届けない恋文

丸井まー(旧:まー)

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届けない恋文

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ディータは馬車から降りると、痛む腰を擦った。王都から片道二日の町に漸く到着した。新居となる家は、既にすぐに住めるよう整っている筈である。ディータは杖をつきながら、馬車乗り場からゆっくりと町の中へ歩き始めた。

ディータは学者をしていた。六十になり、教鞭をとっていた国立学校を退職し、終の棲家にするつもりで、住み慣れた王都から少し田舎の小さな町に引っ越すことにした。
ディータは地図を片手に新たな自宅へ辿り着いた。小さめの平屋の一軒家である。狭いが庭があり、町の中心部からは少し離れているので、周囲は静かなものだ。鍵を開けて家の中に入れば、真新しい家具の匂いがした。王都の家で使っていたものは全て処分し、新たに揃えたのだ。明日から通いの家政婦が来てくれる筈である。

ディータは渋い緑色のソファーに座ると、ほぅと小さく息を吐いた。
長年助手をしてくれていた信頼できる男に新居の手配を頼んだのだが、実にいい仕事をしてくれた。
落ち着いた内装はディータ好みだし、何より静かでいい。ディータは騒がしいのは得意じゃない。ここならば、のんびりとした余生を過ごせそうだ。
ディータは少し休憩すると、家の中を見て回った。膝を痛めてから少し不自由になった身体でも暮らしやすいように、至るところに手すり等がある。
自室となる部屋も寝室も書斎も、全てディータ好みだった。これは助手だった男に改めてお礼をせねばなるまい。
ディータは自室の机に向かい、椅子に座って机の引き出しを開けた。そこには既に手紙セットが用意されていた。どこまでも細やかな気配りをしてくれている。ディータは笑みを浮かべて、手紙を書き始めた。

夕方が近くなると、ディータは書き終えた手紙と財布を肩掛け鞄に入れて、新居を出た。通いの家政婦が来るのは明日からだから、今日の夕食は、どこかの店で食べるしかない。町の中心部を目指して、ゆっくりと歩いていると、後ろの方から声をかけられた。
振り返れば、禿頭が眩しい同年代の男がいた。男がスタスタとディータに近寄ってきて、片手を差し出してきた。


「アンタ、今日引っ越してきた人だろ?バイナモン・ブルードだ。お隣さんだよ。よろしく」

「ディータ・キリニアと申します。よろしくお願いします」

「堅苦しい話し方はしなくていい。同年代だろ?俺は六十三だ」

「僕は六十だ」

「そうか。飯を食いに行くんだろう?俺は晩飯はいつも外に食いに行くから、良ければ案内しようか」

「それじゃあ、お願いします」


ディータが軽く頭を下げると、バイナモンがニッと笑った。
道すがら、バイナモンが町のことについて話してくれた。ディータも簡単にだが、身上を話した。バイナモンも身上を話してくれた。バイナモンは昨年妻に先立たれ、今は一人で暮らしている。今は引退しているが、以前は大工をしていたそうだ。隣町に嫁いだ娘が一人いて、孫が三人いるらしい。少しだけ羨ましい。ディータはある理由から家族は一人もいない。自分で選んだことだから仕方がないのだが。

バイナモンに連れて行ってもらった定食屋は少し薄味で、ディータの口に合った。若者向けの濃い味付けが辛くなってきた歳なので、本当にありがたい。ディータはバイナモンと少しだけ酒を飲んで、完全に暗くなる前に家へと帰った。




------
ディータは毎朝手紙を書く。封はしても、宛名も宛先も書かない。届けない手紙は日々増えていく。手紙は全て恋文である。ディータはずっと叶わない恋をしていた。恋文の相手は、ディータの親友の男である。まだ十代だった学生の頃から、ずっと好きだった。
男同士で恋人になるなんて聞いたことがない。男を好きになるなんて自分はおかしいんじゃないかと何年も悩んだ。ディータは自分の恋心を殺そうとしたが、結局殺せなかった。それから、毎朝手紙を書くようになった。届ける気のない愛を込めた手紙を書いて、それで満足するようにしていた。親友は普通に結婚して、子供ができて、今は孫もいる。
自分の家族に囲まれた親友の笑顔を、ディータは只々眩しく眺めていた。見合いを勧められたことが何度もあったが、ディータは仕事を理由に断り続けた。親友の男以外、どうしても愛せる気がしなかった。一度だけ花街の娼館に行ったことがある。まだ二十代前半だったのに、ディータのモノは使い物にならなかった。親友の男を思い浮かべれば、いくらでも勃起したのに、女相手ではピクリとも反応しなかった。
ディータが住み慣れた王都から離れた場所に終の棲家を構えたのは、愛してやまない親友から離れる為だ。ディータの心にどろどろに溜まっているものが溢れてしまわないように、親友の幸せを壊さないように、いずれ訪れる親友との永遠の別れに立ち会わないですむように、ディータは親友がいる王都から逃げ出した。

ディータが鍵付きの箱に今朝の手紙を入れると、部屋のドアがノックされた。入室を促せば、五十代の柔和な雰囲気の婦人がドアから顔を覗かせた。
家政婦のナーナである。


「旦那様。朝食ができましたよ」

「ありがとう。ナーナ」

「今日はお天気がいいので、シーツを洗いますね」

「うん。よろしく」


ディータは椅子から立ち上がり、杖をついて、居間兼食堂へと移動した。
ナーナは優れた家政婦で、初日にディータの食の好みや嫌いな言動等を聞き出し、その日からディータ好みの食事を作り、テキパキと静かに家事をしてくれている。
ディータは美味しい朝食を食べ終えると、のんびりと食後の珈琲を楽しんでから、杖を片手に散歩に出かけることにした。
長閑な畑が広がる町の外の道をのんびり歩いていると、少し離れた所に明るい日差しで光る禿頭を見つけた。
ディータは大きな声で、バイナモンの名前を呼んだ。
振り返ったバイナモンが、よっと言うように片手を上げ、足早にディータの所へ歩いてきた。


「よぉ。今日も散歩か?」

「うん。君もだろう?」

「おぅ。動かねぇと足腰が弱る一方だからな」

「ははっ。ガタがきやすい歳だからね」

「だよな」

「今日は風が気持ちいいね」

「あぁ。すっかり秋の風になった。もうすぐ収穫祭があるぞ。騒がしいのが苦手なら、収穫祭の日は家にいた方がいい」

「そうするかな。バイナモンは収穫祭の日はどうするんだい?」

「あー。俺も家にいる予定だ。一人で行ってもつまらんしな」


バイナモンが少しだけ寂しそうに笑った。きっと昨年までは亡くなった妻と一緒に収穫祭を楽しんでいたのだろう。ディータは気まぐれに、バイナモンにある提案をした。


「収穫祭に参加しない者同士、昼間から家で酒でも飲むかい?」


バイナモンはキョトンとした後で、パァッと明るい笑顔になった。


「いいな。とっておきのワインがあるんだ。それを出そう」

「いいねぇ。僕も秘蔵のブランデーを出しちゃおうじゃないか。ナーナに酒の肴をいっぱい作ってもらおう」

「最高だな。ナーナの飯は美味い。お裾分けがいつもありがてぇぜ」

「なに。お隣さんのよしみだよ」


ディータはゆるく笑って、バイナモンと話しながら、のんびり散歩を楽しんだ。
バイナモンは少し不思議な男だ。少々粗野なところもあるが、ディータが不快に思う言動は全くしない。話のテンポも意外とゆるやかで、低い声は少し大きめでよく通るが、煩いと感じたことはない。
ディータは新たな友人との交流を純粋に楽しんでいた。




------
収穫祭の日がやってきた。ナーナに頼んで、沢山の酒の肴や二人分の明日の分の食事まで用意してもらった。収穫祭は二日ある。収穫祭の日くらいはナーナに休んでもらう。ナーナも自分の家族と収穫祭を楽しむだろう。
昼前に木の箱を両手で抱えてバイナモンがやって来た。大きめの木の箱の中身は全て酒である。ディータもこの日の為に、秘蔵の酒に追加して、大量の酒を買い込んであった。居間に並んだ酒の瓶の量を見て、二人で顔を見合わせ、同時に吹き出して笑った。
少し遠くから賑やかな音楽や人々のざわめきが聞こえてくるが、不快な程ではない。ディータはバイナモンと乾杯してから、二人だけの収穫祭を始めた。

のんびりと話しながら酒を飲んでいると、気づけばもうすっかり外が暗くなっていた。ディータはかなり酔っていた。正面に座るバイナモンも酒精で顔どころか首まで真っ赤である。
ディータはなんだかすごく楽しくて、へらへらと笑った。


「面白い話をしよう」

「あー?どんな話だ?」

「どこまでも馬鹿な男の話。そいつは男なのに親友の男に恋をした。告白なんかできっこない。馬鹿な男は毎朝届けない恋文を書き始めた」

「…………」

「ふふっ。滑稽だろう。実ることのない恋なんて、叩き潰してしまえばいいのに、何十年もそのままだ」

「恋文はあるのか?」

「そりゃあもう大量に」

「じゃあ、そいつを焼いて、ついでに芋を焼こうぜ」

「ぶっは!芋!なんで芋?」

「焼きたての芋にバター乗せて食うと美味いんだよ」

「あっはっは!それはいい。芋なら多分食糧庫にある。燃やす手紙は山程だ」

「よし。焼くか」

「うん。焼こう」


酔っ払い二人は顔を見合わせて、ニッとまるで悪戯でもする少年のように笑った。

ディータの自室にいくつもある箱を二人で庭に運び出し、長年かけて増えまくった山のようになっている恋文に火をつけた。バイナモンが見つけてきた芋に木の枝を刺し、燃えていく手紙にかざして芋を焼く。
不思議なことに、手紙が燃えれば燃える程、ディータの心が軽くなっていった。手紙が3分の1焼けた頃に、芋が焼き上がった。熱い芋を皿にのせ、ナイフで半分に割り、バターの塊をのせる。熱々の芋を頬張れば、じわぁっとした優しいバターの塩味とほくほくの芋の自然な甘みが口の中に広がって、最高に美味しかった。


「美味い」

「美味いだろ。次のも焼くか?」

「うん。全部焼いちゃおう」

「おうともよ」


ディータは長年溜め込んだ恋文を全て焼き、ついでに芋を焼いて、バイナモンと二人で全て食べきった。





------
ディータは収穫祭の次の日から、手紙を書くのを止めた。何故だか、もう書かなくていい気がしたのだ。

ディータはナーナに頼んで多めに夕食を作ってもらうと、そわそわと夕方になるのを待ち、持ち運びやすいように弁当箱に詰めてもらった夕食を持って、隣のバイナモンの家を訪ねた。
バイナモンと頻繁に夕食を共にして、一緒に酒を飲むようになった。バイナモンの側は不思議と居心地がよくて、ディータは毎日が楽しくなった。
そのうち、毎日バイナモンと一緒に散歩をするようになり、一緒に珈琲が美味しい喫茶店に行ったり、弁当を持って町の外へちょっとしたピクニックに出かけたりするようになった。
冬が近づき、膝が痛む日が多くなってきたが、そんなこと気にならないくらい、バイナモンと過ごす日々が楽しくて仕方がなかった。

冬の終わり。ディータは久しぶりに恋文を書いた。相手は親友の男じゃない。バイナモンだ。
バイナモンは数日前に肺炎で亡くなった。昨日葬式を終え、バイナモンが埋葬された時になって、ディータは初めて気がついた。
ディータはいつの間にかバイナモンに恋をしていた。気づくのが遅すぎた気がするが、逆にそれでよかった気がする。バイナモンの心には、いつだって先に亡くなった妻がいた。

ディータはありったけの想いを手紙に書くと、一人で庭に出て、恋文に火をつけた。今度は芋を焼ける程の量はない。

ディータは燃える手紙を見つめながら、寒空の下、一人涙を流した。



(おしまい)

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