死ぬほど愛しているけれど、妻/夫に悟られるわけにはいかないんです

杏 みん

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6.お粥をフーフーして食べさせるやつ、フーフー自体が不衛生だというのは野暮な考え

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 「もう秋だな……」

 朝の5時。部屋の窓をそうっと開けて、呟く。

 8月の同じ時間と比べて、肌寒い。
 今日は雲ってるから、尚更か?
 湿度も高そうだし、窓を開けたらジメジメの住居侵入を許してしまいそうだけど。

 でもせめて、10分間位は換気せねば。男特有の部屋臭を、完全撤退させる為に。

 顔だけを窓の外に出して、隣の部屋の様子を伺う。
 俺の部屋の横は、ランドリールーム。洗濯機とガラス張りの物干しスペースがあり、そこからバルコニーに出る事も出来る。

 そのランドリールームに、唯はいた。いつも通り、手際よく洗濯物を干してる。

 今日は部屋干し……って事は雨が降るのか。

 こういう天気の時は、ランドリールームのある物件にして良かったと思う。
 せっかく唯が干してくれた洗濯物が、雨で台無しになるとか。
 それを大慌てで取り込もうとした唯がびしょびしょになるとか、耐えられない。
 濡れた床で滑って転んだり、風邪を引いたりしたら大変だし。

 いや、風邪をひいたらひいたで、俺が有給でも看護休暇でも介護休暇でも何でもとって、全力で看病するんだけど。
 そういう真っ当な理由があれば、普段は足を踏み入れる事の無い唯の部屋にも、堂々とお邪魔できるし。


 『唯、氷枕持って来たぞ』
 『ありがとう仁ちゃん……ごめんね、お仕事休ませちゃって……』
 『そんなんいいから。ちょっとは食えそうか? お粥つくったけど』
 『うん。わ……美味しそう……』
 『フー、フー……ほら口開けて』


 からの、あ~ん。……たまらん。
 されたい願望を持ちがちな『あ~ん』だが。実はしてあげる側もかなり美味しい。

 熱で火照って紅潮し、ちょっとポ~っとしてる唯が、あの可愛らしい唇を半開きにして俺に迫って来る姿……それを想像しただけで……もう。

 「バカバカバカ。朝っぱらから変態がすぎる」

 脳みそからふしだらな妄想を追いだすべく、頭をブンブン振ってから……再び洗濯物を干す唯を見守る。

 左手首には、一昨日の誕生日にプレゼントしたスマートウォッチ。
 よかった。今回のプレゼントはきちんと使ってくれている。

 指輪やネックレス、ブレスレット。そして服やバッグ……今まで贈ったものは、ことごとく使ってもらえなかった。

 俺が何日もかけて選び抜いたものが、唯の華奢な手元首元を飾る……衣類であれば、あの白い肌にダイレクトに触れ、細い肢体を無遠慮に覆う。そうなったら……もう、悦。
 という俺の下心が透けて見え、気味悪がられているのだろうかと思っていたけれど。
 
 スマートウォッチを使ってくれている所を見ると、そういうわけではないようだ。
 今までのプレゼントは、単に好みじゃなかった……のか?

 まぁ、ごちゃごちゃ考えるのはヤメだ。せっかくの朝イチ唯、存分に愛でよう。

 ああしかし可愛いな……。

 肩上で切り揃えられた短い黒髪。
 大きくはない目、長くはないまつ毛、高くはない鼻。

 唯は、派手で華やかな容姿の持ち主では無い。
 でも……それでも俺にとっては、ぶっちぎりで世界で一番の女の子。

 「ん……?」

 次々と洗濯物をさばいていた唯の手が、止まった。
 なにやら難しい顔で、俺のシャツを嗅いでる。

 まさか臭い?
 え、俺まだ25歳なのに? 1回の洗濯じゃ落ち切らない程の体臭が染みついちゃってるの?
 いやいや、そんなのあり得ない。唯に加齢臭キツイおじさんだと思われないよう、服も下着も早めのサイクルで総入れ替えしてるし、なにより洗濯カゴに放り込む前に自分で匂いチェックもしている。

 っは! じゃあまさか……俺の香りを堪能してる……とか?
 でもそれなら、普通は洗う前にするか?
 いや、そうとは限らないぞ。脱ぎたてを嗅ぐよりも、洗い立てを嗅ぐ方が罪悪感も背徳感も変態感も軽減する。
 俺が唯の立場でもそうするかもしれない。あ、いや、しないか。俺なら脱ぎたてをいく。
 香水をつけているわけじゃないのに、花と石鹸が混ざったような、絶妙に心地よい唯フレグランスを全力で吸引したいから、確実に脱ぎたてを狙う。

 いやしかし……そもそも唯は俺の事を何とも思ってないわけだし、匂い堪能説は無しか。
 でも、だったら一体何を……

 ヴー、ヴー、ヴー。

 床に置いたスマホの振動音に、情けない程驚いてしまう。
 そうか。5時のアラームが鳴った時、スヌーズオンになるような止め方をしてしまったんだ。

 「いかん。唯に見惚れてる場合じゃない」

 換気は……もう十分か? 正直、自分の匂いはよくわからんから、念の為ファブリー〇無香タイプを2プッシュ、香水を1プッシュして、掛布団をぶん回して拡散する。
 
 寝起きの口臭で唯を攻撃しないようフリス〇を3粒をかみ砕き、ミネラルウォーターで流し込んで。
 みっともなく爆発した髪の毛は、わずかな寝ぐせを残して整え。 

 インナー、ワイシャツ、ジャケット、パンツ、靴下、鞄。出勤に必要な着替えや荷物はクローゼットの中に準備しておく。
 
 後は……仕事だ。
 始業ギリの出社でも間に合うよう、下準備は全て終わらせておく。
 俺はパジャマのまま、ベッドサイドテーブルの上にあるノートパソコンを開いた。

 スカウト対象者との面談は……今日は午前2件、午後3件か。
 全員分のプロフィールはフォルダにまとめてある。それぞれに渡す労働提案書と待遇説明書も準備OK。
 念の為、持ち歩いているタブレットにもバックアップは取ってある。充電も100%。
 アポ確認のメールは、送信予約済。初対面の相手には、手土産も手配して。
 昼は……ああ、ランチミーティングがあるんだった。あ、やべ。資料は既に配付済だけど、課長に赤入れられたんだった。さっさと修正して、チームのグループトークにもアップしとこう。
 ん? この前の契約成立報告書が、未承認のままで止まってんな。経理のOKが出てない……なんで? うわ、領収書の金額部分がうまくスキャン出来てねえじゃん。あのアシスタント、また確認せずに提出したな。原本もうシュレッダーかけちゃってんじゃねえのか? あ~めんどくせえっ。
 

 なんやかんやで大変な、今の仕事。
 唯との時間を確保する為、毎日できる限り定時であがるようにしてるから尚更、勤務時間内はマジで忙しい。
 
 でも仕方ない。負担と責任の重い仕事だからこそ、給料はいいし、将来性もあるんだ。

 「……よし、完了」

 これで朝、唯と過ごせる時間は最長になった。
 紙資料とPCとタブレットと……諸々の仕事グッズで散らかり切った部屋を、素早く片付ける。

 あとは……6時に、唯が俺を起こしに来るのを待つだけ。

 「と……やべ、もうすぐだな」

 慌てて、再びベッドの中に潜り込む。
 そうして息をひそめていると……聞こえてくるんだ。控えめな足音が。

 「仁ちゃん、おはよう、6時だよ」

 毎度毎度の事だが……声、ちっさ。小鳥のさえずりかよ。
 そんな控えめで可愛すぎる声じゃ、日常に疲れ切ったサラリーマンは起きねぇわ。
 いや俺は起きるけど。1本千円する栄養ドリンクよりもよほど疲労回復効果のある唯と一つ屋根の下で暮らしているお陰で、常時エナジーが溢れ切ってるから。

 にやけながら身を縮こまらせていると、ドアノブが回る音がした。

 「ごめんね? 入るよ?」

 どんどんガンガン入ってくれ。唯ならいつだってウェルカム。

 「仁ちゃん、おはよう。6時になったよ」

 朝、最初に聞くのは唯の声がいい。
 唯に名前を呼んでもらうだけで、その日一日頑張れる。

 「仁ちゃん? 起きれる?」

 起きて。じゃなく、起きれる? って聞く唯が好きだ。
 どんな状況でも相手の都合や気持ちを無視しない。
 いつだって相手の事を思い遣って、言葉を選ぶ唯が、死ぬ程大好きだ。

 「……はよ」

 1時間も前に起きて準備をしたり、寝たフリをして唯を部屋に招き入れたり。
 まぁまぁ気持ち悪い行為だという自覚はある。

 でも……少しだけでも、錯覚したい。

 俺達は愛情で結ばれたわけじゃない偽りの夫婦。

 けど、朝から一生懸命に家事をしたり、俺の世話を焼いてくれている唯をみると……なんか、ホンモノの奥さんぽいなって、思えるから。
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