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27:漸くの進展と再会

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新しい年になって3か月近くが過ぎた。冬の寒さが随分と薄れ、春を思わせる温かい日のこと。
アルフレッドはアリアナの研究室で、アリアナと向かい合って座っていた。アリアナがなんともいえないような複雑な顔で口を開いた。


「おめでとう。懐妊だ」

「そっか……」


アルフレッドは自分の下腹部をそっと撫でた。待ち望んでいたことなのだが、いざその時がくると、どう反応したらいいのか、いまいち分からない。ただ、腹の中にバージルとの子供がいる。アルフレッドはふくらみのない下腹部を優しく撫でながら、心配そうにこちらを見ているアリアナに笑いかけた。


「とりあえず仕事の引継ぎだな。アリアナ女史。これから頼むよ」

「あぁ。バージル殿の家に移るのだろう?引っ越しも手伝おう。バージル殿の帰還は?」

「予定通りなら5日後だな」

「そう。じゃあ、引っ越しはバージル殿の帰還を待ってでいいね」

「うん」

「まだ安定期に入っていない。とにかく気をつけな。これから注意事項を説明するから。冊子も作ってある。バージル殿にも絶対に読ませなさい」

「悪いな。アリアナ女史。マジで助かるわ」

「僅かでも不調を感じたら必ず報告しな。バージル殿の家は私の帰り道の途中にあるから毎日顔を見に行くけど、何かあったら必ず通信魔導具で連絡しなよ。夜中だろうがね」

「流石にそこまでしてもらうのは……」

「私が好きでやることだ。高齢出産で、ただでさえリスクが高い。できたら明日までに引継ぎを終わらせて、バージル殿が帰ってくるまでは家でのんびりしてな。運動不足になるのはよくないが、アンタは放っておくと動き過ぎるからね。本でも読んでな。安定期に入るまでは特に大人しくしているんだ。つわりは?」

「ここ暫く、なんか気持ち悪くて肉が食えない。あと、最近ちょっとトイレが近い。他にもちょこちょこ色々あるし、月経が2か月きてなかったから、もしかしたらと思ってさ」

「不調があったら絶対に絶対に我慢せずに言いな。じゃあ、説明を始めるよ」

「ありがとう。アリアナ女史」


アリアナに妊娠中の注意事項や妊娠中にあるかもしれない症状等を詳しく聞いた。個人差が大きいものなので、今のところ助産学会に報告されているもののリスト等が、アリアナ手製の冊子に載っていた。分厚い冊子を片手に、特に注意すべきことを教えてもらってから、アルフレッドはアリアナの研究室を出た。

上司に報告をして、課長代理をしてもらう予定のキックスと課長補佐をしてもらうトーラに引継ぎをしなくては。休職の事務手続きもしなくてはいけない。
コーネリーは一足先に妊娠しており、先月から休職をしている。3日に1度は様子を見にコーネリーの家に行っているが、今のところはつわりが多少あるくらいで、本人は呑気に元気だ。コーネリーは実家住まいで、実家はアルフレッドの家に程近い場所でケーキ屋を営んでいる。元々は魔法使いを多く排出している家系だったらしいが、コーネリーの両親の代でケーキ屋を始めたらしい。コーネリーは、両親は勿論、子持ちの姉3人が近所に全員いるし、しっかりサポートをしてもらっている。コーネリーの相手のクラークも毎日顔を見せ、たまに泊まったりしているようだ。2人の間には順調に愛が育まれているらしく、コーネリーに会うと、ひたすら惚気を聞かされる。上手くいっているようで何よりだ。

アルフレッドは下腹部をやんわり撫でながら、上司の部屋へと向かった。




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仕事の引継ぎや事務手続きは2日もあれば終わり、アルフレッドは自宅でゴロゴロしていた。元々、王都での机仕事の殆どはキックスにしてもらっていて、王都詰めになった後もキックスと2人ですることが多かった。引継ぎをする必要のあるものが少なかったので、あっさりと終わった。バージルには帰還してから知らせる。わざわざ通信魔導具を使って知らせる気はない。護衛と魔物討伐の任務中なのだ。バージルの集中を乱したくはない。予定通りならば、明日には帰ってくるので慌てる必要はない。

アルフレッドがソファーに寝転がって本を読んでいると、玄関の呼び鈴が鳴った。まだ昼過ぎの時間で、アリアナが来る時間ではない。アリアナは毎日仕事帰りに少し寄ってくれる。正直心強いのだが、アルフレッッドとしては、アリアナにはまだ小さい子供がいるので、真っ直ぐ家に帰ってほしい。しかし、アリアナは絶対にアルフレッドの様子を見に来る。コーネリーの所にも毎日顔を見に行っている。そういう人なのだ。アリアナの夫は在宅の物書きをしていて、普段の家事や育児は殆どアリアナの夫がやっているそうだ。とてもおっとりとした穏やかな人物で、アリアナは自分の夫にベタ惚れしている。買い物ついでに子供用の菓子を買って手土産として渡しているが、一度、アリアナの夫にも挨拶と詫びをしに行かなくてはいけないだろう。

そんなことを考えながら玄関に移動し、無造作にドアを開け、そこに立っていた人物を見て、アルフレッドは無言でドアを閉めた。
此処にいる筈がない人物が見えた気がする。多分、気のせいだ。きっと気のせいだ。気のせいであってくれ。アルフレッドはじんわりと背中に嫌な汗をかきながら、そーっとドアを開けた。目が合った人物を見て、アルフレッドは口元を引き攣らせた。
白髪が多い明るい茶色の髪をひっつめてお団子にしており、丸いフレームの黒縁の眼鏡をかけている。顔立ちは少し鷲鼻気味なこと以外は特に特徴がない。どこにでもいる普通のおばちゃんだ。中背中肉の身体を地味なワンピースで包み、姿勢よく立っている。柔和な笑みを浮かべているように見えるが、目が笑っていない。
どこにでもいそうな普通のおばちゃんが、顔を引き攣らせてダラダラと冷や汗をかくアルフレッドの顔をじっと見て、にぃっこりと笑った。


「久しぶりねぇ。アル」

「お、お袋……」

「最後に会ったのは3年前ね。手紙はたまにくれるけど。まぁ随分と愉快な状況になっているようね」

「な、なんでお袋が此処に……」

「アリアナさんから魔導通信具で連絡をいただいたのよ。いつだったかしら?バージルさんがご挨拶と説明に来てくれた時に魔導通信具を置いていったの。アルが妊娠したら、すぐに連絡してくれることになっていたのよ。ふふふっ。アル」

「…………」

「貴方からは、私は、一言も、なにも、聞いていませんけど?」

「い、いや……それは、ほら、あの、あれだよ……」

「どれかしら?ちゃんと説明してくれるわよね?ん?ん?」

「……い、いやぁ……はは……」

「アルフレッド・ターナー」

「……はい」

「まずは、妊娠おめでとう。体調は?」

「……ちょっと、つわりがあるくらい……」

「そう。じゃあ、とりあえず中でお話ししましょうか。この母になんの相談も報告もしなかったことの弁明を聞かせてもらいましょう」

「……はい」


アルフレッドは、母オリビアの怒り狂った笑顔の威圧に一瞬で負けた。

アルフレッドの母オリビアは、一言で言うと女傑だ。オリビアは、王都から馬車で片道2日のそこそこ大きな街で暮らしている。街で1番大きな病院でずっと看護師をして働いており、肝っ玉が据わっていて、優しいが、同時にとても厳しい。
3年前に病気で亡くなった父は、若い頃は魔法省の浄化課に勤めていた。父が仕事中に大きな怪我をして二度と自力では歩けない身体になった時、知らせを聞いたオリビアはすぐさま王都に駆け付け、父を地元の街に連れ帰ったそうだ。2人は幼馴染だったらしい。『貴方の面倒は一生私がみるわ。誰よりも幸せにするから、私の隣で顔を上げて前だけを見ていなさい』。凛とした顔でそう言い切ったオリビアに、絶望の中にいた父はときめき、恋をした。
オリビアが外で働き、父は車椅子に乗って、家で子守をしていた。オリビアは、自宅を父が車椅子でも生活しやすいようにと大規模リフォームした。料理が好きな父の為に、特に台所には拘って、車椅子でも楽に料理ができるようにした。
オリビアの家族や父の家族の手助けもあって、アルフレッドと1つ年下の妹は、口が悪くて若干おおらか過ぎるところがある父を中心にして育てられた。父はオリビアが本当に大好きで、オリビアも父が大好きなのが傍から見ていてよく分かった。本当に仲がいい夫婦だった。
料理も、浄化魔法も、父から教えてもらった。本を読む楽しさも、大人になったら、酒や煙草の美味しさも。アルフレッドは幼い頃から父が大好きで、とても尊敬していた。父のようになりたくて、浄化魔法を一生懸命学び、浄化課で働くようになった。その父が亡くなった時、アルフレッドは浄化の仕事で遠方に居て、死に目は勿論、葬式にも間に合わなかった。知らせを受けたのも、王都に帰還してからだった。父が亡くなったことも、慌てて帰省した時に見たオリビアの窶れて老けた顔も、信じたくなくて、アルフレッドはそれ以来実家には帰っていない。手紙のやり取りはしているが、暫く帰らなかったら、どうにも気まずくて、気持ちの整理ができた今でも、中々帰れないという感じである。

久しぶりに会うオリビアにこってりと説教をされた後、アルフレッドはソファーに座ったまま、オリビアに抱きしめられた。


「アル」

「はい」

「1人でよく耐えました」

「……うん」


抱きしめられたまま、幼い頃のようにオリビアに優しく頭を撫でられた。アルフレッドはオリビアの肩に目元を押し付けて、少しだけ泣いた。

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