50 / 172
第三章 都での生活
10.ジョルジーニの話
しおりを挟む
エセルバート様が出て行ってからも、私は見送りもせずしばらく放心したようにソファに座っていた。
やがて女中を伴ってジョルジーニが片付けに来た。
「このお菓子は、アレク様が焼きたてを自らお持ちになられたのですよ。
クラリッサ様に一番に食べさせたいと。
ぜひ、全部召し上がってください」
ジョルジーニは穏やかに微笑んで言う。
私は、なんだか喉が詰まったようになって胸がいっぱいになってしまって、黙って首を横に振った。
アレク様が判らない。
面白いだけの女に、何故そういうことをするのだろう…
ペットを可愛がる感覚なのだろうか。
ジョルジーニは苦笑してお菓子の入った容器を女中に渡す。
「まあ、温め直せばまた食べられるでしょう。
明日の朝にでも、またお出ししますね」
「…そんな美味しいお菓子、私だけがいただくのは勿体ないので。
サン=バルロッテ館の皆さんで召し上がってください」
私はなんとか言葉を絞り出す。
ジョルジーニはにこりと笑ってそれには答えず、テーブルの上の茶器をてきぱきと片付ける。
「そう言えば、クラリッサ様はこの館の隣に厩舎があるのをご存知でいらっしゃいましたか?
一度見に行かれては?
今日の昼過ぎにクラリッサ様用の馬が届きましたのですよ。
アレク様が御自ら探しに出向かれたとか。
素晴らしい名馬だそうです」
美しい彩色の施された華奢な磁器の茶器を、銀のトレーに乗せたジョルジーニは、座っている私を見下ろした。
「でもそうですね、今日はもう暗くなってしまいましたね。
明日には早速エセルバート卿がいらっしゃるそうですし、それからでも宜しいでしょう。
もう、今日はおやすみなさい」
いつになくよく話すなあ…と、ちょっと引いている私に、ジョルジーニは珍しく照れたようにこほんと咳払いした。
女中にトレーを渡し、先に厨房へ行くように指示する。
そして人払いすると、私に向き直った。
「…アレク様を誤解しないでいただきたいのです。
あの方は、立場のおありになる方です。
誰が聞いているか判らないような場所で、それが例え隠れ家であっても、軽々にご自分のお気持ちを言葉に出すわけにはいかないのです。
ご自分でも無意識にお気持ちを表にお出しになることを避けておられる」
ジョルジーニの声は、真剣な中にも悲哀の響きがあり、私は胸を衝かれる。
よく判らないながらもうなずいてみせると、ジョルジーニはほっとしたように微笑んだ。
「ありがとうございます。
わたくしどもも、最初は身元もはっきりしない女性を預かるとお聞きして、不安に存じましたが…
クラリッサ様の、温かく朗らかで真面目な性格とお振る舞いに、以前より楽しく過ごしております。
アレク様も、この館全体の雰囲気が明るくなったなと、評しておられました」
「す、すみません…」
私は恐縮して頭を下げた。
そりゃ、そうだよね…
私だって、逆の立場なら「アレク様は何をお考えなのだろう」と訝しむだろう。
突然、拾い物の女(エルヴィーノ様からの預かり者とはいえ、誰も素性を知らない)と一緒に住めと言われたら。
ジョルジーニはくすっと笑った。
「アレク様には口止めされておりましたが…
エルヴィーノ様の戦果は上々のようで、ほどなく都へ戻られるだろうということでございます。
わたくしどもも、出歯亀根性で、事の成り行きをワクワクしながら眺めておりますよ」
では、おやすみなさいませ、と、ジョルジーニは謎の言葉を残して部屋を出て行った。
私は「おやすみなさい…」と呟いて見送る。
ジョルジーニが出て行ってから、私はようやく立ち上がった。
この乗馬着はすごく伸縮性があって、動きやすいし何より軽い。
恐らく、アレク様の要望を超えるような技術力なのだろう。
さすが大公家御用達の仕立て屋さん。
プロのお仕事だ。
私は、ふと思いついて、厩舎へ行ってみることにした。
この建物は、私も1か月近くいてまだ全然行ったことがないところもあり、とにかく広い。
全然「隠れ家」のイメージとは乖離している、立派な建物だ。
そこの厩舎ってどんな感じなのだろう。
シエーラの私の家の厩舎のように、藁ぶき屋根とかではないんだろうなぁ。
厨の方へ回り、通用口から外へ出る。
「あら、クラリッサ様、どちらへ?」
女中頭のダフネが山ほどの洗濯物を抱えて通りかかった。
洗濯屋が来たらしい。
私は「ちょっと厩舎へ行ってきます」と微笑んで、裏庭を回って厩舎と思しき方へ歩いて行った。
裏庭は割と広くて、あまり灯火もないので暗い。
さっき、ジョルジーニが『エルヴィーノ様の戦果は上々のようで、ほどなく都へ戻られるだろうということでございます』と言っていたけれど…
私は、思ったほど心騒がなかったのを、自分のことながら驚いていた。
エルヴィーノ様が戻られるのをあんなに心待ちにしていたのに。
私、どうしちゃったんだろう。
アレク様の笑顔が、瞼に焼き付いて離れない。
立場のあるお方だと、ジョルジーニは言っていた。
そうなんだろうと、私みたいな田舎者にもそれは理解できる。
乱暴そうに見えて、ちょっとした仕草にも育ちの良さというか品を感じる。
私はつらつら考えながら、館の角を曲がった。
横丁というには少し広い道路へ出る。
ここをまっすぐに行って、右側じゃないかしらと思うんだけど…
その時、馬車の近づく音が聞こえて、私はそのカンテラの明るさに目を細めた。
割と大きな馬車の中には紳士と淑女らしい人達が並んで、何か話して笑っているようだ。
通り過ぎるときに見えた紳士の顔に、私は驚愕して、思わず馬車に向かって駆けだしそうになった。
あれは…あの整って美しく優しい笑顔は…
にぃ兄様?!
やがて女中を伴ってジョルジーニが片付けに来た。
「このお菓子は、アレク様が焼きたてを自らお持ちになられたのですよ。
クラリッサ様に一番に食べさせたいと。
ぜひ、全部召し上がってください」
ジョルジーニは穏やかに微笑んで言う。
私は、なんだか喉が詰まったようになって胸がいっぱいになってしまって、黙って首を横に振った。
アレク様が判らない。
面白いだけの女に、何故そういうことをするのだろう…
ペットを可愛がる感覚なのだろうか。
ジョルジーニは苦笑してお菓子の入った容器を女中に渡す。
「まあ、温め直せばまた食べられるでしょう。
明日の朝にでも、またお出ししますね」
「…そんな美味しいお菓子、私だけがいただくのは勿体ないので。
サン=バルロッテ館の皆さんで召し上がってください」
私はなんとか言葉を絞り出す。
ジョルジーニはにこりと笑ってそれには答えず、テーブルの上の茶器をてきぱきと片付ける。
「そう言えば、クラリッサ様はこの館の隣に厩舎があるのをご存知でいらっしゃいましたか?
一度見に行かれては?
今日の昼過ぎにクラリッサ様用の馬が届きましたのですよ。
アレク様が御自ら探しに出向かれたとか。
素晴らしい名馬だそうです」
美しい彩色の施された華奢な磁器の茶器を、銀のトレーに乗せたジョルジーニは、座っている私を見下ろした。
「でもそうですね、今日はもう暗くなってしまいましたね。
明日には早速エセルバート卿がいらっしゃるそうですし、それからでも宜しいでしょう。
もう、今日はおやすみなさい」
いつになくよく話すなあ…と、ちょっと引いている私に、ジョルジーニは珍しく照れたようにこほんと咳払いした。
女中にトレーを渡し、先に厨房へ行くように指示する。
そして人払いすると、私に向き直った。
「…アレク様を誤解しないでいただきたいのです。
あの方は、立場のおありになる方です。
誰が聞いているか判らないような場所で、それが例え隠れ家であっても、軽々にご自分のお気持ちを言葉に出すわけにはいかないのです。
ご自分でも無意識にお気持ちを表にお出しになることを避けておられる」
ジョルジーニの声は、真剣な中にも悲哀の響きがあり、私は胸を衝かれる。
よく判らないながらもうなずいてみせると、ジョルジーニはほっとしたように微笑んだ。
「ありがとうございます。
わたくしどもも、最初は身元もはっきりしない女性を預かるとお聞きして、不安に存じましたが…
クラリッサ様の、温かく朗らかで真面目な性格とお振る舞いに、以前より楽しく過ごしております。
アレク様も、この館全体の雰囲気が明るくなったなと、評しておられました」
「す、すみません…」
私は恐縮して頭を下げた。
そりゃ、そうだよね…
私だって、逆の立場なら「アレク様は何をお考えなのだろう」と訝しむだろう。
突然、拾い物の女(エルヴィーノ様からの預かり者とはいえ、誰も素性を知らない)と一緒に住めと言われたら。
ジョルジーニはくすっと笑った。
「アレク様には口止めされておりましたが…
エルヴィーノ様の戦果は上々のようで、ほどなく都へ戻られるだろうということでございます。
わたくしどもも、出歯亀根性で、事の成り行きをワクワクしながら眺めておりますよ」
では、おやすみなさいませ、と、ジョルジーニは謎の言葉を残して部屋を出て行った。
私は「おやすみなさい…」と呟いて見送る。
ジョルジーニが出て行ってから、私はようやく立ち上がった。
この乗馬着はすごく伸縮性があって、動きやすいし何より軽い。
恐らく、アレク様の要望を超えるような技術力なのだろう。
さすが大公家御用達の仕立て屋さん。
プロのお仕事だ。
私は、ふと思いついて、厩舎へ行ってみることにした。
この建物は、私も1か月近くいてまだ全然行ったことがないところもあり、とにかく広い。
全然「隠れ家」のイメージとは乖離している、立派な建物だ。
そこの厩舎ってどんな感じなのだろう。
シエーラの私の家の厩舎のように、藁ぶき屋根とかではないんだろうなぁ。
厨の方へ回り、通用口から外へ出る。
「あら、クラリッサ様、どちらへ?」
女中頭のダフネが山ほどの洗濯物を抱えて通りかかった。
洗濯屋が来たらしい。
私は「ちょっと厩舎へ行ってきます」と微笑んで、裏庭を回って厩舎と思しき方へ歩いて行った。
裏庭は割と広くて、あまり灯火もないので暗い。
さっき、ジョルジーニが『エルヴィーノ様の戦果は上々のようで、ほどなく都へ戻られるだろうということでございます』と言っていたけれど…
私は、思ったほど心騒がなかったのを、自分のことながら驚いていた。
エルヴィーノ様が戻られるのをあんなに心待ちにしていたのに。
私、どうしちゃったんだろう。
アレク様の笑顔が、瞼に焼き付いて離れない。
立場のあるお方だと、ジョルジーニは言っていた。
そうなんだろうと、私みたいな田舎者にもそれは理解できる。
乱暴そうに見えて、ちょっとした仕草にも育ちの良さというか品を感じる。
私はつらつら考えながら、館の角を曲がった。
横丁というには少し広い道路へ出る。
ここをまっすぐに行って、右側じゃないかしらと思うんだけど…
その時、馬車の近づく音が聞こえて、私はそのカンテラの明るさに目を細めた。
割と大きな馬車の中には紳士と淑女らしい人達が並んで、何か話して笑っているようだ。
通り過ぎるときに見えた紳士の顔に、私は驚愕して、思わず馬車に向かって駆けだしそうになった。
あれは…あの整って美しく優しい笑顔は…
にぃ兄様?!
1
あなたにおすすめの小説
【長編・完結】私、12歳で死んだ。赤ちゃん還り?水魔法で救済じゃなくて、給水しますよー。
BBやっこ
ファンタジー
死因の毒殺は、意外とは言い切れない。だって貴族の後継者扱いだったから。けど、私はこの家の子ではないかもしれない。そこをつけいられて、親族と名乗る人達に好き勝手されていた。
辺境の地で魔物からの脅威に領地を守りながら、過ごした12年間。その生が終わった筈だったけど…雨。その日に辺境伯が連れて来た赤ん坊。「セリュートとでも名付けておけ」暫定後継者になった瞬間にいた、私は赤ちゃん??
私が、もう一度自分の人生を歩み始める物語。給水係と呼ばれる水魔法でお悩み解決?
お好きになさって下さい、私は一切気にしませんわ
Kouei
恋愛
婚約者のクレマンド様は、いつも私との約束を破ってばかり。
理由は決まって『従妹ライラ様との用事』
誕生日会にすら来なかった彼に、私はついに告げた。
「どうぞ、私以外のご令嬢をエスコートするなり、お出かけするなり、関係を持つなり、お好きになさって下さい。私は一切気にしませんわ」
二人の想いは、重なり合えるのだろうか ……
※他のサイトにも公開しています。
私と母のサバイバル
だましだまし
ファンタジー
侯爵家の庶子だが唯一の直系の子として育てられた令嬢シェリー。
しかしある日、母と共に魔物が出る森に捨てられてしまった。
希望を諦めず森を進もう。
そう決意するシェリーに異変が起きた。
「私、別世界の前世があるみたい」
前世の知識を駆使し、二人は無事森を抜けられるのだろうか…?
幽閉王女と指輪の精霊~嫁いだら幽閉された!餓死する前に脱出したい!~
二階堂吉乃
恋愛
同盟国へ嫁いだヴァイオレット姫。夫である王太子は初夜に現れなかった。たった1人幽閉される姫。やがて貧しい食事すら届かなくなる。長い幽閉の末、死にかけた彼女を救ったのは、家宝の指輪だった。
1年後。同盟国を訪れたヴァイオレットの従兄が彼女を発見する。忘れられた牢獄には姫のミイラがあった。激怒した従兄は同盟を破棄してしまう。
一方、下町に代書業で身を立てる美少女がいた。ヴィーと名を偽ったヴァイオレットは指輪の精霊と助けあいながら暮らしていた。そこへ元夫?である王太子が視察に来る。彼は下町を案内してくれたヴィーに恋をしてしまう…。
【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。
16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。
なぜ、私に関係あるのかしら?
シエル
ファンタジー
「初めまして、アシュフォード公爵家一女、セシリア・アシュフォードと申します」
彼女は、つい先日までこの国の王太子殿下の婚約者だった。
そして今日、このトレヴァント辺境伯家へと嫁いできた。
「…レオンハルト・トレヴァントだ」
非道にも自らの実妹を長年にわたり虐げ、婚約者以外の男との不適切な関係を理由に、王太子妃に不適格とされ、貴族学院の卒業式で婚約破棄を宣告された。
そして、新たな婚約者として、その妹が王太子本人から指名されたのだった。
「私は君と夫婦になるつもりはないし、辺境伯夫人として扱うこともない」
この判断によって、どうなるかなども考えずに…
※ 中世ヨーロッパ風の世界観です。
※ ご都合主義ですので、ご了承下さい、
※ 画像はAIにて作成しております
昭和生まれお局様は、異世界転生いたしましたとさ
蒼あかり
ファンタジー
局田舞子(つぼたまいこ)43歳、独身。
とある事故をきっかけに、彼女は異世界へと転生することになった。
どうしてこんなことになったのか、訳もわからぬままに彼女は異世界に一人放り込まれ、辛い日々を過ごしながら苦悩する毎日......。
など送ることもなく、なんとなく順応しながら、それなりの日々を送って行くのでありました。
そんな彼女の異世界生活と、ほんの少しのラブロマンスっぽい何かを織り交ぜながらすすむ、そんな彼女の生活を覗いてみませんか?
毎日投稿はできないと思います。気長に更新をお待ちください。
私は私で幸せになりますので
あんど もあ
ファンタジー
子爵家令嬢オーレリーの両親は、六歳年下の可憐で病弱なクラリスにかかりっきりだった。
ある日、クラリスが「オーレリーが池に落ちる夢を見た」と予言をした。
それから三年。今日オーレリーは、クラリスの予言に従い、北の果ての領地に住む伯爵令息と結婚する。
最後にオーレリーが皆に告げた真実とは。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる