62 / 172
第四章 謎解き
2.娼館
しおりを挟む
夕方まで、私はサン=バルロッテ館の図書室にいたが、なんだか上の空で過ごした。
結局ジョルジーニは見つからなかったし、馬車など使わずに夕食までに帰ってくれば、まあ大丈夫かな…
ヴァネッサの分もお願いしておいた方がいいかしら。
私は娼館のルールなどまったく知らなかったので、そんなふうに暢気に考えていた。
地味で動きやすい服装に着替え(アリアンナには話してあった、仮にも彼女の恋人をお借りするわけだから)、私は薄暮の表に出た。
夏は昼が長い。
暗くなるのを待っていたら時間が結構遅くなってしまった。
急がないと…
無紋の明かりを持ったディーノの後について、賑やかな通りを歩く。
もう酔っ払っている労働者も多くて、私たちは往来を歩く人々の間をすり抜けるようにして進んで行った。
「クラリッサ様、歩くの早いですね、俺の速さについてこれる女の人なんて…」
ディーノが驚いたように言う。
「そうね、エセルバート様に鍛えられているから。
もっと早くても大丈夫よ。
答えながら、私は実は自分でも驚いていた。
吐くほどに過酷なエセルバート様の訓練に歯を食いしばってついていくうちに、いつの間にか私の身体能力は格段に上がっていたのだわ。
こんなに早足で歩いても、息が切れることもない。
あちこちの通りを曲がったり渡ったりしながら、やがて一軒の派手な明かりを灯した館の前に着いた。
周辺も皆、娼館なのだろうか、夜目にも判るほどのけばけばしい化粧を施し、襟を抜いてだらしなく着崩したドレスを纏った女性たちが嬌声を上げて、道行く男性を誘っている。
男性たちも、まあ元々、それが目あての人たちなのだろう、誘われるままにいくつもの館に吸い込まれていく。
「ねーぇ、お兄さん!
あたしと遊びましょうよ~」
一際幼い声が聞こえ、はっとして声の方を振り向く。
トリコーンを被ったお洒落な若い男性の長い上着の袖を引いている少女に、私は駆け寄った。
「ヴァネッサ!」
少女はビックリしたように私の方を見た。
少女の手から力が抜け、その隙に若い男性は腕を抜いてさっさと別の建物に入って行った。
「誰?もう、客逃がしちゃったじゃないの!」
イラっとしたように言う、少女の痩せて濃い化粧をした顔を見て、私は涙が出てきた。
「ヴァネッサ、私よクレメンティナよ!」
「クレメンティナ…?」
ぼーっと呟いて、ヴァネッサの瞳の焦点が合った。
「嘘!クレメンティナ?ガチで?!」
私が手を伸ばして抱きしめると、ヴァネッサも私の背に手を回した。
安い化粧品の噎せるような香りに辟易する。
「クレメンティナ!」
「まさかあなたがこんなところにいるなんて…
ダニエーレと幸せに暮らしているものとばかり」
「ダニエーレ、山賊にあたしを差し出して自分だけ逃げちゃった。
あたし人買いに買われて、ここに…」
「可哀想に…大変だったわね。
もう大丈夫よ、私と一緒にシエーラに帰りましょう」
「ちょいとお姐さん、それは金払ってもらってからの話ですぜ」
「クラリッサ様!」
大きなだみ声とディーノの鋭い声が聞こえたと思ったら、刺青がびっしり彫られた太い腕がヴァネッサの襟をつかんで私とヴァネッサを引き離した。
「やめなさい!
手荒なことはしないで!」
私が叫ぶと、見上げるような大男は暴れるヴァネッサの首を掴んだまま、下卑た笑いを響かせた。
「こりゃあ威勢が良くて面白い姐さんだ。
いいか、この女は娼館で買った娼婦なんだよ、この女は娼館に借金してんだ。
今すぐにここで全額寄こしゃあ、無罪放免さ。
それができないなら、変な里心つけないでもらいたいね。
まだ大枚の借金があんだよ、この女には!」
そう凄むと、大男はその金額を口にした。
「そんなに…」
私は途方もない金額に、青くなってしまう。
「あたしなんかに、そんな大金の価値があるわけないでしょ!
ふっかけてんのよこの馬鹿男!
騙されないでクレメンティナ」
ヴァネッサが叫ぶと、男は大きな手で無造作にヴァネッサの頭を殴った。
「うるせぇ!
お前みたいなガリガリの色気もねえ女、確かに安いもんだ。
残りは俺の手間賃さ」
男はそう言って、私を上から下までジロジロと不躾に眺める。
「へえ…姐さん、ずいぶんいい身なりしてるし、すげえ美人じゃねえか。
こんなゴミみてぇな娼婦と知り合いたぁ、驚きだ。
なんだい、あんたも娼婦にならねえかい、あんたなら相当稼げんだろう」
「…お断りよ!
その子の借金は、本当はいくらなの?!」
周りにはいつの間にか人だかりができていた。
「おう、姐さん、そいつと喧嘩して見せろよ!」
「そうだそうだ、そいつは悪い奴だぞぉ~、やっつけっちまえ!」
囃す声に、私はぐっと唇をかみしめる。
「ああ、それもいいなあ、なあ姐さん。
あんたが勝ったらこいつを返してやるよ、俺が勝ったら俺の女になりな」
小バカにしたように私を見下ろし、薄汚く笑う大男に、私はついカッとなる。
「誰があなたなんかの…
いいわ、喧嘩しましょう。
誰か、剣を頂戴!」
結局ジョルジーニは見つからなかったし、馬車など使わずに夕食までに帰ってくれば、まあ大丈夫かな…
ヴァネッサの分もお願いしておいた方がいいかしら。
私は娼館のルールなどまったく知らなかったので、そんなふうに暢気に考えていた。
地味で動きやすい服装に着替え(アリアンナには話してあった、仮にも彼女の恋人をお借りするわけだから)、私は薄暮の表に出た。
夏は昼が長い。
暗くなるのを待っていたら時間が結構遅くなってしまった。
急がないと…
無紋の明かりを持ったディーノの後について、賑やかな通りを歩く。
もう酔っ払っている労働者も多くて、私たちは往来を歩く人々の間をすり抜けるようにして進んで行った。
「クラリッサ様、歩くの早いですね、俺の速さについてこれる女の人なんて…」
ディーノが驚いたように言う。
「そうね、エセルバート様に鍛えられているから。
もっと早くても大丈夫よ。
答えながら、私は実は自分でも驚いていた。
吐くほどに過酷なエセルバート様の訓練に歯を食いしばってついていくうちに、いつの間にか私の身体能力は格段に上がっていたのだわ。
こんなに早足で歩いても、息が切れることもない。
あちこちの通りを曲がったり渡ったりしながら、やがて一軒の派手な明かりを灯した館の前に着いた。
周辺も皆、娼館なのだろうか、夜目にも判るほどのけばけばしい化粧を施し、襟を抜いてだらしなく着崩したドレスを纏った女性たちが嬌声を上げて、道行く男性を誘っている。
男性たちも、まあ元々、それが目あての人たちなのだろう、誘われるままにいくつもの館に吸い込まれていく。
「ねーぇ、お兄さん!
あたしと遊びましょうよ~」
一際幼い声が聞こえ、はっとして声の方を振り向く。
トリコーンを被ったお洒落な若い男性の長い上着の袖を引いている少女に、私は駆け寄った。
「ヴァネッサ!」
少女はビックリしたように私の方を見た。
少女の手から力が抜け、その隙に若い男性は腕を抜いてさっさと別の建物に入って行った。
「誰?もう、客逃がしちゃったじゃないの!」
イラっとしたように言う、少女の痩せて濃い化粧をした顔を見て、私は涙が出てきた。
「ヴァネッサ、私よクレメンティナよ!」
「クレメンティナ…?」
ぼーっと呟いて、ヴァネッサの瞳の焦点が合った。
「嘘!クレメンティナ?ガチで?!」
私が手を伸ばして抱きしめると、ヴァネッサも私の背に手を回した。
安い化粧品の噎せるような香りに辟易する。
「クレメンティナ!」
「まさかあなたがこんなところにいるなんて…
ダニエーレと幸せに暮らしているものとばかり」
「ダニエーレ、山賊にあたしを差し出して自分だけ逃げちゃった。
あたし人買いに買われて、ここに…」
「可哀想に…大変だったわね。
もう大丈夫よ、私と一緒にシエーラに帰りましょう」
「ちょいとお姐さん、それは金払ってもらってからの話ですぜ」
「クラリッサ様!」
大きなだみ声とディーノの鋭い声が聞こえたと思ったら、刺青がびっしり彫られた太い腕がヴァネッサの襟をつかんで私とヴァネッサを引き離した。
「やめなさい!
手荒なことはしないで!」
私が叫ぶと、見上げるような大男は暴れるヴァネッサの首を掴んだまま、下卑た笑いを響かせた。
「こりゃあ威勢が良くて面白い姐さんだ。
いいか、この女は娼館で買った娼婦なんだよ、この女は娼館に借金してんだ。
今すぐにここで全額寄こしゃあ、無罪放免さ。
それができないなら、変な里心つけないでもらいたいね。
まだ大枚の借金があんだよ、この女には!」
そう凄むと、大男はその金額を口にした。
「そんなに…」
私は途方もない金額に、青くなってしまう。
「あたしなんかに、そんな大金の価値があるわけないでしょ!
ふっかけてんのよこの馬鹿男!
騙されないでクレメンティナ」
ヴァネッサが叫ぶと、男は大きな手で無造作にヴァネッサの頭を殴った。
「うるせぇ!
お前みたいなガリガリの色気もねえ女、確かに安いもんだ。
残りは俺の手間賃さ」
男はそう言って、私を上から下までジロジロと不躾に眺める。
「へえ…姐さん、ずいぶんいい身なりしてるし、すげえ美人じゃねえか。
こんなゴミみてぇな娼婦と知り合いたぁ、驚きだ。
なんだい、あんたも娼婦にならねえかい、あんたなら相当稼げんだろう」
「…お断りよ!
その子の借金は、本当はいくらなの?!」
周りにはいつの間にか人だかりができていた。
「おう、姐さん、そいつと喧嘩して見せろよ!」
「そうだそうだ、そいつは悪い奴だぞぉ~、やっつけっちまえ!」
囃す声に、私はぐっと唇をかみしめる。
「ああ、それもいいなあ、なあ姐さん。
あんたが勝ったらこいつを返してやるよ、俺が勝ったら俺の女になりな」
小バカにしたように私を見下ろし、薄汚く笑う大男に、私はついカッとなる。
「誰があなたなんかの…
いいわ、喧嘩しましょう。
誰か、剣を頂戴!」
1
あなたにおすすめの小説
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
私と母のサバイバル
だましだまし
ファンタジー
侯爵家の庶子だが唯一の直系の子として育てられた令嬢シェリー。
しかしある日、母と共に魔物が出る森に捨てられてしまった。
希望を諦めず森を進もう。
そう決意するシェリーに異変が起きた。
「私、別世界の前世があるみたい」
前世の知識を駆使し、二人は無事森を抜けられるのだろうか…?
幽閉王女と指輪の精霊~嫁いだら幽閉された!餓死する前に脱出したい!~
二階堂吉乃
恋愛
同盟国へ嫁いだヴァイオレット姫。夫である王太子は初夜に現れなかった。たった1人幽閉される姫。やがて貧しい食事すら届かなくなる。長い幽閉の末、死にかけた彼女を救ったのは、家宝の指輪だった。
1年後。同盟国を訪れたヴァイオレットの従兄が彼女を発見する。忘れられた牢獄には姫のミイラがあった。激怒した従兄は同盟を破棄してしまう。
一方、下町に代書業で身を立てる美少女がいた。ヴィーと名を偽ったヴァイオレットは指輪の精霊と助けあいながら暮らしていた。そこへ元夫?である王太子が視察に来る。彼は下町を案内してくれたヴィーに恋をしてしまう…。
【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。
16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。
お好きになさって下さい、私は一切気にしませんわ
Kouei
恋愛
婚約者のクレマンド様は、いつも私との約束を破ってばかり。
理由は決まって『従妹ライラ様との用事』
誕生日会にすら来なかった彼に、私はついに告げた。
「どうぞ、私以外のご令嬢をエスコートするなり、お出かけするなり、関係を持つなり、お好きになさって下さい。私は一切気にしませんわ」
二人の想いは、重なり合えるのだろうか ……
※他のサイトにも公開しています。
なぜ、私に関係あるのかしら?
シエル
ファンタジー
「初めまして、アシュフォード公爵家一女、セシリア・アシュフォードと申します」
彼女は、つい先日までこの国の王太子殿下の婚約者だった。
そして今日、このトレヴァント辺境伯家へと嫁いできた。
「…レオンハルト・トレヴァントだ」
非道にも自らの実妹を長年にわたり虐げ、婚約者以外の男との不適切な関係を理由に、王太子妃に不適格とされ、貴族学院の卒業式で婚約破棄を宣告された。
そして、新たな婚約者として、その妹が王太子本人から指名されたのだった。
「私は君と夫婦になるつもりはないし、辺境伯夫人として扱うこともない」
この判断によって、どうなるかなども考えずに…
※ 中世ヨーロッパ風の世界観です。
※ ご都合主義ですので、ご了承下さい、
※ 画像はAIにて作成しております
昭和生まれお局様は、異世界転生いたしましたとさ
蒼あかり
ファンタジー
局田舞子(つぼたまいこ)43歳、独身。
とある事故をきっかけに、彼女は異世界へと転生することになった。
どうしてこんなことになったのか、訳もわからぬままに彼女は異世界に一人放り込まれ、辛い日々を過ごしながら苦悩する毎日......。
など送ることもなく、なんとなく順応しながら、それなりの日々を送って行くのでありました。
そんな彼女の異世界生活と、ほんの少しのラブロマンスっぽい何かを織り交ぜながらすすむ、そんな彼女の生活を覗いてみませんか?
毎日投稿はできないと思います。気長に更新をお待ちください。
私は私で幸せになりますので
あんど もあ
ファンタジー
子爵家令嬢オーレリーの両親は、六歳年下の可憐で病弱なクラリスにかかりっきりだった。
ある日、クラリスが「オーレリーが池に落ちる夢を見た」と予言をした。
それから三年。今日オーレリーは、クラリスの予言に従い、北の果ての領地に住む伯爵令息と結婚する。
最後にオーレリーが皆に告げた真実とは。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる