51 / 172
第三章 都での生活
11.逃走(?)
しおりを挟む
私は厩舎に向かって走り出した。
暗い路地に明かりの漏れ出すそこには、馬のいななきがきこえ、家畜独特の匂いが漂っていた。
突然飛び込んできた女性に、厩舎にいた労務者ふうの男の人が驚いて立ち上がり、すぐに「あ、クラリッサ嬢さんですかい」と訊いてきた。
「馬をどれか貸してちょうだい!」
私は手近にいた馬に歩み寄る。
栗毛の優しそうな馬だ。
馬具を着けている。
「えっ?
いや、嬢さんの馬はこっちですだ。
その馬は、」
慌てたように言って、その人は私の方へ近づいてきた。
私はその栗毛の馬の賢そうな瞳に魅入られる。
じっと私を見つめる瞳は楽しげに揺れて、背にお乗りなさいと言っているようだ。
吸い寄せられるように近づいて馬房の柵を開けて引き出した。
「ちょっ…
嬢さん!」
乱暴に男の人は私の手から手綱を取ろうとする。
その時、大人しく私に従っていた馬が男の人に向かって歯をむき出し、噛みつこうとした。
「わっ!」
男の人が怯んだ隙に、私は鐙に足をかけて飛び乗る。
馬は判っていますよというように、軽快に厩舎から出た。
私は厩舎の側道へ出て、馬車の走り去った方向へ向かって速足から駆足にして、街路を駆けていった。
馬車についていた金属のエンブレムは向かい合った熊が二頭、それを囲む旗の紋章だった。
どこの貴族の家紋か判らないけれど…
確かこっちに曲がって行ったかな。
私は手綱を操り、入り組んだ都の路地を走り回る。
通りに面した家々の紋章を見て回るが、明かりがついていなくてよく見えないものもあり、どんどんサン=バルロッテ館から遠ざかるのは自覚しながらも諦めきれずに探し続けた。
だんだん家が少なくなり、私がしまったと思った時には、ずいぶん郊外まで来てしまっていた。
都の大門をいつ通り抜けたのだろう、自覚がない。
いつの間にか道は舗装されていないむき出しの土になっており、風が強く吹き抜けて寒さを感じた。
馬が疲れているのが判り、私は申し訳ない思いでいっぱいになって馬から降りて手綱を引いて歩き出す。
馬具を着けていたってことは、どこかへ行って帰ってきたばかりだったってことだよね。
「ごめんね、無理させて」
私は馬の長い顔に頬を寄せて、鼻づらを撫でた。
馬はおとなしくされるがままになって、私を導くように歩き出す。
やがて水の音がし、小川が流れているところへ着いた。
辺りは真っ暗で、見渡すと遠くに明かりが点在している。
頼りない月明りを頼りにとりあえず馬に水を飲ませ、周りを見渡す。
夜空に明るく光を投げかけてその方向全体が明るい方が都のはずだからそちらへ戻ろうと思案した。
ふいに山賊に襲われたときのことがフラッシュバックして、私は自分の両手で身体を抱いた。
水を飲み終えた馬に寄り添って身体が震えてくるのに懸命に耐える。
怖い、こういう暗闇は…
また襲われてしまうかもという恐怖が迫ってきて、手綱にしがみつく。
大丈夫大丈夫、ここは平地で山ではないし、明かりが近くに見えている。
周りに不穏な人の気配はない、大丈夫。
馬もいてくれる。
そう思っても身体の震えは一向に収まらず、私はがたがたと震えながらしゃがみこむ。
馬がうつむいた私の頭を撫でるように鼻を寄せた。
ここにしゃがんでいたって駄目だ。
立ち上がって、サン=バルロッテ館に帰らなきゃ。
だけど私も、初めて乗る馬で慣れない街路を走り回って遠くまできてしまって、相当消耗したみたい。
鍛えなきゃ…こんなに体力がなくなってしまっては、シエーラに帰っても以前のように皆と一緒に働けない。
私は動こうとするけど、身体がこわばってしまって立ち上がることも難しい。
少し、休もう。
少し休めば、回復するはず。
私は目を閉じた。
吹き抜ける風が冷たさを増してきた。
雨が降るのかしら…
私は目を上げる。
さっきまで満天の星空だったのに、月も雲に隠れてしまっている。
辺りは本当に暗くなってしまった。
その時、馬がぴくっと耳を震わせ、頭を上げていなないた。
「あそこだ!」
男の人の声が聞こえ、軽い地響きが近づいてくる。
私は戦慄し、こわばった身体を励まして立ち上がり手綱を取って逃げようとする。
「クラリッサ!どこだ!クラリッサ!」
ひときわ大きな声がして、先頭を切って走ってきた馬に乗っている人が私を認めて、一直線に駆けてきた。
「クラリッサ!」
「アレクさま…」
回らない口で呟く私の前で真っ白な馬から飛び降りて駆け寄ってきたのは、盛装したアレク様だった。
鬘は取れてしまったのか、濃いブラウンの自毛が風になびいて顔にかかっている。
どうしてここにアレク様がいるのか不思議で現実感が無くて、乱れた髪が恐ろしく着飾った重そうな装束とはちぐはぐだなあと、私はぼんやり思った。
アレク様は駆け寄りざまに両手を広げてぎゅうっと私を抱きしめた。
「探した…
なんでこんな…
そんなに嫌だったのか?」
抱きしめる力が強すぎて、背の高いアレク様に私は身体が持ち上がってしまって「苦しい…」と呟く。
アレク様はそれでも力を緩めず、「クラリッサ、俺は…」と何かを呟いた。
何を言ったのか聞き取れないまま、私は意識を失った。
暗い路地に明かりの漏れ出すそこには、馬のいななきがきこえ、家畜独特の匂いが漂っていた。
突然飛び込んできた女性に、厩舎にいた労務者ふうの男の人が驚いて立ち上がり、すぐに「あ、クラリッサ嬢さんですかい」と訊いてきた。
「馬をどれか貸してちょうだい!」
私は手近にいた馬に歩み寄る。
栗毛の優しそうな馬だ。
馬具を着けている。
「えっ?
いや、嬢さんの馬はこっちですだ。
その馬は、」
慌てたように言って、その人は私の方へ近づいてきた。
私はその栗毛の馬の賢そうな瞳に魅入られる。
じっと私を見つめる瞳は楽しげに揺れて、背にお乗りなさいと言っているようだ。
吸い寄せられるように近づいて馬房の柵を開けて引き出した。
「ちょっ…
嬢さん!」
乱暴に男の人は私の手から手綱を取ろうとする。
その時、大人しく私に従っていた馬が男の人に向かって歯をむき出し、噛みつこうとした。
「わっ!」
男の人が怯んだ隙に、私は鐙に足をかけて飛び乗る。
馬は判っていますよというように、軽快に厩舎から出た。
私は厩舎の側道へ出て、馬車の走り去った方向へ向かって速足から駆足にして、街路を駆けていった。
馬車についていた金属のエンブレムは向かい合った熊が二頭、それを囲む旗の紋章だった。
どこの貴族の家紋か判らないけれど…
確かこっちに曲がって行ったかな。
私は手綱を操り、入り組んだ都の路地を走り回る。
通りに面した家々の紋章を見て回るが、明かりがついていなくてよく見えないものもあり、どんどんサン=バルロッテ館から遠ざかるのは自覚しながらも諦めきれずに探し続けた。
だんだん家が少なくなり、私がしまったと思った時には、ずいぶん郊外まで来てしまっていた。
都の大門をいつ通り抜けたのだろう、自覚がない。
いつの間にか道は舗装されていないむき出しの土になっており、風が強く吹き抜けて寒さを感じた。
馬が疲れているのが判り、私は申し訳ない思いでいっぱいになって馬から降りて手綱を引いて歩き出す。
馬具を着けていたってことは、どこかへ行って帰ってきたばかりだったってことだよね。
「ごめんね、無理させて」
私は馬の長い顔に頬を寄せて、鼻づらを撫でた。
馬はおとなしくされるがままになって、私を導くように歩き出す。
やがて水の音がし、小川が流れているところへ着いた。
辺りは真っ暗で、見渡すと遠くに明かりが点在している。
頼りない月明りを頼りにとりあえず馬に水を飲ませ、周りを見渡す。
夜空に明るく光を投げかけてその方向全体が明るい方が都のはずだからそちらへ戻ろうと思案した。
ふいに山賊に襲われたときのことがフラッシュバックして、私は自分の両手で身体を抱いた。
水を飲み終えた馬に寄り添って身体が震えてくるのに懸命に耐える。
怖い、こういう暗闇は…
また襲われてしまうかもという恐怖が迫ってきて、手綱にしがみつく。
大丈夫大丈夫、ここは平地で山ではないし、明かりが近くに見えている。
周りに不穏な人の気配はない、大丈夫。
馬もいてくれる。
そう思っても身体の震えは一向に収まらず、私はがたがたと震えながらしゃがみこむ。
馬がうつむいた私の頭を撫でるように鼻を寄せた。
ここにしゃがんでいたって駄目だ。
立ち上がって、サン=バルロッテ館に帰らなきゃ。
だけど私も、初めて乗る馬で慣れない街路を走り回って遠くまできてしまって、相当消耗したみたい。
鍛えなきゃ…こんなに体力がなくなってしまっては、シエーラに帰っても以前のように皆と一緒に働けない。
私は動こうとするけど、身体がこわばってしまって立ち上がることも難しい。
少し、休もう。
少し休めば、回復するはず。
私は目を閉じた。
吹き抜ける風が冷たさを増してきた。
雨が降るのかしら…
私は目を上げる。
さっきまで満天の星空だったのに、月も雲に隠れてしまっている。
辺りは本当に暗くなってしまった。
その時、馬がぴくっと耳を震わせ、頭を上げていなないた。
「あそこだ!」
男の人の声が聞こえ、軽い地響きが近づいてくる。
私は戦慄し、こわばった身体を励まして立ち上がり手綱を取って逃げようとする。
「クラリッサ!どこだ!クラリッサ!」
ひときわ大きな声がして、先頭を切って走ってきた馬に乗っている人が私を認めて、一直線に駆けてきた。
「クラリッサ!」
「アレクさま…」
回らない口で呟く私の前で真っ白な馬から飛び降りて駆け寄ってきたのは、盛装したアレク様だった。
鬘は取れてしまったのか、濃いブラウンの自毛が風になびいて顔にかかっている。
どうしてここにアレク様がいるのか不思議で現実感が無くて、乱れた髪が恐ろしく着飾った重そうな装束とはちぐはぐだなあと、私はぼんやり思った。
アレク様は駆け寄りざまに両手を広げてぎゅうっと私を抱きしめた。
「探した…
なんでこんな…
そんなに嫌だったのか?」
抱きしめる力が強すぎて、背の高いアレク様に私は身体が持ち上がってしまって「苦しい…」と呟く。
アレク様はそれでも力を緩めず、「クラリッサ、俺は…」と何かを呟いた。
何を言ったのか聞き取れないまま、私は意識を失った。
1
あなたにおすすめの小説
【長編・完結】私、12歳で死んだ。赤ちゃん還り?水魔法で救済じゃなくて、給水しますよー。
BBやっこ
ファンタジー
死因の毒殺は、意外とは言い切れない。だって貴族の後継者扱いだったから。けど、私はこの家の子ではないかもしれない。そこをつけいられて、親族と名乗る人達に好き勝手されていた。
辺境の地で魔物からの脅威に領地を守りながら、過ごした12年間。その生が終わった筈だったけど…雨。その日に辺境伯が連れて来た赤ん坊。「セリュートとでも名付けておけ」暫定後継者になった瞬間にいた、私は赤ちゃん??
私が、もう一度自分の人生を歩み始める物語。給水係と呼ばれる水魔法でお悩み解決?
お好きになさって下さい、私は一切気にしませんわ
Kouei
恋愛
婚約者のクレマンド様は、いつも私との約束を破ってばかり。
理由は決まって『従妹ライラ様との用事』
誕生日会にすら来なかった彼に、私はついに告げた。
「どうぞ、私以外のご令嬢をエスコートするなり、お出かけするなり、関係を持つなり、お好きになさって下さい。私は一切気にしませんわ」
二人の想いは、重なり合えるのだろうか ……
※他のサイトにも公開しています。
私と母のサバイバル
だましだまし
ファンタジー
侯爵家の庶子だが唯一の直系の子として育てられた令嬢シェリー。
しかしある日、母と共に魔物が出る森に捨てられてしまった。
希望を諦めず森を進もう。
そう決意するシェリーに異変が起きた。
「私、別世界の前世があるみたい」
前世の知識を駆使し、二人は無事森を抜けられるのだろうか…?
幽閉王女と指輪の精霊~嫁いだら幽閉された!餓死する前に脱出したい!~
二階堂吉乃
恋愛
同盟国へ嫁いだヴァイオレット姫。夫である王太子は初夜に現れなかった。たった1人幽閉される姫。やがて貧しい食事すら届かなくなる。長い幽閉の末、死にかけた彼女を救ったのは、家宝の指輪だった。
1年後。同盟国を訪れたヴァイオレットの従兄が彼女を発見する。忘れられた牢獄には姫のミイラがあった。激怒した従兄は同盟を破棄してしまう。
一方、下町に代書業で身を立てる美少女がいた。ヴィーと名を偽ったヴァイオレットは指輪の精霊と助けあいながら暮らしていた。そこへ元夫?である王太子が視察に来る。彼は下町を案内してくれたヴィーに恋をしてしまう…。
【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。
16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。
なぜ、私に関係あるのかしら?
シエル
ファンタジー
「初めまして、アシュフォード公爵家一女、セシリア・アシュフォードと申します」
彼女は、つい先日までこの国の王太子殿下の婚約者だった。
そして今日、このトレヴァント辺境伯家へと嫁いできた。
「…レオンハルト・トレヴァントだ」
非道にも自らの実妹を長年にわたり虐げ、婚約者以外の男との不適切な関係を理由に、王太子妃に不適格とされ、貴族学院の卒業式で婚約破棄を宣告された。
そして、新たな婚約者として、その妹が王太子本人から指名されたのだった。
「私は君と夫婦になるつもりはないし、辺境伯夫人として扱うこともない」
この判断によって、どうなるかなども考えずに…
※ 中世ヨーロッパ風の世界観です。
※ ご都合主義ですので、ご了承下さい、
※ 画像はAIにて作成しております
昭和生まれお局様は、異世界転生いたしましたとさ
蒼あかり
ファンタジー
局田舞子(つぼたまいこ)43歳、独身。
とある事故をきっかけに、彼女は異世界へと転生することになった。
どうしてこんなことになったのか、訳もわからぬままに彼女は異世界に一人放り込まれ、辛い日々を過ごしながら苦悩する毎日......。
など送ることもなく、なんとなく順応しながら、それなりの日々を送って行くのでありました。
そんな彼女の異世界生活と、ほんの少しのラブロマンスっぽい何かを織り交ぜながらすすむ、そんな彼女の生活を覗いてみませんか?
毎日投稿はできないと思います。気長に更新をお待ちください。
私は私で幸せになりますので
あんど もあ
ファンタジー
子爵家令嬢オーレリーの両親は、六歳年下の可憐で病弱なクラリスにかかりっきりだった。
ある日、クラリスが「オーレリーが池に落ちる夢を見た」と予言をした。
それから三年。今日オーレリーは、クラリスの予言に従い、北の果ての領地に住む伯爵令息と結婚する。
最後にオーレリーが皆に告げた真実とは。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる