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2章 「永遠の罪」
75話 「決意」
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広場に集まる人だかりと、そこで着々と進む演説の準備が、彼の心に極度の緊張をもたらす。
ふと足元に視線を落とすと、服の上からでも分かるほどに両足が震えていた。カサカサ、と衣ずれの音が聞こえる。それは定期的でなくとも、断続的に続いている。
普段であればこんなこと起きようはずもなかったのだが、今日に限って言えば、許して欲しいものだ。何故なら今ここに立つ少年は、これから自分の罪の懺悔と一つの提案をするつもりなのだから。
「つっても、聞き入れてくれるか半々……いや、もっと低いか」
そう言って、口を尖らせる少年――ファルベは、出来る限りいつもの口調で恐怖心や緊張を紛らわそうとする。
小刻みに揺れる足を無視して、震える声を誤魔化す。
ファルベは自分が今から話すことを誰にも伝えていない。ラウラにもルナにも、勿論、この村の住人にも。その理由は単純だ。
伝えたら、二人とも確実にファルベを止めただろうから。絶対に、説得しようとしてくるだろうから。
しかし、ファルベはこうするしかないと思っているし、これが正しい選択なのだと思っている。
「正しい……筈だ。多分」
不安になりかける心を落ち着かせる。自分は今から正しいことをする、間違っていないのだと、そう言い聞かせて。
今でも激しい頭痛や全身の痛み、目眩や吐き気は収まっていない。それに加えてこの緊張感だ。気が狂いそうになってくる。もはや空気に触れているだけでも辛い状態でまともに舌を回せるのか、いや、出来なくてもやるしかないのだが。
取り敢えず、適当な場所に腰を落ち着けて、頭の中で話すことをまとめる。ただでさえ話すことが辛いのに、内容はある程度決まっているとはいえ、ノープランで行くほど馬鹿じゃない。
ただ、紙に書き出したりしているわけではないので、本番で思考が真っ白になればそこで試合終了になるのだ。
そう思うと、少しだけ後悔の念が湧き上がってくるが、今更考えても取り返しはつかないので一旦無視する。それに、人前で話すのならばそもそも紙を読みながらなんて失礼に当たるだろう。
「……はあ。何でこんなことになってんだろうな」
物思いに耽るなか、ふと空を見上げて呟く。特に深い意味はない。何となく、自然と溢れた言葉だ。
何でこんな状況になったのかなんて、ファルベ自身が一番よく分かってる。
そんな適当な呟きは、
「あれ? どうしたの? 頭痛いの?」
近くにいた誰かに聞き取られていた。全く気配を感じ取れず、何かのスキル持ちかと一瞬身構えるが、すぐに考えを改める。
これは単にファルベの感覚が地に落ちているから起きたことだ。声をかけてきた人間に何か能力があったとは思えない。
視線を声のする方向に向けると、ファルベのそんな思考を肯定するように、一人の少女が立っていた。
セミロングの艶やかな黒髪に、それと同色の大きな瞳。顔にはそばかすのついた可愛らしい少女だ。年齢はルナとそう変わらないだろう。ただ、ルナはどこか大人びたような雰囲気を醸し出しているが、目の前にいる少女からはそれを感じない。
「大丈夫だ……それで、あんたは誰だ?」
「ひっ……!」
なるべく柔らかい口調を意識したつもりだったのだが、棘があるように感じたのか、少女は掠れた声を出した。
少し青ざめた表情は大袈裟すぎないかとも思うが、少女を無闇に怖がらせたのは事実だ。ファルベは申し訳なさげに頭を掻くと、
「……あ、悪い。別に怖がらせようとしたわけじゃないんだ。ただ知らない奴は警戒する癖があっただけだ。取り敢えず、名前を聞かせてくれ」
悪い癖だと自分でも分かっているが、一朝一夕で直るようなものでもない。なるべく優しく、ルナと話すときのような口調で質問する。
少女はまだ恐怖心のようなものが残っているのか、少し震えた声で、
「わ、わたし……イルって言います……。よ、よろしくお願いします……」
ペコリと軽くお辞儀する。どこかぎこちなくはあったものの、会話は成立しそうだと胸を撫で下ろす。
「そうか。それで、何の用だ?」
「あ、いや、その……体調が悪そうだったので……」
タチの悪い上司に進言するのと同じくらい言いづらそうに答える。そこまで関わりづらい空気が出ているのか。
それとも、視線が睨んでいるものだと誤解されているのか。こういう時に自分の姿を隠せる外套があれば、と思うがここに持ってきていない以上、それは叶わない。
ここに外套を持ってこなかったのは、過去の「冒険者狩り」をしているときもあれと同じ外套を羽織っていたため、この村の住人――つまりファルベの被害者たちにはそれに見覚えがあるからだ。
外套を着ていたら、この村に来た瞬間にファルベであると気づかれる可能性があった。どうせいずれは自分からその正体をバラすつもりではあったが、それまではこの村の様子を見て回りたかったのだ。自分が犯した罪のせいで狂ってしまった彼ら彼女らの人生の模様を。
――しかし、ファルベは気づいていなかった。自分の正体をバラすのをわざわざ遅らせて村を散策するという口実を作っていたのは、単に己の罪を告白する恐怖心から逃げるためでもあったということを。
ファルベはこの村に来る前から、自分の正体を暴かれた瞬間、どういう反応が来るのか予想がついていた。だから、ラウラから「村の住人に正体を告白してしまえば、確実にファルベは殺される」と言われた時に動揺しなかったのだ。
けれど、予想がつくことと、覚悟が決まっていることは別だ。罵声を浴び、殺意を向けられることは分かっていても、実際にそれを受け止める覚悟ができていなかった。
だからそれをできる限り引き伸ばそうと、正体を明らかにするのを遅らせていたのだ。ただ、そんなファルベの無意識な現実逃避は、魔物との戦闘の際の無理が祟って正体を暴かれたことによって、強制的に打ち切られてしまったのだが。
「……ああ、そういうことか。別にちょっと頭痛がしただけだ。何の問題もねえよ」
「そうなんだ……それならよかった。……それにしても、さいきんはわたしとおなじくらいのねんれいの人がふえてきて、うれしいな。ルナちゃんもそうだし……」
その言葉を聞いた瞬間、ファルベは驚きに目を見開いた。ファルベもよく知っている人物の名前だ。
「お前……今ルナって、言ったよな!? ルナと知り合いなのか?」
「……そうだよ」
「ルナとは……仲が良かったのか?」
「うん。いっしょに遊んだり、お家にさそったりもしたよ? それが何かおかしい?」
普通の人間なら、何らおかしい話ではないだろう。新しい場所で、新しい友人もしくは知り合いを作る。それは全然おかしいことじゃない。
だけどそれは、普通の人間なら、の話だ。ルナの場合は、そうじゃない。
ルナは過去、自分の魔力量が原因でトラブルが起こり、多くの人間から忌避され、疎まれる立場にあった。その結果、ルナは人間関係に対して苦手意識をもちがちなのだ。
ルナが常に敬語なのもそうだ。彼女は、タメ口を聞けるほど心を許せる相手がいない。いつだってルナは誰かと話す時は、一枚の壁を隔てている。だから、敬語しか使わないのだ。
最近ではファルベに対しては多少軽くなっている節は見受けられるが、別の人間……特に初対面の人間に対してはそうじゃない。
そんな性格の彼女が、この村で知り合いを作り、それも仲がいい「友人」という関係を築いたのだとすれば――それはルナが今のままではいけないと、そうやって成長したと言えるのではないか。
「……ったく、ルナのやつ、いつのまに……」
ファルベは自分の仕事に没頭していたせいで、ルナの変化に気づけなかった。こうして、今のファルベのように、己の過去と向き合うことを恐れて、逃げてしまいたくなる気持ちを克服したこと。ちゃんと、自分のやらなくてはいけないことを成し遂げようとすること。
どうやらルナはもう既に、ファルベの一歩先を歩いているようだ。
「でも……『ししょー』の俺が、あいつの遅れをとるなんて、あっちゃいけねえよな……」
ルナが一歩前進するのならば、当然ファルベはそれに遅れてはいけない。
――だってファルベはルナの「ししょー」だから。あの子の手を取り、あの場所から連れ出してしまったから。だから、ファルベにはルナと一緒に歩いてやる責任がある。
「だったら、俺も逃げたままじゃいられないよな」
いつの間にか、足の震えは収まっていた。恐怖と緊張で固まっていた身体は、自由に動かせる。相変わらず痛覚を刺激してくる「呪い」は健在だけれど、それも我慢できる。靄がかかってまとまらなかった思考が晴れる。視界が、広がる。
「どうしたの?」
イルが、ファルベの顔を覗き込む。急に顔色が変わったファルベを心配してのことだろう。
彼女はファルベの心境を分かっていない。だからどうして彼がこんなに明るい表情になったのか、理解できない。
仕方のないことだ。イルはルナとファルベの過去を知らないし、さっきの言葉だって何の他意もなく、自然と出てきた言葉だろうから。
――「ルナと友達になった」その事実が、どれだけファルベの支えになったのかも。
「――いいや、大したことじゃねえよ。ただちょっとばかし、覚悟が決まった……ってだけだ」
逃げ続けていたものと向き合う覚悟は、ようやく決まったのだ。
ふと足元に視線を落とすと、服の上からでも分かるほどに両足が震えていた。カサカサ、と衣ずれの音が聞こえる。それは定期的でなくとも、断続的に続いている。
普段であればこんなこと起きようはずもなかったのだが、今日に限って言えば、許して欲しいものだ。何故なら今ここに立つ少年は、これから自分の罪の懺悔と一つの提案をするつもりなのだから。
「つっても、聞き入れてくれるか半々……いや、もっと低いか」
そう言って、口を尖らせる少年――ファルベは、出来る限りいつもの口調で恐怖心や緊張を紛らわそうとする。
小刻みに揺れる足を無視して、震える声を誤魔化す。
ファルベは自分が今から話すことを誰にも伝えていない。ラウラにもルナにも、勿論、この村の住人にも。その理由は単純だ。
伝えたら、二人とも確実にファルベを止めただろうから。絶対に、説得しようとしてくるだろうから。
しかし、ファルベはこうするしかないと思っているし、これが正しい選択なのだと思っている。
「正しい……筈だ。多分」
不安になりかける心を落ち着かせる。自分は今から正しいことをする、間違っていないのだと、そう言い聞かせて。
今でも激しい頭痛や全身の痛み、目眩や吐き気は収まっていない。それに加えてこの緊張感だ。気が狂いそうになってくる。もはや空気に触れているだけでも辛い状態でまともに舌を回せるのか、いや、出来なくてもやるしかないのだが。
取り敢えず、適当な場所に腰を落ち着けて、頭の中で話すことをまとめる。ただでさえ話すことが辛いのに、内容はある程度決まっているとはいえ、ノープランで行くほど馬鹿じゃない。
ただ、紙に書き出したりしているわけではないので、本番で思考が真っ白になればそこで試合終了になるのだ。
そう思うと、少しだけ後悔の念が湧き上がってくるが、今更考えても取り返しはつかないので一旦無視する。それに、人前で話すのならばそもそも紙を読みながらなんて失礼に当たるだろう。
「……はあ。何でこんなことになってんだろうな」
物思いに耽るなか、ふと空を見上げて呟く。特に深い意味はない。何となく、自然と溢れた言葉だ。
何でこんな状況になったのかなんて、ファルベ自身が一番よく分かってる。
そんな適当な呟きは、
「あれ? どうしたの? 頭痛いの?」
近くにいた誰かに聞き取られていた。全く気配を感じ取れず、何かのスキル持ちかと一瞬身構えるが、すぐに考えを改める。
これは単にファルベの感覚が地に落ちているから起きたことだ。声をかけてきた人間に何か能力があったとは思えない。
視線を声のする方向に向けると、ファルベのそんな思考を肯定するように、一人の少女が立っていた。
セミロングの艶やかな黒髪に、それと同色の大きな瞳。顔にはそばかすのついた可愛らしい少女だ。年齢はルナとそう変わらないだろう。ただ、ルナはどこか大人びたような雰囲気を醸し出しているが、目の前にいる少女からはそれを感じない。
「大丈夫だ……それで、あんたは誰だ?」
「ひっ……!」
なるべく柔らかい口調を意識したつもりだったのだが、棘があるように感じたのか、少女は掠れた声を出した。
少し青ざめた表情は大袈裟すぎないかとも思うが、少女を無闇に怖がらせたのは事実だ。ファルベは申し訳なさげに頭を掻くと、
「……あ、悪い。別に怖がらせようとしたわけじゃないんだ。ただ知らない奴は警戒する癖があっただけだ。取り敢えず、名前を聞かせてくれ」
悪い癖だと自分でも分かっているが、一朝一夕で直るようなものでもない。なるべく優しく、ルナと話すときのような口調で質問する。
少女はまだ恐怖心のようなものが残っているのか、少し震えた声で、
「わ、わたし……イルって言います……。よ、よろしくお願いします……」
ペコリと軽くお辞儀する。どこかぎこちなくはあったものの、会話は成立しそうだと胸を撫で下ろす。
「そうか。それで、何の用だ?」
「あ、いや、その……体調が悪そうだったので……」
タチの悪い上司に進言するのと同じくらい言いづらそうに答える。そこまで関わりづらい空気が出ているのか。
それとも、視線が睨んでいるものだと誤解されているのか。こういう時に自分の姿を隠せる外套があれば、と思うがここに持ってきていない以上、それは叶わない。
ここに外套を持ってこなかったのは、過去の「冒険者狩り」をしているときもあれと同じ外套を羽織っていたため、この村の住人――つまりファルベの被害者たちにはそれに見覚えがあるからだ。
外套を着ていたら、この村に来た瞬間にファルベであると気づかれる可能性があった。どうせいずれは自分からその正体をバラすつもりではあったが、それまではこの村の様子を見て回りたかったのだ。自分が犯した罪のせいで狂ってしまった彼ら彼女らの人生の模様を。
――しかし、ファルベは気づいていなかった。自分の正体をバラすのをわざわざ遅らせて村を散策するという口実を作っていたのは、単に己の罪を告白する恐怖心から逃げるためでもあったということを。
ファルベはこの村に来る前から、自分の正体を暴かれた瞬間、どういう反応が来るのか予想がついていた。だから、ラウラから「村の住人に正体を告白してしまえば、確実にファルベは殺される」と言われた時に動揺しなかったのだ。
けれど、予想がつくことと、覚悟が決まっていることは別だ。罵声を浴び、殺意を向けられることは分かっていても、実際にそれを受け止める覚悟ができていなかった。
だからそれをできる限り引き伸ばそうと、正体を明らかにするのを遅らせていたのだ。ただ、そんなファルベの無意識な現実逃避は、魔物との戦闘の際の無理が祟って正体を暴かれたことによって、強制的に打ち切られてしまったのだが。
「……ああ、そういうことか。別にちょっと頭痛がしただけだ。何の問題もねえよ」
「そうなんだ……それならよかった。……それにしても、さいきんはわたしとおなじくらいのねんれいの人がふえてきて、うれしいな。ルナちゃんもそうだし……」
その言葉を聞いた瞬間、ファルベは驚きに目を見開いた。ファルベもよく知っている人物の名前だ。
「お前……今ルナって、言ったよな!? ルナと知り合いなのか?」
「……そうだよ」
「ルナとは……仲が良かったのか?」
「うん。いっしょに遊んだり、お家にさそったりもしたよ? それが何かおかしい?」
普通の人間なら、何らおかしい話ではないだろう。新しい場所で、新しい友人もしくは知り合いを作る。それは全然おかしいことじゃない。
だけどそれは、普通の人間なら、の話だ。ルナの場合は、そうじゃない。
ルナは過去、自分の魔力量が原因でトラブルが起こり、多くの人間から忌避され、疎まれる立場にあった。その結果、ルナは人間関係に対して苦手意識をもちがちなのだ。
ルナが常に敬語なのもそうだ。彼女は、タメ口を聞けるほど心を許せる相手がいない。いつだってルナは誰かと話す時は、一枚の壁を隔てている。だから、敬語しか使わないのだ。
最近ではファルベに対しては多少軽くなっている節は見受けられるが、別の人間……特に初対面の人間に対してはそうじゃない。
そんな性格の彼女が、この村で知り合いを作り、それも仲がいい「友人」という関係を築いたのだとすれば――それはルナが今のままではいけないと、そうやって成長したと言えるのではないか。
「……ったく、ルナのやつ、いつのまに……」
ファルベは自分の仕事に没頭していたせいで、ルナの変化に気づけなかった。こうして、今のファルベのように、己の過去と向き合うことを恐れて、逃げてしまいたくなる気持ちを克服したこと。ちゃんと、自分のやらなくてはいけないことを成し遂げようとすること。
どうやらルナはもう既に、ファルベの一歩先を歩いているようだ。
「でも……『ししょー』の俺が、あいつの遅れをとるなんて、あっちゃいけねえよな……」
ルナが一歩前進するのならば、当然ファルベはそれに遅れてはいけない。
――だってファルベはルナの「ししょー」だから。あの子の手を取り、あの場所から連れ出してしまったから。だから、ファルベにはルナと一緒に歩いてやる責任がある。
「だったら、俺も逃げたままじゃいられないよな」
いつの間にか、足の震えは収まっていた。恐怖と緊張で固まっていた身体は、自由に動かせる。相変わらず痛覚を刺激してくる「呪い」は健在だけれど、それも我慢できる。靄がかかってまとまらなかった思考が晴れる。視界が、広がる。
「どうしたの?」
イルが、ファルベの顔を覗き込む。急に顔色が変わったファルベを心配してのことだろう。
彼女はファルベの心境を分かっていない。だからどうして彼がこんなに明るい表情になったのか、理解できない。
仕方のないことだ。イルはルナとファルベの過去を知らないし、さっきの言葉だって何の他意もなく、自然と出てきた言葉だろうから。
――「ルナと友達になった」その事実が、どれだけファルベの支えになったのかも。
「――いいや、大したことじゃねえよ。ただちょっとばかし、覚悟が決まった……ってだけだ」
逃げ続けていたものと向き合う覚悟は、ようやく決まったのだ。
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