身代わり愛妾候補の逃亡顛末記

Dry_Socket

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第一章 辺境の地

1.子爵令嬢・クレメンティナ

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 5月の爽やかな風が大きな掃き出し窓のカーテンを揺らし、吹き込んできた小さな花びらが華奢なティーカップに舞い落ちた。
 私はカップを持ち上げて逆さにし、可憐な花びらをテーブルの上の水盤に落とす。
 微かに水紋が広がって、花びらは緩やかに水面を滑った。

 「まあ、クレメンティナ様!
 お茶の準備は私がいたしますよ」
 午後のお茶のお菓子と軽食を持って入ってきた女中頭のフランカが驚いたように声をかけてくる。
 私は「カップに花びらが入ったので、落としただけよ」と少し微笑んで、お湯をカップに注いで温め、お湯はボールに棄てた。

 「すみません、今日は執事も夜のパーティの準備で大忙しで、お茶の支度も遅れてしまって」
 フランカはあたふたと私の横に来て、お茶菓子をセッティングしながら愚痴る。
 「まったく、お館様にも困ったものですね。
 最初は『ご愛妾候補を国中から募るだなんて、大公様は何をお考えなのか』とお怒りだったのに。
 ご愛妾のお子様がお世継ぎになるかもしれないと聞いた途端に目の色を変えられて、ヴァネッサ様を都に行かせるだなんて」

 私はティーポットに茶葉が入っていることを確かめて、お湯を注いでポットウォーマーを被せた。
 「そうね、お館様は上昇志向の強いお方だから。
 国外れの地方の領主で終わるお気持ちはないのでしょうね」
 薄く笑って言う。

 このダリスカーナ大公国の僻地とも言えるここシエーラ。
 しかしここは、先々代までは私の祖先が治めていた土地だ。
 この領主館も元は私の先祖が代々住んでいて、物置になっている部屋には我がステファネッリ家の人々の肖像画が放置されていたりする。

 先々代の時代にあった、隣国との戦争の折に、領主が不在の隙を狙って地主のペデルツィーニに襲撃されて、領地も館も地位も財産も奪われてしまった。
 領主となったペデルツィーニは大公にあることないこと告げ口して伯爵の地位を授かり、伯爵相当の地位にあったステファネッリ家の家格は子爵に落とされた。
 だけど子爵家に見合うほどの財産はなく、没落貧乏貴族を絵に描いたような有様になっている。

 おかげでステファネッリ家の娘である私、クレメンティナも18歳というそろそろお嫁に行かなくてはいけない年頃でありながらまったくそんな話もなく、田舎過ぎてまともな働き口もないため、ここ領主館で令嬢のヴァネッサの友人兼家庭教師としてお館に奉公に上がっている。

 「あら、ヴァネッサ様はまだですか?
 いつもお茶の時間には真っ先にいらっしゃっているのに」
 カトラリーや皿を並べ終えたフランカが訝しげに呟く。
 私は返答に困って、黙ってお茶を淹れた。

 フランカが言う通り、大公様から信じがたい詔が国中に発せられたとき、最初お館様は「何と馬鹿らしい」と笑っていたのだけど。
 本来、ご愛妾の子供は世継ぎにはなれないというしきたりを破って、愛妾の子供を継嗣にするという追加条文を見た時にお館様の目の色が変わった。

 ご愛妾を国中から募るという理由が、「大公妃殿下にお子様が望めないため」だったからだ。
 大公妃様は外国から嫁いで来られた、それは美しい方だそうだけど、お身体がお弱くお世継ぎをお産みになることが難しいらしい。
 
 普通なら兄弟や親戚、縁戚から養子を迎えるところだけれど、アレッサンドロ大公殿下は違った。
 どうしてもご自分の血を直に引くお子様に継がせたいってことみたい。
 となると、母親となるご愛妾の家族だって、大公殿下のお傍に侍ることができる。
 要するに権力を握れるってことね。

 このアレッサンドロ大公殿下という方は、普通ではないらしい。
 巷間の噂では、変わり者の途方もない俺様キャラで、大公妃様も周りの大貴族たちも苦労しているとか…
 単に王様気質の我儘大公って気もするけれど。

 私はため息をつくと、椅子に座った。
 「今朝から、ヴァネッサの機嫌がとても悪いの。
 無理もないとは思うけど…
 お勉強もそこそこに、私も部屋から追い出されてしまったわ」

 15歳のヴァネッサには、いくら父親の命令でも大公様のご愛妾になれなんて承諾できようはずがない。
 ましてや最近、侍従のダニエーレと妙に接近しているようだし…
 度を越しはしないかと心配してお館様にお話したのだけど、お館様には笑い飛ばされ、ヴァネッサにはすごく怒られてしまった。

 しかし、私の不安は、的中することになる。
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