身代わり愛妾候補の逃亡顛末記

Dry_Socket

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第五章 宮廷

11.ヴァラリオーティ侯爵様

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 私にとっては懐かしい(きっとお母様やお兄様方にとってもそうだろう)、亡きお父様がよく口ずさんでいらした歌を、私は、宮廷の楽団オーケストラの奏でる曲に合わせて力いっぱい歌う。
 
 このホールはどういう構造になっているのか、天井が丸いからなのかバルコニーの位置的にそうなのか判らないけど、オーケストラの音が綺麗に響き、私の声も大広間の遠くまで届いているようだった。
 
 曲の半ばほどになって、視界の隅に誰かが私の方へ(というか玉座のあるバルコニーの方へ)駆け寄ってくるのが見えた。
 その人物は、立派な身なりの中年というか壮年の男性で、顔色は真っ青でひどく慌てていて、何か大声で叫んでいるようだった。

 人垣の合間を縫うようにもどかしそうに立ちふさがる人をどかしながら近づいてきたその男性は、バルコニーの下までくると腰の剣を抜いて私に突き付けた。

 「今すぐその歌を止めろ!!
 殺すぞ!」
 
 私は一瞬、躊躇する。
 エルヴィーノ様が「続けて!」と言いざまに私の背後からバルコニーの手すりに手をかけ下に飛び降りて、駆け付けてきた衛士と共にその男性を取り押さえた。

 その男性の顔を見ているうちに、お父様の顔が重なるような気がして、あっと思った。
 強いてそのことは考えず、目を閉じて私はお腹に力を込めて声を出し、最後まで歌いきった。

 「ブラーヴォ!」
 お辞儀をした私に向かって叫んだのは、いつの間にか来ていたファディーニ様と…シプリアノだった。
 それを合図にしたかのように、わあっと大きな拍手が起こり、私が何度お辞儀をしてもなかなか鳴りやまなかった。

 「大儀であった」
 背後から声がかかり、人々の熱気にぼーっとしていた私は、はっとして後ろを振り返った。
 慌てて大公様と大公妃様にお辞儀をする。
 
 顔を上げると、視線の先にいたのは、やはり、アレク様だった。
 ああ、そうか、…アレッサンドロ・トルローア・レオーネ=ヴァリヤーノ大公。
 アレクって、アレッサンドロの愛称だわ。
 何故気づかなかったんだろう…まさか、大公様があんなに言葉が悪いとは思わないものね…
 私は、大公陛下の名前を思い出して、内心苦笑する。

 「クラリッサ、こちらへ」
 アレク様は私の方へ手を差し伸べる。
 アレク様の後ろに控える壮年の宰相が顰め面を隠そうともせずに立っていて、私は臆する。
 
 にぃ兄様が私の後ろに来て腰に手を回し、アレク様の方へ導く。
 「クラリッサ、素晴らしかった」
 アレク様が私の手を取り、引き寄せる。

 「本当に。素晴らしい歌声…」
 大公妃様も華奢な手を打ちあわせて可愛らしく言葉を紡ぎ美しく微笑む。
 私は急いでアレク様から離れようと身体を引こうとするけど、アレク様は私の腰に回した手を離さず、ますます引き寄せた。

 その時、エルヴィーノ様と何人かの近衛兵が、先ほどの男性を連れて御前に来た。
 その後から着飾った若い貴族がついてくる。
 
 「大公陛下!
 これは、どういうことでしょうか!
 この者は…この者どもは…」
 髭に覆われた唇まで真っ青になった顔色で身体をわななかせながら、身体を押さえられ床に膝をついている状態で、壮年の男性はアレク様を見上げる。

 その瞳には狂気が宿っているようで、私は恐ろしくて身を竦める。
 お父様にそっくりなこのお方は…叔父様のヴァラリオーティ侯爵様、だろう。

 「ヴァラリオーティ侯爵。
 この歌を、知っておるな?
 この歌を歌える者の名を、知っておるな?」
 一方、冷徹な声で蔑むように言葉を発するアレク様は、他を圧倒するような威厳に満ちていた。

 「そなたが20数年前にしたことを、忘れたわけではあるまい。
 そなたの双子の兄の侯爵家の正当な嫡子を、諫言と暴力で追い落とし、都から追い出して南端の子爵家へ無理に送り込んだ」
 アレク様の言葉の途中で、ヴァラリオーティ侯爵様は叫び声を上げる。

 「それは…!
 私の方が侯爵に相応しかったからです!
 兄は、政治や自分の立場に何も興味がなかった。
 侯爵の地位など要らないと、私に言ったのだ!」
 「奥方フィアンメッタもか?」

 重ねるようにアレク様が問うと、ヴァラリオーティ侯爵様は苦悶の表情を浮かべ頭を掻きむしった。
 「フィアンメッタは私を愛した!
 最初は…嫌々だったが、そのうち本当に、私たちは夫婦になった!」

 「では、私のことはご存知ですか」
 静かな声で話しかけたのは、にぃ兄様だった。

 何が、始まっているのだろう。
 私は両手を握りしめ、成り行きを見守るしかなかった。
 

 
 
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