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第一話
「卍」と出会い
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「す、すごく美味しいです……!」
「普通に作っただけやねんけど……お前、あの孤児院で何食わされてたんや」
男は、林古杏介と名乗った。「卍」の研究員であり看護士の一人だそうだ。りんこ、という響きに首をかしげると「まあ色々な血も混じっててどんどん変質しとるんやろ」と適当な返答が帰ってきた。派手な髪色も、染めたわけではなく地毛とのことだった。
「あの、……アキラさんってどんな人なんですか」
杏介の作ったスープ粥をすすりながら、ふと訊いてみた。ごろごろと入った野菜や肉のとろけ具合が絶妙で、スプーンが止まらない。孤児院が焼かれてから何も食べていないことを思い出すと、より空腹感が増してきた。
「あー……架根なあ。そっか、お前アイツに連れてこられたんやんな」
「はい。あ、おかわりありますか」
「ちょ、病み上がりなん忘れんなよお前……案外図々しいなしかし」
ぐちぐち言いながら、杏介は傍に置いていた鍋から椀に粥をよそう。再びIHを点けると、彼は口を開いた。
「んー……綺麗やし悪い奴ちゃうけど可愛げはないわな」
それは、何となく分かる。たった一度しか会っていないが、あのクールさは確かに無駄や隙がない。まるで軍人か何かのような佇まいだった。
「あいつも色々訳ありやねんけど、まあ、ここでは基本皆何かしらあるわな。」
「そうなんですか……」
「この時代はそんなもんやって。『旧』時代と違って、今はそんな治安よくないらしいしな」
『旧』時代のことは、今となっては記録しか残っていない。そのため、過去のことに関しては全てがそれを基とした憶測になる。
腹は満足したのか、いい具合に落ち着いてきた。綺麗になった椀をサイドテーブルに置くと、近くのパイプ椅子に座っていた杏介は立ち上がった。
「じゃ、ちょっと出よか。この部屋」
「え?」
「言ってへんかったけど、ここ『卍』のメイン基地やねん。お前が落ち着いたら本部連れていくってことになっててやな」
「ちょ、ちょっと待ってください。ずっと思ってたけど、『卍』って何なんですか?」
杏介は小さく笑うと「まあ、気になるよな」と呟く。しかし答えることなく、総吾郎の目の前に手の平を差し出す。戸惑いながらもその手を取ると、ベッドから優しく降ろされた。こうやって並んで立ってみると、杏介は頭一つ分程背が高い。しかし体はあまりにも薄かった。
「それもまあ、本部でちゃんと説明するわ。あ、途中で架根拾うから」
「…はい」
そうとしか言えなかった。よくよく考えると、先程の選択肢はもっと考えてから選ぶべきだったのかもしれない。しかし、考えたとしても自分が狙われているという状況は変わることはない。だから、別にこれで良かった。そう思うことにした。
部屋を出ると、真っ白な廊下が広がっていた。人はいない。
「ここな、病棟なんよ。まあ、棟って言っても地下なんやけど」
「だから窓がないんですか?」
「おう。地上に出たらあるけど、地上階狭いしな」
要するに、蟻の巣状に広がっているということだろう。実際、病棟を抜けるまでにかなりの時間がかかった。杏介によると、怪我人が多いため広くとってあるらしい。ますます、「卍」の実態が分からなくなっていく。
一枚の扉を開けると、円状の広い部屋に出た。人の賑わいやベンチ、たくさんの壁に面した扉からしてここが中枢部のようだった。
「ここは、広場って呼ばれてる部屋や。まあ、『卍』の中心部やな。ここからそれぞれ部署の部屋に通じてる」
ざっと見て、数十人もの人間が広場をうろついていた。皆、「卍」のマークの入った白いコートや白衣を羽織っている。制服なのだろうか。
「本部はここから直で行けるんやけど、ちょっと帳簿部寄るわ。架根拾う」
「あ、はい」
人とすれ違う度に、ちら見される。恐らく、何も着ていない自分が珍しいのだろう。少しそわそわしていると、杏介が気を使ったのか肩に手を置いてきた。唇を軽く噛み、彼に合わせて歩く。
やがて、「帳簿部二課」と看板のかかった扉の前に来た。数回ノックし、返事も待たずに杏介は扉を開ける。中を覗き込みながら「架根ぇ」と声をかけ、足を踏み入れた。総吾郎もそれに続く。
中には、大量の大きなアルミ製の本棚が立っている。入っているのは、どうやらファイリングされた書類ばかりらしかった。本棚の隙間を縫っていくと、あの黒髪が見えた。
アキラだった。一冊のファイルを開いていたが、閉じて本棚に戻す。
「田中くん目覚ましたで」
「みたいね」
慌てて頭を下げると、アキラは小さく微笑んだ。今まではあの無表情しか見ていなかったせいか、心臓が熱く跳ね上がる。杏介も隣で「レアやぞ」と囁いてきた。しかしすぐにアキラはあの無表情に戻り、口を開いた。
「本部に行くのね」
「おう。おっさんおるかな」
「いるでしょう。さっき戻られたわ」
「じゃあ大丈夫か。で、この子やっぱここおるって」
杏介の言葉が予想通りだったのか、アキラは「でしょうね」と呟いた。そして先程戻していたファイルを取り出し、杏介に渡す。
「あなた、ちゃっかり適性検査までしてたのね」
「一応な」
二人の会話の内容が、まったく見えない。それに感づいたらしいアキラは、一足先に歩き出した。杏介も頷き、総吾郎に目配せした。二人並んで歩き始め、部屋を出る。広場に入ると、アキラが振り返ってきた。
「名前、まだ聞いてなかったわね」
「あ、田中総五郎ですっ」
先程の微笑みを思い出し、はっとして答える。しかしアキラは素っ気無く「そう」としか言わず、またつかつかと歩き始めた。やはり、彼女はそういう人間なのだろう。現に、杏介もさっき「可愛げがない」と言っていた。
やがて、「本部」と看板のかけられた大きな扉が見えてきた。観音扉のような、とにかく広く大きい扉だ。その前に、椅子に一人の中年の男が座っていた。「卍」のマークの入った白いコートを着ている彼は、よく見るとあのトラックの運転手だった。彼は総吾郎を見ると、ぱっと顔を輝かせる。
「おお、起きたんだ! いやー心配してたんだよ」
とりあえずぺこり、と頭を下げる。すると、彼は立ち上がってきて「よかったよかった」と笑いながら総吾郎の頭を撫で始めた。どうすればいいのか分からず迷っていると、アキラが男の手を掴んでやめさせた。
「本部にお目通り願いたいんだけど」
「おう、了解」
男は、扉を引いた。ぎぎぎ、と古びているかのような軋んだ音を立てて開く扉を眺めながら本部って案外軽いんだなあ、と呑気に考える。
男は「頑張れよー」とだけ言うと、再び椅子に座った。アキラは頷くと、中へと先に入っていく。杏介も総吾郎の背中に手を当てて、軽く押すようにして踏み込んでいった。
中は薄暗く、橙色の照明が空間をぼんやりと照らしていた。高級そうな絨毯やカーテン、会議か何かに使うような長机がある。一見無人に見えたが、奥から人が一人やってきた。「卍」の白いコートを着た、二メートルはあろうかという長身の男だった。しかし、顔を見てぎょっとする。真っ青とも言える程白い顔に浮かぶ双眸は、人間の目ではなかった。まるで、猫の目を移植したかのような丸く瞳孔の長い目だ。しかし彼は総吾郎をちらりと見ただけだった。
「架根さんに、林古さんですね。アーデル様は奥にいらっしゃいます」
「おう」
男は一歩引くと、頭を下げた。三人が奥へ向かって歩いていくのについてくる。彼が気になって後ろをちらちら見ていると、杏介が「今は突っ込むな」と耳打ちしてきた。それに小さく頷くと、真っ直ぐ前へと歩くことに集中した。
長机を完全に過ぎると、一つの高級そうな小さい机があった。それの奥に座っている人影を前にし、アキラの背筋が伸びるのが見える。つられて総吾郎も背筋を伸ばしていると、後ろにいた男が三人を超して人影の傍についた。人影の正体が見える程まで近付き、アキラが立ち止まる。杏介と総吾郎も合わせて止まった。
「うむ」
人影は、深く頷いた。目を閉じ、その深い皺の奥には険しい表情を浮かべている。齢八十は超えているだろう。しかしその洗練された空気が、この場に痛い程の緊張感を張っている。
猫目の男が、老人に何かを耳打ちする。その度に老人は目を閉じたまま頷き続ける。よく見ると、日本よりも西欧あたりの血が濃いようだった。やがて男が一歩引き、老人は椅子の背もたれに深くよりかかる。そして、重そうに口を開いた。
「久し振りだな、アキラ。何ヶ月振りだ」
見た目に反し、声は堂々とした響きをしていた。アキラは律儀に「二ヶ月ですね」と答える。老人はくつくつと笑うと、すぐに表情を再び厳ついものへと変えた。
「さて、そこに居る少年」
自分のことだと思い、じっと老人を見る。しかし彼は、何も反応しない。しかし何かに気付いたかのように、再び小さく笑った。
「すまない、私は盲目でね」
「えっあっ、すみません! 田中総吾郎っていいます!」
慌てて声を上げると、老人は何度も深く頷く。
「うん、声を聞いているといい子そうだ。一号、どうだ」
「そう思います」
猫目の男は、何の表情も変えずにそう言った。どうやら、一号というのは猫目の男の呼び名らしい。
「話は林古から聞いている。『neo-J』の輩に狙われたらしいね、純血であるから」
「……はい」
総吾郎をさらいに来た集団、「neo-J」。存在は、元から知っていた。
「新」日本となってから、「旧」日本で言う内閣にあたる国家組織が出来た。それが、「neo-J」である。最初「革命」により全てを失った日本が平定を求めるために作った暫定政府だったが、そこに「新」日本の急発展した文明が密接に絡んでいき、やがて一つの大組織となった。国家としての権力、金銭、保護などが全て「neo-J」管轄下におかれている。しかしあくまで国家の政府組織であり、人身売買に絡んでいるなど聞いたこともなかった。
「勿論、国家組織が犯罪行為に手を出しているなんて露見すればえらいことになる。国は割れるだろうな。しかし、やはりこれも世の条理。権力の裏には必ず汚物が生まれる」
老人は淡々と語っていく。それは事実なのだろうが、どこか人事のように感じられて冷めた印象を受ける。彼は、一体何者なのだろうか。
「総吾郎くん、君はその犠牲になりかけたわけだ。それも、あの孤児院に来た時から」
フラッシュバックする、あの火事の惨劇。唇を噛む力が、強まる。
「しかし君は、ここへやってきた。偶然などではない、来るべきしてやって来たのだよ。我々と志を共にするために」
「志?」
強い、頷き。
「日本という国を『neo-J』の支配する『新』日本から、『旧』日本という正しい形に戻す。それが、『卍』の目的だ」
日本を戻す。聞いたことしかない、かつての日本へ。
老人は呻く。
「私は、今のこの日本が愚かな国にしか思えない。臭う程にまで、肥えてしまった。要は、無駄な発展はろくなことが起こらないということだ」
言いたいことは分かる。しかし、いまいちピンと来なかった。
要するに、今の政府が気に食わないから潰したいということだろう。そして、「卍」はそのための組織だということだ。
「だから、君に協力してもらいたい」
老人の手が、浮かぶ。ゆらゆら揺れるそれの求めているものに気付き、総吾郎はおずおずと近付く。そっと自分の手を触れさせると、かさつく老人の手が絡みつくように掴んできた。
「普通に作っただけやねんけど……お前、あの孤児院で何食わされてたんや」
男は、林古杏介と名乗った。「卍」の研究員であり看護士の一人だそうだ。りんこ、という響きに首をかしげると「まあ色々な血も混じっててどんどん変質しとるんやろ」と適当な返答が帰ってきた。派手な髪色も、染めたわけではなく地毛とのことだった。
「あの、……アキラさんってどんな人なんですか」
杏介の作ったスープ粥をすすりながら、ふと訊いてみた。ごろごろと入った野菜や肉のとろけ具合が絶妙で、スプーンが止まらない。孤児院が焼かれてから何も食べていないことを思い出すと、より空腹感が増してきた。
「あー……架根なあ。そっか、お前アイツに連れてこられたんやんな」
「はい。あ、おかわりありますか」
「ちょ、病み上がりなん忘れんなよお前……案外図々しいなしかし」
ぐちぐち言いながら、杏介は傍に置いていた鍋から椀に粥をよそう。再びIHを点けると、彼は口を開いた。
「んー……綺麗やし悪い奴ちゃうけど可愛げはないわな」
それは、何となく分かる。たった一度しか会っていないが、あのクールさは確かに無駄や隙がない。まるで軍人か何かのような佇まいだった。
「あいつも色々訳ありやねんけど、まあ、ここでは基本皆何かしらあるわな。」
「そうなんですか……」
「この時代はそんなもんやって。『旧』時代と違って、今はそんな治安よくないらしいしな」
『旧』時代のことは、今となっては記録しか残っていない。そのため、過去のことに関しては全てがそれを基とした憶測になる。
腹は満足したのか、いい具合に落ち着いてきた。綺麗になった椀をサイドテーブルに置くと、近くのパイプ椅子に座っていた杏介は立ち上がった。
「じゃ、ちょっと出よか。この部屋」
「え?」
「言ってへんかったけど、ここ『卍』のメイン基地やねん。お前が落ち着いたら本部連れていくってことになっててやな」
「ちょ、ちょっと待ってください。ずっと思ってたけど、『卍』って何なんですか?」
杏介は小さく笑うと「まあ、気になるよな」と呟く。しかし答えることなく、総吾郎の目の前に手の平を差し出す。戸惑いながらもその手を取ると、ベッドから優しく降ろされた。こうやって並んで立ってみると、杏介は頭一つ分程背が高い。しかし体はあまりにも薄かった。
「それもまあ、本部でちゃんと説明するわ。あ、途中で架根拾うから」
「…はい」
そうとしか言えなかった。よくよく考えると、先程の選択肢はもっと考えてから選ぶべきだったのかもしれない。しかし、考えたとしても自分が狙われているという状況は変わることはない。だから、別にこれで良かった。そう思うことにした。
部屋を出ると、真っ白な廊下が広がっていた。人はいない。
「ここな、病棟なんよ。まあ、棟って言っても地下なんやけど」
「だから窓がないんですか?」
「おう。地上に出たらあるけど、地上階狭いしな」
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一枚の扉を開けると、円状の広い部屋に出た。人の賑わいやベンチ、たくさんの壁に面した扉からしてここが中枢部のようだった。
「ここは、広場って呼ばれてる部屋や。まあ、『卍』の中心部やな。ここからそれぞれ部署の部屋に通じてる」
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「本部はここから直で行けるんやけど、ちょっと帳簿部寄るわ。架根拾う」
「あ、はい」
人とすれ違う度に、ちら見される。恐らく、何も着ていない自分が珍しいのだろう。少しそわそわしていると、杏介が気を使ったのか肩に手を置いてきた。唇を軽く噛み、彼に合わせて歩く。
やがて、「帳簿部二課」と看板のかかった扉の前に来た。数回ノックし、返事も待たずに杏介は扉を開ける。中を覗き込みながら「架根ぇ」と声をかけ、足を踏み入れた。総吾郎もそれに続く。
中には、大量の大きなアルミ製の本棚が立っている。入っているのは、どうやらファイリングされた書類ばかりらしかった。本棚の隙間を縫っていくと、あの黒髪が見えた。
アキラだった。一冊のファイルを開いていたが、閉じて本棚に戻す。
「田中くん目覚ましたで」
「みたいね」
慌てて頭を下げると、アキラは小さく微笑んだ。今まではあの無表情しか見ていなかったせいか、心臓が熱く跳ね上がる。杏介も隣で「レアやぞ」と囁いてきた。しかしすぐにアキラはあの無表情に戻り、口を開いた。
「本部に行くのね」
「おう。おっさんおるかな」
「いるでしょう。さっき戻られたわ」
「じゃあ大丈夫か。で、この子やっぱここおるって」
杏介の言葉が予想通りだったのか、アキラは「でしょうね」と呟いた。そして先程戻していたファイルを取り出し、杏介に渡す。
「あなた、ちゃっかり適性検査までしてたのね」
「一応な」
二人の会話の内容が、まったく見えない。それに感づいたらしいアキラは、一足先に歩き出した。杏介も頷き、総吾郎に目配せした。二人並んで歩き始め、部屋を出る。広場に入ると、アキラが振り返ってきた。
「名前、まだ聞いてなかったわね」
「あ、田中総五郎ですっ」
先程の微笑みを思い出し、はっとして答える。しかしアキラは素っ気無く「そう」としか言わず、またつかつかと歩き始めた。やはり、彼女はそういう人間なのだろう。現に、杏介もさっき「可愛げがない」と言っていた。
やがて、「本部」と看板のかけられた大きな扉が見えてきた。観音扉のような、とにかく広く大きい扉だ。その前に、椅子に一人の中年の男が座っていた。「卍」のマークの入った白いコートを着ている彼は、よく見るとあのトラックの運転手だった。彼は総吾郎を見ると、ぱっと顔を輝かせる。
「おお、起きたんだ! いやー心配してたんだよ」
とりあえずぺこり、と頭を下げる。すると、彼は立ち上がってきて「よかったよかった」と笑いながら総吾郎の頭を撫で始めた。どうすればいいのか分からず迷っていると、アキラが男の手を掴んでやめさせた。
「本部にお目通り願いたいんだけど」
「おう、了解」
男は、扉を引いた。ぎぎぎ、と古びているかのような軋んだ音を立てて開く扉を眺めながら本部って案外軽いんだなあ、と呑気に考える。
男は「頑張れよー」とだけ言うと、再び椅子に座った。アキラは頷くと、中へと先に入っていく。杏介も総吾郎の背中に手を当てて、軽く押すようにして踏み込んでいった。
中は薄暗く、橙色の照明が空間をぼんやりと照らしていた。高級そうな絨毯やカーテン、会議か何かに使うような長机がある。一見無人に見えたが、奥から人が一人やってきた。「卍」の白いコートを着た、二メートルはあろうかという長身の男だった。しかし、顔を見てぎょっとする。真っ青とも言える程白い顔に浮かぶ双眸は、人間の目ではなかった。まるで、猫の目を移植したかのような丸く瞳孔の長い目だ。しかし彼は総吾郎をちらりと見ただけだった。
「架根さんに、林古さんですね。アーデル様は奥にいらっしゃいます」
「おう」
男は一歩引くと、頭を下げた。三人が奥へ向かって歩いていくのについてくる。彼が気になって後ろをちらちら見ていると、杏介が「今は突っ込むな」と耳打ちしてきた。それに小さく頷くと、真っ直ぐ前へと歩くことに集中した。
長机を完全に過ぎると、一つの高級そうな小さい机があった。それの奥に座っている人影を前にし、アキラの背筋が伸びるのが見える。つられて総吾郎も背筋を伸ばしていると、後ろにいた男が三人を超して人影の傍についた。人影の正体が見える程まで近付き、アキラが立ち止まる。杏介と総吾郎も合わせて止まった。
「うむ」
人影は、深く頷いた。目を閉じ、その深い皺の奥には険しい表情を浮かべている。齢八十は超えているだろう。しかしその洗練された空気が、この場に痛い程の緊張感を張っている。
猫目の男が、老人に何かを耳打ちする。その度に老人は目を閉じたまま頷き続ける。よく見ると、日本よりも西欧あたりの血が濃いようだった。やがて男が一歩引き、老人は椅子の背もたれに深くよりかかる。そして、重そうに口を開いた。
「久し振りだな、アキラ。何ヶ月振りだ」
見た目に反し、声は堂々とした響きをしていた。アキラは律儀に「二ヶ月ですね」と答える。老人はくつくつと笑うと、すぐに表情を再び厳ついものへと変えた。
「さて、そこに居る少年」
自分のことだと思い、じっと老人を見る。しかし彼は、何も反応しない。しかし何かに気付いたかのように、再び小さく笑った。
「すまない、私は盲目でね」
「えっあっ、すみません! 田中総吾郎っていいます!」
慌てて声を上げると、老人は何度も深く頷く。
「うん、声を聞いているといい子そうだ。一号、どうだ」
「そう思います」
猫目の男は、何の表情も変えずにそう言った。どうやら、一号というのは猫目の男の呼び名らしい。
「話は林古から聞いている。『neo-J』の輩に狙われたらしいね、純血であるから」
「……はい」
総吾郎をさらいに来た集団、「neo-J」。存在は、元から知っていた。
「新」日本となってから、「旧」日本で言う内閣にあたる国家組織が出来た。それが、「neo-J」である。最初「革命」により全てを失った日本が平定を求めるために作った暫定政府だったが、そこに「新」日本の急発展した文明が密接に絡んでいき、やがて一つの大組織となった。国家としての権力、金銭、保護などが全て「neo-J」管轄下におかれている。しかしあくまで国家の政府組織であり、人身売買に絡んでいるなど聞いたこともなかった。
「勿論、国家組織が犯罪行為に手を出しているなんて露見すればえらいことになる。国は割れるだろうな。しかし、やはりこれも世の条理。権力の裏には必ず汚物が生まれる」
老人は淡々と語っていく。それは事実なのだろうが、どこか人事のように感じられて冷めた印象を受ける。彼は、一体何者なのだろうか。
「総吾郎くん、君はその犠牲になりかけたわけだ。それも、あの孤児院に来た時から」
フラッシュバックする、あの火事の惨劇。唇を噛む力が、強まる。
「しかし君は、ここへやってきた。偶然などではない、来るべきしてやって来たのだよ。我々と志を共にするために」
「志?」
強い、頷き。
「日本という国を『neo-J』の支配する『新』日本から、『旧』日本という正しい形に戻す。それが、『卍』の目的だ」
日本を戻す。聞いたことしかない、かつての日本へ。
老人は呻く。
「私は、今のこの日本が愚かな国にしか思えない。臭う程にまで、肥えてしまった。要は、無駄な発展はろくなことが起こらないということだ」
言いたいことは分かる。しかし、いまいちピンと来なかった。
要するに、今の政府が気に食わないから潰したいということだろう。そして、「卍」はそのための組織だということだ。
「だから、君に協力してもらいたい」
老人の手が、浮かぶ。ゆらゆら揺れるそれの求めているものに気付き、総吾郎はおずおずと近付く。そっと自分の手を触れさせると、かさつく老人の手が絡みつくように掴んできた。
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強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。
しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。
運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。
偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!
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