1 / 172
第一章 辺境の地
1.子爵令嬢・クレメンティナ
しおりを挟む
5月の爽やかな風が大きな掃き出し窓のカーテンを揺らし、吹き込んできた小さな花びらが華奢なティーカップに舞い落ちた。
私はカップを持ち上げて逆さにし、可憐な花びらをテーブルの上の水盤に落とす。
微かに水紋が広がって、花びらは緩やかに水面を滑った。
「まあ、クレメンティナ様!
お茶の準備は私がいたしますよ」
午後のお茶のお菓子と軽食を持って入ってきた女中頭のフランカが驚いたように声をかけてくる。
私は「カップに花びらが入ったので、落としただけよ」と少し微笑んで、お湯をカップに注いで温め、お湯はボールに棄てた。
「すみません、今日は執事も夜のパーティの準備で大忙しで、お茶の支度も遅れてしまって」
フランカはあたふたと私の横に来て、お茶菓子をセッティングしながら愚痴る。
「まったく、お館様にも困ったものですね。
最初は『ご愛妾候補を国中から募るだなんて、大公様は何をお考えなのか』とお怒りだったのに。
ご愛妾のお子様がお世継ぎになるかもしれないと聞いた途端に目の色を変えられて、ヴァネッサ様を都に行かせるだなんて」
私はティーポットに茶葉が入っていることを確かめて、お湯を注いでポットウォーマーを被せた。
「そうね、お館様は上昇志向の強いお方だから。
国外れの地方の領主で終わるお気持ちはないのでしょうね」
薄く笑って言う。
このダリスカーナ大公国の僻地とも言えるここシエーラ。
しかしここは、先々代までは私の祖先が治めていた土地だ。
この領主館も元は私の先祖が代々住んでいて、物置になっている部屋には我がステファネッリ家の人々の肖像画が放置されていたりする。
先々代の時代にあった、隣国との戦争の折に、領主が不在の隙を狙って地主のペデルツィーニに襲撃されて、領地も館も地位も財産も奪われてしまった。
領主となったペデルツィーニは大公にあることないこと告げ口して伯爵の地位を授かり、伯爵相当の地位にあったステファネッリ家の家格は子爵に落とされた。
だけど子爵家に見合うほどの財産はなく、没落貧乏貴族を絵に描いたような有様になっている。
おかげでステファネッリ家の娘である私、クレメンティナも18歳というそろそろお嫁に行かなくてはいけない年頃でありながらまったくそんな話もなく、田舎過ぎてまともな働き口もないため、ここ領主館で令嬢のヴァネッサの友人兼家庭教師としてお館に奉公に上がっている。
「あら、ヴァネッサ様はまだですか?
いつもお茶の時間には真っ先にいらっしゃっているのに」
カトラリーや皿を並べ終えたフランカが訝しげに呟く。
私は返答に困って、黙ってお茶を淹れた。
フランカが言う通り、大公様から信じがたい詔が国中に発せられたとき、最初お館様は「何と馬鹿らしい」と笑っていたのだけど。
本来、ご愛妾の子供は世継ぎにはなれないというしきたりを破って、愛妾の子供を継嗣にするという追加条文を見た時にお館様の目の色が変わった。
ご愛妾を国中から募るという理由が、「大公妃殿下にお子様が望めないため」だったからだ。
大公妃様は外国から嫁いで来られた、それは美しい方だそうだけど、お身体がお弱くお世継ぎをお産みになることが難しいらしい。
普通なら兄弟や親戚、縁戚から養子を迎えるところだけれど、アレッサンドロ大公殿下は違った。
どうしてもご自分の血を直に引くお子様に継がせたいってことみたい。
となると、母親となるご愛妾の家族だって、大公殿下のお傍に侍ることができる。
要するに権力を握れるってことね。
このアレッサンドロ大公殿下という方は、普通ではないらしい。
巷間の噂では、変わり者の途方もない俺様キャラで、大公妃様も周りの大貴族たちも苦労しているとか…
単に王様気質の我儘大公って気もするけれど。
私はため息をつくと、椅子に座った。
「今朝から、ヴァネッサの機嫌がとても悪いの。
無理もないとは思うけど…
お勉強もそこそこに、私も部屋から追い出されてしまったわ」
15歳のヴァネッサには、いくら父親の命令でも大公様のご愛妾になれなんて承諾できようはずがない。
ましてや最近、侍従のダニエーレと妙に接近しているようだし…
度を越しはしないかと心配してお館様にお話したのだけど、お館様には笑い飛ばされ、ヴァネッサにはすごく怒られてしまった。
しかし、私の不安は、的中することになる。
私はカップを持ち上げて逆さにし、可憐な花びらをテーブルの上の水盤に落とす。
微かに水紋が広がって、花びらは緩やかに水面を滑った。
「まあ、クレメンティナ様!
お茶の準備は私がいたしますよ」
午後のお茶のお菓子と軽食を持って入ってきた女中頭のフランカが驚いたように声をかけてくる。
私は「カップに花びらが入ったので、落としただけよ」と少し微笑んで、お湯をカップに注いで温め、お湯はボールに棄てた。
「すみません、今日は執事も夜のパーティの準備で大忙しで、お茶の支度も遅れてしまって」
フランカはあたふたと私の横に来て、お茶菓子をセッティングしながら愚痴る。
「まったく、お館様にも困ったものですね。
最初は『ご愛妾候補を国中から募るだなんて、大公様は何をお考えなのか』とお怒りだったのに。
ご愛妾のお子様がお世継ぎになるかもしれないと聞いた途端に目の色を変えられて、ヴァネッサ様を都に行かせるだなんて」
私はティーポットに茶葉が入っていることを確かめて、お湯を注いでポットウォーマーを被せた。
「そうね、お館様は上昇志向の強いお方だから。
国外れの地方の領主で終わるお気持ちはないのでしょうね」
薄く笑って言う。
このダリスカーナ大公国の僻地とも言えるここシエーラ。
しかしここは、先々代までは私の祖先が治めていた土地だ。
この領主館も元は私の先祖が代々住んでいて、物置になっている部屋には我がステファネッリ家の人々の肖像画が放置されていたりする。
先々代の時代にあった、隣国との戦争の折に、領主が不在の隙を狙って地主のペデルツィーニに襲撃されて、領地も館も地位も財産も奪われてしまった。
領主となったペデルツィーニは大公にあることないこと告げ口して伯爵の地位を授かり、伯爵相当の地位にあったステファネッリ家の家格は子爵に落とされた。
だけど子爵家に見合うほどの財産はなく、没落貧乏貴族を絵に描いたような有様になっている。
おかげでステファネッリ家の娘である私、クレメンティナも18歳というそろそろお嫁に行かなくてはいけない年頃でありながらまったくそんな話もなく、田舎過ぎてまともな働き口もないため、ここ領主館で令嬢のヴァネッサの友人兼家庭教師としてお館に奉公に上がっている。
「あら、ヴァネッサ様はまだですか?
いつもお茶の時間には真っ先にいらっしゃっているのに」
カトラリーや皿を並べ終えたフランカが訝しげに呟く。
私は返答に困って、黙ってお茶を淹れた。
フランカが言う通り、大公様から信じがたい詔が国中に発せられたとき、最初お館様は「何と馬鹿らしい」と笑っていたのだけど。
本来、ご愛妾の子供は世継ぎにはなれないというしきたりを破って、愛妾の子供を継嗣にするという追加条文を見た時にお館様の目の色が変わった。
ご愛妾を国中から募るという理由が、「大公妃殿下にお子様が望めないため」だったからだ。
大公妃様は外国から嫁いで来られた、それは美しい方だそうだけど、お身体がお弱くお世継ぎをお産みになることが難しいらしい。
普通なら兄弟や親戚、縁戚から養子を迎えるところだけれど、アレッサンドロ大公殿下は違った。
どうしてもご自分の血を直に引くお子様に継がせたいってことみたい。
となると、母親となるご愛妾の家族だって、大公殿下のお傍に侍ることができる。
要するに権力を握れるってことね。
このアレッサンドロ大公殿下という方は、普通ではないらしい。
巷間の噂では、変わり者の途方もない俺様キャラで、大公妃様も周りの大貴族たちも苦労しているとか…
単に王様気質の我儘大公って気もするけれど。
私はため息をつくと、椅子に座った。
「今朝から、ヴァネッサの機嫌がとても悪いの。
無理もないとは思うけど…
お勉強もそこそこに、私も部屋から追い出されてしまったわ」
15歳のヴァネッサには、いくら父親の命令でも大公様のご愛妾になれなんて承諾できようはずがない。
ましてや最近、侍従のダニエーレと妙に接近しているようだし…
度を越しはしないかと心配してお館様にお話したのだけど、お館様には笑い飛ばされ、ヴァネッサにはすごく怒られてしまった。
しかし、私の不安は、的中することになる。
1
あなたにおすすめの小説
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
私と母のサバイバル
だましだまし
ファンタジー
侯爵家の庶子だが唯一の直系の子として育てられた令嬢シェリー。
しかしある日、母と共に魔物が出る森に捨てられてしまった。
希望を諦めず森を進もう。
そう決意するシェリーに異変が起きた。
「私、別世界の前世があるみたい」
前世の知識を駆使し、二人は無事森を抜けられるのだろうか…?
幽閉王女と指輪の精霊~嫁いだら幽閉された!餓死する前に脱出したい!~
二階堂吉乃
恋愛
同盟国へ嫁いだヴァイオレット姫。夫である王太子は初夜に現れなかった。たった1人幽閉される姫。やがて貧しい食事すら届かなくなる。長い幽閉の末、死にかけた彼女を救ったのは、家宝の指輪だった。
1年後。同盟国を訪れたヴァイオレットの従兄が彼女を発見する。忘れられた牢獄には姫のミイラがあった。激怒した従兄は同盟を破棄してしまう。
一方、下町に代書業で身を立てる美少女がいた。ヴィーと名を偽ったヴァイオレットは指輪の精霊と助けあいながら暮らしていた。そこへ元夫?である王太子が視察に来る。彼は下町を案内してくれたヴィーに恋をしてしまう…。
【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。
16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。
お好きになさって下さい、私は一切気にしませんわ
Kouei
恋愛
婚約者のクレマンド様は、いつも私との約束を破ってばかり。
理由は決まって『従妹ライラ様との用事』
誕生日会にすら来なかった彼に、私はついに告げた。
「どうぞ、私以外のご令嬢をエスコートするなり、お出かけするなり、関係を持つなり、お好きになさって下さい。私は一切気にしませんわ」
二人の想いは、重なり合えるのだろうか ……
※他のサイトにも公開しています。
なぜ、私に関係あるのかしら?
シエル
ファンタジー
「初めまして、アシュフォード公爵家一女、セシリア・アシュフォードと申します」
彼女は、つい先日までこの国の王太子殿下の婚約者だった。
そして今日、このトレヴァント辺境伯家へと嫁いできた。
「…レオンハルト・トレヴァントだ」
非道にも自らの実妹を長年にわたり虐げ、婚約者以外の男との不適切な関係を理由に、王太子妃に不適格とされ、貴族学院の卒業式で婚約破棄を宣告された。
そして、新たな婚約者として、その妹が王太子本人から指名されたのだった。
「私は君と夫婦になるつもりはないし、辺境伯夫人として扱うこともない」
この判断によって、どうなるかなども考えずに…
※ 中世ヨーロッパ風の世界観です。
※ ご都合主義ですので、ご了承下さい、
※ 画像はAIにて作成しております
昭和生まれお局様は、異世界転生いたしましたとさ
蒼あかり
ファンタジー
局田舞子(つぼたまいこ)43歳、独身。
とある事故をきっかけに、彼女は異世界へと転生することになった。
どうしてこんなことになったのか、訳もわからぬままに彼女は異世界に一人放り込まれ、辛い日々を過ごしながら苦悩する毎日......。
など送ることもなく、なんとなく順応しながら、それなりの日々を送って行くのでありました。
そんな彼女の異世界生活と、ほんの少しのラブロマンスっぽい何かを織り交ぜながらすすむ、そんな彼女の生活を覗いてみませんか?
毎日投稿はできないと思います。気長に更新をお待ちください。
私は私で幸せになりますので
あんど もあ
ファンタジー
子爵家令嬢オーレリーの両親は、六歳年下の可憐で病弱なクラリスにかかりっきりだった。
ある日、クラリスが「オーレリーが池に落ちる夢を見た」と予言をした。
それから三年。今日オーレリーは、クラリスの予言に従い、北の果ての領地に住む伯爵令息と結婚する。
最後にオーレリーが皆に告げた真実とは。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる