女王様に恋する騎士は身分違いに悩むが、問題はそこではなかった

杏 みん

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泣くと鼻水が出るのはなぜだろう

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 「本当に、本当に、本当に信じられない」

 「申し訳ありませんでした」

 ノックもせずに入った浴場には、俺の期待通り、露わな姿の陛下がいらした。

 けれど幸か不幸か、見えたのは背中だけ。
 そして、飛んできたのは湯ではなく、水瓶だった。

 「最後のご挨拶をと……急いでいたものですから」

 「だからって、入浴中に断りも無く入ってくるなんて」

 突然現れた俺に、陛下は驚き、怒り、呆れておられた。

 けれど、これが今生の別れになるかもしれないと懇願した所、背中合わせの状態であればと、お話しをする事をお許し下さったのだ。 

 こちらに背を向けたまま、顔以外を湯舟に沈める陛下。
 そして出口のすぐ傍に立ち、扉に向かって喋る俺。

 「しかし……相変わらず見事な身のこなしです。下半身が湯舟に浸かっている状態で、背後から現れた私に、このサイズの水瓶を投げつけるとは……」

 すんでの所でキャッチし、床に置いた水瓶に目をやる。
 エレナ嬢が俺を狙った花瓶より、ひとまわり以上大きい。

 「禊の間は護衛兵もつけていないから、常に警戒はしていたのよ。知ってるでしょう? 私が日頃から鍛えているのは。万一の時、自分の身を守れる程度の力は身につけておくべきだと、に言われたから」

 「私が護衛騎士になるまでは……常におそばでお守り出来るわけではありませんから。大切なあなたにもしもの事がないようにと、思っての進言でした。お心に留めておいて下さり、感謝申し上げます」

 『先生』とは、俺の事。
 
 俺が陛下に恋をしたセミ事件の後、陛下は俺の教え子になった。 

 「あなたが俺に剣の稽古をつけて欲しがっていると父から聞いた時は、本当に驚きました。セミの一件で、すっかり嫌われたと思っておりましたので」

 もっとも、それ以上に面食らったのは初めて剣を交えた時だが。
 初心者とは思えない身のこなしは、加減する事を忘れてしまう程だった。陛下は幼い頃から、運動神経に恵まれていらしたのだ。

 「あなた……あの後、手紙を送り付けてきたでしょう? セミをいたずらに捕まえた反省文を、三十枚も。それで……またあなたに会ってみたいと思ったのよ」

 幼少期の恥ずかしいエピソードに、苦笑いを浮かべてしまう。
 
 「あれから……多くの時間を共にさせて頂きました。春にはお花見に出かけて」

 「夏には中庭の池でひからびているおたまじゃくしに、水をかけて救助したわね」

 「そこから水遊びに発展してしまって、お勉強の時間までに部屋に戻れず、家庭教師に叱られました」

 「秋には沢山本を読んで、夜通し感想を語り合った」

 「うっかり怪談に手を出してしまって、手を繋ぎながらお手洗いに行きましたね」

 「冬に作った雪だるま、覚えている?」

 「勿論。小さな雪だるまを沢山作って、子供に見立てて、おままごとをしました。私が父親役で、陛下が……」

 まずい。

 震え始めた自分の声に、慌てて口をつぐむ。
 幸せ過ぎる時間を思い起こしていたら、色々なものがこみあげてきてしまった。

 このままじゃ、思い余って騎士服のまま湯舟に突っ込み、陛下の華奢な体を後ろから乱暴に抱きしめてしまう。

 濡れた肩、髪、背中。
 きっとそこには、男を感じさせるものは何も無い。つまり、ブレーキとなり得るものは何も無い。

 それどころか、神に祈りを捧げる前の禊ぎ中という、この背徳的で非日常的な状況は、魅惑的なスパイスになるかもしれない。
 俺に、性別の垣根を超えさせる、強力な後押しに。

 そうなったら取り返しがつかない。
 待っているのは、強引に襲っておきながら、どうしていいかわからないという、痛すぎる結末。

 さっさと、ご挨拶をして退散せねば。
 
 そう決めて、お礼の言葉を口にしようとした時――嗚咽する声が聞こえた。

 思わず、振り返る。

 陛下は、泣いていた。

 お顔が見えなくてもわかる。細い肩を縮こまらせて、小さく震えるそのお姿を見れば。

 「陛下――!」

 俺は騎士服のまま湯舟に突っ込み、陛下の華奢な体を後ろから乱暴に抱きしめた。
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