死ぬほど愛しているけれど、妻/夫に悟られるわけにはいかないんです

杏 みん

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150.浮き輪に座る感じの使い方は公共プールでは禁止されがち

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 「んっ……蓮ちゃん、待って……っ」

 「大丈夫か? 痛い?」

 「ううん、ただ……きつい……っ」

 「力入れないで、そっと抜くから」



 パン!!



 「きゃあ!」「わっ!」

 弾けるような音を立てて、破れた……浮き輪。

 「ああぁ~ごめん~っ!」

 「いや、俺こそごめん。唯なら子供用のもイケるかもなんて、考えが甘かった」

 地上40メートルのウォータースライダー。
 そのスタート地点で、ぺしゃんこになってしまった子供用浮き輪に肩を落とす、私と蓮ちゃん。
 
 私達は今、レジャープール施設『夏夏ランド』に来ている。
 二人揃って、上下ラッシュガードタイプの水着を着用し、気合は十分。……だったんだけど。


 「すいません水原さんっ! やっぱり、子供用の浮き輪は無理でしたっ」

 「いいんですいいんです! こちらこそごめんなさいっ! 私がいきなり、子供を流すのがどんな感じか試してみたい、なんて言ったものだから……っ」

 「とんでもないです。このウォータースライダーは専用の浮き輪を使用して滑るもの……大人用と子供用とがあるならば、両方で試運転してみたいという水原さんのお考えは、至極真っ当なもので……こちらが前もって、子役を手配しておくべきでした。申し訳ありません」

 恐縮しきっている水原さんに、二人して頭を下げる。

 私達がプール開き前のこの施設にお邪魔しているのは、レジャー目的ではなく……エジプト神話における水神『ヘケト』の血統種、水原さんを口説き落とす為……なんだ。


 事の発端は、6月初旬の事。

 7月のプール開きに備え、全国のレジャープール施設が設備の最終チェックを行う時期らしいのだけれど。
 夏夏ランドで、問題が起きた。

 5月に上陸した台風の影響で変電所が水没し、電力不足の為にウォータースライダーの運行が困難になってしまったのだ。

 そのスライダーは、浮き輪の穴の部分にお尻を入れ、足を出した状態で滑り降りるタイプのもので。国内一の長さを誇る、いわゆる施設の目玉アトラクションだった。
 困った担当者は、横のつながりで、東北のレジャー施設の担当者に相談をし、そしてその担当者は以前仕事でお世話になった蓮ちゃんを紹介して……。

 蓮ちゃんは、力を貸してくれる水系の血統種を探す事になった。

 コントロールするのはウォータースライダー内の水流。国内一の長さとはいえ、海で津波を収めたり、天候をコントロールするような、強い能力は不要。
 だからすぐに手配出来るかと思ったんだけれど……アスカに在籍している方々は、季節柄スケジュールがパンパンで。
 課長さんとも相談の上、新しい戦力をスカウトする事になり、蓮ちゃんの人脈を辿って、ヘケトの血統種である水原さんにたどり着いたのだけれど……。
 

 「もしかしたら……浮き輪が破れたのは、神様のご意志なのかも……!? 専業主婦血統種の私が、こんな大きな施設の、こんなに長い滑り台で水を扱うなんて、やめなさいっていう……!?」

 水原さんはとにかく心配性で慎重なお方。

 実際に出来るか試してみたい。定期的に練習がしたい。
 そんなご要望に応える為、蓮ちゃんはこうしてこまめに夏夏ランドに足を運んでは、実験台になっていたのだけれど。

 「もしそうなら、神様は私が使う浮き輪も破いたはずです。私はとても楽しかったですよ。電力頼りの一般的なスライダーは、傾斜やカーブで速度調整を行いますが……水原さんの水流は加速減速が予想出来なくて、スリリングで。多くの方に喜んで頂けるに違いないと、確信しました」

 「やだもう……おだてないで下さいな。蓮さんだって本当は、ポセイドンとかネプチューンとか……有名な血統種の方がよかったでしょう? 私みたいな、マイナーで低ランクな専業主婦血統種じゃなくて……」

 「ご謙遜を仰らないで下さい。エジプト神話神の血統種は日本ではまだまだ稀少です。私は水原さんとのご縁に恵まれて、本当によかったと思っているんですよ」

 「……本当に? 何度練習させて貰ってもウジウジしてばかりの、面倒なおばさんなのに?」

 「私達の仕事は、水原さんに安心してご活躍頂けるよう、力を尽くす事です。これからもお力になれる事がありましたら、なんなりとお申し付け下さい」

 「蓮さん……」

 蓮ちゃんの王子様スマイル、炸裂。
 推しているアイドルとファンミーティングで握手をする時のファンのように、うっとりと蓮ちゃんを見つめる、水原さん。

 うーん、流石だ。
 蓮ちゃん自身にそういうつもりはないのだろうけれど。
 芸能人顔負けの輝きを放つ蓮ちゃんに、微笑みながらそんな事を言われたら、誰だって全てを委ねてしまいたくなると思う。

 でも……スカウトマンとしての蓮ちゃんの一番の魅力は、容姿の華やかさじゃなくて、スカウト対象者さんに親身に寄りそう真摯で誠実な姿勢……なんだろうな。
 蓮ちゃんのアシスタントになってまだ3か月だけど。そんな風に思う。

 が、しかし……。


 「水原さん……今日も不安そうなご様子だったね」

 あの後、水原さんは蓮ちゃんを10回ほどから、お帰りになった。
 びしょびしょの蓮ちゃんを気遣って下さり、お見送りは無し。
 私達は、誰もいなくなったプールサイドで反省会をしている。

 「うーん……出産を機に仕事を辞めて、そこから30年専業主婦をしてきたから、今更働くのは不安……て、毎回仰るんだけど。そこまで心配する必要ないと思うんだけどな」

 バスタオルで髪の毛を拭きながら、うなり声を漏らす蓮ちゃん。

 「お子さんを産む前も、レジャープールで働いてたんだよね?」

 「ああ。流れるプールとスライダーを、一人で担当してたらしい」

 「うーん……それなのに、かぁ。私みたいに、ろくに働いた事もない人間が、いきなりお仕事を任せられたら、不安になる気持ちは理解できるんだけど……。昔取った杵柄があるのに、どうして自信を持てないんだろう?」

 「まぁ……どの業界も30年あれば、驚く程進化するから。自分が昔やっていた事が現代に通用するのか? っていう心配もあるんだろうな。それに、水原さんのご主人は高ランクの血統種で、収入も安定してる。働かなくても困らないのに、失敗するリスクを押し切ってチャレンジをするべきか……迷ってるのかもしれない」

 「なるほ……ひゃあっ!」

 喋り終えたと思ったら、突然ラッシュガードのトップスを脱いだ蓮ちゃんに、悲鳴を上げてしまう。

 「え? あ、ごめんっ、この時期濡れっぱなしは、さすがに寒くて……」

 私のリアクションに慌てた蓮ちゃんは、すぐにバスタオルを肩から羽織った。

 「う、ううん! そうだよね! 私こそごめん! なんだろう!? 男の人は上半身裸とか普通なのに、こう、目の前で脱がれると……なんだろうね!?」

 「そうだな、不思議だけどそうなんだよな。ごめん、唯の前ではもう今更かと思ってつい――」

 「そっ、そういう事言うのは……っ」

 蓮ちゃんがポロっと言った言葉に過剰に反応して。両目を覆っていた手を、思わず下げてしまった。


 その時――とあるものが、目に飛び込んできて。


 「あ、ごめん、今のもダメだな、立派なセクハラだ」

 「う……ううん、気に……しないで……」

 「反省会は着替えてからにしよう。更衣室前で待ち合わせ、いい?」

 「うんっ、わかった……」

 頷いて、男子更衣室に歩いて行く蓮ちゃんを、見送る。

 大きくて、逞しい背中。

 でも私は……鍛え上げられた筋肉よりも、腰のあたりの大きな傷跡から、目が離せないでいた。
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