上 下
25 / 31
第四章 

しおりを挟む
 ――――故に。
 護国寺は大きく一歩、飛ぶようにして後退した。



「な――――」

【修羅王】の表情が歪む。

 それはほんの一メートル程度の、なけなしの逃避に過ぎない。
 ムサシであれば調整することで一瞬後には対象を貫いていただろう。いや、誰であろうとも、こちらもたった数歩踏み出すだけで再び射程圏内へと届く。

 けれど、【修羅王】だけは違っていた。例外だった。男が三段突きを放とうとした直後には、【百発百中】が自動で働いてしまっている。刀は刹那の世界にて補正を加え、遠のく敵を穿つために伸びていく――――! 
 刀だけが・・・・、勝手に護国寺を追ってしまう。身体が唐突な変更についていけず、握り締めた手から前のめりに身体が浮いてしまう。後ろ脚が地を離れ、刀を握る手だけが先行していては勢いも自然と減衰する。

 ――――そう。もしも【修羅王】が生粋の剣士であれば、瞬時に脚を連動させて無駄のない動きで少年に三段突きを炸裂させていたはずだ。しかし【修羅王】のは単にムサシの経験をなぞっているだけの、ハリボテの剣技に過ぎない。咄嗟の対応ができるには、男はあまりに未熟過ぎたのである。

 パシ、と伸ばした手を掴まれてしまう。そこから護国寺は手首を捻り上げることで、まずは刀を地面に落とそうと画策する。刀さえ奪ってしまえば、【一刀両断】も【百発百中】も発動できなくなる。そうすれば決着が着いたも同然である。
 それを誰よりも痛感している【修羅王】は意地でも刀を手放そうとしない。そこで護国寺はその状態のまま、【火】を纏わせた拳を連続して顔面へと打ち付ける。

「ぐ、お……!」

 男の鼻から鮮血が散る。ここに至って、護国寺にも楽観できるような要素はない。一刻も早く倒さなければ、という気持ちが先行していた。元はムサシの身体ではあるが、少しでも躊躇いを見せれば何が起きるか分からないのだ。
 十三発叩き込んだところで、ようやく【修羅王】の刀を握っていた手が解けた。ぽろ、とそれは重力に従って落下していく。彼はそれに気付き、その様子を上から下へ追って確認していると――――


 ――――ビリ、と殺気に背筋が凍った。


 その途中でぶつかった【修羅王】の双眸に、未だギラギラとした敵意が残っていたのだ。
 しかし、ここから何ができる。刀が地面に落ちてしまえば、即座に護国寺はそれを遠くへ蹴飛ばす。そこから渾身の一撃で決めるという絵図はもう描いてある。

 常人であれば、完全に詰みの状況。ここから逆転できる人物なぞそうはいない。護国寺に生じた僅かな慢心も、仕方のないことだったと言えよう。
 だが、努々ゆめゆめ忘れるな。今少年の前に立っているのは人ならざる怪物――――【十二使徒】であるということを。絶体絶命の窮地を、【修羅王】は全霊を賭して否定する!


 がっ! と、落ちてきた刀の柄を、【修羅王】は思い切り蹴り上げた。

 再び推進力を得た刀は、何と護国寺の左肩に深々と突き刺さった。――――たとえ手を離そうとも、【百発百中】の能力が生きている以上【修羅王】の一撃は必ず当たるという前提は崩れない。
 不意の激痛に襲われた彼は、思わず掴んでいた手を離してしまう。怯んでいると、護国寺の視界が黒く染まる。ミシミシとこめかみにかかる圧力が、顔面を男に鷲掴みにされたのだと教えてくれた。


「が――――ァあああああああぁあああああああああああっ!!」


 獣のように吼えた【修羅王】は、無造作に少年の身体ごと地面へと叩き付ける。先ほどとはまるで違う、荒々しい男の咆哮。
 背中を強かに打って、内臓から血がこみ上げてきた護国寺は一瞬硬直してしまう。その隙を突いて【修羅王】は彼の右腕を踏みつけて固定し、左肩に刺さった刀を引き抜き容赦なく心臓目がけて突き立ててくる。

 今の護国寺が自由に使えるのは左腕のみ。しかしそれも二度の裂傷により大きくは動かない。一転して窮地に陥った彼は、しかし――――



「【動かざること山の如く】――――ッ!!」



 刹那。

 彼の左掌が触れた地面が突如隆起し、伸長し、勢いよく【修羅王】の腹部にめり込んだ。そこで止まらず、男を乗せたまま柱は急上昇を続ける。剣士がそれを斬り裂いた時には既に、高さ十メートルの位置まで浮かされていた。


「【侵略すること火の如く】!」


 そしてさらに少年は、【修羅王】よりも五メートル高く飛んでいた。【風】の能力だ。 
 護国寺は右手に霊力を集わせる。それから、形作るものを頭の中で強烈にイメージし、その中に霊力を注ぎ込んでいく。――――すると、見る見るうちに【火】属性の霊力は形を成し、やがて一振りの大剣と化した。二メートルを超える刀身は、存在しているだけで大気を焼き焦がす。

「たとえお前が神の如き力を持っていようとも、空中では身動きがとれまい……!」
「っ…………!?」

 応じ、【修羅王】も刀に霊力を注ぎ込む。もはや【百発百中】は役に立たない。男は溜め込んでいた【一刀両断】用の霊力さえも、その一刀に流し込んでいるようだった。


 ズッッッパァァァァァァン!! と、【修羅王】の一振りは空間ごと削り取るようにして、襲いかかる炎剣を両断した。これほどまでに霊力を注ぎ込んだ【一刀両断】に斬れぬものなど存在しない。


 ――――しかし、分断されたはずの火炎は、その隙間を接合することで埋めて、再び剣としての形を象る。あくまでもこれは炎。本来触れることのできないもの。いくら斬ったところで、火炎は元あった形を取り戻すのである。

 瞬間、時間が止まった。
【百発百中】も、【一刀両断】さえも破られ、心臓を凍らせた【修羅王】に護国寺は言い放つ。


「――――その身が【真実斬り】に届いていたなら、炎さえも斬っていただろう」
「こ、の……!!」
「結局、あの人の剣に憧れたという点において、俺とお前は似た者同士だったというわけだ。――――じゃあな、【修羅王】」


 轟ッ!! と。護国寺は未練すらも断ち切るようにして、炎剣を振り下ろした。男が咄嗟に刀を合わせたが、根本的な破壊力が桁違い過ぎた。拮抗は数瞬も持たず、【修羅王】へと炸裂した。

 接触した刹那、火炎は形を失い爆炎を撒き散らした。あたかも噴火の如き威力に、衝撃波だけで周囲の建物のガラスが砕けて回った。
 刺さるように大地に激突した【修羅王】の姿が、この勝負の決着を示していた。




しおりを挟む

処理中です...