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暑さは人間から水分と体力と理性を奪う

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 「申し訳ありません。母が、不用意な発言をしたばっかりに……」

 深々と頭を下げる俺に、陛下は首を横に振った。

 「いいのよ。クリスのあなたや夫人への態度には問題があるし。本当の事を話せてよかったのかもしれない」

 「流石の彼も、驚いていましたね」

 陛下から、囁くような小声で、事のあらましを説明された時のクリスの様子を思い出す。


 『は!? マジかよ! あんたバカだろ!』


 と、クールな表情を崩壊させて、驚愕していた。

 非常識な振る舞いの目立つ彼でも、自身と家の名誉を何よりも重んじるのが貴族の常識……という事は理解していたようで。
 それらを投げうって陛下の望みを変えた俺に、まるで変質者でも見るような視線を向けてきたのだ。

 「彼が護衛騎士になって、もう2ヶ月になるけれど……未だに何を考えているか分からない人で。優秀ではあっても、不正を毛嫌いするようなお堅いタイプでは無いのに……なぜあなたにあれ程つっかかるのか……以前彼に恨みを買ったとか、そういう覚えは無い?」

 「女性ならば一方的に好意を持たれて逆恨みされて……という経験はありますが。男は……私の場合、恨みを買う程深く関わっている人間は、訓練学校時代からの友人一人位ですから」

 「……それはそれでどうかと思うけれど……まあいいわ。とにかく、辞任の事情を知った以上、クリスがあなたに噛みついてくる事は、無くなると良いわね」

 「あの彼が愛想を振りまいてくれるようになるとは思えませんが、これまでよりは、温和な対応をしてくれるかもしれません。今も、事情を説明したら、こうして二人きりにしてくれましたし」

 

 俺は密かに会を抜け出し、屋敷内の客間に陛下をお連れしていた。
 母に、真実を確かめる為に。

 「母は、ゲスト達に挨拶を終えてから来ると申しておりました。今しばらくお待ち下さい」

 優美な彫刻が施された猫足のソファに、ゆっくりと腰かける陛下。
 そのお手を取り、皺にならないよう、跪いてドレスの裾を広げる。
 
 ペールピンクの、オフショルダードレス。シフォン素材の短いフレア袖から覗く腕は、以前より一層細くなったような……

 「きちんと、お食事をとられてますか? 少しお痩せになったようにお見受けしますが」

 「……こうも暑いと、食欲がわかなくて」

 確かに。
 ここ1週間で、夏の暑さは一気に加速した。大して動かずとも、体中に汗が滲む。
 陛下の御前にありながら、無礼とは思いつつも……俺も騎士服の襟ボタンを外し、首元を大きく開いてしまう程。

 「……後ほど、紹介したい料理人がおります。彼女のトマト料理を召し上がってみて下さい。きっと力が沸いてきます」

 「トマトは食べません。あなたもしつこいわね……お母様や、リナルドおじ様と一緒」

 苦笑いを浮かべてから、今は亡き二人を想い遠くを見つめる陛下。

 「ここに来る度に想い出すわ……まだ二人が生きていて、皆で楽しく過ごした日の事を」

 「ええ。ご静養の期間を利用して、毎年遊びにいらして下さいましたものね。畏れ多い事ですが……父はあなたを、我が子のように可愛がっていて」

 「我が子のようにって……こんな疑惑が浮上している中で言われても……複雑ね」

 ローラ様は膝にのせた手を強く握りしめ、うつむいた。

 張り詰めたその表情を見て、おやつれになった原因は、夏バテだけではないのだと、察する。

 「レオ。もし本当に兄妹だったら……あなたはどうするの?」

 静かに、慎重に、俺の顔を覗き込む陛下。

 「その、気持ち悪いとは思わない? 倫理的にも生理的にも……」

 「そうですね、そういう気持ちは皆無だと言うと嘘になりますが……」

 固く閉ざされた陛下のお手を取り、ゆっくりと開き、握り締める。

 「ですが……じゃああなたを女性ではなく、妹として見れるかというと、無理なんです。たとえ血が繋がっていても、私はあなたにムラムラするでしょう。今この瞬間も、暑さに頬を赤らめ、首筋にうっすらと汗をかいているあなたを見て、よからぬ妄想に理性を奪われそうになっています。
 私の気持ちは変わりません。たとえ、あなたが実の妹であろうとも。俺は生涯、あなただけに欲情し続けます」

 「……レオ……」

 猛暑のせいだろうか。熱に浮かされたような、とろみのついた表情で、俺を見下ろすローラ様。
 わずかに開いた口元が、全力で吸い付きたくなるほど色っぽい。

 が、しかし。

 そのチェリーのように色付いた唇から吐き出されたのは、甘い愛の言葉ではなく……この一月分の悩み苦しみが凝縮されたような、深い、深いため息で。

 「もっと……他に、言いようはなかったの……? ムラムラって……この状況でよくそんな事を……」

 「え、あ、すいません! 私は思っている事をそのまま言っただけで……男女の間で大切なのは、自分の気持ちを素直に伝える事だと、父からは教わったので」

 「そういう事じゃないぞって……おじ様の突っ込む声が、聞こえる気がするわ。あなたって昔からそうよね。少し迷惑な位に正直で、人の気持ちや都合なんておかまいなし。そんなあなたに、何度腹を立てたり、困らせられたりした事か……でも……」

 呆れ顔でお説教下さっていた陛下の表情が、柔らかな笑みに変わる。

 「私も……私も、たとえ兄だとしても変わらないと思うわ。面と向かって、“あなたに欲情しています”と言われても、こんな風に笑っていられる相手は……後にも先にも、あなただけだと思うから」

 「陛下……」

 思わぬアメ的お言葉を頂き、喜びに心が満ちて行く。
 
 大丈夫。今の2人なら、どんな苦難も受け止められる。
 たとえ母の口から、残酷な真実が語られたとしても――


 「ごめんね~! お待たせ! も~! あのおばさん達悪口言いたいならストレートに言やぁいいのに、周りくどくネチネチ攻撃してくるもんだから、時間かかっちゃって!」

 ノックもせずに入室してきた母に驚く事もなく――

 俺達は互いの手を一層強く握りしめた。
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