身代わり愛妾候補の逃亡顛末記

Dry_Socket

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第五章 宮廷

10.大公陛下の正体

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 私が愕然としてお二人を見つめていると、お二人は今にも駆け出してきそうな雰囲気で、涙ぐんで私を見ていた。
 お二人とも、シエーラの子爵家に居る時とは大違いの、都会的で綺麗な新しい服を身に着けて、髪型やお化粧などもあか抜けた感じだった。

 レオ兄様の堂々たる体躯は、逞しい農夫や工夫こうふのようだと思っていたけれど、金糸を刺繍した白い上着コートを着て、細かい織のウェストコートにブリーチズを履いた姿は、周りを圧倒するような偉丈夫だった。
 
 お母様も年齢相応のシックな赤ワイン色のドレスがとても美しく結い上げた銀髪に映えて、胸元に光る大きな宝石をふんだんにあしらったネックレスが…

 と思って、私の視線は、お母様の胸元に釘付けになる。
 あの、ネックレスは!
 私がシエーラを出た日に着けていた、お父様の形見の…

 「クレメンティナ、今から始まることを黙って見ていてくれ。
 言いたいこと聞きたいことはたくさんあるだろうけれど、後で話すから」
 腕にかけた私の手を、優しくポンポンと撫でながらエルヴィーノ様が囁く。
 これからまだ何かあるのだろうか、と思いながら私はとりあえずうなずいた。

 エルヴィーノ様と私、それからにぃ兄様とお母様とレオ兄様は、大公陛下と妃陛下にお辞儀する。
 「おもてを上げて」
 大公陛下の低い声が聞こえ、私ははじかれたように顔を上げた。

 この声…!
 
 「落ち着け、クレメンティナ」
 エルヴィーノ様がなだめるように言った。
 私は懸命にドキドキする胸を落ち着かせようと、小さく呼吸を繰り返す。

 「今日は、余の愛妾を決めるパーティに参加してくれてありがとう。
 遠路はるばる集った皆に礼を言う」
 よく響く声で朗々と話す大公陛下に、私の胸はまた高鳴りだす。
 
 姿はカーテンに隠れて見えないけれど、この声はよく知っている。
 私の、愛する人。
 愛しいアレク様だ…

 大公陛下の言葉に、広間の方からざわざわと人々の声やお辞儀をする衣擦れの音が聞こえてくる。
 私は大きな広間の方へ視線を遣って、声を飲む。
 ひゅっというような音が喉から出て、慌てて口に手を遣った。

 ものすごい数の人がいた。
 ご愛妾候補の方々、それから貴族諸侯の方々。
 天井の高い大きなホールに、囁くような小さなざわめき声が反響する。
 
 ご愛妾…がこの、美しく着飾ったご令嬢の中から決まるのだろうか?
 えっそれって…アレク様の、ご愛妾で、アレク様のお子を、産むってこと…?
 私の胸は先ほどとは違った、嫌な感じでどくどくと打つ。
 
 どういうことなんだろう。
 私、どうしてここにいるんだろう。
 アレク様は…ご愛妾を選ぶパーティに招いて私に余興をやれって…?

 無意識に私は震える両手を握りしめる。
 ここから逃げ出したい。
 お母様の胸に飛び込みたい。
 
 「大丈夫、大丈夫だから落ち着いて」
 エルヴィーノ様は私の手を取って、ぎゅっと握った。
 「アレクを信じて。
 あなたは今やるべきことに集中して」
 エルヴィーノ様の懸命になだめる声にも、私は頭が沸騰したようになって、目を閉じる。
 
 「今日は、遠く南部から、歌姫ディーヴァが来てくれた。
 我が国の、当代随一の歌手ファディーニが絶賛する美声の持ち主だ」
 大公陛下が言葉を発すると、場はしんとなる。
 
 侍従長が私の方へきて、手を差し出した。
 躊躇する私に、エルヴィーノ様が腕を伸ばして私の手を取り、侍従長の手に載せた。
 「成功するか否かは、あなたの歌にかかっている。
 頼む、クレメンティナ」
 
 エルヴィーノ様の、哀願するようでいて有無を言わさぬ強い調子の言葉に、心臓がどきんっと大きく打ち、私はそれで我に返った。
 何が何だかわからない。
 だけどここで、何か重大な出来事が今まさに始まろうとしていることは、肌で感じる。
 そして、私はその出来事のキーパーソンなのだ。
 この場の空気が、懸命にそれを私に伝えようとしている、ような気がする。

 私は目を閉じてひとつ大きく、深呼吸した。
 目を開け、集まった人々を見おろして、それから大公陛下と妃陛下の居わします玉座の向こうに、不安そうに立ってこちらを見ているお母様とレオ兄様にぃ兄様を見た。
 そして、エルヴィーノ様に不敵に見える笑顔で微笑みかける。

 よし。落ち着いた。
 私は侍従長に手を引かれ、バルコニーのようになっている玉座のある場所の中央へ行く。
 一度振り向いて、玉座の方へ丁寧にお辞儀した。
 それから正面を向いて立つと、広い広いホールの正面の壁に、大公陛下と妃陛下の肖像画が掲げてあるのが見えた。

 アレク様だ。
 そして、線の細そうな華奢な大公妃様。

 幸せそうに寄り添い微笑むそのお二方の絵に、心がぎゅっと縮むような気がしたが、オーケストラの音が流れてくると、次第に胸のもやもやは取れていった。


 
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