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第十章 裁きと除目と薫物合わせ

20.祝勝会

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 その後あたしと宝鏡殿の女御様は主上と中宮、関白と太政大臣の傍へ招かれて、お祝い会が始まった。
 
 うわぁ…気詰まり…
 
 何せ、若公達による大きな政変があったばかり。
 今の関白と太政大臣はその前に失脚した人たちで、言うなれば棚ぼた式に重鎮に返り咲いたという人たちだ。

 その関白の娘が宝鏡殿の女御様、太政大臣の娘があたし。
 なんつうの、予定調和的な感じがまったく否めない。

 さきの関白の娘である中宮様、居づらいだろうに、にこやかに寿いでくださる。
 中宮と言う地位がもたらす余裕の笑みってところか、はたまた窮鼠猫を噛むギリギリの笑みか。
 
 今のところ、主上のお子を産んでいるのは、中宮様と宝鏡殿の女御様だけ。
 でも内親王ばかりだから、これから他の女御様や更衣様の誰かが男皇子を上げれば、お二人の地位だって危ういかもしれない。

 つくづく、怖いとこだなあ、大内裏。
 
 「月子姫の『薄荷』には脱帽しましたよ」
 主上が中宮様の手伝いを断り、自らあたしの盃にお酒を足してくれながら笑った。

 「まさか薫物に使われるとはねえ…
 蚊除けというのは、参議と蔵人頭が数独の優勝で獲得したものでしょう?」
 主上が言うと、中宮様と宝鏡殿の女御様は「そうそう!」と嬉しそうに自分の手を打ち合わせる。
 
 よくご存じで…
 『月子姫物語』の頒布力、恐るべし。

 「さようでございます。
 夏に、左近衛中将様(義光)と二人で乗馬の練習をしておりました折に、庭の大変な数の蚊に悩まされまして」
 
 「以前、何かで目にしたことがございます書物を思い出しまして、薄荷の抽出液が蚊よけに効くと。
 早速作って左近衛中将様を実験台にして、この蚊除けを体表に塗って庭中を歩いてもらいましたの。
 そうしたら効果覿面てきめんで、これは賞品にしようということに」

 あのときの義光のなっさけない顔ったらなかったなあ…
 あたしは思わず、思い出し笑いしてしまう。

「草紙を拝見していると、月子姫はいつも何か面白いことを考えて実行なさって居られますね。
 楽しいこと、新しいもの好きの東宮が心惹かれるのも判る」
 
 「私も途中から、何かと貴女の関わる事件に首を突っ込んでいますが…
 私とて、月子姫のその生き生きとした、輝きを放つような精彩に富んだ生命力に惹かれるのですよ」

 あたしは盃を取り落としそうになる。
 こんなところで何を…

 お殿様が慌てたように「主上、それは…」と言いかける。
 そこへ関白がのんびりと割って入る。

 「私の息子、宝鏡殿の女御様の弟の権中納言も、伊都子姫にずいぶん執心して居りましてねえ…。
 私から当時の右大臣殿に伊都子姫を下さるよう頼んでくれと。
 あの、算学にしか興味のない男がそんなことを言いだすとは、天地がひっくり返るかと思いました」
 あっはっはと豪快に笑う。

 あっはっはじゃねえ!
 あたしは盃を床に叩きつけたい衝動を何とか抑える。
 
 「入内なさいませんか、月子姫」
 主上は関白の言葉をさらっと無視して、あたしの手を取り、艶やかに笑う。
 
 「貴女の希望は何でも叶えましょう。
 乳牛でも、鶏卵でも、兎肉でも好きなものをあげる」
 
 だから何で食べ物ばっかしなんだよ…
 あたしは主上の手を振り払う。

 「わたくしの希望は、治部卿様と一緒になること。
 それだけでございます」

 遂に言ったぞ!!
 

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