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第一章 辺境の地
8.駆け落ち
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奥方様の居室に入ると、小姓はソファに奥方様を降ろした。
私は「何か温かい飲み物を」と小姓に言い、小姓がはい、と言って出て行く。
そうだヴァネッサはどうしただろう、と私が「ヴァネッサを…」と言いかけると、奥方様は顔を両手で覆って泣き出した。
「どうなさったのです?」
私は驚いてソファへ駆け寄る。
「ヴァネッサが…館から姿を消してしまったと」
「えっ!」
「ダニエーレの姿もないらしいの。
ああ、どうしましょうクレメンティナ!」
顔を覆ったまま、悲鳴のような声で言って肩を震わせている奥方様の横に座って、私は呆然とした。
そうなんだ…それで午後、全然部屋から出てこずに、私のことも部屋に入れなかったのね。
侍従のダニエーレと二人、こっそり駆け落ちを企てていたというわけか。
だからあんなにお館様と奥方様に言ったのに…
「だけど二人はどこに行ったのかしら」
私が呟くと、奥方様はぱっと顔を上げた。
「そうよ、パーティーの始まったころまではいたのだから。
クレメンティナと私が声をかけた時」
そうだわ、すごく切羽詰まったような声だった。
あの時、まさに窓とかから出ようとしていたのかもしれない。
無理にでもドアを開けていれば!
「まだそんなに遠くには行っていないのでは?
お館様に言って、この辺りを捜索してみれば」
「それは今、館中の者に言いつけてやらせている」
急に扉が開いて、お館様がそう言いながら入ってきた。
この一瞬でひどく憔悴して、やつれてしまったように見えるお館様は奥方様の向かいのソファにどかっと腰を下ろした。
「だが…かなり周到に準備していたようだ。
逃亡先も予め、決めていた可能性がある。
誰か協力者がいるらしくて、どうやったのか、馬車まで用意していたらしい。
玄関のホールにいたカミッロが、馬車の音が聞こえてまだ来ていない招待客がいたのかと訝しんで外へ出たら、一台の馬車がすごい速度で遠ざかっていったと」
「もう、この辺りにはいないのかもしれない。
明日明後日には、都へ発つはずだったのに…!
くそ!ダニエーレめ!許さん」
お館様は呻くように言って、頭を掻きむしった。
そして顔を上げ、私の顔を見る。
私はその蒼白でありながら目だけが血走ったお館様の顔を見て、恐怖を感じソファに背をつけた。
お館様はゆらりと立ち上がり、私の前へ来る。
「クレメンティナ、お前が都へ行くのだ。
ヴァネッサ・アレッシア・ディ・ペデルツィーニとして。
大公陛下のご愛妾候補になるんだ」
「えっ?!」
私はあまりにも途方もないお館様の言葉に愕然として固まる。
奥方様も「あなた、何を…」と驚いたように言った。
お館様の瞳には狂気のような光が宿り、その光は瞬く間に全身を包んでいくようだった。
総毛立つようなオーラを発し、また一歩、私に近づく。
「この勝負に負けるわけにはいかないんだ。
俺の人生、祖先の思い、そして都への野心がかかっている。
やっと説得したと思っていた娘が、こともあろうに使用人と駆け落ちして、不戦敗だなんて認められるか!」
「あなた!何を言っているの?!」
奥方様が私の前に身を乗り出して、お館様の視界に入る。
お館様は奥方様の肩をぐいっと押して横へどけ、私に顔を近づけた。
私は身がすくんでしまってまったく動けない。
「フェデリーゴだよ」
「え?あなたの従兄弟の?」
「あいつは幼いころから俺を散々バカにしていた。
田舎者の単なる地主だって。
伯爵相当の地位だなんて、曾祖父が勝手にでっちあげたんだって。
確かに、叙爵のはっきりとした文書はないんだ。
父上もそれを生涯気に病んでいた」
狂気の瞳に怒りが混ざる。
「だから俺は、ヴァネッサを都に行かせて、ご愛妾になれないまでも、都に邸をいただけるような順位になれればいいと思った。
ヴァネッサがそこそこ大公陛下のお気に入りになれば、叙爵の文書も手に入れられるかもしれない。
こんなことで、それを諦めるわけにはいかないんだ!」
そう叫ぶように言って、私の腕をつかむ。
私は思い切り腕を引こうとするが、お館様の力はものすごくて「痛いです…おやめください」と囁くように言うのが精いっぱいだった。
「クレメンティナ!
お前が都へ、ヴァネッサとして行くと言え!
お前の親兄弟がどうなっても良いのか!」
腕を揺さぶって、お館様は私に詰め寄る。
私の頬を涙が伝う。
「あなた!そんな…それはあんまり…」
奥方様がお館様の腕に触れて強く言う。
が、お館様は奥方様の手を振り払いざまに顔を殴打した。
「うるさい!
お前なんかに何が判る!
だいたい、お前の教育がなってないから、ヴァネッサがこんなことをしでかしたんだ!
それで言えば家庭教師のクレメンティナにも責任がある!
責任をとれ!」
私の腕をつかんだ手を強く引き、私は立ち上がらせられてしまう。
「断ると言うなら、この先お前たちがこのシエーラで生きていけなくしてやる。
母親や、兄たちがどうなっても、文句は言わせない」
私は怖くて怖くて頭の中が真っ白になり、お館様の恐ろしい表情から目を逸らせず瞳を見開いたままうなずいた。
ぽろぽろと涙が頬を伝う。
お母様…レオ兄様!
にぃ兄様!
私は「何か温かい飲み物を」と小姓に言い、小姓がはい、と言って出て行く。
そうだヴァネッサはどうしただろう、と私が「ヴァネッサを…」と言いかけると、奥方様は顔を両手で覆って泣き出した。
「どうなさったのです?」
私は驚いてソファへ駆け寄る。
「ヴァネッサが…館から姿を消してしまったと」
「えっ!」
「ダニエーレの姿もないらしいの。
ああ、どうしましょうクレメンティナ!」
顔を覆ったまま、悲鳴のような声で言って肩を震わせている奥方様の横に座って、私は呆然とした。
そうなんだ…それで午後、全然部屋から出てこずに、私のことも部屋に入れなかったのね。
侍従のダニエーレと二人、こっそり駆け落ちを企てていたというわけか。
だからあんなにお館様と奥方様に言ったのに…
「だけど二人はどこに行ったのかしら」
私が呟くと、奥方様はぱっと顔を上げた。
「そうよ、パーティーの始まったころまではいたのだから。
クレメンティナと私が声をかけた時」
そうだわ、すごく切羽詰まったような声だった。
あの時、まさに窓とかから出ようとしていたのかもしれない。
無理にでもドアを開けていれば!
「まだそんなに遠くには行っていないのでは?
お館様に言って、この辺りを捜索してみれば」
「それは今、館中の者に言いつけてやらせている」
急に扉が開いて、お館様がそう言いながら入ってきた。
この一瞬でひどく憔悴して、やつれてしまったように見えるお館様は奥方様の向かいのソファにどかっと腰を下ろした。
「だが…かなり周到に準備していたようだ。
逃亡先も予め、決めていた可能性がある。
誰か協力者がいるらしくて、どうやったのか、馬車まで用意していたらしい。
玄関のホールにいたカミッロが、馬車の音が聞こえてまだ来ていない招待客がいたのかと訝しんで外へ出たら、一台の馬車がすごい速度で遠ざかっていったと」
「もう、この辺りにはいないのかもしれない。
明日明後日には、都へ発つはずだったのに…!
くそ!ダニエーレめ!許さん」
お館様は呻くように言って、頭を掻きむしった。
そして顔を上げ、私の顔を見る。
私はその蒼白でありながら目だけが血走ったお館様の顔を見て、恐怖を感じソファに背をつけた。
お館様はゆらりと立ち上がり、私の前へ来る。
「クレメンティナ、お前が都へ行くのだ。
ヴァネッサ・アレッシア・ディ・ペデルツィーニとして。
大公陛下のご愛妾候補になるんだ」
「えっ?!」
私はあまりにも途方もないお館様の言葉に愕然として固まる。
奥方様も「あなた、何を…」と驚いたように言った。
お館様の瞳には狂気のような光が宿り、その光は瞬く間に全身を包んでいくようだった。
総毛立つようなオーラを発し、また一歩、私に近づく。
「この勝負に負けるわけにはいかないんだ。
俺の人生、祖先の思い、そして都への野心がかかっている。
やっと説得したと思っていた娘が、こともあろうに使用人と駆け落ちして、不戦敗だなんて認められるか!」
「あなた!何を言っているの?!」
奥方様が私の前に身を乗り出して、お館様の視界に入る。
お館様は奥方様の肩をぐいっと押して横へどけ、私に顔を近づけた。
私は身がすくんでしまってまったく動けない。
「フェデリーゴだよ」
「え?あなたの従兄弟の?」
「あいつは幼いころから俺を散々バカにしていた。
田舎者の単なる地主だって。
伯爵相当の地位だなんて、曾祖父が勝手にでっちあげたんだって。
確かに、叙爵のはっきりとした文書はないんだ。
父上もそれを生涯気に病んでいた」
狂気の瞳に怒りが混ざる。
「だから俺は、ヴァネッサを都に行かせて、ご愛妾になれないまでも、都に邸をいただけるような順位になれればいいと思った。
ヴァネッサがそこそこ大公陛下のお気に入りになれば、叙爵の文書も手に入れられるかもしれない。
こんなことで、それを諦めるわけにはいかないんだ!」
そう叫ぶように言って、私の腕をつかむ。
私は思い切り腕を引こうとするが、お館様の力はものすごくて「痛いです…おやめください」と囁くように言うのが精いっぱいだった。
「クレメンティナ!
お前が都へ、ヴァネッサとして行くと言え!
お前の親兄弟がどうなっても良いのか!」
腕を揺さぶって、お館様は私に詰め寄る。
私の頬を涙が伝う。
「あなた!そんな…それはあんまり…」
奥方様がお館様の腕に触れて強く言う。
が、お館様は奥方様の手を振り払いざまに顔を殴打した。
「うるさい!
お前なんかに何が判る!
だいたい、お前の教育がなってないから、ヴァネッサがこんなことをしでかしたんだ!
それで言えば家庭教師のクレメンティナにも責任がある!
責任をとれ!」
私の腕をつかんだ手を強く引き、私は立ち上がらせられてしまう。
「断ると言うなら、この先お前たちがこのシエーラで生きていけなくしてやる。
母親や、兄たちがどうなっても、文句は言わせない」
私は怖くて怖くて頭の中が真っ白になり、お館様の恐ろしい表情から目を逸らせず瞳を見開いたままうなずいた。
ぽろぽろと涙が頬を伝う。
お母様…レオ兄様!
にぃ兄様!
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