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第五章 サロン
2.突然の呼び出し
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ジェルヴェの言葉の意味は、私にはよく判らなかった。
しかし、クラウスが城のあちこちを歩き回って集めてきた情報によれば(ジェルヴェは上手にはぐらかして教えてくれなかった)、王様の具合は本当に良くないようだということだった。
メンデエルの騎士たちやアウフレヒト侯爵夫妻への謁見を陛下がなさらずに王太子が代行していたのは、そういうわけだったのだ。
陛下の体調が良くないということであれば、早めに譲位ってこともあるかもしれない、とクラウスは言っていた。
王太子は20歳であるから、王位を継ぐのに早すぎるということはない。
むしろ、この事実が代替わりの前に周辺の諸外国に広まってしまうと、この機に乗じてこの国を攻めようというところもあるかもしれない。
何しろ、メンデエルのような小国にまで「女好きの遊び人」という不名誉な噂が轟いている王太子だ。
尤も、ガレアッツォ翁は意味深に微笑み「噂通りの方であるかもしれないし、あるいはそうでないかもしれません」と謎かけのようなことを言っていた。
クラウスの言うように、王太子には大公爵の令嬢という愛妾がいて、それはすなわち大公爵がバックについているということだから、そんなに憂慮すべきことでもないのかも知れないけど…
そんなある日の昼下がり、唐突に慇懃無礼な執事がやってきて口上を述べた。
「王太子妃殿下に申し上げます。
本日、リンディア国からの新たな大使が到着されます。
王太子妃殿下に置かれましては、王太子殿下とご一緒に、リンディア国の大使をお迎えあそばして、歓迎の晩餐会にご列席を賜りたく存じます」
「えっ…
アンヌ=マリーは?」
私が驚きのあまり不躾に尋ねると、執事はほんの一瞬、心底嫌そうな表情になり、また元のつんとした無表情に戻って言った。
「公爵令嬢アンヌ=マリー様におかれましては、本日ご体調がすぐれず、ご出席できません。
妃殿下のご出席は、王太子殿下からのご命令でございます。
お支度を」
最後は居丈高な調子で声を張ると、執事はそのまま踵を返し、ろくに挨拶もせずに部屋を出て行った。
私も侍女たちもしばらく事態が飲み込めずにぼーっとしていたが、一番に我に返ったグレーテルが「お妃様!準備しましょう!」と声を上げ、私たちははっとなった。
それからが大変だった。
侍女たちも小姓たちもバタバタと走り回り、私は何が何だかわからないうちにあちこちから伸びてくる手によって着替えさせられ、化粧を施され、髪型を整えられた。
「まあ、お妃様、お美しいですわ」
最後にティアラを形よく載せてくれたジョアナが感嘆のため息を漏らす。
アンヌ=マリーにはとても適わないけどね…
私は頑張ってくれた侍女たちを前に愚痴を言うわけにもいかず黙っていたが、腸が煮えくり返る思いだった。
なんて勝手なのよ、王太子もアンヌ=マリーも、そしてあの執事も。
私にアンヌ=マリーの代わりが務まるわけないじゃないのよ。
美貌でも、礼儀所作でも、それから恐らく知識や教養でも、ダンスでも。
どうしてわざわざ私を呼んで、恥をかかせようとするのかしら。
リンディア国なんて知識では知っているけど、誰にも会ったこともない。
判らないわ、王太子の考えていることが…
寝室を出ると、ジェルヴェが待ち構えていた。
私はジェルヴェの盛装を見て、その泰然とした佇まいに思わず見とれてしまう。
すごい…本当に王弟殿下、なんだこの人は。
いつも明るく爽やかに笑って、おどけているようだけれど、この気品は誰にでも醸し出せるものではない。
ジェルヴェも私を見て、何故か息を呑んでその場に立ち尽くす。
そして「リンスター…お綺麗ですよ」と言いながら近づいてきて、恭しく私の手を取った。
「このお姿を、フィリベールに見せるのは惜しいな…
このまま二人で、私の邸へ逃避しませんか」
満更冗談でもないような口調のジェルヴェに、私はくすぐったいような嬉しさがこみあげて「そうね、それもいいかも」と笑う。
ジェルヴェは驚いたように目を瞬き、それからにやっと不敵に笑って私を見下ろした。
「今夜はあなたの真の意味でのルーマデュカでのデビューとなるでしょう。
落ち着いていきましょう。
あなたなら、大丈夫です」
しかし、クラウスが城のあちこちを歩き回って集めてきた情報によれば(ジェルヴェは上手にはぐらかして教えてくれなかった)、王様の具合は本当に良くないようだということだった。
メンデエルの騎士たちやアウフレヒト侯爵夫妻への謁見を陛下がなさらずに王太子が代行していたのは、そういうわけだったのだ。
陛下の体調が良くないということであれば、早めに譲位ってこともあるかもしれない、とクラウスは言っていた。
王太子は20歳であるから、王位を継ぐのに早すぎるということはない。
むしろ、この事実が代替わりの前に周辺の諸外国に広まってしまうと、この機に乗じてこの国を攻めようというところもあるかもしれない。
何しろ、メンデエルのような小国にまで「女好きの遊び人」という不名誉な噂が轟いている王太子だ。
尤も、ガレアッツォ翁は意味深に微笑み「噂通りの方であるかもしれないし、あるいはそうでないかもしれません」と謎かけのようなことを言っていた。
クラウスの言うように、王太子には大公爵の令嬢という愛妾がいて、それはすなわち大公爵がバックについているということだから、そんなに憂慮すべきことでもないのかも知れないけど…
そんなある日の昼下がり、唐突に慇懃無礼な執事がやってきて口上を述べた。
「王太子妃殿下に申し上げます。
本日、リンディア国からの新たな大使が到着されます。
王太子妃殿下に置かれましては、王太子殿下とご一緒に、リンディア国の大使をお迎えあそばして、歓迎の晩餐会にご列席を賜りたく存じます」
「えっ…
アンヌ=マリーは?」
私が驚きのあまり不躾に尋ねると、執事はほんの一瞬、心底嫌そうな表情になり、また元のつんとした無表情に戻って言った。
「公爵令嬢アンヌ=マリー様におかれましては、本日ご体調がすぐれず、ご出席できません。
妃殿下のご出席は、王太子殿下からのご命令でございます。
お支度を」
最後は居丈高な調子で声を張ると、執事はそのまま踵を返し、ろくに挨拶もせずに部屋を出て行った。
私も侍女たちもしばらく事態が飲み込めずにぼーっとしていたが、一番に我に返ったグレーテルが「お妃様!準備しましょう!」と声を上げ、私たちははっとなった。
それからが大変だった。
侍女たちも小姓たちもバタバタと走り回り、私は何が何だかわからないうちにあちこちから伸びてくる手によって着替えさせられ、化粧を施され、髪型を整えられた。
「まあ、お妃様、お美しいですわ」
最後にティアラを形よく載せてくれたジョアナが感嘆のため息を漏らす。
アンヌ=マリーにはとても適わないけどね…
私は頑張ってくれた侍女たちを前に愚痴を言うわけにもいかず黙っていたが、腸が煮えくり返る思いだった。
なんて勝手なのよ、王太子もアンヌ=マリーも、そしてあの執事も。
私にアンヌ=マリーの代わりが務まるわけないじゃないのよ。
美貌でも、礼儀所作でも、それから恐らく知識や教養でも、ダンスでも。
どうしてわざわざ私を呼んで、恥をかかせようとするのかしら。
リンディア国なんて知識では知っているけど、誰にも会ったこともない。
判らないわ、王太子の考えていることが…
寝室を出ると、ジェルヴェが待ち構えていた。
私はジェルヴェの盛装を見て、その泰然とした佇まいに思わず見とれてしまう。
すごい…本当に王弟殿下、なんだこの人は。
いつも明るく爽やかに笑って、おどけているようだけれど、この気品は誰にでも醸し出せるものではない。
ジェルヴェも私を見て、何故か息を呑んでその場に立ち尽くす。
そして「リンスター…お綺麗ですよ」と言いながら近づいてきて、恭しく私の手を取った。
「このお姿を、フィリベールに見せるのは惜しいな…
このまま二人で、私の邸へ逃避しませんか」
満更冗談でもないような口調のジェルヴェに、私はくすぐったいような嬉しさがこみあげて「そうね、それもいいかも」と笑う。
ジェルヴェは驚いたように目を瞬き、それからにやっと不敵に笑って私を見下ろした。
「今夜はあなたの真の意味でのルーマデュカでのデビューとなるでしょう。
落ち着いていきましょう。
あなたなら、大丈夫です」
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