身代わり愛妾候補の逃亡顛末記

Dry_Socket

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第三章 都での生活

10.ジョルジーニの話

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 エセルバート様が出て行ってからも、私は見送りもせずしばらく放心したようにソファに座っていた。
 やがて女中を伴ってジョルジーニが片付けに来た。

 「このお菓子は、アレク様が焼きたてを自らお持ちになられたのですよ。
 クラリッサ様に一番に食べさせたいと。
 ぜひ、全部召し上がってください」
 ジョルジーニは穏やかに微笑んで言う。

 私は、なんだか喉が詰まったようになって胸がいっぱいになってしまって、黙って首を横に振った。
 アレク様が判らない。
 面白いだけの女に、何故そういうことをするのだろう…
 ペットを可愛がる感覚なのだろうか。

 ジョルジーニは苦笑してお菓子の入った容器を女中に渡す。
 「まあ、温め直せばまた食べられるでしょう。
 明日の朝にでも、またお出ししますね」
 「…そんな美味しいお菓子、私だけがいただくのは勿体ないので。
 サン=バルロッテ館の皆さんで召し上がってください」
 私はなんとか言葉を絞り出す。
 
 ジョルジーニはにこりと笑ってそれには答えず、テーブルの上の茶器をてきぱきと片付ける。
 「そう言えば、クラリッサ様はこの館の隣に厩舎があるのをご存知でいらっしゃいましたか?
 一度見に行かれては?
 今日の昼過ぎにクラリッサ様用の馬が届きましたのですよ。
 アレク様が御自ら探しに出向かれたとか。
 素晴らしい名馬だそうです」

 美しい彩色の施された華奢な磁器の茶器を、銀のトレーに乗せたジョルジーニは、座っている私を見下ろした。
 「でもそうですね、今日はもう暗くなってしまいましたね。
 明日には早速エセルバート卿がいらっしゃるそうですし、それからでも宜しいでしょう。
 もう、今日はおやすみなさい」

 いつになくよく話すなあ…と、ちょっと引いている私に、ジョルジーニは珍しく照れたようにこほんと咳払いした。
 女中にトレーを渡し、先に厨房へ行くように指示する。
 
 そして人払いすると、私に向き直った。
 「…アレク様を誤解しないでいただきたいのです。
 あの方は、立場のおありになる方です。
 誰が聞いているか判らないような場所で、それが例え隠れ家であっても、軽々にご自分のお気持ちを言葉に出すわけにはいかないのです。
 ご自分でも無意識にお気持ちを表にお出しになることを避けておられる」

 ジョルジーニの声は、真剣な中にも悲哀の響きがあり、私は胸を衝かれる。
 よく判らないながらもうなずいてみせると、ジョルジーニはほっとしたように微笑んだ。
 「ありがとうございます。
 わたくしどもも、最初は身元もはっきりしない女性を預かるとお聞きして、不安に存じましたが…
 クラリッサ様の、温かく朗らかで真面目な性格とお振る舞いに、以前より楽しく過ごしております。
 アレク様も、この館全体の雰囲気が明るくなったなと、評しておられました」

 「す、すみません…」
 私は恐縮して頭を下げた。
 そりゃ、そうだよね…
 私だって、逆の立場なら「アレク様は何をお考えなのだろう」と訝しむだろう。
 突然、拾い物の女(エルヴィーノ様からの預かり者とはいえ、誰も素性を知らない)と一緒に住めと言われたら。
 
 ジョルジーニはくすっと笑った。
 「アレク様には口止めされておりましたが…
 エルヴィーノ様の戦果は上々のようで、ほどなく都へ戻られるだろうということでございます。
 わたくしどもも、出歯亀根性でばがめこんじょうで、事の成り行きをワクワクしながら眺めておりますよ」

 では、おやすみなさいませ、と、ジョルジーニは謎の言葉を残して部屋を出て行った。
 私は「おやすみなさい…」と呟いて見送る。

 ジョルジーニが出て行ってから、私はようやく立ち上がった。
 この乗馬着はすごく伸縮性があって、動きやすいし何より軽い。
 恐らく、アレク様の要望を超えるような技術力なのだろう。
 さすが大公家御用達の仕立て屋さん。
 プロのお仕事だ。

 私は、ふと思いついて、厩舎へ行ってみることにした。
 この建物は、私も1か月近くいてまだ全然行ったことがないところもあり、とにかく広い。
 全然「隠れ家」のイメージとは乖離している、立派な建物だ。
 そこの厩舎ってどんな感じなのだろう。
 シエーラの私の家の厩舎のように、藁ぶき屋根とかではないんだろうなぁ。

 厨の方へ回り、通用口から外へ出る。
 「あら、クラリッサ様、どちらへ?」
 女中頭のダフネが山ほどの洗濯物を抱えて通りかかった。
 洗濯屋が来たらしい。

 私は「ちょっと厩舎へ行ってきます」と微笑んで、裏庭を回って厩舎と思しき方へ歩いて行った。
 裏庭は割と広くて、あまり灯火もないので暗い。

 さっき、ジョルジーニが『エルヴィーノ様の戦果は上々のようで、ほどなく都へ戻られるだろうということでございます』と言っていたけれど…
 私は、思ったほど心騒がなかったのを、自分のことながら驚いていた。
 エルヴィーノ様が戻られるのをあんなに心待ちにしていたのに。

 私、どうしちゃったんだろう。
 アレク様の笑顔が、瞼に焼き付いて離れない。

 立場のあるお方だと、ジョルジーニは言っていた。
 そうなんだろうと、私みたいな田舎者にもそれは理解できる。
 乱暴そうに見えて、ちょっとした仕草にも育ちの良さというか品を感じる。

 私はつらつら考えながら、館の角を曲がった。
 横丁というには少し広い道路へ出る。
 ここをまっすぐに行って、右側じゃないかしらと思うんだけど…

 その時、馬車の近づく音が聞こえて、私はそのカンテラの明るさに目を細めた。
 割と大きな馬車の中には紳士と淑女らしい人達が並んで、何か話して笑っているようだ。
 通り過ぎるときに見えた紳士の顔に、私は驚愕して、思わず馬車に向かって駆けだしそうになった。

 あれは…あの整って美しく優しい笑顔は…
 
 にぃ兄様?!

 

 

 
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