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第五章 シルビア編

第七十三話 イミテの微かな恋慕

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 イミテは笛も拾わず、駆け寄るなり俺に抱きついてきた。
「お前様……」
「叩かれちゃった」
「冷やすか? ……自分から、キスを、するのだな、あの女性に」
 少しだけ傷ついた様子のイミテは数分黙り込むと、俺の顔を挟んで唇をがん見し、興味津々に見つめて睨む。
 俺は嗤って、イミテの頭をなでる。
「イミテちゃあん、その話、今やめよ」
「……不思議であるものだ、ただの身体の一部であり、ただの食物摂取をする場所だここは。しかして、最高の親密を示す場所でもある」
「イミテ離せ」
「お前様が盗られそうになったような、感覚がする」
「お前いい加減にしろよ」

 俺はイミテの手を振り払い、壁際に押しつけて、両手をまとめて頭上にあげさせて迫った。顔を真っ赤にイミテは反応するが、ぎっと睨み付けてくる。怯むものかと言いたげだ。


「怖くないぞ」
「どうして」
 そうっと顔を近づけ、間近で睨み付けても、まだ怯まないイミテ。
 俺は片手をポケットに手を伸ばす、確かアレがあったはずだ。

「私を誰だと思うておる。お前様の龍ぞ」
「……じゃあ、人間に不用意に近づかない方がいいよ、こうして怖い目に遭う」
「怖い目? 八つ当たりにキスをされそうなことか? それくらい怖くない、相手がお前様であるのならば」
「イミテ……」
「たった一回の行動で信頼が消えることもあるだろう、だが私を侮るなよ、私は! 私はお前様が」
「聞きたくない」
 香水のようにふりかけるタイプの即効性の睡眠薬を混じらせた薬を、イミテに吹きかけるとイミテは瞬きうつらうつらし、倒れかけたから、俺はイミテを支えて室内のベッドに寝かせてやる。


「悪いな、色恋沙汰はお前からは聞きたくないんだ……自分勝手で、ごめん」






 晴天快晴、ダンスパーティー当日はイミテを避け、一人で学園の木に登っていた。
 どうせ誰も見えないだろうし、こんな野蛮なことしないだろうと思っていたら、一人破天荒がいたのだ。
 破天荒は上るなり、にっと笑いかける。

「黒き御方が探していたぞ!」
「よく見つけたな、ディスタード」
「このボクが君を見つけるくらいできないと思うのかい?! 君は心の友だとも!」
「……はいはい」
「あれ?!!! キレがないし、中途半端ではないかね君! 落ち込んでいるのかね? 顔色が悪いぞ、今夜はパーティーだというのに! それも卒業を兼ねたぱぁてぃい!! なぁんということだ!」
「相手は見つかったか、ディスタード」
「ああ、うん。このボクに相応しくて可愛くて、逞しい子がいてね!」
「待て、逞しいっておかしくないか?」
「ゴリラのように可憐で、ケルベロスのように強く、歩く姿はオーガのような乙女だとも。まぁ人間は外見じゃないさ!」
「逆に気になる。お前自体が逞しいよ……」
「そうかな、好きになる人って見目関係なく惹かれるときがないかね?! 努力する子はもっと可愛いけれど、大事なのは心! ボクらは心を重んじるべきです!!」
「ヤダ、お前らしくない……」

 思わず吹き出し、昨日の自分とシルビアやイミテに当てはめてみると、なるほどしっくりくる。
 大事なのは心、かあ。きっとディスタードは何も知らないんだろうけれど、何も知らないディスタードに救われた俺は、何となくお礼に「さんきゅ」と告げた。
 ディスタードは歯を見せ笑うと、レオナルド兄さんの来訪を教えてくれて、俺の部屋にいるから早めに行った方がいいと告げるなり木から下りていく。

 するすると下りていく姿が猿みたいに滑らかだったもんで、少し笑ってしまった。

 そこから数分してから俺も下りて、部屋にもどればレオナルド兄さんとイミテがいた。
 レオナルド兄さんは、俺を見つけるなり、にやあと笑いかけた。
 黄緑色の髪はお揃いだが、レオナルド兄さんはツーブロックの髪型で、目の色も青色だった。
 眼鏡を光らせ、つかつかと俺に近づくと、俺の両手を握った。

「素晴らしいな流石は我が愚弟、黒き龍を従えるとは! 久しぶりだ、リーチェ。
突然旅に出たから心配したもんだ。
カプリオ兄さんなんか、国を放って探しに行こうとしていたから、我が王家総出で止めたものだよ。
何にせよ、イミテ様を救ったことは英断だ、よくやった。国に帰ったら祭り上げよう」
「そのせいで教科書いくつかはなくしましたがね、レオナルド兄様こそお元気そうで何よりです。此度は、わざわざ遠くから有難く思います」
「よいよい、堅苦しいのは似合わん、よせリーチェ。
僕はな、例の魔王もこの地より現れたと聞いて、会ってみたいと思ったのだ。
だがしかし、イミテ様から話を聞いたところ、魔王は魔王たる目的が明確でないらしい。
魔物を出してはいるが、さして現状僕の耳に届く人々の声はそこまで恐怖に訪れていない。
戸惑いは大きいけれどな。僕は興味深いのだ、非常に。お前の思い人は、本当に魔王であるのかね」
「世間では、立派に魔王だし、ピュアクリスタルも奪われた」
「ふふーん? だがしかし、難解だ、その割には世間でもその魔王は不思議がられている。
人殺しを、あまりしないのだよ。魔王が現れてから、冒険者の死亡数は減った方だ。
さて、これの意味することがお前に分かるか?」
「俺はレオナルド兄さんみたいに聡明ではないから」
「いいや? お前は聡明であるよ、この僕の弟なのだからな、そしてこの僕の言葉をくみ取ることができる、そら目つきが鋭くなったな? 考え込み始めたときのお前の癖だ。
常人では気づかないところにお前はよく気づく、目もそらさない。
時折僕らもできぬ発想をする、賢い証拠だよ」

 レオナルド兄さんは、きっと、世間では魔王とされているが他に目的があり、その目的は悪いモノではない、と伝えたいのだろう。
 かといってレオナルド兄さんは全てを教えてくれるつもりでもなさそうだ。

 礼服を俺に渡すと同時に、レオナルド兄さんはイミテにもドレスを渡す。
 イミテが選びそうにない、淡いオフホワイト色に黒い薔薇が模様やアクセント刺繍となっているドレスだ。

「黒い髪にきっと映えるだろうとね、予想してね。サイズはきっと大丈夫、この学園にも我が国の間者の一人や二人いるのだ、そいつから聞いてる」
「油断ならない人だな! イミテ、ほら、お礼言って」
「あ、りがとう……しかしな、私は従者であるからに、このような派手なドレスは受け取れぬ。相手もおらん」
「そうくると思ったから、ここに僕がいる。確かゲスト参加も出来たはずだ、小国とはいえ、王子ではある僕が相手では不服かね、不服など言わせないぞ。せっかくだからでたまえよ、恥はかかすことない程度には僕とて踊れる」
「イミテいいじゃん、出なよ。楽しんでおいで」
「ふむ……お前様が望むのであれば。では、遠慮なく」

 イミテはドレスをぎゅっと抱きしめ、鼻をすんとさせた。
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