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2章 「永遠の罪」
36話 「ターニングポイント」
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嫌な予感ほど的中するものだ。嫌な印象の方が記憶に残りやすいから、そう錯覚するだけだと分かっていても、今回はその言葉が適当だと思う。
「何となくそんな予感はしたけど……そうかぁ、そうだよなぁ……」
納得したような声で項垂れるファルベ。そんな彼を微笑ましく見つめるラルフは、
「まさか、と驚いたのは僕も同じさ。ファルベ君の目的が達成される前にこうも暴力的な手段を使ってくるとはね」
「それをされても文句は言えないほどのことをやってる。むしろ、それならあの瞬間に殺されてやった方が良かったな。その程度で、俺のやらかしが消えるなんて思ってないけどな」
「君はたまに自罰的にすぎることがあるね。今は改心して犯罪者を取り締まって治安維持をしているんだから、殺されてやった方が良かったなんて考えなくていいと思うよ」
「それが罪滅ぼしになるわけないだろ。俺の最終目的を知ってるお前が言う台詞とは思えないな」
俯き気味に、落ち込んでいるような様子で言葉を重ねる。
「まあ、そこは君の譲れない一線だろうから、僕がどうこう言うのもおかしな話か。ともかく、君は呪いによって全身を蝕まれてる。だから、暫くは安静にしておいた方がいいよ」
「暫く、か。そんな時間が解決するようなものなのか? これ」
「ファルベ君にかけられた恨みが薄れれば、それに応じて呪いも弱くなるとは思うけど、それがいつなのかは、僕にも分からない」
彼の言葉を信じるならば、この呪いを解くのは無理なんじゃないかと思う。
ファルベを刺した女性の瞳には尋常ではない感情が宿っており、それが完全に消えるのは途方もない時間を要するだろう。
「重ねて言うけど、ちゃんと安静にしておくようにね。これ以上酷くならないとも限らないし」
ラルフはそう言って、ファルベのいる部屋から出て行った。
その後に残ったのは一人、鎮痛な面持ちで俯くファルベの姿と、彼の体を蝕む「呪い」の存在だけだった。
*
こんなにもゆっくりと時間が流れていくなんて、いつぶりだろう。
食事は王城で働く執事が持ってくるし、洗濯も同じ人物がやってくれる。ベットに寝転がっているだけで生活ができてしまう、人によっては最高の環境の中で、ファルベはどこか焦燥感のようなものを感じていた。
ファルベという人間は、ラルフが言った通り自罰的で、自虐的だ。
何もせずにいると、自分の過ちが常に頭をよぎり、いつかまた同じ過ちを繰り返してしまうのではないかと不安を掻き立てる。
ファルベが休みをほとんど入れずに冒険者狩りの仕事を行っているのもそうだ。一日でも空きができると後悔が心中を支配する。
犯罪者を取り締まっている時は、自分は正義で、再び悪に堕ちるようなことはないと自らに言い聞かせられるのだが、何もしていないとそうもいかなくなる。
ずっと、ずっと動き続けて、自分を批判し続ける自分から逃げられるよう、ファルベは今まで生きてきた。
「暇、だな……」
けれど、今はすることがない。否、何かしようとしてもできない。
彼女の残した呪いが、全身を駆け巡り、痛覚として脳に信号を送る度に、頭蓋を叩き割られるような痛みがファルベを襲う。
指先は針が貫通したのかと思うほどで、両足もとてつもなく大きな釘で打ち付けられているような痛みだ。
それら全てが、ファルベに痛みと共に、伝えてくる。
――これがお前の罪だ、と。
自分がどれほどのことをしてきたのか、今でも鮮明に覚えている。
*
五年前。丁度十歳の誕生日の日に、冒険者パーティーから追放され、あてもなく歩き続けて、国外へと出ていた。どうやって出たのか。それはよく覚えていないけれど、ともかくファルベはその時国外へと出たのだ。
当時は自身の「着色」スキルに心底絶望していたし、魔物と戦えるような技術もなかった。そんな未熟も極まった子供が国外へ出れば、結果なんて誰でも分かる。
だから当然、ファルベにもそれは分かっていた。自分は魔物に殺されるのだと。
だが、殺されることに対しては絶望していなかったのが不思議なところだ。自分の無力さ加減には、絶望しきっていたというのに。
ともあれ、ファルベは自身が何もできず魔物に殺されるのを分かって――いや、むしろそれを望んでいた。
パーティーから追放されてすぐに死んだとあれば、ファルベを追放したメンバーにほんの少しでも罪悪感を与えられるかもしれないと、そう思って。
カリアナ王国の外に出て少し経つと、望み通り魔物と出会うこととなる。
ある意味希望とも言えるその魔物との邂逅で、ファルベは死を受け入れる。このまま何もせずにいれば、奴は本能のままにこちらを襲うのだ。
他に望むことがあるならば、出来れば痛みが少ない殺し方にしてほしいな、なんて。そんなことを考えて、目を瞑る。それで、ファルベの人生は終わる――筈だった。
いつまでも「死」が訪れないことに疑問を覚えたファルベは、閉じていた目を開ける。
そこに映っているのは、複数人の冒険者だった。女性三人と男性一人のパーティーが、ファルベを窮地から救ったのだ。
そして、ファルベはまたしても過ちを犯す。彼らのことを完全に善意で助けてくれた第三者だと思い込んでしまったのだ。
つい先程、信頼していたパーティーから裏切られ、傷心だったため、他者からの好意に弱くなってしまうのは仕方がないというものだが。
死を覚悟していたとはいえ、完全なる善意で助けられたとあればそれに対して感謝すべきだと思い、「ありがとうございます」と、子供ながらに覚えた丁寧なお礼をする。
「いやいや。そんなに感謝されることはしていないよ。魔物に襲われている人を助けるのは、冒険者として当然の行いだからね」
爽やかな青い前髪を指で払いながら、冒険者の男はそう言った。
とても優しそうな面持ちだ。きれいに整った目鼻立ちに、色白の肌。清潔感のある服装に身を包んだ彼は、他三人の女性冒険者を周囲に並べている。
一見、彼の様子は他の冒険者から嫉妬や反感を受けそうなものであるが、彼も女性三人平等に接しているように見受けられたし、女性側もそれを納得しているのは分かった。
だから、人望に厚く誰にでも優しい人物なのだろうと考え、
「それでも、何かお礼をさせてください。僕にできることなら、何でもします」
こちらも誠意で返すべきだ。彼らに深く頭を下げて、感謝の意を伝える。
ファルベは本当に、嘘偽りなく、本音で彼らのことを信頼していたし、出来る限りの気持ちを表現しようとしたのも、そのためだ。
だからこそ、なのだろう。何でもすると言って、深く頭を下げたファルベを見つめる男の顔が、醜く歪んでいるのに気づかなかったのだ。
*
断固としてお礼をするという意見を崩さないファルベに根負けしたのか、パーティーメンバーを引き連れて、とある場所に来ていた。
そこは見回す限り木々が視界を埋め尽くす、森であった。
「ここまでくれば大丈夫かな……」
パーティーのリーダーである男は、常に優しい微笑みを浮かべたままそう呟くと、ファルベの方へ向き直る。
こんなところで何をするのか。彼の真意を理解できずにいたファルベは、しかし、彼のことだから何か理由があるに違いないと期待の眼差しを向けて、
「僕は一体何をすれば……」
自分がどういった役回りなのか聞き出そうと口を開いくが、ファルベの口は、次の言葉を紡げなかった。
――何故なら、ファルベの小柄な体に男が拳を突き立てていたからだ。
頑強な籠手を装備した彼の拳は、無防備な鳩尾にめり込んでいて、それが尋常ならざる腕力で打ち込まれたものだと分かる。
自分の状況を理解した瞬間、腹部から猛烈な痛覚と共に液体状の何かが喉元から迫って、
「う、ぷっ……」
口を閉じて、我慢しようとするも、最後の砦たる唇からそれがこぼれ落ちる。
胃液まじりの吐瀉物は地面に汚らしい紋様を作り、それを見た直後にファルベの口に残ったそれも全て吐き出してしまう。
あまりの痛みに立ち上がれず、腹を抱えて寝転がるしかできないファルベは、
「どう、して……」
僅かに涙を浮かべた瞳で彼らに問いかける。
「君は、ファルベっていうんだよね。あのクソ野郎が率いるパーティーの雑用係。あ、今はもう『元』雑用係か」
先ほどまでの優しい微笑みは何処へやら、彼の表情にはおよそ優しさからかけ離れた何かが浮かんでいた。
クソ野郎……話の文脈的にファルベが追放されたパーティーのリーダーのことなのだろう。何の因果関係があるのか、それにほとんど世間に知られていないファルベの名前を知っていることなど、知りたいことは多くあるが、
「あいつがこの僕にしでかした仕打ちは本当に酷いものだったよ。狙ったかのようにこの僕が受けようとした簡単な魔物討伐の依頼を横から掻っ攫っていくし、僕たちから奪った依頼のくせに、殺した魔物の希少素材を寄越せと言っても拒否しやがる」
わざわざファルベが聞くまでもなくベラベラと喋り始めた。
「卑怯だよな? ギルドに朝早くから並んでさ。簡単な依頼を奪っていくなんて。僕達が狙っているのぐらい分かるだろ。何で僕達が依頼を受けにいく昼頃まで待てないんだよ。意地汚いクソ野郎が。それで素材も渡さないとかどこまで自分勝手なんだよ……だからさあ、この僕は決めたんだ。あいつも、あいつのパーティーメンバーも、絶対に許さないってな」
額に青筋を浮かべて怒りを露わにする彼に同調するように、周囲の女性も口々に文句を言い始める。
「そうよ。そうやって私のハンス様を不機嫌にする奴らは殺されても文句は言えないわ」
ハンスというのは、恐らく彼女らを侍らせている青髪の男の名前なのだろう。
「本当にそうよ。愛しい愛しいハンスがどれだけ嫌な思いをしたのか分からない連中なんてこの世界に存在してはいけないわ!」
「私も同意する。ハンスさんは死にたがりで馬鹿な冒険者の為に、わざわざ簡単な依頼を受けてあげようとしているのに、どうしてその気遣いを理解できないのかしら」
彼女らは、一言一言発言するたびに感情が昂っていくのか、元パーティーメンバーであるファルベに、寝転がったまま防御も反撃もできない彼に暴行を加えていく。
両手で抱えている杖で殴ったり、ヒールで蹴ったり、華奢な細腕で、ファルベの首を締めたりその種類はそれぞれだった。
彼らにとっては、ファルベはパーティーという後ろ盾を失った、良いカモだったのだ。
恨みを募らせて、けれど今まで発散できなかったそれを一斉にぶちまけられる絶好の機会。
しかし、ファルベにとってそんなことは関係がない。ファルベは基本パーティーメンバーの後ろから付いていくだけで依頼を直接受けたことはないし、彼らに一度だって関与したことはない。
だからファルベにとって、現在の状況は完全に理不尽としか言えないもので、
「ぼ、僕は……関係ないので……」
蹴られ殴られ、そんな中で何とか分かってもらおうと必死に言葉を述べるが、
「関係ない? 関係ないわけないだろ!? お前がパーティーメンバーだったって事実は変わらないんだからさあ!」
焼け石に水、むしろ火に油と言ったところか。恨みの炎は一層強さを増し、ファルベに対する暴力も一段と激しくなる。
身体中に痣ができ、口内を切って血反吐を吐いても、それは続く。
全身をボロボロにされたファルベを見て、ハンスは、
「このまま殴り殺すだけじゃあ、この僕の気も治らないしなあ。そういえば、ここは森だったなあ。魔物が生息している国外の、森だったよなあ」
わざとらしく、卑しい笑みを浮かべて、そう言う。
「ああ、良い方法があった。このガキを魔物の餌にするんだ。きっと良い見せ物になるんだろうなあ」
もはや人間のものとは思えない表情を浮かべた彼は、天啓を得たとでも言いたげに周りの女性陣に向かって話す。
それを聞いた彼女らも、流石だ。天才的だ。そう言って、ハンスの意見を肯定する。
どこまで世界は、自分を追い詰めれば気が済むのだろう。どこまで自分は、他人の良心なんかに期待して、何度裏切られれば気が済むのだろう。
どうして、自分を守れるのは自分しかいないなんて当たり前のことに気付けなかったのだろう。
そんな自問自答を繰り返すファルベをよそに、取り巻きにもてはやされたことで気分が良くなったのか、衣服がボロ雑巾のようになっている彼に向かって手を伸ばす。
嬉々としてこちらへ伸びてくる甲冑で包まれた腕。それが近づいて、近づいて、近づいて――ファルベの服に、触れた瞬間。
その瞬間にファルベは確かに聞いた。
――ブツリ、と自分の心の何かが壊れる音が。
「何となくそんな予感はしたけど……そうかぁ、そうだよなぁ……」
納得したような声で項垂れるファルベ。そんな彼を微笑ましく見つめるラルフは、
「まさか、と驚いたのは僕も同じさ。ファルベ君の目的が達成される前にこうも暴力的な手段を使ってくるとはね」
「それをされても文句は言えないほどのことをやってる。むしろ、それならあの瞬間に殺されてやった方が良かったな。その程度で、俺のやらかしが消えるなんて思ってないけどな」
「君はたまに自罰的にすぎることがあるね。今は改心して犯罪者を取り締まって治安維持をしているんだから、殺されてやった方が良かったなんて考えなくていいと思うよ」
「それが罪滅ぼしになるわけないだろ。俺の最終目的を知ってるお前が言う台詞とは思えないな」
俯き気味に、落ち込んでいるような様子で言葉を重ねる。
「まあ、そこは君の譲れない一線だろうから、僕がどうこう言うのもおかしな話か。ともかく、君は呪いによって全身を蝕まれてる。だから、暫くは安静にしておいた方がいいよ」
「暫く、か。そんな時間が解決するようなものなのか? これ」
「ファルベ君にかけられた恨みが薄れれば、それに応じて呪いも弱くなるとは思うけど、それがいつなのかは、僕にも分からない」
彼の言葉を信じるならば、この呪いを解くのは無理なんじゃないかと思う。
ファルベを刺した女性の瞳には尋常ではない感情が宿っており、それが完全に消えるのは途方もない時間を要するだろう。
「重ねて言うけど、ちゃんと安静にしておくようにね。これ以上酷くならないとも限らないし」
ラルフはそう言って、ファルベのいる部屋から出て行った。
その後に残ったのは一人、鎮痛な面持ちで俯くファルベの姿と、彼の体を蝕む「呪い」の存在だけだった。
*
こんなにもゆっくりと時間が流れていくなんて、いつぶりだろう。
食事は王城で働く執事が持ってくるし、洗濯も同じ人物がやってくれる。ベットに寝転がっているだけで生活ができてしまう、人によっては最高の環境の中で、ファルベはどこか焦燥感のようなものを感じていた。
ファルベという人間は、ラルフが言った通り自罰的で、自虐的だ。
何もせずにいると、自分の過ちが常に頭をよぎり、いつかまた同じ過ちを繰り返してしまうのではないかと不安を掻き立てる。
ファルベが休みをほとんど入れずに冒険者狩りの仕事を行っているのもそうだ。一日でも空きができると後悔が心中を支配する。
犯罪者を取り締まっている時は、自分は正義で、再び悪に堕ちるようなことはないと自らに言い聞かせられるのだが、何もしていないとそうもいかなくなる。
ずっと、ずっと動き続けて、自分を批判し続ける自分から逃げられるよう、ファルベは今まで生きてきた。
「暇、だな……」
けれど、今はすることがない。否、何かしようとしてもできない。
彼女の残した呪いが、全身を駆け巡り、痛覚として脳に信号を送る度に、頭蓋を叩き割られるような痛みがファルベを襲う。
指先は針が貫通したのかと思うほどで、両足もとてつもなく大きな釘で打ち付けられているような痛みだ。
それら全てが、ファルベに痛みと共に、伝えてくる。
――これがお前の罪だ、と。
自分がどれほどのことをしてきたのか、今でも鮮明に覚えている。
*
五年前。丁度十歳の誕生日の日に、冒険者パーティーから追放され、あてもなく歩き続けて、国外へと出ていた。どうやって出たのか。それはよく覚えていないけれど、ともかくファルベはその時国外へと出たのだ。
当時は自身の「着色」スキルに心底絶望していたし、魔物と戦えるような技術もなかった。そんな未熟も極まった子供が国外へ出れば、結果なんて誰でも分かる。
だから当然、ファルベにもそれは分かっていた。自分は魔物に殺されるのだと。
だが、殺されることに対しては絶望していなかったのが不思議なところだ。自分の無力さ加減には、絶望しきっていたというのに。
ともあれ、ファルベは自身が何もできず魔物に殺されるのを分かって――いや、むしろそれを望んでいた。
パーティーから追放されてすぐに死んだとあれば、ファルベを追放したメンバーにほんの少しでも罪悪感を与えられるかもしれないと、そう思って。
カリアナ王国の外に出て少し経つと、望み通り魔物と出会うこととなる。
ある意味希望とも言えるその魔物との邂逅で、ファルベは死を受け入れる。このまま何もせずにいれば、奴は本能のままにこちらを襲うのだ。
他に望むことがあるならば、出来れば痛みが少ない殺し方にしてほしいな、なんて。そんなことを考えて、目を瞑る。それで、ファルベの人生は終わる――筈だった。
いつまでも「死」が訪れないことに疑問を覚えたファルベは、閉じていた目を開ける。
そこに映っているのは、複数人の冒険者だった。女性三人と男性一人のパーティーが、ファルベを窮地から救ったのだ。
そして、ファルベはまたしても過ちを犯す。彼らのことを完全に善意で助けてくれた第三者だと思い込んでしまったのだ。
つい先程、信頼していたパーティーから裏切られ、傷心だったため、他者からの好意に弱くなってしまうのは仕方がないというものだが。
死を覚悟していたとはいえ、完全なる善意で助けられたとあればそれに対して感謝すべきだと思い、「ありがとうございます」と、子供ながらに覚えた丁寧なお礼をする。
「いやいや。そんなに感謝されることはしていないよ。魔物に襲われている人を助けるのは、冒険者として当然の行いだからね」
爽やかな青い前髪を指で払いながら、冒険者の男はそう言った。
とても優しそうな面持ちだ。きれいに整った目鼻立ちに、色白の肌。清潔感のある服装に身を包んだ彼は、他三人の女性冒険者を周囲に並べている。
一見、彼の様子は他の冒険者から嫉妬や反感を受けそうなものであるが、彼も女性三人平等に接しているように見受けられたし、女性側もそれを納得しているのは分かった。
だから、人望に厚く誰にでも優しい人物なのだろうと考え、
「それでも、何かお礼をさせてください。僕にできることなら、何でもします」
こちらも誠意で返すべきだ。彼らに深く頭を下げて、感謝の意を伝える。
ファルベは本当に、嘘偽りなく、本音で彼らのことを信頼していたし、出来る限りの気持ちを表現しようとしたのも、そのためだ。
だからこそ、なのだろう。何でもすると言って、深く頭を下げたファルベを見つめる男の顔が、醜く歪んでいるのに気づかなかったのだ。
*
断固としてお礼をするという意見を崩さないファルベに根負けしたのか、パーティーメンバーを引き連れて、とある場所に来ていた。
そこは見回す限り木々が視界を埋め尽くす、森であった。
「ここまでくれば大丈夫かな……」
パーティーのリーダーである男は、常に優しい微笑みを浮かべたままそう呟くと、ファルベの方へ向き直る。
こんなところで何をするのか。彼の真意を理解できずにいたファルベは、しかし、彼のことだから何か理由があるに違いないと期待の眼差しを向けて、
「僕は一体何をすれば……」
自分がどういった役回りなのか聞き出そうと口を開いくが、ファルベの口は、次の言葉を紡げなかった。
――何故なら、ファルベの小柄な体に男が拳を突き立てていたからだ。
頑強な籠手を装備した彼の拳は、無防備な鳩尾にめり込んでいて、それが尋常ならざる腕力で打ち込まれたものだと分かる。
自分の状況を理解した瞬間、腹部から猛烈な痛覚と共に液体状の何かが喉元から迫って、
「う、ぷっ……」
口を閉じて、我慢しようとするも、最後の砦たる唇からそれがこぼれ落ちる。
胃液まじりの吐瀉物は地面に汚らしい紋様を作り、それを見た直後にファルベの口に残ったそれも全て吐き出してしまう。
あまりの痛みに立ち上がれず、腹を抱えて寝転がるしかできないファルベは、
「どう、して……」
僅かに涙を浮かべた瞳で彼らに問いかける。
「君は、ファルベっていうんだよね。あのクソ野郎が率いるパーティーの雑用係。あ、今はもう『元』雑用係か」
先ほどまでの優しい微笑みは何処へやら、彼の表情にはおよそ優しさからかけ離れた何かが浮かんでいた。
クソ野郎……話の文脈的にファルベが追放されたパーティーのリーダーのことなのだろう。何の因果関係があるのか、それにほとんど世間に知られていないファルベの名前を知っていることなど、知りたいことは多くあるが、
「あいつがこの僕にしでかした仕打ちは本当に酷いものだったよ。狙ったかのようにこの僕が受けようとした簡単な魔物討伐の依頼を横から掻っ攫っていくし、僕たちから奪った依頼のくせに、殺した魔物の希少素材を寄越せと言っても拒否しやがる」
わざわざファルベが聞くまでもなくベラベラと喋り始めた。
「卑怯だよな? ギルドに朝早くから並んでさ。簡単な依頼を奪っていくなんて。僕達が狙っているのぐらい分かるだろ。何で僕達が依頼を受けにいく昼頃まで待てないんだよ。意地汚いクソ野郎が。それで素材も渡さないとかどこまで自分勝手なんだよ……だからさあ、この僕は決めたんだ。あいつも、あいつのパーティーメンバーも、絶対に許さないってな」
額に青筋を浮かべて怒りを露わにする彼に同調するように、周囲の女性も口々に文句を言い始める。
「そうよ。そうやって私のハンス様を不機嫌にする奴らは殺されても文句は言えないわ」
ハンスというのは、恐らく彼女らを侍らせている青髪の男の名前なのだろう。
「本当にそうよ。愛しい愛しいハンスがどれだけ嫌な思いをしたのか分からない連中なんてこの世界に存在してはいけないわ!」
「私も同意する。ハンスさんは死にたがりで馬鹿な冒険者の為に、わざわざ簡単な依頼を受けてあげようとしているのに、どうしてその気遣いを理解できないのかしら」
彼女らは、一言一言発言するたびに感情が昂っていくのか、元パーティーメンバーであるファルベに、寝転がったまま防御も反撃もできない彼に暴行を加えていく。
両手で抱えている杖で殴ったり、ヒールで蹴ったり、華奢な細腕で、ファルベの首を締めたりその種類はそれぞれだった。
彼らにとっては、ファルベはパーティーという後ろ盾を失った、良いカモだったのだ。
恨みを募らせて、けれど今まで発散できなかったそれを一斉にぶちまけられる絶好の機会。
しかし、ファルベにとってそんなことは関係がない。ファルベは基本パーティーメンバーの後ろから付いていくだけで依頼を直接受けたことはないし、彼らに一度だって関与したことはない。
だからファルベにとって、現在の状況は完全に理不尽としか言えないもので、
「ぼ、僕は……関係ないので……」
蹴られ殴られ、そんな中で何とか分かってもらおうと必死に言葉を述べるが、
「関係ない? 関係ないわけないだろ!? お前がパーティーメンバーだったって事実は変わらないんだからさあ!」
焼け石に水、むしろ火に油と言ったところか。恨みの炎は一層強さを増し、ファルベに対する暴力も一段と激しくなる。
身体中に痣ができ、口内を切って血反吐を吐いても、それは続く。
全身をボロボロにされたファルベを見て、ハンスは、
「このまま殴り殺すだけじゃあ、この僕の気も治らないしなあ。そういえば、ここは森だったなあ。魔物が生息している国外の、森だったよなあ」
わざとらしく、卑しい笑みを浮かべて、そう言う。
「ああ、良い方法があった。このガキを魔物の餌にするんだ。きっと良い見せ物になるんだろうなあ」
もはや人間のものとは思えない表情を浮かべた彼は、天啓を得たとでも言いたげに周りの女性陣に向かって話す。
それを聞いた彼女らも、流石だ。天才的だ。そう言って、ハンスの意見を肯定する。
どこまで世界は、自分を追い詰めれば気が済むのだろう。どこまで自分は、他人の良心なんかに期待して、何度裏切られれば気が済むのだろう。
どうして、自分を守れるのは自分しかいないなんて当たり前のことに気付けなかったのだろう。
そんな自問自答を繰り返すファルベをよそに、取り巻きにもてはやされたことで気分が良くなったのか、衣服がボロ雑巾のようになっている彼に向かって手を伸ばす。
嬉々としてこちらへ伸びてくる甲冑で包まれた腕。それが近づいて、近づいて、近づいて――ファルベの服に、触れた瞬間。
その瞬間にファルベは確かに聞いた。
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