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42:祖父と会う

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フィンは鏡を見て、大きな溜め息を吐いた。
酷い顔である。目の下にくっきりと隈ができ、顔色も青白い。ここ10日程、まともに睡眠がとれていない。ディルムッドにおねだりされて一緒にケリーから男同士のセックスの話を聞いて以来、ずっと殆んど眠れない日々が続いている。部屋に1人でいると、マイキーの裸が頭の中をぐるぐるして消えてくれず、おまけに何故かぺニスが勃起してしまう。絶対におかしい。フィンは間違いなく変態になってしまったのだ。マイキーに申し訳ないし、なんだかいやらしい自分が嫌で堪らないし、本当に訳が分からなくて混乱する毎日である。精神がゴリゴリ削られ、特にここ数日、食欲も落ちてきている。
先日のケリーの家での筋トレの時にはマイキーの顔がまともに見れなかった。風呂に入る時は全力でマイキーを視界に入れないようにした。我ながら、かなり挙動不審だった自覚がある。
自分の耳についている胡桃色のピアスを見ると、優しい色合いに少しだけ心が慰められる。今朝はついにフィルに『兄ちゃん、眠れてないの?大丈夫?病院は?家事は僕がするから寝てなよ』と言われてしまった。年明けに高等学校の入学試験を控えており、今が1番大事な時期であるフィルに余計な心配をかけるだなんて、兄として本当にダメダメ過ぎる。朝からかなり凹んだ。

フィンは整髪料で髪を整えると、そっと自分の耳のピアスに触れた。マイキーに会いたいが、会いたくない。こんな時に相談できる相手がいないのが辛い。こんな事、本人であるマイキーに言える訳がない。もっと積極的に友達をつくっておけばよかったと後悔しても後の祭りである。ドレイクにもフィルにも当然言えないし、気まず過ぎてケリーにも言えない。詰んでいる。どうしたらいいのか、全然分からない。

フィンはまた大きな溜め息を吐いて、のろのろとした動きで出かける準備をした。今日は店の定休日だ。基本的に定休日の日には施設にいる祖父に会いに行く。天気がいい日は車椅子に乗った祖父と一緒に散歩がてら食事やお茶をしに出かけたりもする。今日は朝から天気がいい。祖父と一緒に美味しい食事でもすれば、多少気が紛れるかもしれない。いつもはドレイクと一緒に行くが、今日はドレイクは昔からの友達と会う約束がある。今日はフィン1人だ。ちなみにフィルは学校が休みの日に1人で祖父に会いに行っている。
フィンは微妙に背中を丸めたまま家から出て、とぼとぼと祖父がいる施設に向けて歩き出した。

施設の受付カウンターで職員へ挨拶をしてから、祖父ハルクがいる部屋へと向かった。顔馴染みの中年の職員からも心配されてしまった。酷い顔をしているからだろう。ハルクから突っ込まれたらどうしよう。ハルクに無駄な心配をさせたくない。おそるおそる部屋を覗くと、ハルクのベッドは空だった。通りかかった職員に聞いてみると、談話室にいるそうだ。教えてくれた職員にお礼を言ってから、フィンは談話室へと足を向けた。
ハルクは談話室の窓際で車椅子に座って、同じく車椅子に座った同じ年頃の男と楽しそうに話していた。なんだか本当にすごく楽しそうに笑っている。邪魔をするのも悪いかな、とフィンが思っていると、ハルクがフィンに気づいた。
穏やかなフィンが大好きな笑顔でハルクに手招きされたので、フィンはおずおずとハルクに近づいた。


「こんにちは。おじいちゃん」

「こんにちは。フィン。ドルーガ。孫のフィンだ。フィン。この人はドルーガ。最近、ここに来たんだ」

「こんにちは。ドルーガさん。フィン・スカンジナビアです」

「やぁ、こんにちは。ドルーガ・ブルックスだ。君のお祖父さんにはよくしてもらっているよ」


ドルーガが人好きのする笑顔で手を差し出してきたので、フィンはドルーガと握手をした。ドルーガは事故の後遺症で下半身が麻痺しているらしい。部屋がハルクの隣で、2人とも本を読むのが大好きだから、自然と仲良くなったそうだ。ハルクが昼食を外で食べようかと言ってきたので、フィンは頷いて、車椅子の取手を握った。ドルーガにペコリと頭を下げてから、ゆっくり車椅子を押して移動していく。
ハルクはフィンの酷い顔を見ても、何も言わなかった。
施設の近くにある落ち着いた雰囲気の定食屋がハルクのお気に入りだから、今日もそこに行くことにした。そこは車椅子でも入りやすい店で、味がよくて値段も良心的だ。
ハルクはお気に入りのトマトグラタンを、フィンはオムライスを注文した。サービスの水を飲みながら、ハルクが穏やかに微笑んで口を開いた。


「それで?」

「ん?」

「悩んでいることがあるんだろう?さっさと言ってしまいなさい。フィンはいつも溜め込むばかりなのだから」

「うぐ……」


言いづらい。ものすごく言いづらい。どうやってこの話題から逃げようかとフィンが視線を泳がせていると、ハルクが首を傾げた。


「ふむ。そんなに言いにくいということは、あれかね。スケベな方向の悩みかね」

「ぶはっ。なっ、なっ、なっ……」

「おや。当たりだな。まぁ、フィンも年頃だしなぁ」

「なななななんでっ……」

「フィンが1番不得手なのは、そっち方面じゃないか。仕事やアリーナ絡み、単にフラれただけなら普通に愚痴るだろう」

「うぐぅ……」

「なんだい。未だにエロ本も読ませてもらえないのかい。やれ、ドレイクもナナイも過保護だねぇ。ん?でも、前に兄弟子君の友達から色々聞いたのだろう?ということは、あれかね。そっちの意味でも好きな相手ができたのかね」

「すすすすすすすきっ!?」

「ん?スケベな夢でも見て眠れないとかじゃないのか」

「何で分かるの!?」

「おや。また当たりだ。やぁ、フィンも大人になったねぇ。漸く、そっちの意味でも好きな相手ができたか」

「すすすすすきって別にそんなんじゃないんじゃないかなっ!?」

「相手のスケベな夢を見る時点で確実に好意を持ってる証拠だよ」

「うえっ!?」

「女の子かい?」

「へっ!?や!あ、あのっ!」

「おや。もしかして男か。あ、あれか。兄弟子君の夢でも見るのかい」

「おじいちゃんは心が読めるのっ!?」

「おや。また当たり。ふふふっ。フィンは分かりやすいねぇ」

「うぐぅ……た、確かにマイキーさんは好きだけど、理想のお兄ちゃん的な感じだし!べ、別に恋愛的な意味で好きなわけじゃないし!」

「でもスケベな夢を見るんだろう?」

「うっ……ちょっ、ちょっと裸を思い出しちゃうだけで、べっ、別にスケベとか、そんなんじゃっ……」

「十分スケベだよ」

「うぐぅぅぅ……」


フィンは恥ずかしすぎて涙目になった。自分が男を好きになるなんてあり得ない。しかも相手はマイキーだ。確かにマイキーのことは大好きだが、それは兄弟子兼理想のお兄ちゃんとしてなだけで、恋愛的な意味じゃない。……筈。第一、百万歩譲って仮にマイキーのことが恋愛的な意味で好きだったとしても、それにしたっておかしい。今まで好きになった女の子の裸なんて想像したことは1度もない。デートをしたり、手を繋いだりしたいな、くらいにしか思っていなかった。本気で結婚したいと思っていた彼女だって、男女のセックスの話を聞いたりして勉強はしたが、ぶっちゃけ結婚した後の夜の夫婦生活なんて、実際に具体的に考えたことがない。
フィンはボソボソと小さな声でハルクにそう話した。ハルクは右手で自分の顎を撫でた。


「フィン。恋には性欲も伴うものなんだよ?特に男はね」

「せ、せいよく……」

「多分だけどね。フィンは初めて本気で人を好きになったんじゃないかな」

「で、でも……本気で結婚したいって思ってた女性もいたし……」

「でも、夜の結婚生活を具体的に想像したりはしていなかったんだろう?その彼女とのスケベな事を想像して抜いたりとかしてたのかい?」

「……『抜く』って何ですか……」

「おや。知らないのかい。やれやれ。ドレイクは本当に過保護だねぇ。友達がいないのも原因の1つかね。普通は思春期くらいには自然に周りから学ぶものなんだけど」

「……どうせ、ぼっちだし……」

「拗ねるんじゃないよ。抜くってのはあれだよ。オナニーは分かるかい?」

「……名前を聞いたことはある」

「オナニーのことだよ。自分でアレを擦って出すんだ。もしかして、1度もやったことがないなんて……?」

「……1度試したけど、途中で止めた」

「おや。その、あれか。機能的な問題があったり……とか?」

「……朝はちゃんと勃ってるもん……」

「あぁ。なら、よかった。一瞬本気で心配してしまったよ」

「…………」


昼間に馴染みの定食屋でする話では絶対にない。フィンは恥ずかしくて真っ赤になった。ハルクが穏やかに笑って、右手をフィンに伸ばしてきたので、フィンも左手を伸ばした。皺のあるかさついた温かい手に左手が包まれる。


「フィン。誰かを想って、そういう欲を感じるのは恥ずかしいことじゃない。本当に普通のことだ。身も心も相手が好きな証拠だろう?」

「でも……男の人だし……」

「男同士の恋人も夫婦も割といる。そんなに珍しいことでもない。というか、僕も男の恋人がいるよ。今」

「はいっ!?」

「ドルーガだよ。まぁお互い歳だし、身体が不自由だから、そっち方面は何もないけどね。でもキスくらいはしているよ」

「ま、ま、ま、まじですか……お、おばあちゃんは?」

「マジですよ。……お祖母ちゃんは本当に全然会いに来てくれなくてね。倒れた直後に1度来てくれただけだよ。端末にも何の連絡もない。僕はたまに連絡をするのだけど、返事が返ってきたことはないよ。多分、身体が不自由になってしまった僕はいらなくなったんだよ。僕ももうすっかり想いが薄れてしまった。……でも寂しくてね。ドルーガに、好きだと、恋人になってほしいと言われて頷いてしまったよ」

「……おじいちゃん」

「不倫になるのは分かっているのだけどね。どうしてもドルーガの温かい手を離せないんだ。……今、僕はすごく穏やかで温かな幸せを感じているよ。相手が男か女かなんて関係ない。フィン。自分の心をちゃんと見つめて、自分の心に従いなさい。その方がきっと幸せになれる」

「……でも……マイキーさん、好きな人いる……その人としか結婚したくないみたいだし、恋人もいらないっぽい……」

「……そうかい。フィン」

「……うん」

「ちゃんと自分の心と向き合ってから選択するんだよ。想いを告げるにしろ、心に秘めて諦めるにしろ、後悔のないようにね。僕は少し後悔しているよ。身体が不自由になった途端、見捨てるように会いに来なくなった女性と結婚してしまったことをね。離婚しようにも、中々彼女との話し合いも離婚の手続きも自分1人じゃできないからね。……温かい想いをくれるドルーガに申し訳なくてね。僕が死んでも今のままじゃ何も残してはやれない。僕の心だけしかあげられない。何も形として愛を残してやれないんだよ」

「おじいちゃん……」

「……やぁ。フィンの悩みを聞こうと思っていたのに、結局僕が愚痴を吐いてしまったな。まぁ、忘れてくれて構わないよ」

「う、うん……」

「あ、ドレイクには内緒にしておいておくれ。面倒臭いことになると嫌だから」

「分かったよ」

「フィン」

「うん」

「幸せになる為の努力をするんだよ。大丈夫。君なら絶対にできるから」

「……うん。おじいちゃん」

「ん?」

「ありがとう」


ハルクが優しく微笑んで、きゅっと少しだけフィンの手を強く握った。そのタイミングで注文していた料理が運ばれてきたので、手を離して、食事を始めた。お互いの近況を話しながら、和やかに食事を楽しみ、ハルクがお気に入りの喫茶店で珈琲を楽しんで、途中のお菓子屋でドルーガへの土産を買ってから、2人で施設に戻った。

フィンはハルクと別れて、1人で夕焼け色に染まる道を歩きながら、ぼんやり考えた。
本当にフィンはマイキーのことが恋愛的な意味で好きなのだろうか。マイキーといると安心するし、すごく楽しいし、甘えたくなる。マイキーと、もっとずっと一緒にいたい。……マイキーの身体に触れたい。マイキーに自分の身体に触れてほしい。これが本気の恋なのだろうか。よく分からない。でも、1つだけハッキリしているのは、どんな名前がつくのかは未確定でも、フィンはマイキーが好きだということだ。

なんとなーくぼんやり自覚した途端に、失恋確定である。マイキーはカーラが好きだから、間違いなくフィンのことなんて弟分としてしか見てくれない。
マイキーに会いたい。でも、会いたくない。
フィンは項垂れて、大きな溜め息を吐いた。


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