身代わり愛妾候補の逃亡顛末記

Dry_Socket

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第五章 宮廷

9.大広間へ

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 大きな扉が音もなく開くと、私は侍従を追い抜かんばかりの急ぎ足で中へ入った。
 「ファディーニ様!」
 「おお、クレメンティナ、どうしましたか」

 ふくよかなお顔の頬を揺らしてにこにこ笑っているファディーニ様のお傍に行き、差し出された丸っこい手を握る。
 「一昨日の…ファディーニ様の舞台を拝見して…わたくし、とても感動いたしましたの。
 観劇なんて初めてで、あんな煌びやかで華やかな世界があるのだと…眠れないほどでしたわ」

 「そうですか、それは良かった」
 優しく笑って、ファディーニ様はすうっと表情を変える。
 「今日は、あなたのステージですよ。
 あなたの番です、私を感動させてくださいね」

 急に部屋の温度が下がったような、ぴりっとした空気に、私も背筋を伸ばす。
 そうだ、不安だとか甘えている場合じゃない。
 どうしてアレク様が私に歌を歌えと仰ったのかは判らないけど、引き受けた以上はしっかりとやりおおさなければ。
 
 「はい、最善を尽くします」
 私が緊張して答えると、ファディーニ様はまたにこっとして「では、最後の授業をいたしましょう」と言って、ピアノの前にいたピアニストに指示をした。
 私は無心で歌を歌った。
 そのうち、心が落ち着いてきて、自分でも不思議なほど、上手く歌えるような気がした。

 「そうその調子ですよ。
 堂々とした態度で。
 聴衆に呑まれてはいけません。
 歌声で包み込むような意識でね」
 「はい」

 私がうなずくと、ファディーニ様は愛おしむように私の手を取って、指先に恭しくキスした。
 「これで私が教えられることはすべて教えました。
 後はあなた次第です…が、必ず成功すると信じています。
 次にお会いするときには、きっと…いろいろと違っているでしょうね」

 言葉の意味が解らず首を傾げる私を、ファディーニ様は謎めいた微笑を浮かべて見遣った。
 そして扉の方を見て「そろそろかな」と呟いた。
 
 ちょうどドアがノックされ「クレメンティナ、そろそろ大広間の方へ」というエルヴィーノ様の声が聞こえた。
 「はい」
 私は返事して、開いたドアへ向かう。
 振り向いてファディーニ様に挨拶すると「私もすぐに行きますよ」と笑って手を振った。

 エルヴィーノ様は私の姿を見て「…今朝より、より勝って美しい。最高の姿だな」と感嘆したように言い、私の手を取って、ご自分の腕に搦める。
 私は気恥ずかしくて外そうとするけれど「これは宮廷のマナーだよ」と言われ、そうなのかな…と思いながら、腕を組んだまま、先ほどとは違う侍従の後について歩いて行った。

 ピアノのあった部屋のものよりも更に大きな扉の前に着き、槍を持った衛士の前に侍従長がいて、慇懃にお辞儀をした。 
 「お二方におかれましては、この先の小さな扉の方からお入りいただきたいとの、大公陛下からのご指示がございました」
 「判った。
 …ったく、芝居がかってやがるな」
 
 エルヴィーノ様は気軽に答えたが、そのお声が心なし震えているのに気づいて、私の緊張も一気に増した。
 腕にかけた手に力がこもってしまったのが判ったのか、エルヴィーノ様は私を見下ろして手をぽんぽんと優しく叩く。
 「芝居をするのは俺たちの方だから。
 あなたは自然にしていれば良い」
 
 威厳のある声音に、私は背筋を伸ばした。
 「畏まりました」
 何も、全然、判らないけれど。
 でも、エルヴィーノ様の言うとおりにしていれば大丈夫。
 何故か私はそう思って、レースのグローブをはめた手を、エルヴィーノ様の腕にかけなおした。

 エルヴィーノ様はふっと笑って「そう、その意気。頼もしいお嬢様だ」と呟いた。
 そして左へ踵を返すと、壁に沿って歩き出す。
 
 そして幾分小さな扉の前に着く。
 そこにいた緊張の面持ちの侍従は、壁から伸びている小さな送話管に向かって何かを話した。
 そして受話管に耳をあてて聞き取り、小さくうなずくと、扉に手をかけて私たちを見た。
 「扉を向こう側と同時に開けます。
 そのまままっすぐにお入りください」

 「判った」
 短く答えて、エルヴィーノ様は、すっと背を伸ばし視線を扉の向こうに据えた。
 私も手に力を込めて、前を見つめる。

 「開けます」
 侍従が言って、扉の取っ手をぐっと引く。
 眩しいほどの蝋燭の光が輝く中に足を踏み入れて、私は息を呑んだ。

 玉座にいる、大公様と大公妃様。
 垂れ下がったカーテンに隠れて、お顔は見えない。

 そして、同時に開いた反対側の扉から入ってきたのは。
 
 にぃ兄様と…
 お母様!レオ兄様!

 

 
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