身代わり愛妾候補の逃亡顛末記

Dry_Socket

文字の大きさ
81 / 172
第五章 宮廷

1.嘆き

しおりを挟む
 アレク様が慌ただしく帰っていき、私はエルヴィーノ様のお邸に行くか、このサン=バルロッテ館に残るか、迷っていた。
 アレク様はここにいろって仰ったし、ジョルジーニやアリアンナやその他の使用人たちもこの2日間何事もなかったように、いつものように私に接してくれた。

 だけど、夕食も一緒に、と朝仰っていたエルヴィーノ様に何も言わずに出てきてしまったし、急にいなくなってしまって、アドルナートやブリーツィオとかが心配していたらいけないなあ…と考えて、とりあえず一度エルヴィーノ様のお邸に行こうと思っていたところに。
 ジョルジーニが慌てた様子で部屋の扉をノックして入ってきた。

 「クラリッサ様、エルヴィーノ様のお邸から、お迎えの者が参っております。
 それが…ちょっと、怪我をしておりまして」
 いつになく歯切れの悪い言い方のジョルジーニの態度や、その話の内容の物騒さに私は驚いて「えっ、大丈夫なの?」と立ち上がって一緒に部屋を出た。

 「バルトロ!」
 裏口の扉に身体を凭せかけて、肩で息をしている人物に、私は驚いて駆け寄る。
 「あ…クラリッサ…」
 顔を上げたバルトロの唇の端から血が滴っていて、頬はひどく腫れあがり、私が触れると痛そうに顔を歪めた。
 
 「どうしたの?!
 事故にでも遭った?」
 とにかく手当を、という私に、バルトロは強く首を振る。
 「ディーノの伝言を…クラリッサに伝えたことが、隊長にバレて思い切り殴られた。
 絶対にクラリッサを連れて帰って来いと鞘付きの剣で打たれた。
 隊長が半狂乱になってるから、帰ってきてくれないか」

 見ると、身体のあちこちにも怪我をしているようだった。
 「ごめんなさいね、バルトロは全然悪くないのに…
 そちらに行こうと思っていたのよ」

 私はジョルジーニが用意してくれた馬車に、遠慮するバルトロを一緒に乗せてエルヴィーノ様のお邸へ行った。
 「お帰りなさいませ!
 クレメンティナ様!」
 邸に着いて馬車を降りるなり、ブリーツィオが飛び出してきて、私の手を取って引っ張るようにエルヴィーノ様の居室へ向かった。

 私は、エルヴィーノ様にどう説明しようかと、考える暇もあまりないままに、部屋の前に連れて行かれた。
 「エルヴィーノ様、クレメンティナ様が」
 ブリーツィオが言い終わらないうちに扉がばんっと開いて、エルヴィーノ様が真っ青な顔で「クレメンティナ!」と叫びながら私に駆け寄って抱きしめた。

 「エルヴィーノ…様、くるしい…」
 私は抱きしめる力のあまりの強さに身をよじりながら呻く。
 しかしエルヴィーノ様は私を抱きしめたまま持ち上げるようにして、部屋の中へ入ってソファに投げ出すように座らせ、私の前にひざまずいた。

 鬘を取って乱れた自毛の間から見える瞳に狂気が宿っていて、私は恐ろしくて身を縮める。
 「あの…バルトロを叱らないで」
 「アレクと!何があった!」
 噛みつくように尋ねるエルヴィーノ様の声音に、怒りだけではない、悲しみの色が混ざっているのに、私は胸を衝かれる。

 きちんと話さなければ。
 エルヴィーノ様の、こんなに真剣なお気持ちに、ちゃんと向き合わなければ。

 私は居住まいを正して、エルヴィーノ様に正面から向き合った。
 「わたくしは、エルヴィーノ様と結婚することはできません。
 何故ならわたくしは、アレク様をお慕いし」
 「やめろっ!」

 言葉の途中で両目をぎゅっと閉じたエルヴィーノ様は叫ぶ。
 私の両手を取り、ご自分の額に押しあてて、呻くように言う。
 「何故だ…どうして、俺じゃなくてアレクなんだ。
 身分が上だからか?
 莫大な資産を持っているからか?
 血筋のせいか?」

 「アレク様が、どこのどなたなのか、わたくしは存じません。
 アレク様も未だに『クラリッサ』とお呼びになります。
 ですから、地位とか身分などではなく、アレク様のお人柄そのものに惹かれたのです」
 「…サン=バルロッテ館にいる間に、何があったんだ?
 アレクは最初からお前を気に入っていた。
 あいつは人の好き嫌いが激しくて、女は特に、女だというだけで寄せ付けないほどに嫌っていたのに」
 理解できないというように、首を横に振っている。

 「特に、何があったということはございません。
 わたくしがおります間に、アレク様がサン=バルロッテ館にいらっしゃったことは、片手で数えるほどしかございませんし。
 でも、日々、お心遣いをいただき、そのお優しさに気づいたら」
 「もういい。
 なんで惚気のろけを聴かされなきゃならないんだ」

 私の両手を離さないまま、エルヴィーノ様は腹立たしそうに言い、両手に力を籠める。
 「やっぱり、アレクにクレメンティナを預けるんじゃなかった。
 どんなことをしても、アドルナートにこの邸に連れてこさせるんだった…
 今までどんなことにも本気になれず、山賊討伐隊でも全然真面目にやってなかった報いか」
 
 そう言って私の手を離し、そのまま両手でご自分の顔を覆ってしまった。
 「今日はアレクや味方の重鎮たちと打ち合わせに行っていた。
 なかなかアレクが現れなくて(いつものことだが)、仕方ないから他の人たちと打ち合わせを済ませて戻ってきたらお前がいなくて…
 誰に訊いても知らないと言うし、探し回っていたら、バルトロが、クラリッサはサン=バルロッテ館に行ったと…」

 「一瞬、本当に目の前が真っ暗になって、気づいたらバルトロを殴っていた。
 頭の中が血でいっぱいになったように、赤い視界の中でバルトロに剣の鞘を何度も何度も打ち下ろして打擲していた。
 抵抗できない人間に対して俺は…」
 苦しげに言って静かに泣き出す。

 私は言葉のかけようもなく、エルヴィーノ様の頭を撫でながら一緒に涙を流した。
 ごめんなさい、私のせいで… 
 
 
 
 
 
しおりを挟む
感想 14

あなたにおすすめの小説

【長編・完結】私、12歳で死んだ。赤ちゃん還り?水魔法で救済じゃなくて、給水しますよー。

BBやっこ
ファンタジー
死因の毒殺は、意外とは言い切れない。だって貴族の後継者扱いだったから。けど、私はこの家の子ではないかもしれない。そこをつけいられて、親族と名乗る人達に好き勝手されていた。 辺境の地で魔物からの脅威に領地を守りながら、過ごした12年間。その生が終わった筈だったけど…雨。その日に辺境伯が連れて来た赤ん坊。「セリュートとでも名付けておけ」暫定後継者になった瞬間にいた、私は赤ちゃん?? 私が、もう一度自分の人生を歩み始める物語。給水係と呼ばれる水魔法でお悩み解決?

お好きになさって下さい、私は一切気にしませんわ

Kouei
恋愛
婚約者のクレマンド様は、いつも私との約束を破ってばかり。 理由は決まって『従妹ライラ様との用事』 誕生日会にすら来なかった彼に、私はついに告げた。 「どうぞ、私以外のご令嬢をエスコートするなり、お出かけするなり、関係を持つなり、お好きになさって下さい。私は一切気にしませんわ」 二人の想いは、重なり合えるのだろうか …… ※他のサイトにも公開しています。

私と母のサバイバル

だましだまし
ファンタジー
侯爵家の庶子だが唯一の直系の子として育てられた令嬢シェリー。 しかしある日、母と共に魔物が出る森に捨てられてしまった。 希望を諦めず森を進もう。 そう決意するシェリーに異変が起きた。 「私、別世界の前世があるみたい」 前世の知識を駆使し、二人は無事森を抜けられるのだろうか…?

幽閉王女と指輪の精霊~嫁いだら幽閉された!餓死する前に脱出したい!~

二階堂吉乃
恋愛
 同盟国へ嫁いだヴァイオレット姫。夫である王太子は初夜に現れなかった。たった1人幽閉される姫。やがて貧しい食事すら届かなくなる。長い幽閉の末、死にかけた彼女を救ったのは、家宝の指輪だった。  1年後。同盟国を訪れたヴァイオレットの従兄が彼女を発見する。忘れられた牢獄には姫のミイラがあった。激怒した従兄は同盟を破棄してしまう。  一方、下町に代書業で身を立てる美少女がいた。ヴィーと名を偽ったヴァイオレットは指輪の精霊と助けあいながら暮らしていた。そこへ元夫?である王太子が視察に来る。彼は下町を案内してくれたヴィーに恋をしてしまう…。

【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?

アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。 泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。 16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。 マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。 あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に… もう…我慢しなくても良いですよね? この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。 前作の登場人物達も多数登場する予定です。 マーテルリアのイラストを変更致しました。

なぜ、私に関係あるのかしら?

シエル
ファンタジー
「初めまして、アシュフォード公爵家一女、セシリア・アシュフォードと申します」 彼女は、つい先日までこの国の王太子殿下の婚約者だった。 そして今日、このトレヴァント辺境伯家へと嫁いできた。 「…レオンハルト・トレヴァントだ」 非道にも自らの実妹を長年にわたり虐げ、婚約者以外の男との不適切な関係を理由に、王太子妃に不適格とされ、貴族学院の卒業式で婚約破棄を宣告された。 そして、新たな婚約者として、その妹が王太子本人から指名されたのだった。 「私は君と夫婦になるつもりはないし、辺境伯夫人として扱うこともない」 この判断によって、どうなるかなども考えずに… ※ 中世ヨーロッパ風の世界観です。 ※ ご都合主義ですので、ご了承下さい、 ※ 画像はAIにて作成しております

昭和生まれお局様は、異世界転生いたしましたとさ

蒼あかり
ファンタジー
局田舞子(つぼたまいこ)43歳、独身。 とある事故をきっかけに、彼女は異世界へと転生することになった。 どうしてこんなことになったのか、訳もわからぬままに彼女は異世界に一人放り込まれ、辛い日々を過ごしながら苦悩する毎日......。 など送ることもなく、なんとなく順応しながら、それなりの日々を送って行くのでありました。 そんな彼女の異世界生活と、ほんの少しのラブロマンスっぽい何かを織り交ぜながらすすむ、そんな彼女の生活を覗いてみませんか? 毎日投稿はできないと思います。気長に更新をお待ちください。

私は私で幸せになりますので

あんど もあ
ファンタジー
子爵家令嬢オーレリーの両親は、六歳年下の可憐で病弱なクラリスにかかりっきりだった。 ある日、クラリスが「オーレリーが池に落ちる夢を見た」と予言をした。 それから三年。今日オーレリーは、クラリスの予言に従い、北の果ての領地に住む伯爵令息と結婚する。 最後にオーレリーが皆に告げた真実とは。

処理中です...