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プロローグ
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不幸な身の上に置かれた人間は、誰しも一度は考えたことがあるだろう。
『自分は何のために生きているのだろう』と。
かくいう私もその一人だ。ただ、『私は不幸だ』なんて悲観したことはないけど。
物心ついた頃にはもう一人ぼっちだった。お世辞にも綺麗とは言えないスラムの片隅で生きてきた。
産みの親が誰だとか、何故ここにいるのか、とか考えたこともあったけど、早々に切り捨てた。そんなことを考えたところで日々の糧になんてならないし、生きていけないからだ。
生きるために何でもやった。盗み(誰かれ構わずという訳じゃなく、できる限り悪事に手を染めてそうな人間を狙ったけど)、傷害(たいていはよろしくない視線を寄越してくる変態相手ばかりだったけど)、それこそ人前で公言できないだろうことも。それでも身体を売るような真似はしなかった。幼女趣味の変態もいたけど、さすがにそこまではしようとは思わなかった。
幸いとでも言うべきか、私には“ある知識”があった。そのお陰で、どうにかこうにか日々を生き抜くことができたと思う。
そう。私にはある強みがあったから。前世の記憶という名の強みが。
前世は“日本”という国で生まれた人間だった。ただ、普通の人生とは言い難かったとは思う。どう普通じゃないのかと言うと、前世の私の家が代々警護を専門とする警察関連の仕事をしていた、ということ。
前世の私は幼い頃からその技術を叩き込まれて育った。そのせいかあまり感情も出さないように訓練させられたし、そつなくこなせてしまったがために、際限なく色々教えられるせいで子供らしい生活は送れなかった。
それを嫌だと思ったことは無かった。むしろ、誰かを護り、感謝される両親が誇りだった。こうなりたい、という目標でもあったと思う。
私が成人したその年、父は職務中に殉職した。それから間もなく母は病を患い、快癒することなく亡くなった。悲しくはあったけど、『いつ如何なる時でも感情を乱すな』という教えが頭を過ってしまい、涙は出なかった。
それでも仕事を事務的に続けていたある日。とある要人警護の任務を課せられ、護衛していた時だ。不意に悪寒を感じて、私は思わず警護対象者を突き飛ばした。次の瞬間、それまで警護対象者が立っていた場所に銃弾が撃ち込まれた。つまり、私の身体に。
弾が貫通したとき、身体がびくんっと痙攣して、私はそのままくずおれた。あ………これもう駄目だ。自分のことながら、まるで他人事のように悟った。
警護対象者が駆け寄ってくる足音が聴こえる。「────ッ!!」
“彼女”が何かを叫んでいる。顔が濡れた感触がしていたけど、それも感じなくなってきた。それにもう何も聴こえない。視界もだんだん狭まってくるのが分かる。
あぁ………ダメですよ、__様。貴女は早く逃げて下さらないと。
私のことはどうか気に病まないで。職務を全うしようとしただけなのですから。だから─────
そこで、私の前世の生涯は幕を閉じた。
前世の記憶を思い出したのは、物心ついた頃だ。幸いだと言ったのは、前世の経験を活かしてサバイバル生活が出来たからだ。何故そのタイミングで前世の記憶が甦ったかというと、たぶんその時、熱に冒され死にかけていたからだと思う。前世の記憶を取り戻した反動か、魔力にも目覚め、治癒魔法などを駆使することで一命をとりとめた。
スラムで生き延びるためには、綺麗事だけでは生きていけない。ただでさえ、劣悪な環境なのだから。相手を初めて手にかけたのは、いつだったか。
前世でやっていた警護の仕事だとて、時には警護対象者を護るために襲撃者をその手にかける時だとてあったのだから。例え殺す気がなかったとしても、当たりどころが悪ければ、人は容易く死ぬ。
まあ、要は生きるためとはいえ、相手も犯罪に手を染めている相手だったとはいえ、私自身の手も汚れている、と言いたい訳です。
こんな私が誰かから愛され、護られるなんて想像できない。前世でさえ、正当防衛が認められたとはいえ、襲撃者を殺めたことを理由に同僚からでさえ遠巻きにされていたからだ。
そのことについて後悔はしていない。だって、そうしなければ警護対象者を護れなかったから。
纏う雰囲気が異質だったのか、異性はもちろんのこと同姓の友人さえできなかった。それを気にしたことはなかったけど。
感情を律しすぎて、無表情・無感情が通常使用というのも一人だったことを何とも思わない原因だったのかもしれない。
前世でさえそうだったのだから、親どころか誰も頼ることのできない環境で育った今世の私なんて言わずもがな、だ。
だからあの仕事に行き着いたのはある意味必然だったのだろう。前世は守ることに使っていた経験を、と思わなくはなかったけど、以外とあの仕事に馴染んでしまったのは皮肉なものだ。
このまま誰にも省みられることなく、ある意味“闇の世界”ともいえるここで朽ちていくんだろうな、と考えていた。
そう、思っていたある日───────────────
あれはたしか、およそ八歳に──自分の生まれた日も分からないから、正確な年齢は分からない。だから物心ついてから数えていた日にちを元にした──なるかの頃だった。
「───お前か?その歳でどんな依頼も完遂するという、凄腕の暗殺者は」
「…………………………だれ?……………依頼人?…………若い………」
私の言葉に男の子は傷ついたように顔を歪めた。……………?
今までは直接会いに来る者なんていなかった。大抵は、使用人が代理としてくるか、依頼書を送りつけてくるかの二択だったのに。
その思いが思わず口に出た。久しく会話なんてしていなかったから、ひどくカタコトな喋り方になったけど。
本当に誰だろ?この男の子。随分綺麗な身なりをしてるけど。アッシュブロンドの髪と、紺碧の瞳がやたらと目を引いた。
「………覚えてるわけないか。ま、だから直接来たんだが。お前にはオレと共に来てもらう」
「─────は?」
この子は何を言っているのだろう?聞き間違いでなければ、“一緒に帰るぞ”的なニュアンスに聴こえたのだけど。
普通に考えれば私の言い様は彼に対して失礼な態度だろう。この男の子、いいところの育ちっぽいし。なのに、男の子も物陰に潜んでいる護衛らしき者も、咎める気はないようだ。「無礼者!」という言葉が出たっておかしくはないと思ったのだけど。
これまでの依頼者なんて、私のお世辞にも愛想がいいとはいえない態度を見て「態度が気に入らない」「下賤の者は礼儀がなっていない」「汚ならしい視線をこちらに向けるな」なんて言って、不快感を隠しもしなかったから。こちらを見下し、蔑んだ物言いをしつつも、依頼を取り下げることはしなかったけどね。
スラムの者を自分たちと同じ人間扱いしたくはなかったのだろう。そんな私に“殺し”を依頼してくるのだから、なんとも矛盾した連中だ、と思っていた。
私がそんな過去の依頼者たちを思い起こしていると、男の子が思い出したように口を開いた。
「……ああ、そういえば名乗ってなかったな。オレはクルシェットという。お前の名は?」
名前を聞いた訳でも無かったのに、彼は名乗ってきた。
それに、私の名前?物心ついた時から一人だったのだから、ある訳ない。
「……………そんなもの、ない。みんな、適当に呼ぶし」
「──そうか。じゃあ、オレが付けてもいいか?」
「……………好きに、する。名前………意味………ない………ここは」
そう。名前に意味なんて無い。
スラムに住む者はみんな、自分が生き残るために必死なのだ。たとえ幼子であろうとも、気にかける余裕なんてないのだから。
そんなことを私が考えていた、その時だった。
「そうか……………なら、リュミエルというのはどうだ?」
男の子が口にした名前を聴いた途端、ドクンっと心臓が波打ち、次いで全身がざわっと震えた。何………?この感覚は───?
「………っ!?リュミ……エル………?」
クルシェットと名乗った男の子が口にした名前を反芻すると、何かが身体に巻き付いたように感じた。
それは痛みではない、不思議な感覚だった。
まるで、ずっと待ち侘びていたような、そんな感じ。
欠けていた欠片が埋まったような、満たされた気持ち。
これは──この感情は………歓喜……………?
「ああ………!そうだ。今日からお前の名はリュミエルだ!ほら、行くぞ、リュミエル!」
クルシェットは、私が自分がつけた名に反応を示したのが嬉しかったようだ。ぱっと花が咲いたように満面の笑みになった。
屈託なく笑いながら、手を差し伸べてきた彼の手を取ったことが、私の本当の意味での物語のはじまり─────
『自分は何のために生きているのだろう』と。
かくいう私もその一人だ。ただ、『私は不幸だ』なんて悲観したことはないけど。
物心ついた頃にはもう一人ぼっちだった。お世辞にも綺麗とは言えないスラムの片隅で生きてきた。
産みの親が誰だとか、何故ここにいるのか、とか考えたこともあったけど、早々に切り捨てた。そんなことを考えたところで日々の糧になんてならないし、生きていけないからだ。
生きるために何でもやった。盗み(誰かれ構わずという訳じゃなく、できる限り悪事に手を染めてそうな人間を狙ったけど)、傷害(たいていはよろしくない視線を寄越してくる変態相手ばかりだったけど)、それこそ人前で公言できないだろうことも。それでも身体を売るような真似はしなかった。幼女趣味の変態もいたけど、さすがにそこまではしようとは思わなかった。
幸いとでも言うべきか、私には“ある知識”があった。そのお陰で、どうにかこうにか日々を生き抜くことができたと思う。
そう。私にはある強みがあったから。前世の記憶という名の強みが。
前世は“日本”という国で生まれた人間だった。ただ、普通の人生とは言い難かったとは思う。どう普通じゃないのかと言うと、前世の私の家が代々警護を専門とする警察関連の仕事をしていた、ということ。
前世の私は幼い頃からその技術を叩き込まれて育った。そのせいかあまり感情も出さないように訓練させられたし、そつなくこなせてしまったがために、際限なく色々教えられるせいで子供らしい生活は送れなかった。
それを嫌だと思ったことは無かった。むしろ、誰かを護り、感謝される両親が誇りだった。こうなりたい、という目標でもあったと思う。
私が成人したその年、父は職務中に殉職した。それから間もなく母は病を患い、快癒することなく亡くなった。悲しくはあったけど、『いつ如何なる時でも感情を乱すな』という教えが頭を過ってしまい、涙は出なかった。
それでも仕事を事務的に続けていたある日。とある要人警護の任務を課せられ、護衛していた時だ。不意に悪寒を感じて、私は思わず警護対象者を突き飛ばした。次の瞬間、それまで警護対象者が立っていた場所に銃弾が撃ち込まれた。つまり、私の身体に。
弾が貫通したとき、身体がびくんっと痙攣して、私はそのままくずおれた。あ………これもう駄目だ。自分のことながら、まるで他人事のように悟った。
警護対象者が駆け寄ってくる足音が聴こえる。「────ッ!!」
“彼女”が何かを叫んでいる。顔が濡れた感触がしていたけど、それも感じなくなってきた。それにもう何も聴こえない。視界もだんだん狭まってくるのが分かる。
あぁ………ダメですよ、__様。貴女は早く逃げて下さらないと。
私のことはどうか気に病まないで。職務を全うしようとしただけなのですから。だから─────
そこで、私の前世の生涯は幕を閉じた。
前世の記憶を思い出したのは、物心ついた頃だ。幸いだと言ったのは、前世の経験を活かしてサバイバル生活が出来たからだ。何故そのタイミングで前世の記憶が甦ったかというと、たぶんその時、熱に冒され死にかけていたからだと思う。前世の記憶を取り戻した反動か、魔力にも目覚め、治癒魔法などを駆使することで一命をとりとめた。
スラムで生き延びるためには、綺麗事だけでは生きていけない。ただでさえ、劣悪な環境なのだから。相手を初めて手にかけたのは、いつだったか。
前世でやっていた警護の仕事だとて、時には警護対象者を護るために襲撃者をその手にかける時だとてあったのだから。例え殺す気がなかったとしても、当たりどころが悪ければ、人は容易く死ぬ。
まあ、要は生きるためとはいえ、相手も犯罪に手を染めている相手だったとはいえ、私自身の手も汚れている、と言いたい訳です。
こんな私が誰かから愛され、護られるなんて想像できない。前世でさえ、正当防衛が認められたとはいえ、襲撃者を殺めたことを理由に同僚からでさえ遠巻きにされていたからだ。
そのことについて後悔はしていない。だって、そうしなければ警護対象者を護れなかったから。
纏う雰囲気が異質だったのか、異性はもちろんのこと同姓の友人さえできなかった。それを気にしたことはなかったけど。
感情を律しすぎて、無表情・無感情が通常使用というのも一人だったことを何とも思わない原因だったのかもしれない。
前世でさえそうだったのだから、親どころか誰も頼ることのできない環境で育った今世の私なんて言わずもがな、だ。
だからあの仕事に行き着いたのはある意味必然だったのだろう。前世は守ることに使っていた経験を、と思わなくはなかったけど、以外とあの仕事に馴染んでしまったのは皮肉なものだ。
このまま誰にも省みられることなく、ある意味“闇の世界”ともいえるここで朽ちていくんだろうな、と考えていた。
そう、思っていたある日───────────────
あれはたしか、およそ八歳に──自分の生まれた日も分からないから、正確な年齢は分からない。だから物心ついてから数えていた日にちを元にした──なるかの頃だった。
「───お前か?その歳でどんな依頼も完遂するという、凄腕の暗殺者は」
「…………………………だれ?……………依頼人?…………若い………」
私の言葉に男の子は傷ついたように顔を歪めた。……………?
今までは直接会いに来る者なんていなかった。大抵は、使用人が代理としてくるか、依頼書を送りつけてくるかの二択だったのに。
その思いが思わず口に出た。久しく会話なんてしていなかったから、ひどくカタコトな喋り方になったけど。
本当に誰だろ?この男の子。随分綺麗な身なりをしてるけど。アッシュブロンドの髪と、紺碧の瞳がやたらと目を引いた。
「………覚えてるわけないか。ま、だから直接来たんだが。お前にはオレと共に来てもらう」
「─────は?」
この子は何を言っているのだろう?聞き間違いでなければ、“一緒に帰るぞ”的なニュアンスに聴こえたのだけど。
普通に考えれば私の言い様は彼に対して失礼な態度だろう。この男の子、いいところの育ちっぽいし。なのに、男の子も物陰に潜んでいる護衛らしき者も、咎める気はないようだ。「無礼者!」という言葉が出たっておかしくはないと思ったのだけど。
これまでの依頼者なんて、私のお世辞にも愛想がいいとはいえない態度を見て「態度が気に入らない」「下賤の者は礼儀がなっていない」「汚ならしい視線をこちらに向けるな」なんて言って、不快感を隠しもしなかったから。こちらを見下し、蔑んだ物言いをしつつも、依頼を取り下げることはしなかったけどね。
スラムの者を自分たちと同じ人間扱いしたくはなかったのだろう。そんな私に“殺し”を依頼してくるのだから、なんとも矛盾した連中だ、と思っていた。
私がそんな過去の依頼者たちを思い起こしていると、男の子が思い出したように口を開いた。
「……ああ、そういえば名乗ってなかったな。オレはクルシェットという。お前の名は?」
名前を聞いた訳でも無かったのに、彼は名乗ってきた。
それに、私の名前?物心ついた時から一人だったのだから、ある訳ない。
「……………そんなもの、ない。みんな、適当に呼ぶし」
「──そうか。じゃあ、オレが付けてもいいか?」
「……………好きに、する。名前………意味………ない………ここは」
そう。名前に意味なんて無い。
スラムに住む者はみんな、自分が生き残るために必死なのだ。たとえ幼子であろうとも、気にかける余裕なんてないのだから。
そんなことを私が考えていた、その時だった。
「そうか……………なら、リュミエルというのはどうだ?」
男の子が口にした名前を聴いた途端、ドクンっと心臓が波打ち、次いで全身がざわっと震えた。何………?この感覚は───?
「………っ!?リュミ……エル………?」
クルシェットと名乗った男の子が口にした名前を反芻すると、何かが身体に巻き付いたように感じた。
それは痛みではない、不思議な感覚だった。
まるで、ずっと待ち侘びていたような、そんな感じ。
欠けていた欠片が埋まったような、満たされた気持ち。
これは──この感情は………歓喜……………?
「ああ………!そうだ。今日からお前の名はリュミエルだ!ほら、行くぞ、リュミエル!」
クルシェットは、私が自分がつけた名に反応を示したのが嬉しかったようだ。ぱっと花が咲いたように満面の笑みになった。
屈託なく笑いながら、手を差し伸べてきた彼の手を取ったことが、私の本当の意味での物語のはじまり─────
応援ありがとうございます!
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