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2:ゴンゾ

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ジューゴと並んで歩きながら、ゴンゾは大きな欠伸をした。ジューゴの家に泊まった翌日は、必ずジューゴの朝の日課に付き合って、ゴンゾも一緒に散歩をする。まだ誰の足跡もついていない薄く積もった雪の上を歩くと、なんだか少し楽しい。ちらっと振り返れば、真っさらな雪の上には2人分の足跡しかない。なんとも気分がよくて、ゴンゾは小さく笑った。朝日に照らされる静かな住宅地を通り抜け、小さな祠がある街外れまで歩いていく。
ゴンゾは隣を歩くジューゴを横目に見た。背の高さは殆ど変わらない。ゴンゾの方が僅かに低いだけだ。机仕事だが、ジューゴは身体を動かすことが好きなので、意外としっかりとした身体つきをしている。未だに女なら老いも若きもキャーキャー黄色い声を上げる凛々しくも甘く整った横顔は、今は少しだけ鼻の頭が赤く染まっていた。
目元にも口元にも、出会った頃には無かった皺がある。なんとなくジューゴの横顔を眺めていると、ジューゴが目線だけでこちらを見た。理知的な青い瞳がゴンゾを映す。


「なんだ」

「別に。寒そうだなぁって思っただけだ。鼻真っ赤だぞ」

「今朝は特別冷えるからな。帰ったら熱い珈琲を淹れよう」

「酒の方がいい」

「朝から飲む気か。仕事があるだろう」

「まぁな。今夜も泊めてくれよ。多分、嫁さんの怒りがおさまってねぇからよぉ」

「帰りに酒を買ってこいよ」

「わぁってるよ。晩飯、何にする?」

「昨日は肉だったから魚がいい。ガーシュの店の白身魚のフライが食べたい」

「好きだな。しょっちゅう食ってるだろ」

「美味いだろう」

「まぁな。ガーシュの店で買うなら蟹も食いてぇな。今が旬だ。蒸し蟹も買ってくるわ」

「ふふっ。楽しみだ。酒は魚にも蟹にも合うやつにしてくれ」

「酒はともかく、飯代は割り勘だからな」

「分かってる。あぁ。ついでに隣の店でケーキも頼む」

「林檎のタルトだろ?お前、それしか食わねぇよな」

「好きなんだ」

「知ってる」


歩きながら話していると、小さな祠に着いた。2人で祠の上に積もった少しの雪を手で払い落とし、祠の前に並んでしゃがみ、祈りを捧げる。この祠に祀られている神は街の守り神であり、同時に旅をする冒険者達を守ってくれる。ギルドに勤め、多くの冒険者達と接するジューゴは、もう何年も毎朝此処で見送る冒険者達の無事を祈っている。
祈りを終えると、ジューゴがすっと立ち上がった。ゴンゾも、どっこらしょっと立ち上がった。


「オッサン臭いぞ」

「うるせぇ。オッサンだよ」

「ふふっ。朝市で朝飯を仕入れよう」

「あったけぇもんがいいな」

「南瓜のスープのパン包み焼きがあればいいのだが」

「あれ、うめぇよなぁ」

「あぁ。少し急ごう。人気があるから売り切れていることが割とあるんだ」

「マジかよ。走るか?」

「走ったら転ぶぞ」

「そんなヘマしねぇよ」

「じゃあ、競争だ」

「あっ!おいっ!ずりぃぞ!!」

「ははっ!負けた方の奢りだ!!」

「こんにゃろ!!待てやぁ!」

「誰が待つか!」


ゴンゾは先に駆け出したジューゴを追って走り始めた。いい歳してガキみたいな事をしている。だが、楽しくて仕方がない。ゴンゾは笑いながらジューゴと一緒に走った。


ジューゴと出会ったのは、ゴンゾが18の時だ。その時はまだ武器職人の見習いだった。
当時はまだギルドの新人受付だったジューゴは、ギルドの仕事で上司に連れられて工房へとやって来た。ジューゴは甘く整った男前な顔立ちで、穏やかに笑う男だった。ゴンゾは親方とジューゴの上司が仕事の話をしている間、親方に言われて、ジューゴに店の武器を見せて回った。ジューゴは武器をまともに見たことがなかったらしく、『あれは何という名前なんだ?これはどう使う武器なんだ?』と、小さな子供のように目をキラキラと輝かせてゴンゾを質問攻めにした。正直、少し面倒くさいと思ったが、ゴンゾが説明してやると、ジューゴが嬉しそうにはにかんで笑うので、結局、親方達の仕事の話が終わるまで、ずっと2人で武器を眺めながら喋っていた。その数日後に、ジューゴが1人で工房にやって来た。ゴンゾへの仕事の依頼だった。護身用の短刀を作ってくれと、ジューゴは言った。まだまだ見習いの立場だったが、親方が許可してくれたので、ゴンゾは張り切って短刀を作った。武器職人として、初めての依頼だった。出来上がった短刀をジューゴに受け渡す時は、汗で背中や脇がびっちょりと濡れるくらい緊張した。工房を訪れたジューゴに短刀を見せると、ジューゴがパァッと顔を輝かせて、キラキラとした目でゴンゾを見て、はにかむように笑った。『こんなに美しい短刀は見たことがない』と言って、何度も礼の言葉を繰り返して、短刀の代金を払って帰って行った。
それから暫くして、偶然飲み屋でジューゴと遭遇し、意気投合して、頻繁に一緒に酒を飲むようになった。ゴンゾは女が大好きだ。モテる風貌ではないが、当時は奇跡的にできた恋人がいたし、恋人がいない時は娼館に通っていた。それなのに、気づけばジューゴから目を離せなくなっていた。笑うと右の頬に笑窪ができるところとか、めちゃくちゃモテる男前の癖にそれを鼻にかけずに気さくなところとか、意外と粗野でがっついて飯を食うところとか、挙げていけばキリが無い程、ジューゴに惹かれた。ゴンゾはそれを自覚した時、酷く動揺した。自分が男に惚れるなんてあり得ない。男同士なんて気持ちが悪い。ゴンゾは自分の心から逃げた。当時の恋人の女を抱き潰すように激しく抱き、女と別れた後は頻繁に娼館へ行って女を買った。ジューゴと会って、ジューゴの何気ない仕草に胸がときめく度に、ゴンゾはそれから逃げ出すように女を抱いた。親方の紹介で嫁と結婚し、息子も生まれた。それなのに、未だにジューゴから目を離せない。ジューゴと会った日は激しく嫁を抱いた。嫁が抱けない時は娼館へ行った。その事で嫁と喧嘩をすることも多いが、ゴンゾにだってどうしようもできない。ゴンゾはずっと自分の気持ちから逃げ続けている。ジューゴと会わなければいいだけの話なのだが、困ったことに会わずにはいられない。ジューゴはゴンゾの胸の中に深く入り込み、ゴンゾの心を絡めとった。

数年前、娼館が立ち並ぶ花街で、ジューゴの姿を見かけた。ジューゴが出てきた店は、如何わしい婬具を専門に扱う店だった。ゴンゾはジューゴに声をかけることができなかった。ジューゴはものすごくモテるのに、結婚どころか、全然恋人をつくらないし、娼館にも行かない。まさか1人で婬具を使って自分を慰めているのかと想像したら、カッと身体が熱くなった。ゴンゾは興奮するがままに馴染みの娼館へ行き、娼婦を手酷く抱いた。黒髪の娼婦を犬のように這いつくばらせ、後ろから無茶苦茶に突き上げながら、ゴンゾはジューゴを抱く妄想をして果てた。
嫁と喧嘩をして家を蹴り出される度に、ゴンゾはジューゴの家に泊まっている。ジューゴの家に泊まる時は、いつもより多めに酒を飲む。すぐに寝落ちてしまうように。ジューゴに触れないように。
ゴンゾはずっと逃げ続けている。これからもきっと逃げ続けるのだろう。それでいいと思っている。もし、ジューゴが誰かと結婚しても、笑って祝福してやる。ゴンゾはそう心に決めている。


朝食を済ませ、ギルドへ行くジューゴと別れて、自宅でもある工房に顔を出すと、嫁のアリッサが不機嫌丸出しの顔で待ち構えていた。


「このクソ亭主。依頼人が来てるよ」

「おはようさん。アリッサ。今日も赤毛が可愛いぜ」

「おべっかはいらないよ。この浮気者。さっさと仕事に取り掛かりな」

「うぃーっす」

「……このヘタレ親父」

「わりぃって。そんなにカッカすんなよ」

「ふんっ。どうせ今夜もジューゴさんとこに泊まるんだろ。アンタの取っておきの酒を発掘しといたから持っていきな。ジューゴさんに全部飲まれちまえばいいんだ」

「おいおい。勘弁してくれや。あれは本当の本当に取っておきなんだぜぇ?」

「煩いっ!絶対に絶対に持っていきなっ!返事っ!!」

「……うーっす」


アリッサがプリプリしながら工房の奥の自宅へと引っ込んでいった。とてもお怒りのようである。アリッサはわりかしカラッとした性格をしているが、1度怒ると少々長い。ゴンゾはガリガリと頭を掻いた。これは今夜だけではなく、数日ジューゴの家で世話になるしかないかもしれない。
そして、その後で自分はアリッサを激しく抱くのだろう。いつものことだ。
ゴンゾは小さく溜め息を吐いてから、仕事に取り掛かった。



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