【完結】畑暮らしのΩ王子、20年越しに“番”が現れました

兎沢にこり

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真綿の檻に包まれて

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ずり落ちそうになったひざ掛けを引っ張って戻すと、エリオスはまた羽根ペンを取った。
積み上がった書類は、全て王立農業使であるエリオスが確認するものである。他国から輸入している種苗や肥料。そしてソルグランで農業を学びたいという、学生からの嘆願書等々……。エリオスはヴァルデンハイトに来てからも、コソコソ宿屋めんどりで続けていた自身の業務を、今は大手を振ってその仕事にありついている。
広いデスクに我が物顔で自分の仕事を広げているが、身を落ち着かせているチェアだって、持ち主は自分ではない。
暖炉の火が、時折パチッと薪を弾く。ゆらめく炎が部屋全体に温もりを与えていた。

「リオ、入りますよ」

自分の部屋だと言うのに、行儀よくノックをして入ってきたのはレオンハルトだ。手にはトレイを載せており、甘いケーキの香りがふんわりと漂う。

「気にせず入ってこいよ」
「リオが気にするでしょ?」
「しねぇって、今更」

紅茶とソルグランで取れたポティロンのシフォンケーキが目に入った。
ポティロンは表面は濃い緑色の硬い皮の野菜で、中は鮮やかなオレンジ色が特徴だ。
蒸したり茹でたり、火を通すことで甘く柔らかくなるそれは、兄であるセレノスからの贈り物であった。
王としての務めを果たしている、長兄セレノスは国から出られない分、こうして野菜や果物と一緒に、心を寄せた手紙を送ってくれる。
他の兄たちとはなんと、ドア越しで話をした。なんでも今の状態はレオンハルト以外の匂いは受け付けないらしく、意識がない時に兄らを嫌がったとかなんとか……。
随分と心配をかけてしまったが、この奇妙な生活に順応できる自身が怖くなる今日この頃だ。

「もうおやつか?」
「貴方また没頭していましたね?一応、病み上がりなんですから、」
「あーあー、わかってる!って言っても病気?って感じじゃねぇから、何もしないのは性に合わないんだよ」

そう言いながらデスクに手を突っぱねて、レオンハルトのトレイを覗く。
ヴァルデンハイトの料理長が腕によりをかけて作るおやつは、いつだって絶品なのだ。
エリオスが美味いというたびに、おやつが豪華になっていくのを、レオンハルトだけが気づいている。
今日も丁寧に生クリームが渦を巻いていて、可愛らしいミントと粉砂糖まで振ってある。
これがレオンハルトのときであればここまで本気を出す仕上がりではなかった。エリオスは城の中を明るく照らす、太陽のような人なのだ。
レオンハルトがまたずり落ちそうな膝掛けに気づいて、片手でエリオスの足に戻す。

「これは小さくて、使いにくいでしょ?」
「……平気だよ」
「リオ。私の上着ではなく、しっかりとした“膝掛け“を用意しますから」

少し笑ってそういうレオンハルトだが、エリオスは真剣だ。
思わず取られそうになった膝掛け……正しくはレオンハルトの、よそ行き用の上着をエリオスは断固として死守するのだ。
ぎゅっと胸に抱いて、その仕草に女々しいと頬が熱くなるが、かまいやしない。取られてしまうことの方が一大事だ。

「これがっ、一番濃いんだ!っ、だからだめだ」

レオンハルトのαフェロモンが強く残る上着。それを寝る時も部屋の中を移動する時でさえ、肌身離さず持っている。手を離すと不安になるのだ……しかもレオンハルトが部屋にいない時は、特にその症状が顕著に現れる。
香りがしっかり分かるようになったら、エリオスはレオンハルトの香りに、ある種依存状態だ。これこそ病気だろとフィルに詰め寄ったが、主治医の見解としては「いい傾向だね」と納得のいかない判定をもらっている。

「ふふっ、ここに一番濃いのがいますよ?」

両手を広げて歩み寄るレオンハルトから視線を逸らす。
そして大事に上着を膝へ直してから、シフォンケーキに手を伸ばすが、レオンハルトはそれを許さない。
上に引き上げて、茶目っ気たっぷりにウィンクを飛ばす。
この生活を浮かれているのは、エリオスだけではないのだ。

「さ、こっちで食べましょ?」

レオンハルトの部屋での生活は、正直抑制剤を飲んでいた時よりも体が軽く、目覚めもよい。
共に寝て共に起き、食事をする。一時は公務や騎士団の仕事で立て込んでいるレオンハルトとは離れるが、相性のいいαの生活圏は、面白いほど心も体も安心しきっている。
番ではないが、この歳になってようやく医者がαと番う行為を推奨する理由がわかってしまった。
Ωが抑制剤を飲んで生活するのは、毎日どこかしらふんわり具合が悪い。
しかし、今はどうだ。番っていないのに毎日健康で気持ちも上向いている。
まぁ、フィル曰く「相性が良すぎる」というのも理由らしい。だがエリオスは、フェロモンの相性に関しては流石に認めるが、レオンハルトと運命ということに関しては、以前として否定し続けている。
これは自分にとって都合の良すぎることで、レオンハルトにはなんのメリットもないかと思ったが、レオンハルト自身も気持ちが上向いて、心身ともに健康だそうだ。なんなら剣技も鰻登りで、騎士たちはさらなる叱咤に悲鳴をあげているらしい。

「リオ、今日は痛みは?」
「全然、もうないよ」
「よかった」
「毎日聞かなくても、俺はもう大丈夫だって」

心配性を発揮しているレオンハルトは、気を抜くとこうして毎回確認をとってくる。
レオンハルトはエリオスといる時は意識して、柔らかいフェロモンを少しずつ出しているらしく、下腹部の痛みも今はほとんど感じない。
先んじてレオンハルトが部屋に備え付けられているソファに腰を下ろす。エリオスも続くが定位置はレオンハルトの膝の上だ。
こんなおっさんを抱えて何がいいんだかとは思うが、自分は“守られている“という安心感が得られるし、レオンハルトはとても機嫌が良くなる。
手に取ったフォークで、鮮やかなオレンジ色のスポンジを皿に盛られた生クリームごと掬うと、エリオスの口元に運んだ。

「はいどーぞ」
「んあ」

恥ずかしさなど、もうとうに消え失せた……いや、嘘だ。二人きりならもう慣れたが、フィルやメイドの前では気恥ずかしい。
レオンハルトもエリオスの一口を熟知して、いいサイズでサーブするのが上手い。

「お味はどうですか?」
「美味いっ、もしかしてクリームにもポティロン入れた?」
「ふふっ、正解です。さすが詳しいですね」
「自分の家の野菜くらい把握しねぇと」

こうして抱かれての食事は意味がある。αの加護欲を満たすのに良いとか、なんとか。
やられっぱなしは嫌だから三回に一回くらいはお返しにと、レオンハルトからフォークを奪いその口に渡してやる。

「ほらっ」
「ふふっ、私はリオから給餌されると、このケーキが世界一美味しいものになってしまいます」
「……すげぇ特技だな」
「それほどでも」

そんな軽口を経て、お茶を飲んだ。おやつを食べ終えたら、その姿勢のまま少し話をする。
この時間を、レオンハルトは無理をして作っているのは知っている。
マシにはなってきたが、本調子ではないエリオスは、あまり長い時間レオンハルトと離れると不安になってしまう。
二人での生活が始まってすぐの頃、この不安をよく理解していなかった。置いてかれたような、また一人になってしまうのではないか……という恐怖が頭を埋め尽くした。こんな精神状態、普通じゃないと別の病気まで疑った。焦ってフィルを探しに部屋を出ると、レオンハルトの香りがなくなって倒れてしまう。
騎士やメイドに廊下で発見されて、よく悲鳴を上げさせてしまっていた。
フィルは「番えば治るよ」と少し面倒くさそうに言われたが、そこだけは曲げられない。
レオンハルトも無理強いすることなく、待っている。得られるかもわからないうなじをさらして、待てを強いている。

「また変なこと考えてますね」
「はぁー?……ないよ、ないない」
「本当ですか」

額を寄せて、エリオスの額と擦り付ける。
長い睫毛が金色に光って、エリオスはそれを綺麗だなと見つめていた。
とんでもないフェロモンを浴びた日に初めて口づけをしたが、あれから二人は一緒に寝ようとも、抱きつこうとも、唇を合わせることはない。
レオンハルトなりの線引きにも思えた。

「マルクは元気か」
「えぇ、今日もノアと一緒に畑に行ってますよ」
「仲良いな」

仲がいいで済ませていい距離ではないことを、まだエリオスは知らない。
今はもうすでに手を繋いで、唇を耳に寄せて内緒話を繰り広げる仲だ。
αとΩ。国の違う相手同士がこんなにもスムーズに、そして若い時分に“運命“と出会うなど、それこそ奇跡と言っても過言ではない。
そしてその橋渡し役がエリオスなのだと、レオンハルトは神か何かなのではと本気で考える時があるのだ。

「ふふっ、そうですね……マルクが早く焼きバターテ大会したいと呟いてました」
「本当に、待たせっぱなしだな。早く調子を取り戻さねーと」
「えぇ、フィルがもう少ししたら、城の中なら散歩をしてもいいと言っていましたよ」
「よっしゃー、やっとかぁ」

気にせず伸びをするエリオスの体。しっかり腰を支えてくれるというレオンハルトの信頼がその姿を見せるのだ。
たまらなくなって、レオンハルトはぎゅっとエリオスを引き寄せると、綺麗なうなじに唇を当てた。

「あっ、こら!」
「可愛い人、私の運命」
「……だから違うって、」

運命という言葉に体は勝手に喜んでしまう。ピクッと体が跳ねて誤魔化すようにレオンハルトの頬を摘んだ。
薄いのに意外と伸びる皮膚の感触を知っているのは、エリオスだけだ。
綺麗な顔が少し間抜けに見えるのも、エリオスだけの特権なのである。

「わかっています、だからあと少しだけ、ね?」
「しょうがねーなー!」

摘んでいた指を離すと全身の力を抜いて全てをレオンハルトに預ける。
交差された腕は真綿の檻だ。
この檻の中にいる時がどうしたって幸せだと、エリオスは緩んでしまう頬を内側から噛み締めていた。



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