4 / 5
第3話 行き先、茶の味
しおりを挟む
朝四時、目が覚めた。年々起きる時間が早くなっている気がする。
今日は、妻と一緒に最近オープンしたカフェに行く予定だ。そのお店は朝七時から開店しており、モーニングセットが美味しいと話題になっている。
店に入ると、若い店員さんが案内してくれた。白を基調とした店内。メニューを見ると、カラフルで派手なドリンクが目立っていた。
なんだか落ち着かない。
私たちはさっと食べ、お店をあとにした。
「コーヒーは美味しいけれど、若者向けのお店だったわね」
「そうだね」
妻の言葉に、私はうなずいた。
帰る途中で妻とわかれ、私はそのままカフェ・ボヌールへと向かう。裏口では、もうすでに萌花ちゃんが待っていた。
「もーう! 遅いですよ、マスター」
「ごめんごめん。お待たせ」
ブーイングを受けながら、鍵を開けた。
やっぱりここは落ち着く。木の温かみを感じつつ、大きく深呼吸した。少し経つと、裏口から「こんにちは~」と静哉くんが現れる。
今日もお客様に幸せな時間を、と心の中で唱えながら、私はエプロンのひもをキュッと結ぶ。営業中の札を扉にかけた。
◇
――お客様を知らせる鈴が鳴り、私と同年代くらいの男性が入ってくる。白髪まじりで猫背の彼は、物珍しそうに店内を眺めた。
「いらっしゃいませ」
「一人です」
「ご案内いたします」
彼をカウンター席の端へ案内し、メニュー表と水を用意した。
老眼だろうか、彼は眉間にしわを寄せる。メニュー表に近づいたり離れたりを繰り返し、チラッと私に目を向けた。
「あの、どれがおすすめですか?」
「私のおすすめは抹茶ラテですね」
「じゃあそれで」
「かしこまりました」
私は一礼してから裏方へと移動する。
抹茶碗に抹茶とグラニュー糖を入れ、お湯を少し注いだ。茶筅を軽く持ち、手首を前後に動かして抹茶を点てる。
シャカシャカという心地良い音に耳を傾けながら、最後に茶筅をグルっと回した。氷と牛乳を注いだグラスに、先ほどの抹茶を入れて出来あがりだ。
「お待たせいたしました。抹茶ラテでございます」
「どうも」
男性はそっけなくそう言い、ゆっくりと口に運んだ。一瞬目を見開いたあと、もう一度口に含み「うまいな……」と呟く。
「抹茶は疲労回復、認知症や虫歯予防の効果があるんですよ。私もよく家で飲んでいます」
「そうなのか……あなたがこの店のマスターですか?」
「はい、柏木と申します」
「柏木さん、ご家族は?」
「今は家内と二人で暮らしています」
「そうなんですね。私は今日、家でゴロゴロしていたら、家内に買い物行ってこいって追い出されまして」
はははっと笑いながら、彼は頭を掻いた。
定年退職したばかりの彼――雪崎正志さんは、職がなくなった今、毎日やることがないそうだ。仕事が生きがいだったのだという。
買い物の帰りにぶらぶらしていたところを、なにかに吸い寄せられるようにこの店に来たと言った。
店内ではテーブル席に座る若い男女四人組が、なにやら楽しそうに話していた。萌花ちゃんと静哉くんも、話に混ざっているみたいだ。理想としているアットホームな雰囲気のお店に近づいてきて、私は嬉しく思った。
彼らから視線を外すと、雪崎さんは壁に貼られた写真をじっと見ていた。食い入るように見つめるその姿に、私は思わずクスリと笑う。
そんな私に気づいたのか、雪崎さんは少し恥ずかしそうにしながら姿勢を戻した。一枚の写真を指さしながら、彼はおもむろに口を開く。
「これ、フランスですよね」
「はい。今年のゴールデンウィークに行ってきたんです」
「そうでしたか。新婚旅行がフランスだったので、なんだか懐かしくて」
雪崎さんは照れたように笑った。
「そうだ。旅行を趣味にしてみたらいかがですか?」
「旅行、ですか?」
「はい、先ほどやることがないっておっしゃっていたので。雪崎さんは今まで熱心にお仕事してきたそうですし、ゆっくりできる時間を使って、色々なところに行ってみると楽しいと思いますよ」
「たしかに長らく遠出はしていないですね。……旅行、良いかもしれません」
――それから、雪崎さんのお仕事の話を聞いたり観光スポットについて語り合ったり、時間はあっという間に過ぎていった。
「ごちそうさまでした。もっとお話したかったんですが、帰りが遅いと家内がうるさいので」
「私も同年代の方とお話できて楽しかったです。ありがとうございました」
雪崎さんを見送り店内に戻ると、静哉くんが顔を真っ赤にしていた。なにやら恋バナというやつで盛りあがっているみたいだ。微笑ましい様子を眺めていると、静哉くんは慌てて私の元に駆け寄ってきた。
「マスター、交替してください! 僕もう恥ずか死します!」
「なんだい、ハズカシって」
肩をすくめる私に、彼は小動物のようにくっついてきた。
「静哉さんの初恋の話を聞いてたところだったんですよー。マスターもまざります?」
茶目っ気たっぷりの萌花ちゃんは今日も楽しそうだ。
「萌花ちゃん、昨日はセクハラだって言ったのに、僕には色々聞いてくるんですよ」
困った表情で私に訴えかける静哉くん。仲が良くてなによりだ。
「静哉くんの初恋か、私もぜひ聞いてみたいなぁ」
「ええ……、唯一の味方が……マスターまで悪ノリしないでくださいよ」
静哉くんはそう言って肩を落とした。
「静哉さんかっこわるーい」と萌花ちゃんは茶化す。
今日も平和なカフェ・ボヌールは、温かい笑い声で満たされた。
今日は、妻と一緒に最近オープンしたカフェに行く予定だ。そのお店は朝七時から開店しており、モーニングセットが美味しいと話題になっている。
店に入ると、若い店員さんが案内してくれた。白を基調とした店内。メニューを見ると、カラフルで派手なドリンクが目立っていた。
なんだか落ち着かない。
私たちはさっと食べ、お店をあとにした。
「コーヒーは美味しいけれど、若者向けのお店だったわね」
「そうだね」
妻の言葉に、私はうなずいた。
帰る途中で妻とわかれ、私はそのままカフェ・ボヌールへと向かう。裏口では、もうすでに萌花ちゃんが待っていた。
「もーう! 遅いですよ、マスター」
「ごめんごめん。お待たせ」
ブーイングを受けながら、鍵を開けた。
やっぱりここは落ち着く。木の温かみを感じつつ、大きく深呼吸した。少し経つと、裏口から「こんにちは~」と静哉くんが現れる。
今日もお客様に幸せな時間を、と心の中で唱えながら、私はエプロンのひもをキュッと結ぶ。営業中の札を扉にかけた。
◇
――お客様を知らせる鈴が鳴り、私と同年代くらいの男性が入ってくる。白髪まじりで猫背の彼は、物珍しそうに店内を眺めた。
「いらっしゃいませ」
「一人です」
「ご案内いたします」
彼をカウンター席の端へ案内し、メニュー表と水を用意した。
老眼だろうか、彼は眉間にしわを寄せる。メニュー表に近づいたり離れたりを繰り返し、チラッと私に目を向けた。
「あの、どれがおすすめですか?」
「私のおすすめは抹茶ラテですね」
「じゃあそれで」
「かしこまりました」
私は一礼してから裏方へと移動する。
抹茶碗に抹茶とグラニュー糖を入れ、お湯を少し注いだ。茶筅を軽く持ち、手首を前後に動かして抹茶を点てる。
シャカシャカという心地良い音に耳を傾けながら、最後に茶筅をグルっと回した。氷と牛乳を注いだグラスに、先ほどの抹茶を入れて出来あがりだ。
「お待たせいたしました。抹茶ラテでございます」
「どうも」
男性はそっけなくそう言い、ゆっくりと口に運んだ。一瞬目を見開いたあと、もう一度口に含み「うまいな……」と呟く。
「抹茶は疲労回復、認知症や虫歯予防の効果があるんですよ。私もよく家で飲んでいます」
「そうなのか……あなたがこの店のマスターですか?」
「はい、柏木と申します」
「柏木さん、ご家族は?」
「今は家内と二人で暮らしています」
「そうなんですね。私は今日、家でゴロゴロしていたら、家内に買い物行ってこいって追い出されまして」
はははっと笑いながら、彼は頭を掻いた。
定年退職したばかりの彼――雪崎正志さんは、職がなくなった今、毎日やることがないそうだ。仕事が生きがいだったのだという。
買い物の帰りにぶらぶらしていたところを、なにかに吸い寄せられるようにこの店に来たと言った。
店内ではテーブル席に座る若い男女四人組が、なにやら楽しそうに話していた。萌花ちゃんと静哉くんも、話に混ざっているみたいだ。理想としているアットホームな雰囲気のお店に近づいてきて、私は嬉しく思った。
彼らから視線を外すと、雪崎さんは壁に貼られた写真をじっと見ていた。食い入るように見つめるその姿に、私は思わずクスリと笑う。
そんな私に気づいたのか、雪崎さんは少し恥ずかしそうにしながら姿勢を戻した。一枚の写真を指さしながら、彼はおもむろに口を開く。
「これ、フランスですよね」
「はい。今年のゴールデンウィークに行ってきたんです」
「そうでしたか。新婚旅行がフランスだったので、なんだか懐かしくて」
雪崎さんは照れたように笑った。
「そうだ。旅行を趣味にしてみたらいかがですか?」
「旅行、ですか?」
「はい、先ほどやることがないっておっしゃっていたので。雪崎さんは今まで熱心にお仕事してきたそうですし、ゆっくりできる時間を使って、色々なところに行ってみると楽しいと思いますよ」
「たしかに長らく遠出はしていないですね。……旅行、良いかもしれません」
――それから、雪崎さんのお仕事の話を聞いたり観光スポットについて語り合ったり、時間はあっという間に過ぎていった。
「ごちそうさまでした。もっとお話したかったんですが、帰りが遅いと家内がうるさいので」
「私も同年代の方とお話できて楽しかったです。ありがとうございました」
雪崎さんを見送り店内に戻ると、静哉くんが顔を真っ赤にしていた。なにやら恋バナというやつで盛りあがっているみたいだ。微笑ましい様子を眺めていると、静哉くんは慌てて私の元に駆け寄ってきた。
「マスター、交替してください! 僕もう恥ずか死します!」
「なんだい、ハズカシって」
肩をすくめる私に、彼は小動物のようにくっついてきた。
「静哉さんの初恋の話を聞いてたところだったんですよー。マスターもまざります?」
茶目っ気たっぷりの萌花ちゃんは今日も楽しそうだ。
「萌花ちゃん、昨日はセクハラだって言ったのに、僕には色々聞いてくるんですよ」
困った表情で私に訴えかける静哉くん。仲が良くてなによりだ。
「静哉くんの初恋か、私もぜひ聞いてみたいなぁ」
「ええ……、唯一の味方が……マスターまで悪ノリしないでくださいよ」
静哉くんはそう言って肩を落とした。
「静哉さんかっこわるーい」と萌花ちゃんは茶化す。
今日も平和なカフェ・ボヌールは、温かい笑い声で満たされた。
0
あなたにおすすめの小説
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
「『お前に書く手紙などない』と言った婚約者へ、私は7年間手紙を書き続けた——ただし、届け先は別の人でした」
歩人
ファンタジー
辺境伯令嬢リゼットは、婚約者に7年間手紙を書き続けた。返事は一度もなかった。
「お前に書く手紙などない。顔も覚えていない」——婚約破棄。しかしリゼットは
泣かなかった。手紙の本当の届け先は、最初から別にあったから。前世の情報分析
能力で辺境の異変を読み解き、暗号として織り込んだ7年分の手紙。それを受け取り
続けていたのは第一王子。リゼットは誰にも知られず、王国を守っていた。
婚約破棄の翌朝、王子からの手紙が届く。「7年間、ありがとう。迎えに行く」
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない
文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。
使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。
優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。
婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。
「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。
優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。
父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。
嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの?
優月は父親をも信頼できなくなる。
婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる