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3話
何か焦げた匂いが鼻について、春吉は何度も鼻を鳴らす。気のせいではなく物が焼ける匂いだ。
なんだか着ている服がじんわり冷たくて、気持ち悪いとゆっくり身を起こす。
瞼を開けると、最初に入ってきたのは一面の緑だ。
「……あ?」
サワサワと風に揺れる雑草。寝起きの春吉は理解できなかった。
辺りを見渡すと、気持ちのよいほど真っ青な晴天が広がっていて、陽の光がいっぱいに地面へと降り注いでいる。春吉の体も例外ではない。なんだか暖かくて微睡みたくなってきた。
雨上がりなのか、露を帯びた草はキラキラと輝いていて、倒れていた前側だけ服が濡れているのも頷けた。
だが、この風景が窓越しであったなら何も驚かない。
今日もいい一日だと、遮光カーテンを引き直すだけだ。しかし……生憎寮の窓からは、こんな森だか林を切り開いた場所は見えやしない……と、いうことは。
ジリッと肌が傷む。
血の気が一気に引いて、サァっと青ざめた。
「まずいっ!」
まさか自分が外で寝ていただなんて、それはもう飛び上がった。
四つん這いになって、命からがら大きな木の影へと体を滑り込ませる。ここなら日差しは入りにくい。
地面なんか知ったことか、手早く腰を降ろしてドクドク早鐘を打つ胸の上に手を置いた。
自分の心臓はこんなにうるさいのに、なんとも森の中は穏やかで春吉だけがおかしいみたいだ。
風はそよ風のように気持ちがいいし、視界の端では野花に蝶が舞っている。
今置かれている状況を整理しようと視線を足下にやると、泥のついた足が見える。周りに靴や靴下なんかない。逃げ込んだ場所はまだ乾いておらず、指の間に潜り込んだ土が、湿ってぐちゃりと音を立てた。
「お、落ち着けっ……落ち着けっ、」
木の幹に背中を貼り付けて、荒れている呼吸を整えようと努力する。
自身の顔や腕に手を当てると、少し腫れているが予想よりも幾分かマシではある。あとで軟膏を塗れば、ヒリヒリとした痛みも治るだろう……軟膏なんかが今のこの場にないことを春吉は気づいていない。
しかし、なぜ自分は寝ていたんだ?と考えて、意識を失う前の記憶を思い出した。
職人の子供に作っていた西洋風のお城。扉を取り付けて完成した途端、なんともオカルトじみたことが起きた。
「いや、夢っ……これは夢だっ……」
なんの変哲もない自作の城から、蔦が飛び出してきて連れ去られました……夢にしたって見ているものが幼すぎる。
両目を強く擦ってみるが景色は変わらず、痛みが無ければ夢であるという謎の理論に基づいて、思いっきり頬をつねったら痛くて涙が出た。
視界が眩しいと思っていたら、サングラスもかけていない。春吉にとってもうそれは死活問題だ。
日傘もない、サングラスもない、靴もない。半袖短パンで野晒し状態。
助けを呼びにいくのだって、難しい。
一見ただの森にしか見えないが、連れてこられた手前、ただの森だとも思えない。
「どこだここ……日本……じゃないとしても、海外か……?いや、それで済めばいいけどな……ははっ」
慣れないのに笑ったフリをして、自分を落ち着けようと、独り言が止まらない。
しかし口から出てくる言葉は、なんとも弱気なものばかりで気持ちは沈むばかりだ。
「ギャー!ギャー!」
「っうお!……っな、なんだよ!?」
空から耳を裂くような声が聞こえて飛び上がると、おっかなびっくり木々の隙間から少しだけ顔を出す。
手で目の周りを覆いながら見つめて、息を呑んだ。
「なんだ、あれ……」
黒光りするコウモリが十体、整列して空を真っ直ぐ飛んでいた。だが、ただのコウモリならここまで驚かない。
大きさが人間くらいある。いや、春吉よりも遥かに大きいのだ。
バッサバッサと羽ばたいて、春吉がいるところまでものすごい風圧がくる。
しかもよく見れば頭や体にまで防具を身につけて、まるで特殊メイクの集団だ。
映画の撮影か何かだと現実逃避をしたくなるが、どこを見てもピアノ線の類は見当たらない。ドローンもなければ撮影隊だっていやしないのだ。
ただ茫然と見つめていると、真ん中にいたコウモリが地面に響くほどの声で叫んだ。
「急げ!延焼を抑えるのが最優先だ!」
「勇者は見逃せ!……っ、魔王様のご指示である!」
聞こえてきたのは流暢な日本語。
ならばここは日本のどこか……か?けれど……。
勇者?……魔王?
なんの冗談だと頭を抱えるも、考えている間にコウモリの集団は飛び去っていき、春吉だけが取り残される。
さっきから臭うこの焦げ臭い匂いと、先ほどのコウモリたちは何か関係があるのだろうか。
その場から動くことは出来ず、まごついているとコウモリが飛び去った方角から全速力で走ってくる者たちをとらえた。
見たところ人間っぽいシルエットで、先ほどのコウモリに話しかけるよりはハードルがかなり低い。
悩んでいる場合ではない、春吉は木の影から両腕を出して叫んだ。
「おーい!!……っ!?」
走ってくる人物を見て、春吉は思わず腕を引っ込める。
望み通り人間だ。人間なのだが、様子がおかしい。
目にしたのは三人だ。
一人は女の子で、薄い紫の装束を着ている。日曜日の少女向けアニメで見たことがある魔女の帽子をそのまま被り、手に持つ杖は彼女の身長ほどの長さで、先には丸い水晶が載っていた。
もう一人は、見たことのない足までの青い法衣を纏っている。首から十字架に似た変わったネックレスを下げていて、トンボの目玉みたいな丸いメガネをかけている。
そして、先頭を走る少年。日本じゃあまり見かけない金髪で青い目の彼は、虚な眼差しで汚れた防具とヒビの入った盾を持っていた。今にも欠けてしまいそうな盾は酷く重そうだが、手放そうとはしないみたいだ。
そして、手を引っ込めた理由は、春吉のすぐ側を彼らが通ったことで明らかになる。
金髪の青年が持つ盾……その反対の手に持った刃こぼれした剣には、べったりと血がこびりつき、今なお滴っていた。それは草の上にもポタポタと垂れていて、野花にも容赦なく染みをつくる。
近くまで来ると陽に当たっていた金髪にも、その血が飛んで薄汚れていることに気づく。
一瞬彼の血かと思ったが、走る足はしっかりしていて、まるで……誰かを殺めて逃げているようにも見えた。
「やった、やったぞ!……っ、魔王を倒したぞ!!」
青い目が爛々として、そう彼は口走る。魔女っ子の彼女は唇を尖らせて言った。
「私のサポートがあったからよね?そうでしょう?」
魔女っ子の言葉に眼鏡の青年は手を組んで、うっとりとした表情だ。
「僕の『陽の祈り』が届いたからに決まっています」
まるで張り合うように言い募る。
仲のいいやり取りだが、話と見た目が噛み合わない。
青い目の彼は、汚れた剣を空に突き上げて、ニッと笑った。
「これでっ、やっと……俺たちの人生は安泰だっ!」
周りに響くような大きな声だった。通り過ぎても聞こえるほど、彼らはハイになっているようだ。
春吉はゾッとしてしまい、より一層木の影へと身を隠す。
「今の、なんだ……勇者?あれが、勇者だって?」
春吉の知っている勇者像とは程遠い。あれじゃあ、まるで……。
「人殺し、っ、みたいじゃないか」
口にして、ヒュッと呼吸が乱れる。
その瞬間、ドーンと地響きのような音がして春吉は音の方へ視線をやった。
先ほど勇者と名乗る奴らが走ってきた方向を見ると、黒煙がモクモクと立ち上っている。
女性や誰かの悲鳴まで聞こえてきて、より一層春吉は不安に覆われる。
自分が行っても足手纏いだ。だけど、何もしないのはもっと無理だった。
震える足をどうにか叱咤した春吉は、木々の隙間を頼りに、転げるように走り出した。
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