてやらないと。誰かを怪我させてからじゃ遅いからね」
「あー、なるほど。言われてみれば確かにそうだね。人間にはちょっと獣人の子供の相手はキツいかなー。特にフリッツや僕みたいなもやしっこには無理だね!」
「でしょー?フリッツさんが怪我するの嫌だし、俺が全力でいつも遊んでるんだ。あ、でもね、クレスはお義父さんがいつも剣をみっちり教えてくれるから、今のところ1番あの子が手加減が上手いんだ。ハイルとナートも習わせようかなぁ、って考えているとこなんだ」
「へぇー。でもハイルもナートも大人しいよね」
「うん。性格はね。でも、それとこれとは話が別なんだ。興奮したりした時とか、咄嗟に力任せな所があるからね。そういう時でも人間相手には力加減することを徹底的に教え込まないと。その為には打たれる痛みを身体で覚えるのが1番早い気がするんだよね。俺が教えてもいいけど……うーん、俺あんまり剣は上手くないから。お義父さんに教えてもらった方が中途半端にならないと思うんだよね」
「雌なら、まぁせいぜい人間の大人の雄くらいの力にしかならないけど、雄だとねぇ。どうしてもねぇ」
「ねぇー」
「はー。大変だね、なんか」
「でも子供達は可愛いし、毎日大変だけど、すごく楽しいよ。フリッツさん優しいし」
「意外と素敵な旦那様なのかな?フリッツは」
「すっごく素敵な旦那様だよ!」
スウィードは黙って3人が楽しそうに話しているのを聞いていた。話を聞いていると、買い物からダリスが戻ったので、庭で遊んでいた子供達と一緒にスウィードが買ってきたマドレーヌを食べた。『そろそろ禁断症状が……』とドーバが言い出したので、バーバラや子供達に見送られて、遊んでもらっていつになく興奮しているアンリを連れて帰った。禁断症状というから、何かヤバい薬でもやっているのかと思ったら、ドーバは重度の活字中毒らしい。3時間文字を見ないと落ち着かなさすぎてヤバい、と言っていた。どんだけだ。
ドーバとは帰り道の途中で別れた。家の方向が違うからだ。アンリは中々ドーバの手を離そうとせず、スウィードが無理矢理抱っこして、ドーバとさよならをさせた。
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スウィードは寝酒を1人で飲みながら、重い溜め息を吐いた。
今日の昼間に聞いたバーバラとルリアの話で、何故マリアがスウィードを捨てて出ていったのか、漸く理解した。
スウィードは、家事は嫁と使用人がするもの、育児は母親がするもの、とずっと思っていた。自分は働いて養っているのだから、家のことはやって当然だと。掃除や皿洗いどころか、使った食器を運ぶことさえスウィードはしたことがない。マリアと使用人がやるのが当たり前だと思っていた。当然、マリアが頑張っているとも思わなかった。
アンリができたのは結婚して7年目だった。マリアがスウィードの昨年亡くなった父と母から、いつも会う度に『子供はまだか』と言われているのは知っていた。そう言われるのがツラいと泣くマリアに、スウィードは『ただ孫の顔が早く見たいだけだよ』と、今にして思えば頓珍漢なことを言っていた。マリアが望んでいたのは、そんな適当な言葉ではなかった筈だ。アンリができた時にあんなに泣いて喜んだのは、多分スウィードの両親からのプレッシャーからやっと解放されると思ったからではないだろうか。スウィードは確かに子供は欲しかったが、授かり物だからと暢気に思っていた。両親がマリアに何を言っても気にしたことはなかった。きっとマリアは色々堪えていたのではないだろうか。
アンリが産まれてからも、子育ては母親であるマリアの仕事、と割り切って、殆んどスウィードは何も手伝わなかった。獣人と人間の違いも、本当に全然考えなかった。マリアがアンリに引っかかれたり、噛まれたりして怪我をしていた時も『気をつけろよ』としか言ってなかった。
アンリを産んだ後、なんだかいつも疲れてイライラしているマリアが少し面倒くさくなって、必要以上に残業したり、同僚と酒を飲みに行ったりして、家にいる時間を少なくしていた。何故疲れて、何故イライラしているのか、理由を知ろうともしないで。
マリアはいつも疲れていて、イライラしていて、そして生傷が絶えなくなった。それでもスウィードは何も知ろうとせず、ただ子供の面倒をみるのは母親の仕事だろう、と思って、自分の子供なのに何もしようとはしなかった。
帰宅してアンリが夜泣きしていると、『そんなに泣かせるなよ。可哀想だろ』と言い、なんだか家の中が散らかったりしていたら、『働かずに1日中家にいるのに、何でできないんだ?』とマリアに言っていた。今思えば、よくもまあ平気でそんな酷いことが言えたものだ。
自分は何の手伝いもマリアを労ることすらしていないのに。
バーバラとルリアの話を聞いて、何故スウィードが捨てられたのか、よく分かった。スウィードは何もせず、何も知ろうとせず、必死で頑張っていたマリアに文句さえ言っていた。
もう、マリアに帰ってきてくれなんて言えない。馬鹿で愚かで恥知らずな自分が酷く憎い。
マリアは頑張っていたのだ。どれだけ疲れても。どれだけ傷だらけになっても。アンリを必死に育てようとしてくれていた。
獣人の子供は人間の子供とは全然違う。産まれた時から首がすわっているし、二足歩行は流石にできないがハイハイならできる。歩きだすのもアンリは1ヶ月くらいだった。人間の子供は歩きだすのに遅いと1年近くかかると聞いたことがある。それだけ獣人と人間は違うのだ。人間には獣人のような毛がなく、特に雌の肌は柔らかく脆い。人間には獣人のような鋭い爪も牙もない。体力だって段違いだ。
力加減もできない、何をやったら悪いのかも、自分の力が誰かを傷つけることも分からないような幼い獣人の子供を、人間の、しかも雌が1人で相手できるわけがないのだ。そんなことにも思い至らなかったくせに、何が自分なりに愛して大事にしていたつもりだ。本当に『つもり』なだけじゃないか。スウィードはちっともマリアを大事になどしていなかった。
マリアに謝りたい。でもきっと、もうマリアはスウィードの顔を見ることさえ嫌な筈だ。
どうしたらマリアを苦しめた償いをできるのだろうかと一晩中考えた。考えて、考えて。このままマリアを完全に手放して、2度と会わないことが、マリアにとって1番いいのではないか、と思った。
スウィードが考えたことが正解とは思えない。だってスウィードは、何も考えず、何も察せず、何も思ってこなかったのだから。自分の愚かさには本当に反吐が出そうだ。
スウィードはもう2度と結婚などしないと決めた。スウィードのような男と伴侶になるなんて、相手が可哀想にも程がある。アンリはスウィード1人で育てるしかない。今までマリアと使用人の老夫婦に任せきりだった。すぐに上手くできるとは思えない。
それでもアンリは大事なマリアとの子供だ。スウィードにはまるで懐いていないが、それも当然だろう。スウィードがまずアンリと触れ合おうとしてこなかったのだから。風呂にだって入れたことはないし、一緒に遊んでやったことも殆どない。食事の世話もトイレの世話も着替えも何もかも人任せだった。何をもって自分を父親だと思っていたのだろうか。こんなに何もしていないのに。
スウィードは決意した。
これからはアンリの為だけに生きていくと。アンリの世話をして、アンリを元気に健康に育て、アンリが幸せになれるように少しでも手助けがしたい。
ベッドから降りてカーテンを開けると、もう朝日が昇っていた。
スウィードはその日、異動希望届けを提出した。出世コースを順調に進んでいたが、もう出世なんてどうでもいい。アンリを養えればいいのだ。スウィードは定時出勤定時退勤の事務方の部署を希望した。
上官は、これまでのキャリアを捨てる気か?と言ってきたが、そんなものどうでもいい。アンリと過ごす時間が欲しい。そう言うと、上官は溜め息を吐いて、異動希望届けにサインをした。春の人事異動で、スウィードは記録課に配属されることになった。そこは犯罪の報告書等を管理するだけの部署だ。スウィード以外は皆文官らしい。今まで身体を動かすことしか殆んどしてこなかった。自分がうまくそこで働けるのか分からない。でも、やらなければならない。
アンリを健康で元気な子供に育てる為だ。
今更だが育児書を買いに行こう。経験者にも話を聞きたい。……フリッツの小さな本屋なら両方できる。それに、アンリが懐いているハイルもいる。
スウィードは暫くフリッツの店に通うことにした。
いい父親になんて、今更なれるわけがない。それでもスウィードはアンリを愛したい。大事にしたい。アンリには、幸せを自力で掴み取れるくらいに強く逞しく育って欲しい。
その為に、スウィードが何をする必要があるのかも調べなければならない。
今からスウィードがやらなければならないことは、本当に山積みだ。でも、1つ1つクリアしていかなければならない。
マリアが1人で必死に頑張っていたように、スウィードも1人で頑張らなければならない。頑張るしかない。
スウィードは大きく深呼吸して、まずはアンリとの信頼関係を1から築くためにどうしたらいいのか考え始めた。
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