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第四章 謎解き
20.約束
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私が、フランシスカの言葉の真意を訊きたくて口を開こうとしたとき、部屋の外が急に騒がしくなってドアが突然ばんっと音を立てて開いた。
驚いて飛び上がる私に向かって、まっすぐに駆け寄ってきたアレク様は息を切らして「クラリ…ッサ…」と声を絞り出すように言って、床に片膝をついた。
胸の前で手を組んで硬直している私の左手を、アレク様は右手を伸ばして取り、左手は胸にあてて騎士のように恭しく指先にキスした。
顔を上げたアレク様は、ご自分も立ちながら私の手を離さずに引いて、私を立ちあがらせた。
「クラリッサ…
お前は、エルヴィーノとの結婚を承諾したのか?
それでここを…俺の手の中から…出て行ってしまったのか」
私は首を横にぶんぶんと音を立てる勢いで振る。
自分で結った髪が少しほつれて、顔にかかった。
アレク様はそれを優しく私の耳にかけながら「じゃあ、承諾はしていないんだな?」とダークブラウンの瞳に怖いほどのひたむきな光を浮かべて訊く。
私はアレク様の真意が判らず、少し怯えながら「…はい、ほ、保留中で…」と吃った。
アレク様は少しやつれたように見える頬に、安堵したような微笑みを浮かべて、ゆっくり私を抱きしめた。
私は暴れるように脈打つ心臓を持て余しながらも思い切って頬を寄せようとしたが、礼服にいっぱいついた徽章があたって痛くて身をよじる。
フランシスカが「アレク様、お召し物」と小さく声をかけてきて、アレク様はあっと短く声を上げ、私を離した。
フランシスカはアレク様の前に来て、手早くいろんなところの紐とかボタンとかを外して上着を脱がせ、「失礼いたします」と言って下がっていった。
従者の人も「あまりお時間がありませんので、手短にお願いいたします」と部屋を出て行った。
扉が閉まって二人だけになると、アレク様は事態が飲み込めずぽかんとしている私を横目に見て、照れたように首の後ろに手を遣る。
「エルヴィーノが戦線から帰ってくるなり、クラリッサの出自が判った、自分の従妹だから何の問題もない返してくれと言ってきた。
司教を呼んでお前と自分の結婚を許可するように伝えたと。
親の説得が難しいからとにかく結婚した事実を作りたいと言っていた」
「え…」
私の思ってもいない速さで話が進んでいるようで、少し恐怖を感じる。
確かに侯爵様は、エルヴィーノ様と私の結婚をお許しにはならないだろうけど…
でも、勝手に結婚しちゃうのは、ダメなんじゃないかしら、私だってまだシエーラのお母様にはまったく何もお伝えしていないし。
「エルヴィーノが本当にクラリッサを愛していて、本気なのが痛いほどに判った。
俺なんかに大事なクラリッサを預けざるを得なかったのが、よほど悔しかったんだろう。
南部の戦では今までになくめざましい結果を出した。
俺は、エルヴィーノの実力を見誤っていたかもしれない」
アレク様はほっと息をついて、私の方へ身体ごと向き直った。
「俺は、クラリッサの意志を尊重しろと、エルヴィーノに言うのが精いっぱいだった。
だけど、苦し紛れにそう言ってはみたものの…
俺だってクラリッサの気持ちを確かめてみたわけじゃない。
もう少し時間が欲しかった、俺の自由になる時間を得られるまで」
「しかしクラリッサがここをあっさり出て、エルヴィーノの邸に移ったと聞いたとき…
事ここに至って、俺は自分の気持ちを偽ることはできないと判った。
このまま、黙ってエルヴィーノに渡したくない。
結果は同じでも、せめて俺の気持ちを、お前に伝えたいと思った」
「好きだよ、クラリッサ。
地位も立場も投げうってもいいと思ったのは初めてだ。
責務を果たすのが俺の使命だと思って、今まで何もかも諦めて生きてきた。
だがお前だけは…どうしても諦められない」
アレク様は私に一歩近づいて両腕を伸ばした。
私もおずおずとアレク様の方へ足を踏み出す。
そっと壊れ物を扱うように、アレク様は私を抱きしめた。
私はアレク様の腕の中で目を閉じた。
「さっき、エルヴィーノへの返事は保留していると言ったな?
それは何か理由があるのか?」
気遣うような遠慮するような声が、アレク様の胸につけた私の耳に直接響いてくる。
「わたくしが、自分の気持ちに自信が持てなかったからでございます。
エルヴィーノ様に助けていただいた御恩がありますし、山賊討伐隊の館にいた時はその優しさに惹かれるような思いもありましたが…」
私は顔を上げて、私を見下ろす不安そうな瞳を安心させたくて、思い切って微笑む。
「ここでお世話になっている間に、わたくしは、自分でも気づかない間にここを自分の家のような感覚になっておりました。
そして、エセルバート様やジョルジーニやリーチェからアレク様のお話を聞くこと、アレク様にたまにお会いできるのをとても楽しみにしておりました」
「わたくしをイメージして作ってくださったお菓子や、兄を探して城壁の外へ出てしまった時に探しに来てくださったのも、本当に嬉しゅうございました。
叶わぬ思い、つきつめてはいけない気持ちだと、自分に無意識に言い聞かせておりましたのでしょう。
わたくしは、」
そこまで言ったとき、アレク様のお顔が突然近づいて私の視界いっぱいになったと思うと、激しく唇にキスされていた。
「クラリッサ…愛してる」
アレク様は上ずった声で囁き、また口づけた。
何度もキスしてぎゅっと抱きしめる。
その時、扉がノックされ、フランシスカの遠慮がちな声が響いた。
「…アレク様、そろそろ…」
「判った、すぐ行く」
アレク様は私を見つめて微笑む。
「3日後に宮殿でパーティーがある。
歌を歌ってくれないか、クラリッサ」
驚いて飛び上がる私に向かって、まっすぐに駆け寄ってきたアレク様は息を切らして「クラリ…ッサ…」と声を絞り出すように言って、床に片膝をついた。
胸の前で手を組んで硬直している私の左手を、アレク様は右手を伸ばして取り、左手は胸にあてて騎士のように恭しく指先にキスした。
顔を上げたアレク様は、ご自分も立ちながら私の手を離さずに引いて、私を立ちあがらせた。
「クラリッサ…
お前は、エルヴィーノとの結婚を承諾したのか?
それでここを…俺の手の中から…出て行ってしまったのか」
私は首を横にぶんぶんと音を立てる勢いで振る。
自分で結った髪が少しほつれて、顔にかかった。
アレク様はそれを優しく私の耳にかけながら「じゃあ、承諾はしていないんだな?」とダークブラウンの瞳に怖いほどのひたむきな光を浮かべて訊く。
私はアレク様の真意が判らず、少し怯えながら「…はい、ほ、保留中で…」と吃った。
アレク様は少しやつれたように見える頬に、安堵したような微笑みを浮かべて、ゆっくり私を抱きしめた。
私は暴れるように脈打つ心臓を持て余しながらも思い切って頬を寄せようとしたが、礼服にいっぱいついた徽章があたって痛くて身をよじる。
フランシスカが「アレク様、お召し物」と小さく声をかけてきて、アレク様はあっと短く声を上げ、私を離した。
フランシスカはアレク様の前に来て、手早くいろんなところの紐とかボタンとかを外して上着を脱がせ、「失礼いたします」と言って下がっていった。
従者の人も「あまりお時間がありませんので、手短にお願いいたします」と部屋を出て行った。
扉が閉まって二人だけになると、アレク様は事態が飲み込めずぽかんとしている私を横目に見て、照れたように首の後ろに手を遣る。
「エルヴィーノが戦線から帰ってくるなり、クラリッサの出自が判った、自分の従妹だから何の問題もない返してくれと言ってきた。
司教を呼んでお前と自分の結婚を許可するように伝えたと。
親の説得が難しいからとにかく結婚した事実を作りたいと言っていた」
「え…」
私の思ってもいない速さで話が進んでいるようで、少し恐怖を感じる。
確かに侯爵様は、エルヴィーノ様と私の結婚をお許しにはならないだろうけど…
でも、勝手に結婚しちゃうのは、ダメなんじゃないかしら、私だってまだシエーラのお母様にはまったく何もお伝えしていないし。
「エルヴィーノが本当にクラリッサを愛していて、本気なのが痛いほどに判った。
俺なんかに大事なクラリッサを預けざるを得なかったのが、よほど悔しかったんだろう。
南部の戦では今までになくめざましい結果を出した。
俺は、エルヴィーノの実力を見誤っていたかもしれない」
アレク様はほっと息をついて、私の方へ身体ごと向き直った。
「俺は、クラリッサの意志を尊重しろと、エルヴィーノに言うのが精いっぱいだった。
だけど、苦し紛れにそう言ってはみたものの…
俺だってクラリッサの気持ちを確かめてみたわけじゃない。
もう少し時間が欲しかった、俺の自由になる時間を得られるまで」
「しかしクラリッサがここをあっさり出て、エルヴィーノの邸に移ったと聞いたとき…
事ここに至って、俺は自分の気持ちを偽ることはできないと判った。
このまま、黙ってエルヴィーノに渡したくない。
結果は同じでも、せめて俺の気持ちを、お前に伝えたいと思った」
「好きだよ、クラリッサ。
地位も立場も投げうってもいいと思ったのは初めてだ。
責務を果たすのが俺の使命だと思って、今まで何もかも諦めて生きてきた。
だがお前だけは…どうしても諦められない」
アレク様は私に一歩近づいて両腕を伸ばした。
私もおずおずとアレク様の方へ足を踏み出す。
そっと壊れ物を扱うように、アレク様は私を抱きしめた。
私はアレク様の腕の中で目を閉じた。
「さっき、エルヴィーノへの返事は保留していると言ったな?
それは何か理由があるのか?」
気遣うような遠慮するような声が、アレク様の胸につけた私の耳に直接響いてくる。
「わたくしが、自分の気持ちに自信が持てなかったからでございます。
エルヴィーノ様に助けていただいた御恩がありますし、山賊討伐隊の館にいた時はその優しさに惹かれるような思いもありましたが…」
私は顔を上げて、私を見下ろす不安そうな瞳を安心させたくて、思い切って微笑む。
「ここでお世話になっている間に、わたくしは、自分でも気づかない間にここを自分の家のような感覚になっておりました。
そして、エセルバート様やジョルジーニやリーチェからアレク様のお話を聞くこと、アレク様にたまにお会いできるのをとても楽しみにしておりました」
「わたくしをイメージして作ってくださったお菓子や、兄を探して城壁の外へ出てしまった時に探しに来てくださったのも、本当に嬉しゅうございました。
叶わぬ思い、つきつめてはいけない気持ちだと、自分に無意識に言い聞かせておりましたのでしょう。
わたくしは、」
そこまで言ったとき、アレク様のお顔が突然近づいて私の視界いっぱいになったと思うと、激しく唇にキスされていた。
「クラリッサ…愛してる」
アレク様は上ずった声で囁き、また口づけた。
何度もキスしてぎゅっと抱きしめる。
その時、扉がノックされ、フランシスカの遠慮がちな声が響いた。
「…アレク様、そろそろ…」
「判った、すぐ行く」
アレク様は私を見つめて微笑む。
「3日後に宮殿でパーティーがある。
歌を歌ってくれないか、クラリッサ」
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