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絶対支配領主『バハムート』人類衰退度A+
第1話 そして英雄は、望み通り現れる。
しおりを挟む――――その世界は、まさしく死に絶えた大地でできていた。
高気温に加え、充満した熱気。ただ立っているだけでも不快指数が高いという有り様だ。山と思しき地形も、木々は全て燃えてただの険しい丘になっている。
何より人体に必要不可欠な水がどこにもない。水路はどれも空っぽで、どの土壌も干からびて亀裂が走っている。雑草一つ見当たらないこともその一因であろう。
「オ――ォオオオオオオオオオオオオオオッ!!」
天を、大気を、大地をひれ伏す咆哮が、少女の全てを塗り潰した。
視覚は恐怖によって塞がれ、聴覚は耳鳴りで狂わされ、味覚・嗅覚・触覚は麻痺してしまっている。がちがち、と震えは全身を蝕んでいる。
思考することは許されない。故に、走馬灯が流れることもない。
今あるのは、圧倒的な生存本能。生きたい――――当然あるべき欲求が、少女の全てを占めていた。
「――――今宵の供物はこれか」
その本能も『それ』を前にした途端、悉く消え去ってしまう。
全身を一望できない巨躯は、手の平大の強靭な鱗にびっしり覆われている。命を啄むための鋭い爪と牙に、吐息は熱を帯びている。
――――ドラゴン。獣の頂点でありながら、ヒト以上の知能を有する生まれながらの支配者。
バサ、と両翼が規則的に動く音がする。少女は今、石造りの祭壇の頂上にいて、ドラゴンはその正面を飛行している。
両手を合わせて祈りを捧げている少女を見て、ドラゴンは不満げに唸った。
「ふむ。儂の機嫌取りにしては、随分と華奢な小娘を寄越したものだ。大方投票で決めたのだろうが……、これではあまりに食い応えに欠ける。せめて生に執着し、足掻く姿を晒すのさらばまだしも、こうも諦められていてはな」
「…………っ」
少女は答えない。この怪物を相手に、問答など意味を為さない。懸命に恐怖を押し殺して、目を閉じ、命が刈り取られる瞬間をただ待ち続ける。それだけがなけなしの抵抗だった。
ふん、とドラゴンが鼻で笑ったような気がした。
「――――ならば、貴様の村を潰しに行くとしようかの」
「…………っ!?」
こともなげに、そんな恐ろしいことを口にした。
少女は慌てふためいた様子で恩赦を乞う。
「そ、それだけは! 年に一度、供物を差し出せば許しを与えると……!」
興が乗ってきた風に嗤うドラゴン。
「強者が提示した誓約など、いつでも破棄できる。いや、いや。儂とてきちんと供物を捧げるならば慈悲を与えてやったであろう。だがどうだ? 実際に差し出したのは、物言わぬ小童ではないか。儂が生者を差し出せ、と申した意味、今一度考えてみることだな」
みっともなく足掻いてみろ、と告げているのだ。
痛いのなら泣き喚き、怖いのなら失禁し、生に執着する様を見せろと。
本当は少女とてそのように振る舞いたかった。しかし既に少女の死が確定している以上、無意味な行為に過ぎない。だから押し黙っていたのだ。一度でも弱みを漏らしてしまえば、もはやそれは止まらなくなるだろうから。
固く閉じていた瞼を持ち上げる。ドラゴンの全貌が目に入ってくる。それだけで呼吸は大幅に乱れ、全身から力を奪われてしまう。
――――勝てない、と。最もシンプルにして重大な事実が本能に突き刺さる。生物としての違い、それがありありと伝わってくる。
何も考えないようにしていたけれど、村の皆のことを取り上げられてつい思い返してしまう。毎日ドラゴンに怯えて過ごすだけだったが、それでも充実している部分はあった。
誇らしい父に、今は亡き母。仲良くしていた同年代の友達や、自分を姉のように慕ってくれた子どもたち。
「あ、あ――――」
死にたくない、と強く思う。
生きたい、と強く願う。
もはや叶わないと知っていながらも、その執着心だけは捨てきれなかった。
(誰か――――っ!)
――――助けてください。
そう念じつつも、有り得ないと頭では理解していた。
この世界にいる人間は、全てドラゴンを前に心を折られてしまっている。かつては剣を手にし、杖を携え果敢に挑んだ者もいると聞く。
しかしそのいずれもが生還し、あるいは英雄として奉られることはなかった。
故に、この世界にヒーローはいない。
――――つまり。
そう。たとえば、この世界以外の者であれば、ドラゴンにも立ち向かえるかもしれない。
ドラゴンの頭上に、巨大な魔法陣が出現する。それなりに魔法に明るい少女でも、見たことのない文様だった。
それも束の間、収束して虚空へと消えていった。あの手の魔法陣は大抵何かを転移・召喚するものなので、おそらく『何か』が落ちたはずだが、ドラゴンの巨体に隠れて確認することはできない。
その代わりに、少女を甚振ろうと顔を近づけていたドラゴンが、不意に不機嫌そうに唸った。
「……何者ぞ」
ドラゴンは急上昇し、輪を描くように旋回して、背中に乗った『何か』を振るい落とす。
「不遜にもこの儂の背に乗ったニンゲンは――――ッ!」
激高とともに、灼熱のブレスが放たれる。
宙に浮くその人間は、無抵抗のまま落下しているだけで、身を守るような動作を取らなかった。
人間が取ったのは、たったのワンアクション。
――――ス、と右手を業火にかざした。
刹那、瞬く間にブレスが人間に衝突した。衝撃波が熱風となって無差別に周囲を襲う。その余波だけで少女のいる石壇が悲鳴を上げる。
「きゃあ……っ!?」
少女は咄嗟に両腕で顔を守り、小さく身を屈める。そうしていないと吹き飛ばされそうになるからだ。
直接攻撃を受けていない少女でさえ、この有り様。
まともに狙われた人間がどうなるかなど、それこそ火を見るよりも明らかである。
結局、異世界人であっても、絶対的強者であるドラゴンには敵わない。そんな無慈悲にして当たり前な答えが突き付けられた。
(違う――――)
愕然としていた少女は、すぐさまその違和感に気付いた。
先刻のブレスは、なるほど、ドラゴンの威を轟かせるに足る威力を示してみせた。だが、それによる被害があまりに極小過ぎたのだ。
竜の爪は一薙ぎで大地に痕を刻み。
竜の両翼は一振りで家屋を倒壊させ。
そして竜の息吹は、一発で周囲を壊滅させる。一説によれば、放出された火炎は一キロ以上まで伸びるという。ブレスの延長上にいた少女が無事であるはずがないのだ。
「か、は……っ!?」
今まで聞いたことのない苦悶に満ちた声が、ドラゴンの喉から漏れ出した。
信じられない、といった風な顔が、少女の目線の高さまで落ちてきた。
「――――でかいトカゲだ。日本のトカゲもあるいは、環境が違えばこうなっていたのか」
それとともに、突如として現れた異世界人が、少女の前へと降り立った。
ズゥウン、と振動が伝わってくる。異世界人の背後を見ると、ドラゴンの首が切り落とされ、顔面が地面に転がっていた。
「あなたは――――」
少女は、うわ言のように尋ねた。
細身でありながら芯の通った姿勢の良さ。それは自信の表れでもあるのだろう。
ややショートの黒髪に、整った目鼻立ちがよく映える。両目に収まった鮮やかな翡翠色の双眸は、されど強い意志を宿していた。
見たことのない衣服に身を包んだ青年は、少し悩んだ素振りを見せてから、やがてこう答えた。
「――――英雄、かな」
夢見るだけで、いないと思い込んでいた存在はこの日、血塗られた大地へと唐突に舞い降りた。
この出会いが人類反撃のキッカケとなるとは、少女には分かるはずもなかった。
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