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嵐の夜に
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宿屋めんどりのドア前。二人から落ちる雨水を吸って汚れを落とす絨毯は、ぐっしょり濡れている。
だが、それを指摘するものは今ここにいない。
レオンハルトはエリオスの冷えきった掌を掴むと痛いほど握る。
「痛いっつうの」
「……ねぇ、この嵐ですよ。私が来なかったらどうなってたと思います?」
怒りを必死に押さえ込んだような声音。
自身を心配しているからだと分かっているのに、それが叶わない想い人から向けられてると思うと、煩わしく感じてしまう。
「ごめん、ありがとう」と出会った頃であったら、素直に言えたのに今はもう無理だ。
貰えないなら見せつけないで欲しい。
レオンハルトの優しさが苦しい。
やめればいいのに、煽るような言い方しか今のエリオスには出来なかった。
「来ないなら来ないなりに、したっての」
「……出来たかもしれませんね。でも、風に飛ばされるか、飛んできた物で怪我をしていたかも知れません」
「そりゃ、想像だろうが。っていうか、お前騎士団はどうした。こんな嵐に団長が抜け出して何してんだよ」
この嵐だ。
だというのに、何故レオンハルトはここにいるんだ。
しかしエリオスの動揺を他所に、涼しい顔で言ってのける。
「私は職務を終えてます」
「んなわけねぇーだろこの非常時に!送ってってやっから行くぞ!」
「変わりを立てたので大丈夫ですっ!それにあなたに送られたら、あなたが帰れないでしょうが!どうして、こぅ……あぁっ」
レオンハルトは胸の中で暴れ回る気持ちに苦しむみたいに、空いた片手で綺麗な金髪を掻きむしる。
いつもは丁寧な王子に足る仕草であるのに、目の前のレオンハルトは実に男臭い。
言い争いの最中だというのに、胸がドギマギして居心地が悪い。
レオンハルトは腹の底からの深い深いため息を吐くと、突然エリオスの体をかき抱いた。
「ぅわ、な、なにして、」
濡れた金の髪が、エリオスの頬に触れる。
懇願でしかない、弱々しいレオンハルトの声が聞こえた。
「お願いです……私のいない所で無茶をしないで……頭がおかしくなりそうだ」
ぎゅうっと冷たい体同士が、隙間なくぴたりと合わさる。
腕ごと巻き込まれ、呼吸も難しいほどの密着に、エリオスの体はレオンハルトに殆ど覆い隠されている。
どうして、レオンハルトがそんな事を言うのか理解できなくて握った拳で小さく目の前の胸を叩いた。
「なんで、お前の、許可がいるんだよ」
「なんでもです」
「理由に、なって、ない!」
「なってないなら――理由をあげましょうか!?」
突然出された大声に、思わず体が竦む。
(理由?ってなんだよ。俺とお前にそんな理由あるわけないだろ)
どんな理由があれば、人を引き止められるんだ。
知人、友人、家族……恋人?
一番ありえない答えが浮かんで、苦虫を噛み潰したような顔になる。
「どうしてか、リオのことになると……理性が働かない。これって、なんなんでしょうね」
掠れた声でそう呟いたレオンハルト。
胸の中から何とか顔を上げると、なんでか怒っている本人が泣きそうに顔を歪めていて、エリオスはどうしたらいいか分からない。
「泣くなよっ、なんだよその顔」
「あなたのせいです、あと、泣いてないです」
……泣いちゃいないが、今にも泣きそうな年下がいたらエリオスは全部自分が悪いと思う。
自分が泣かせたと、さっきまであんなに頑なだった気持ちの壁はガラガラ崩れて、ぽきっと折れた。
「……泣くとは思わなくて、ごめん、ごめんな」
「だから泣いてません」
「ほんと、悪かった。助けてくれてありがとうな」
そう言うとやっと抱きしめる腕の力を緩めてくれる。
だが、よく見えるようになったレオンハルトの顔には、わかりやすく不服と言った表情を貼り付けていた。
この嵐で、また外へ追い出して城に帰すわけにもいかない。
迷うことなくエリオスは、レオンハルトを部屋へと誘った。
玄関で中々の大声で騒いだ二人だったが、その声も雨風が消し去ってしまった。
明日マルク夫妻には声をかければいいかと、交代で部屋に備えられたシャワーを浴びる。
どっちが先に浴びるかでまたも揉めたが、年下からだ!とエリオスが叫んだら、問答無用でシャワー室に押し込まれてしまった。
今はほかほかの体に寝間着を身につけて、ベッドに腰掛けている。
雨戸で見えない窓を見つめて、騒ぎ出しそうな心を落ち着ける。そうしないと我に返りそうだからだ。
兄らには言えない行動を、この国に来てから数え切れない程しているが、今やっている事は間違いなくピカイチでダメだ。
αと同じ部屋で、しかもシャワーを浴びて一つのベッドで眠る……アウトだ。
レオンハルトがシャワーに行っている隙に、またも抑制剤を飲んでいることが答えである。
何も無い。あるわけないが保険をかけてさらに、何も無いようにしている。
「シャワー、ありがとうございました」
「おう……まぁ、気にすんな」
シャワー室から出てきたレオンハルトの破壊力は、またなお一層……物凄い。
ほんのり色付いた頬に、薄い唇も今は赤色が強い。
身にまとっているものは、クローゼットに備え付けられた、エリオスの物よりワンサイズ大きい寝間着だ。前で結ぶワンピースタイプのもので脱ぎ着が楽なものである。
だが、レオンハルトが身に纏うと、なんともまぁ、なまめかしい。
首筋もふくらはぎもしっかり見えてしまい、思わず目をそらす。
「お水をいただいても?」
「……お茶入れるよ」
シャワーを浴びたとはいえ、体は冷えている。
備え付けのキッチンに向かった。
「いえ、おかまいなく」
「いつも入れてもらってるから気にすんなよ。まぁ、口に合うかは別だけど」
エリオスは、二つあるカップを手に取ると、ソルグランから持ってきた茶筒を開けた。初めての一人暮らしは様になってきて、湯沸かしくらいはすぐに出来る。
このお茶もソルグランの農夫に頼んで送って貰ったのだ。
中に入っているのは、鮮やかな黄金色の小さな蕾だ。それをカップに一つずつ入れて、沸かした湯を注ぐ。
フワッと花が開くと、中の湯が花と同じ黄金色に変わっていく。
持っていけば、レオンハルトは目を見開いて驚いた。
「これは凄い、花が咲いています!」
「それが特徴だからな……どーぞ」
レオンハルトが手に取ると、宿屋のカップがまるで有名なデザイナーの作品に見えるから不思議だ。
先に自分が一口飲む。鼻から抜ける香りが強い。加工方法が変われば、この花は香水にもなるほどの品種なのだ。
「美味しい……まるで花畑にいるように香りが強いですね」
「ははっ、だろ?」
「どこのお茶なんですか?この国でも絶対人気が出ますよ」
カップの中身を転がしながら、興味津々に聞くレオンハルトに、エリオスは気持ちが浮ついた。
「これ、ソルグランで作ったんだ。ロザゴールドって言うんだけど……」
「香水でよく聞く名前ですね。お茶は初めてです」
ロザは華やかな花弁と強い香りが人気の品種だ。赤やピンクと種類は多いが、特にゴールドと名前のつく濃い黄色の花弁は、香りがより良いのが特徴だ。
「ロザ……色味がゴールドのものは高価だったはずでは……お茶で飲んでいいものですか?」
このロザゴールド。エリオスがソルグランで丹精こめて育てた花である。勿論、ロザゴールドは高価だ。だが、このお茶に加工したものには理由がある。
「これな。蕾に傷が出来て成長が止まったから、香水に加工出来ないんだよ。若いのは色味も明るいし……でも勿体ないだろ?試しにお茶にしてみたんだけど……でも試作品を、お客様にだすもんじゃないよな」
まずかったな。とカップを揺すって口に含む。
鼻から抜ける香りはエリオスのお気に入りだが、茶菓子もなんかあったかな?と立ち上がる。
最近はマルクがよく部屋に来て寝間着パーティーをするものだから、置き土産が多いのだ。
小さなキッチンの小物置きを漁っていると、レオンハルトはゆっくりと確かめるよう口を開く。
「それでお茶に……ん?待ってください。これも、もしかして"エリオス王子"が?」
(そりゃそうだろ。エリオス王子は俺だしな)
しかし、その答え合わせも慌てたりしない。
確かここにクッキーがあったはずだと、小物置きに手を入れてガサガサ漁る。
そのまま「おー、」と生返事だ。
「なんってことですかっ!!」
また大きな雷でも鳴ったかと思った。
レオンハルトは突然立ち上がり、片手で持っていたカップを両手で持ち直すと、高くは無い天井に掲げた。
「び、っくりした……急にでかい声出すなって」
レオンハルトは、まるで王様から王冠を受け取ったような雰囲気で、頬は興奮したせいで一気に色付いた。
口を開いては閉じてを繰り返しながら、もう一度カップに高い鼻を寄せて、香りを嗅ぐ。
「なんて素晴らしい方なんだ……廃棄するはずの植物も、こんなに綺麗なお茶にするなんて」
「……いや、なんかもったいないからお試しではじめただけだぞ」
取り出したクッキーの箱を開けて、テーブルに置いたエリオスは、その時を思い出しながら呟く。
しかし、"エリオス王子"のことで頭がいっぱいのレオンハルトには、とんでもない発見らしい。
「リオは近くにいすぎて、分かっていないんですよ!彼は天才ですっ」
「へーへー、そうかいそうかい」
自分のことだから、余計に手放しで褒められると恥ずかしい。過度に喜ぶフリも上手くできる気がしなくて、意図して平坦な声を作る。
本当は、頭をかきながら身を捩って感謝したいくらいだ。
(大変だったんだ。最初は色はつくけど味はイマイチで。乾燥時間を何度も試してやっと良い物になったんだ……嬉しいな)
顔に熱が集まってしまうのを誤魔化すように、よくあるプレーンのクッキーに齧り付いて、お茶で流し込んだ。
こんな夜更けに飲食など、普段は控えている。そもそもエリオスは朝が早いから、いつもならこの時間はベッドの中だ。
しかし、イレギュラーな事態だから許されると、胸の甘さをクッキーの甘さだと勘違いしたくてしょうがない。
そんな事を考えていたが、レオンハルトはそうではなかったらしい。
突然閃いたと、狭い部屋を大きな足で機敏に移動すると、先程までエリオスが手にしていた茶筒を持った。
「ねぇ、リオ。開けても?」
「どうぞ?乾燥したロザゴールドだけど」
レオンハルトは生唾をのみこんで、茶筒を開けた。きゅぽんと空気の抜ける音がして、握る手に力が籠る。
そしてあろう事か、その筒に直で鼻を押し付ける。
「は!?」
すぅうううっと部屋の空気を全て飲み込む気か?と思う呼吸音に驚くが、彼の目は本気である。
突っ込みたいが、真剣な表情に茶々を入れそびれた。レオンハルトは、吸ったと思ったら今度は確認するように、スンスンと鼻を動かしていく。
暫くそうしていたが、こちらに顔を向けると分かりやすく残念と言った表情だ。
「香り、しませんでした」
「……するわけないだろ」
ここで言う香りは"運命のフェロモン"だ。
何の手違いが、レオンハルトの鼻が間違えた架空の運命の香り。
エリオスは視線を外してカップに移す。何を思っているか分からない、自分の表情が映って嫌だった。
「でも、ネクタリンはちゃんとしましたし……」
「あれは勘違いだっつの」
「でも確かに、」
「するわけが無い」
ピシャリと言い切ったのは、この話が居心地悪かったからで。自分の口から出た言葉があまりにも突き放すようで、エリオスは驚いた。
レオンハルトも目を見開いて驚いた様子だったが、テーブルに備え付けてある椅子に腰を下ろす。
そして腰を軽くあげると、椅子ごとエリオスへ近づいた。
まるで内緒話でもする近さに身を引くが、レオンハルトは追いかけてまたも寄った。
「ねぇ、リオはどうしてそんなに運命を否定するんですか?」
「……エリオス様に運命はもういたからに決まってる」
「その人、本当に運命だったんですか?……勘違いとか」
勘違い……だったらエリオスは、こんなに不自由で不健康な生活をしていない。
きっと、子供もいて、番と呼べる人に守られて。家族が自分のことで憂うなんてことも無く、幸せに暮らしていたはずだ。
「運命だ。間違いない……と聞いた」
自分の言葉だが、どうにかリオの気持ちに変換する。できているかは怪しいが。
しかし、レオンハルトも今が瀬戸際と分かっているのだろう。俯くエリオスの顔を覗き込んで懇願する。
「一度、どうしても会いたいんです……エリオス様に」
「……運命じゃないんだから会う必要はないだろ」
「運命です」
こうと決まると頑固だ。エリオスは己の性格をしっかり棚に上げた。
レオンハルトに思われるエリオスが羨ましい。自分はエリオスだ。だが、レオンハルトが望む運命のエリオスは存在しない。
悪い顔を無理やり作って、わざとらしく口端を上げた。
「ほら、あの人がいいよ、フィル様」
「……なんでフィルが出てくるんです?」
「立派な人だ。努力家でとても、優しい人だな」
レオンハルトを思いながらも、運命が叶うようにと願える人。
αの思いは肌感だが重量級だ。それを支えられるのは同じくらい相手を思える人だ。
分かりやすく眉間に皺を寄せて、レオンハルトは唸るように口を開く。綺麗な造形が、途端に怒りをにじませると迫力がある。
それすらも「いいな」と、頭の中は他人行儀だ。
「フィルは良い奴ですが友人です。私にはエリオス王子という運命がいます」
怒ってるなぁ、と。怒りすら向けてもらえるのかと。
運命というものはいいなぁと。
貰えないから、世界のどこかに実在するであろう、レオンハルトの本当の運命が心底羨ましい。
(俺にも欲しかったな。ずっと、欲しかったのになぁ)
「あの人は会わないよ、会う必要なんかない。ずっとな」
「どうしてそんなに頑ななんですか?……なにか、やましいことでもあるんですか?」
「……やましい、こと、ねぇ……」
レオンハルトの真摯な言葉と、懇願するような眼差し。
いつまでも"エリオス王子"が運命だと、その勘違いと期待を持たせておくのは、酷だと分かっていた。
でも、この事を伝えるだけで、レオンハルトを酷く傷つける。
それでも、そろそろ潮時だ。
ただの農夫と会えない王子。
この答えが、彼を傷つけても、今の勘違いを覚めさせる理由になる。
「この話、知ってる奴限られてるんだが……」
「……私が聞いていいんですか」
「うん、聞いて。それでスッパリ諦めろ」
レオンハルトは目の前の椅子にしっかりと座り直す。
緊張を感じさせる表情が、崖から突き落とされたような絶望に変わるのを、エリオスはしっかりと見届けた。
「エリオス王子の運命は……お前の父、ジークハルト王だったんだ」
宿屋めんどりのドア前。二人から落ちる雨水を吸って汚れを落とす絨毯は、ぐっしょり濡れている。
だが、それを指摘するものは今ここにいない。
レオンハルトはエリオスの冷えきった掌を掴むと痛いほど握る。
「痛いっつうの」
「……ねぇ、この嵐ですよ。私が来なかったらどうなってたと思います?」
怒りを必死に押さえ込んだような声音。
自身を心配しているからだと分かっているのに、それが叶わない想い人から向けられてると思うと、煩わしく感じてしまう。
「ごめん、ありがとう」と出会った頃であったら、素直に言えたのに今はもう無理だ。
貰えないなら見せつけないで欲しい。
レオンハルトの優しさが苦しい。
やめればいいのに、煽るような言い方しか今のエリオスには出来なかった。
「来ないなら来ないなりに、したっての」
「……出来たかもしれませんね。でも、風に飛ばされるか、飛んできた物で怪我をしていたかも知れません」
「そりゃ、想像だろうが。っていうか、お前騎士団はどうした。こんな嵐に団長が抜け出して何してんだよ」
この嵐だ。
だというのに、何故レオンハルトはここにいるんだ。
しかしエリオスの動揺を他所に、涼しい顔で言ってのける。
「私は職務を終えてます」
「んなわけねぇーだろこの非常時に!送ってってやっから行くぞ!」
「変わりを立てたので大丈夫ですっ!それにあなたに送られたら、あなたが帰れないでしょうが!どうして、こぅ……あぁっ」
レオンハルトは胸の中で暴れ回る気持ちに苦しむみたいに、空いた片手で綺麗な金髪を掻きむしる。
いつもは丁寧な王子に足る仕草であるのに、目の前のレオンハルトは実に男臭い。
言い争いの最中だというのに、胸がドギマギして居心地が悪い。
レオンハルトは腹の底からの深い深いため息を吐くと、突然エリオスの体をかき抱いた。
「ぅわ、な、なにして、」
濡れた金の髪が、エリオスの頬に触れる。
懇願でしかない、弱々しいレオンハルトの声が聞こえた。
「お願いです……私のいない所で無茶をしないで……頭がおかしくなりそうだ」
ぎゅうっと冷たい体同士が、隙間なくぴたりと合わさる。
腕ごと巻き込まれ、呼吸も難しいほどの密着に、エリオスの体はレオンハルトに殆ど覆い隠されている。
どうして、レオンハルトがそんな事を言うのか理解できなくて握った拳で小さく目の前の胸を叩いた。
「なんで、お前の、許可がいるんだよ」
「なんでもです」
「理由に、なって、ない!」
「なってないなら――理由をあげましょうか!?」
突然出された大声に、思わず体が竦む。
(理由?ってなんだよ。俺とお前にそんな理由あるわけないだろ)
どんな理由があれば、人を引き止められるんだ。
知人、友人、家族……恋人?
一番ありえない答えが浮かんで、苦虫を噛み潰したような顔になる。
「どうしてか、リオのことになると……理性が働かない。これって、なんなんでしょうね」
掠れた声でそう呟いたレオンハルト。
胸の中から何とか顔を上げると、なんでか怒っている本人が泣きそうに顔を歪めていて、エリオスはどうしたらいいか分からない。
「泣くなよっ、なんだよその顔」
「あなたのせいです、あと、泣いてないです」
……泣いちゃいないが、今にも泣きそうな年下がいたらエリオスは全部自分が悪いと思う。
自分が泣かせたと、さっきまであんなに頑なだった気持ちの壁はガラガラ崩れて、ぽきっと折れた。
「……泣くとは思わなくて、ごめん、ごめんな」
「だから泣いてません」
「ほんと、悪かった。助けてくれてありがとうな」
そう言うとやっと抱きしめる腕の力を緩めてくれる。
だが、よく見えるようになったレオンハルトの顔には、わかりやすく不服と言った表情を貼り付けていた。
この嵐で、また外へ追い出して城に帰すわけにもいかない。
迷うことなくエリオスは、レオンハルトを部屋へと誘った。
玄関で中々の大声で騒いだ二人だったが、その声も雨風が消し去ってしまった。
明日マルク夫妻には声をかければいいかと、交代で部屋に備えられたシャワーを浴びる。
どっちが先に浴びるかでまたも揉めたが、年下からだ!とエリオスが叫んだら、問答無用でシャワー室に押し込まれてしまった。
今はほかほかの体に寝間着を身につけて、ベッドに腰掛けている。
雨戸で見えない窓を見つめて、騒ぎ出しそうな心を落ち着ける。そうしないと我に返りそうだからだ。
兄らには言えない行動を、この国に来てから数え切れない程しているが、今やっている事は間違いなくピカイチでダメだ。
αと同じ部屋で、しかもシャワーを浴びて一つのベッドで眠る……アウトだ。
レオンハルトがシャワーに行っている隙に、またも抑制剤を飲んでいることが答えである。
何も無い。あるわけないが保険をかけてさらに、何も無いようにしている。
「シャワー、ありがとうございました」
「おう……まぁ、気にすんな」
シャワー室から出てきたレオンハルトの破壊力は、またなお一層……物凄い。
ほんのり色付いた頬に、薄い唇も今は赤色が強い。
身にまとっているものは、クローゼットに備え付けられた、エリオスの物よりワンサイズ大きい寝間着だ。前で結ぶワンピースタイプのもので脱ぎ着が楽なものである。
だが、レオンハルトが身に纏うと、なんともまぁ、なまめかしい。
首筋もふくらはぎもしっかり見えてしまい、思わず目をそらす。
「お水をいただいても?」
「……お茶入れるよ」
シャワーを浴びたとはいえ、体は冷えている。
備え付けのキッチンに向かった。
「いえ、おかまいなく」
「いつも入れてもらってるから気にすんなよ。まぁ、口に合うかは別だけど」
エリオスは、二つあるカップを手に取ると、ソルグランから持ってきた茶筒を開けた。初めての一人暮らしは様になってきて、湯沸かしくらいはすぐに出来る。
このお茶もソルグランの農夫に頼んで送って貰ったのだ。
中に入っているのは、鮮やかな黄金色の小さな蕾だ。それをカップに一つずつ入れて、沸かした湯を注ぐ。
フワッと花が開くと、中の湯が花と同じ黄金色に変わっていく。
持っていけば、レオンハルトは目を見開いて驚いた。
「これは凄い、花が咲いています!」
「それが特徴だからな……どーぞ」
レオンハルトが手に取ると、宿屋のカップがまるで有名なデザイナーの作品に見えるから不思議だ。
先に自分が一口飲む。鼻から抜ける香りが強い。加工方法が変われば、この花は香水にもなるほどの品種なのだ。
「美味しい……まるで花畑にいるように香りが強いですね」
「ははっ、だろ?」
「どこのお茶なんですか?この国でも絶対人気が出ますよ」
カップの中身を転がしながら、興味津々に聞くレオンハルトに、エリオスは気持ちが浮ついた。
「これ、ソルグランで作ったんだ。ロザゴールドって言うんだけど……」
「香水でよく聞く名前ですね。お茶は初めてです」
ロザは華やかな花弁と強い香りが人気の品種だ。赤やピンクと種類は多いが、特にゴールドと名前のつく濃い黄色の花弁は、香りがより良いのが特徴だ。
「ロザ……色味がゴールドのものは高価だったはずでは……お茶で飲んでいいものですか?」
このロザゴールド。エリオスがソルグランで丹精こめて育てた花である。勿論、ロザゴールドは高価だ。だが、このお茶に加工したものには理由がある。
「これな。蕾に傷が出来て成長が止まったから、香水に加工出来ないんだよ。若いのは色味も明るいし……でも勿体ないだろ?試しにお茶にしてみたんだけど……でも試作品を、お客様にだすもんじゃないよな」
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鼻から抜ける香りはエリオスのお気に入りだが、茶菓子もなんかあったかな?と立ち上がる。
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「それでお茶に……ん?待ってください。これも、もしかして"エリオス王子"が?」
(そりゃそうだろ。エリオス王子は俺だしな)
しかし、その答え合わせも慌てたりしない。
確かここにクッキーがあったはずだと、小物置きに手を入れてガサガサ漁る。
そのまま「おー、」と生返事だ。
「なんってことですかっ!!」
また大きな雷でも鳴ったかと思った。
レオンハルトは突然立ち上がり、片手で持っていたカップを両手で持ち直すと、高くは無い天井に掲げた。
「び、っくりした……急にでかい声出すなって」
レオンハルトは、まるで王様から王冠を受け取ったような雰囲気で、頬は興奮したせいで一気に色付いた。
口を開いては閉じてを繰り返しながら、もう一度カップに高い鼻を寄せて、香りを嗅ぐ。
「なんて素晴らしい方なんだ……廃棄するはずの植物も、こんなに綺麗なお茶にするなんて」
「……いや、なんかもったいないからお試しではじめただけだぞ」
取り出したクッキーの箱を開けて、テーブルに置いたエリオスは、その時を思い出しながら呟く。
しかし、"エリオス王子"のことで頭がいっぱいのレオンハルトには、とんでもない発見らしい。
「リオは近くにいすぎて、分かっていないんですよ!彼は天才ですっ」
「へーへー、そうかいそうかい」
自分のことだから、余計に手放しで褒められると恥ずかしい。過度に喜ぶフリも上手くできる気がしなくて、意図して平坦な声を作る。
本当は、頭をかきながら身を捩って感謝したいくらいだ。
(大変だったんだ。最初は色はつくけど味はイマイチで。乾燥時間を何度も試してやっと良い物になったんだ……嬉しいな)
顔に熱が集まってしまうのを誤魔化すように、よくあるプレーンのクッキーに齧り付いて、お茶で流し込んだ。
こんな夜更けに飲食など、普段は控えている。そもそもエリオスは朝が早いから、いつもならこの時間はベッドの中だ。
しかし、イレギュラーな事態だから許されると、胸の甘さをクッキーの甘さだと勘違いしたくてしょうがない。
そんな事を考えていたが、レオンハルトはそうではなかったらしい。
突然閃いたと、狭い部屋を大きな足で機敏に移動すると、先程までエリオスが手にしていた茶筒を持った。
「ねぇ、リオ。開けても?」
「どうぞ?乾燥したロザゴールドだけど」
レオンハルトは生唾をのみこんで、茶筒を開けた。きゅぽんと空気の抜ける音がして、握る手に力が籠る。
そしてあろう事か、その筒に直で鼻を押し付ける。
「は!?」
すぅうううっと部屋の空気を全て飲み込む気か?と思う呼吸音に驚くが、彼の目は本気である。
突っ込みたいが、真剣な表情に茶々を入れそびれた。レオンハルトは、吸ったと思ったら今度は確認するように、スンスンと鼻を動かしていく。
暫くそうしていたが、こちらに顔を向けると分かりやすく残念と言った表情だ。
「香り、しませんでした」
「……するわけないだろ」
ここで言う香りは"運命のフェロモン"だ。
何の手違いが、レオンハルトの鼻が間違えた架空の運命の香り。
エリオスは視線を外してカップに移す。何を思っているか分からない、自分の表情が映って嫌だった。
「でも、ネクタリンはちゃんとしましたし……」
「あれは勘違いだっつの」
「でも確かに、」
「するわけが無い」
ピシャリと言い切ったのは、この話が居心地悪かったからで。自分の口から出た言葉があまりにも突き放すようで、エリオスは驚いた。
レオンハルトも目を見開いて驚いた様子だったが、テーブルに備え付けてある椅子に腰を下ろす。
そして腰を軽くあげると、椅子ごとエリオスへ近づいた。
まるで内緒話でもする近さに身を引くが、レオンハルトは追いかけてまたも寄った。
「ねぇ、リオはどうしてそんなに運命を否定するんですか?」
「……エリオス様に運命はもういたからに決まってる」
「その人、本当に運命だったんですか?……勘違いとか」
勘違い……だったらエリオスは、こんなに不自由で不健康な生活をしていない。
きっと、子供もいて、番と呼べる人に守られて。家族が自分のことで憂うなんてことも無く、幸せに暮らしていたはずだ。
「運命だ。間違いない……と聞いた」
自分の言葉だが、どうにかリオの気持ちに変換する。できているかは怪しいが。
しかし、レオンハルトも今が瀬戸際と分かっているのだろう。俯くエリオスの顔を覗き込んで懇願する。
「一度、どうしても会いたいんです……エリオス様に」
「……運命じゃないんだから会う必要はないだろ」
「運命です」
こうと決まると頑固だ。エリオスは己の性格をしっかり棚に上げた。
レオンハルトに思われるエリオスが羨ましい。自分はエリオスだ。だが、レオンハルトが望む運命のエリオスは存在しない。
悪い顔を無理やり作って、わざとらしく口端を上げた。
「ほら、あの人がいいよ、フィル様」
「……なんでフィルが出てくるんです?」
「立派な人だ。努力家でとても、優しい人だな」
レオンハルトを思いながらも、運命が叶うようにと願える人。
αの思いは肌感だが重量級だ。それを支えられるのは同じくらい相手を思える人だ。
分かりやすく眉間に皺を寄せて、レオンハルトは唸るように口を開く。綺麗な造形が、途端に怒りをにじませると迫力がある。
それすらも「いいな」と、頭の中は他人行儀だ。
「フィルは良い奴ですが友人です。私にはエリオス王子という運命がいます」
怒ってるなぁ、と。怒りすら向けてもらえるのかと。
運命というものはいいなぁと。
貰えないから、世界のどこかに実在するであろう、レオンハルトの本当の運命が心底羨ましい。
(俺にも欲しかったな。ずっと、欲しかったのになぁ)
「あの人は会わないよ、会う必要なんかない。ずっとな」
「どうしてそんなに頑ななんですか?……なにか、やましいことでもあるんですか?」
「……やましい、こと、ねぇ……」
レオンハルトの真摯な言葉と、懇願するような眼差し。
いつまでも"エリオス王子"が運命だと、その勘違いと期待を持たせておくのは、酷だと分かっていた。
でも、この事を伝えるだけで、レオンハルトを酷く傷つける。
それでも、そろそろ潮時だ。
ただの農夫と会えない王子。
この答えが、彼を傷つけても、今の勘違いを覚めさせる理由になる。
「この話、知ってる奴限られてるんだが……」
「……私が聞いていいんですか」
「うん、聞いて。それでスッパリ諦めろ」
レオンハルトは目の前の椅子にしっかりと座り直す。
緊張を感じさせる表情が、崖から突き落とされたような絶望に変わるのを、エリオスはしっかりと見届けた。
「エリオス王子の運命は……お前の父、ジークハルト王だったんだ」
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