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第一章
義弟
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あれから一週間、義母とはろくに口を聞いていない。というより、葵が話しかけても短い返事が返ってくるだけなので、会話が成立しないのだ。
憂鬱な気持ちで帰宅路を歩く。
(今日もあの祠に行こうかな……)
あの場所だけが現実逃避できる唯一の〝逃げ場〟だ。本島から外れた場所にあるからなのか、はたまた海に囲まれているからなのか、あの祠は周りから浮いているように感じる。
取り巻く世界から、徹底的に自分を遮断できる気がするのだ。
(着替えてから行こう)
遅い時間に制服でうろつくわけにも行かない。一度帰って、身軽になってからにしようと決めると、少しだけ帰路を急いだ。
***
自宅から数メートル手前にある角を曲がった所で、葵は足を止めた。
家の前の階段に、金髪の少年が座り込んでいる。コンビニのロゴが入った紙コップを口に運びながらスマホをいじる姿は、よくコンビニの前でたむろしている若者を思わせる。
(……誰?)
あきらかに誰かを待っているのは分かるが、中学生くらいの男の子の知り合いなどいないし、義母は目立つ髪色をした──、つまり、チャラい若者を毛嫌いしている為、そっちを訪ねてきたとも考えにくい。
ゆっくりと歩み寄ってみる。葵が近付くにつれ、少年の方もようやく葵に気付いた。葵の顔を見るなり、ぱあっと笑顔を貼り付け、跳ねるように立ち上がると尻に着いた土埃を払った。まだあどけない顔をしているが、葵よりも頭ひとつ分背が高い。
「葵ちゃんっしょ?」
初対面なのに馴れ馴れしい。それに、年下のくせにタメ口なのが受け付けない。
目の前まで寄ってくるなり、葵の顔を覗き込むようにしてまじまじ見る。距離をとろうと一歩下がるが、相手もそれに合わせて一歩踏み出した為、せっかく離した距離が相殺される。それを三度繰り返したところで、葵はようやく諦めた。
「……だ、誰ですか?」
言ってから、なぜこっちが敬語を使わなければならないのかと、身の内で不満をもらす。
「オレオレ、聞いてない?」
知るわけがないだろう、と思いはするが、口には出さない。
「あんたの義弟」
「えっ……ええっ!?」
「和真。カズでいいよ」
自分を指差しながら軽い口調で言うのに対し、葵は反応が追いつかない。
「な、んで……」
「だって、家、誰もいないんだもん」
「や、そうじゃなくて。なんでここにいるの?」
「は? 決まってんじゃん。会いにきたの」
和真は葵を指すと、紙コップを道端に投げ捨てた。
「ちょ、ちょっと! ここに捨てないで──」
転がったゴミを拾おうとする葵の手を、和真が掴み、引っ張った。
「いこっ」
「ど、どこに!?」
「やっと会えたんだしさ、なんて言うの? ……世間話? したいじゃん」
「じ、じゃあ……」
ウチで、と言いかけて思い直す。昨日の今日で部屋は散らかったままだし、義母が帰ってきたらまた修羅場は避けられない。
「いいよ、外で。腹減ったし、なんか奢ってよ」
「はあ?」
いきなり訪ねてきたくせに、なんて図々しい奴だ。
手を引かれながら、自分に義弟いるという実感はわかなかった。
***
いくらファミレスが安価といえど、学生にとって二人分、しかも育ち盛りの男子が食べる量を支払うのはキツい。
四名席のソファに向かい合って座りながら、葵は和真をじとっと睨んだ。
「ねえ……、ちょっとは遠慮してよ」
「え? してるよ?」
「してるの!? これで!? 今あまりお金持ってないんだけど」
「葵ちゃん貧乏なの?」
「いや、家に帰り損ねたし……。てか、その葵ちゃんっていうの、やめて」
「なんでさ?」
いちいち理由を言わないとわからないのだろうか。葵は身の内でごちる。
そんな葵の心境も知らずに、和真はニコニコと人懐っこい笑みを向けている。
どうやら失礼な態度は無自覚らしい。
「もういいよ……。それで、和真くん、だっけ?」
「カズ!」
即座に訂正されるが、正直どっちでもいい。
頬いっぱいに詰め込む様はハムスターのようだ。
「……カズくんね」
「義弟に〝くん〟付けって変じゃね?」
それを言うなら義姉に〝葵ちゃん〟もおかしいだろう。
しかし、初対面でそうも言い返せない。
「じゃあ、カズ……」
「ん!」
満足したのか、和真が頷いたので、ようやく本題にはいる。
「なんで家を知ってるの?」
「あー、それね。オッサンのスマホにGPSアプリ入れといたんだ。あんくらいの歳の奴って、なんで気付かないかね」
見覚えないアプリ入ってたら普通気付くっしょ、と無邪気に笑うカズに、苦笑いで返しながら、背中にゾクッと冷たい感覚が走る。
(今どきの中学生、怖っ!)
小さくため息をついてから、できるだけ柔らかく、諭すように言う。
「それ食べたら帰んなよ。暗くなっちゃうから」
「やだよ」
「嫌でも帰って。あんたまだ子供なんだから」
「は? なにそれ?」
和真がムッとして箸を止めたので、今のは不味かったかもしれないと、不安になった。年下とはいえ、男子、しかも不良を相手に抵抗出来る自信はない。
ところが和真は、すぐにまた屈託のない笑顔に戻り、葵は内心ほっとする。
一旦、自分を落ち着かせようと、紅茶に手を伸ばした。
「葵ちゃん、高校でたらどうすんの?」
「まだ、わからないけど……」
「一緒に住もうよ」
口に含んだ紅茶を思わず吹き出した。
器官にはいって咳込むのを見て、和真がケラケラと笑い出す。
「あははっ! 今のすげぇ漫画みてー!」
「待っ……、な、なに、言っ……!?」
「大丈夫?」
差し出されたおしぼりを受け取り、口を拭いた。が、それがカズの手を拭いたものだと気付く。
「って、これあんたのじゃん!!」
怒り任せに投げ返すと、「そうだっけ?」と、とぼけたように笑うだけで、反省の色が微塵もない。
(──こいつ……!)
カズはしばらく笑っていたが、やがて真面目な表情をすると、深刻そうに声を抑えた。
「オッサン、うちのババアと一緒になるって」
「……うん、知ってる」
「だからさ、オレ高校行かないことにした」
「だからって……、それとこれ、関係ある?」
「あるある! 大アリっしょ!!」
和真の大声に、客の何組かがこちらをチラチラ見やった。
「だってあいつら頭おかしいよ! 愛人どころかガキまで作ってよ、テメェの面ばっか気にして十何年も……。普通じゃないだろ! なんだっけこれ、一夫多妻?……とか、マジ何時代だよ!?」
葵は顔を伏せた。和真が言う事は、自分もずっと思っていたことだ。
「だけど、まだ中学生だよね? どうする気?」
「卒業したら働く。あの家も出て行く。先輩だってみんなそうしてる」
「中卒でまともな職につけると思う?」
「まともな職って、たとえば?」
改めて聞かれると、どう説明していいものか言葉が出てこない。どんな会社がいいかは、葵もこれから考えるところだった。
「いや、正社員で、安定してて……」
「普通に食っていければいいよ。家の事言ったら仕事も紹介してくれるって」
「……いや、無理でしょう」
「無理じゃねぇし」
自信満々に言いきれるのは、あまり深く考えていないのだろう。若さゆえか、ただ単純な性格なのか……。
和真は、まるで交渉でもするかのように、前のめりに詰め寄る。
「二人で住めば、家賃だって半分こじゃん?」
「そうかもしれないけど、急に言われても……。今日会ったばっかだし……それに──」
「──なに?」
「なんでもない」
チャラいし、と言いかけて口を噤んだ。
そんな葵を、和真は「ハッキリしない奴」と、不満気に眉を寄せた。そしてまたすぐに、人懐っこい笑顔に戻った。
コロコロとよく表情が変わる様は、まるで仔犬を見ているようだ。それだけ愛嬌があれば、先輩たちに可愛がられているのも納得できる。
(歳は下でも、私よりは世渡り上手なんだろうな)
たとえ不良仲間だとしても、和真には居場所があるということだ。
葵はなぜか負けたような、悔しい気持ちになった。
急に和真が、はっとしたように目を見張って葵を見つめる。
「葵ちゃんってさ、超能力あんでしょ?」
「……えっ?」
葵は内心ギクリとしたが、平静を装った。
自分の抱える〝枷〟を他人に話したことは一度もない。
「オレが生まれたの、言い当てたんだって? それで揉めたって聞いた。ま、それは良いんだけどさ。ねえ、今もそれ出来るの?」
「そんなのあるわけないでしょう。……そんなこと、全然覚えてないし」
「えー!? それで一儲けしようと思ったのにー!!」
「……は?」
くっそー、と頭を抱える和真を、冷めた目で見る。
「テレビとかバンバン出てさ、とにかく有名になれば金にも困んねぇじゃん? 結果、オレら楽して暮らせんじゃん?」
「……バカじゃん」
(なに言ってんのこいつ……)
やはり世間知らずだ。おまけに頭も悪い。
そんなに世の中あまくない事は、家庭環境からいくらでも学ぶ機会があっただろうに。それに──、
(なんでこんな能力見せびらかさなきゃいけないのよ!)
このせいでどれだけ嫌な思いをしてきたことか、大切なものを壊してしまったか……。
(──こんな、争いの種にしかならないモノ!!)
葵は呆れと同時に、身の内でフツフツと込み上げる熱を感じた。
「やっぱりまだ子供だわ。高校くらいはちゃんと出ておきなよ。じゃないと、将来やってけないよ」
「──は?」
イライラしながら口をついて出た言葉に違和感を感じた。いかにも養父母が言いそうな台詞だった。
本当はそんなことを言いたかったわけじゃない。これでは頭ごなしに否定された気持ちになる事くらいわかっているのに、嫌いな大人達の口調が自然と出てしまった自分に嫌悪感を抱いた。
案の定、和真が睨みをきかせながら、声を尖らせる。
「そっちだってガキじゃん。 無理に大人ぶんなよ。つまんねーから」
「はあ? 急に押しかけといて、どっちがガキよ」
言い返されてカッとなるのを、やっとのことで押さえ込み、冷静なふりをして言い返す。
和真は冷めた目を向けながらソファの背にもたれ、面倒くさそうに溜息をついた。
「それそれ、そーゆーとこ。ほんとはムカついてるくせに、ガキ相手には怒鳴りませんってな態度? あのオッサンそっくり」
「うるさい!!」
自分でも驚くくらい、大きな声が出た。
周りの客や店員の視線が、一斉に葵たちのテーブルに集中した。
一番言われたくない台詞だった。
(……そっか)
葵はようやく気が付いた。
ずっと自分が一番悪いのだと思っていたが、それ以上に──。
(私は養父母を軽蔑している)
幼い頃からずっと、家庭を壊したのは自分のせいだと思っている一方で、心のどこかでは、自分はあの人達のようにはならない、と思っている。
「ムカつくよ、大人にふりまわされんの」
和真がぼんやりと、天井を見つめながら、無気力に呟く。
「養う代わりに所有物になれってんなら、生んでんじゃねーよ、ってな」
葵は返事が出来なかった。
逃げたい気持ちは痛いほど分かる。逃げられたとして、その先の生活に自信がないのも。自信がない者同士でどうにかなるものなのか、葵はまだ社会の事をよく知らない。
けれど、葵が和真を受け入れられないのには、別の理由があった。
(なんていうか、私だけ追い出されるって感じ)
和真には面倒を見てくれる仲間も、家族もいる。あんな養父にだとしても、和真は選ばれたのだ。そしてなにより、本物の〝血の繋がり〟がある。
対して葵は卒業と同時に捨てられる。血の繋がらない家族の絆は、虚しいくらい希薄なものだ。
逃避と追放、同じ境遇なのに正反対の立場にあるカズとは、仮に一緒に住んだとしても上手くやっていける気がしなかった。
***
「ゴチです。あと、急に来てごめんね?」
駅に着くなり、和真が顔色を伺うようにいった。一応、最低限の礼儀はあるらしい。葵は少し意外に思った。
「いいよ……義姉弟なんだから」
「へへ、ありがと」
照れ臭そうに笑う表情は、年相応の可愛らしい少年で、葵もつられて微笑った。
夕日が半分程沈んだ空は、細く長い雲を赤く染めあげている。
「なんかさ、葵ちゃんって浮いてるよね」
「……え?」
和真が真面目な表情をしている。
どういう意味なのかわからず、葵は戸惑った。
「言うことはテンプレでつまんねーのに、なんか……はみ出してるよなあ」
「──なにそれ」
葵が不満げに言うと、和真は「いや、なんとなく」と付け足した。
和真が言わんとしている事は、葵があの祠に感じているものと一緒なのかもしれない。
〝はみ出し者〟
和真が何気なく言ったその言葉が頭の中にこびり付き、心に影がさした。
──が、突然肩を叩かれて我に返る。
「ま、気にすんなよ! そのうち面白い事も言えるようになるって!」
「別に芸人目指してないけど」
ズレまくった励ましを受けてもちっとも嬉しくはないが、和真が剽軽に笑うのを見ているうちに、気持ちが軽くなった。
こういう性格が年上に愛される理由だろう。
「次はそっちが会いに来てよ」
「うーん、ご馳走してくれるなら」
「えー、義弟にたかる?」
「初対面でたかる人に言われたくない」
二人同時に笑う。
最初は驚いたが、なんだかんだで和真に会えて良かったと思えた。
改札を通る義弟の背中を見送りながら、無性に彼の持つ全てが羨ましく思えて、同時に自分が情けなくなった。
憂鬱な気持ちで帰宅路を歩く。
(今日もあの祠に行こうかな……)
あの場所だけが現実逃避できる唯一の〝逃げ場〟だ。本島から外れた場所にあるからなのか、はたまた海に囲まれているからなのか、あの祠は周りから浮いているように感じる。
取り巻く世界から、徹底的に自分を遮断できる気がするのだ。
(着替えてから行こう)
遅い時間に制服でうろつくわけにも行かない。一度帰って、身軽になってからにしようと決めると、少しだけ帰路を急いだ。
***
自宅から数メートル手前にある角を曲がった所で、葵は足を止めた。
家の前の階段に、金髪の少年が座り込んでいる。コンビニのロゴが入った紙コップを口に運びながらスマホをいじる姿は、よくコンビニの前でたむろしている若者を思わせる。
(……誰?)
あきらかに誰かを待っているのは分かるが、中学生くらいの男の子の知り合いなどいないし、義母は目立つ髪色をした──、つまり、チャラい若者を毛嫌いしている為、そっちを訪ねてきたとも考えにくい。
ゆっくりと歩み寄ってみる。葵が近付くにつれ、少年の方もようやく葵に気付いた。葵の顔を見るなり、ぱあっと笑顔を貼り付け、跳ねるように立ち上がると尻に着いた土埃を払った。まだあどけない顔をしているが、葵よりも頭ひとつ分背が高い。
「葵ちゃんっしょ?」
初対面なのに馴れ馴れしい。それに、年下のくせにタメ口なのが受け付けない。
目の前まで寄ってくるなり、葵の顔を覗き込むようにしてまじまじ見る。距離をとろうと一歩下がるが、相手もそれに合わせて一歩踏み出した為、せっかく離した距離が相殺される。それを三度繰り返したところで、葵はようやく諦めた。
「……だ、誰ですか?」
言ってから、なぜこっちが敬語を使わなければならないのかと、身の内で不満をもらす。
「オレオレ、聞いてない?」
知るわけがないだろう、と思いはするが、口には出さない。
「あんたの義弟」
「えっ……ええっ!?」
「和真。カズでいいよ」
自分を指差しながら軽い口調で言うのに対し、葵は反応が追いつかない。
「な、んで……」
「だって、家、誰もいないんだもん」
「や、そうじゃなくて。なんでここにいるの?」
「は? 決まってんじゃん。会いにきたの」
和真は葵を指すと、紙コップを道端に投げ捨てた。
「ちょ、ちょっと! ここに捨てないで──」
転がったゴミを拾おうとする葵の手を、和真が掴み、引っ張った。
「いこっ」
「ど、どこに!?」
「やっと会えたんだしさ、なんて言うの? ……世間話? したいじゃん」
「じ、じゃあ……」
ウチで、と言いかけて思い直す。昨日の今日で部屋は散らかったままだし、義母が帰ってきたらまた修羅場は避けられない。
「いいよ、外で。腹減ったし、なんか奢ってよ」
「はあ?」
いきなり訪ねてきたくせに、なんて図々しい奴だ。
手を引かれながら、自分に義弟いるという実感はわかなかった。
***
いくらファミレスが安価といえど、学生にとって二人分、しかも育ち盛りの男子が食べる量を支払うのはキツい。
四名席のソファに向かい合って座りながら、葵は和真をじとっと睨んだ。
「ねえ……、ちょっとは遠慮してよ」
「え? してるよ?」
「してるの!? これで!? 今あまりお金持ってないんだけど」
「葵ちゃん貧乏なの?」
「いや、家に帰り損ねたし……。てか、その葵ちゃんっていうの、やめて」
「なんでさ?」
いちいち理由を言わないとわからないのだろうか。葵は身の内でごちる。
そんな葵の心境も知らずに、和真はニコニコと人懐っこい笑みを向けている。
どうやら失礼な態度は無自覚らしい。
「もういいよ……。それで、和真くん、だっけ?」
「カズ!」
即座に訂正されるが、正直どっちでもいい。
頬いっぱいに詰め込む様はハムスターのようだ。
「……カズくんね」
「義弟に〝くん〟付けって変じゃね?」
それを言うなら義姉に〝葵ちゃん〟もおかしいだろう。
しかし、初対面でそうも言い返せない。
「じゃあ、カズ……」
「ん!」
満足したのか、和真が頷いたので、ようやく本題にはいる。
「なんで家を知ってるの?」
「あー、それね。オッサンのスマホにGPSアプリ入れといたんだ。あんくらいの歳の奴って、なんで気付かないかね」
見覚えないアプリ入ってたら普通気付くっしょ、と無邪気に笑うカズに、苦笑いで返しながら、背中にゾクッと冷たい感覚が走る。
(今どきの中学生、怖っ!)
小さくため息をついてから、できるだけ柔らかく、諭すように言う。
「それ食べたら帰んなよ。暗くなっちゃうから」
「やだよ」
「嫌でも帰って。あんたまだ子供なんだから」
「は? なにそれ?」
和真がムッとして箸を止めたので、今のは不味かったかもしれないと、不安になった。年下とはいえ、男子、しかも不良を相手に抵抗出来る自信はない。
ところが和真は、すぐにまた屈託のない笑顔に戻り、葵は内心ほっとする。
一旦、自分を落ち着かせようと、紅茶に手を伸ばした。
「葵ちゃん、高校でたらどうすんの?」
「まだ、わからないけど……」
「一緒に住もうよ」
口に含んだ紅茶を思わず吹き出した。
器官にはいって咳込むのを見て、和真がケラケラと笑い出す。
「あははっ! 今のすげぇ漫画みてー!」
「待っ……、な、なに、言っ……!?」
「大丈夫?」
差し出されたおしぼりを受け取り、口を拭いた。が、それがカズの手を拭いたものだと気付く。
「って、これあんたのじゃん!!」
怒り任せに投げ返すと、「そうだっけ?」と、とぼけたように笑うだけで、反省の色が微塵もない。
(──こいつ……!)
カズはしばらく笑っていたが、やがて真面目な表情をすると、深刻そうに声を抑えた。
「オッサン、うちのババアと一緒になるって」
「……うん、知ってる」
「だからさ、オレ高校行かないことにした」
「だからって……、それとこれ、関係ある?」
「あるある! 大アリっしょ!!」
和真の大声に、客の何組かがこちらをチラチラ見やった。
「だってあいつら頭おかしいよ! 愛人どころかガキまで作ってよ、テメェの面ばっか気にして十何年も……。普通じゃないだろ! なんだっけこれ、一夫多妻?……とか、マジ何時代だよ!?」
葵は顔を伏せた。和真が言う事は、自分もずっと思っていたことだ。
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「中卒でまともな職につけると思う?」
「まともな職って、たとえば?」
改めて聞かれると、どう説明していいものか言葉が出てこない。どんな会社がいいかは、葵もこれから考えるところだった。
「いや、正社員で、安定してて……」
「普通に食っていければいいよ。家の事言ったら仕事も紹介してくれるって」
「……いや、無理でしょう」
「無理じゃねぇし」
自信満々に言いきれるのは、あまり深く考えていないのだろう。若さゆえか、ただ単純な性格なのか……。
和真は、まるで交渉でもするかのように、前のめりに詰め寄る。
「二人で住めば、家賃だって半分こじゃん?」
「そうかもしれないけど、急に言われても……。今日会ったばっかだし……それに──」
「──なに?」
「なんでもない」
チャラいし、と言いかけて口を噤んだ。
そんな葵を、和真は「ハッキリしない奴」と、不満気に眉を寄せた。そしてまたすぐに、人懐っこい笑顔に戻った。
コロコロとよく表情が変わる様は、まるで仔犬を見ているようだ。それだけ愛嬌があれば、先輩たちに可愛がられているのも納得できる。
(歳は下でも、私よりは世渡り上手なんだろうな)
たとえ不良仲間だとしても、和真には居場所があるということだ。
葵はなぜか負けたような、悔しい気持ちになった。
急に和真が、はっとしたように目を見張って葵を見つめる。
「葵ちゃんってさ、超能力あんでしょ?」
「……えっ?」
葵は内心ギクリとしたが、平静を装った。
自分の抱える〝枷〟を他人に話したことは一度もない。
「オレが生まれたの、言い当てたんだって? それで揉めたって聞いた。ま、それは良いんだけどさ。ねえ、今もそれ出来るの?」
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「えー!? それで一儲けしようと思ったのにー!!」
「……は?」
くっそー、と頭を抱える和真を、冷めた目で見る。
「テレビとかバンバン出てさ、とにかく有名になれば金にも困んねぇじゃん? 結果、オレら楽して暮らせんじゃん?」
「……バカじゃん」
(なに言ってんのこいつ……)
やはり世間知らずだ。おまけに頭も悪い。
そんなに世の中あまくない事は、家庭環境からいくらでも学ぶ機会があっただろうに。それに──、
(なんでこんな能力見せびらかさなきゃいけないのよ!)
このせいでどれだけ嫌な思いをしてきたことか、大切なものを壊してしまったか……。
(──こんな、争いの種にしかならないモノ!!)
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「──は?」
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本当はそんなことを言いたかったわけじゃない。これでは頭ごなしに否定された気持ちになる事くらいわかっているのに、嫌いな大人達の口調が自然と出てしまった自分に嫌悪感を抱いた。
案の定、和真が睨みをきかせながら、声を尖らせる。
「そっちだってガキじゃん。 無理に大人ぶんなよ。つまんねーから」
「はあ? 急に押しかけといて、どっちがガキよ」
言い返されてカッとなるのを、やっとのことで押さえ込み、冷静なふりをして言い返す。
和真は冷めた目を向けながらソファの背にもたれ、面倒くさそうに溜息をついた。
「それそれ、そーゆーとこ。ほんとはムカついてるくせに、ガキ相手には怒鳴りませんってな態度? あのオッサンそっくり」
「うるさい!!」
自分でも驚くくらい、大きな声が出た。
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一番言われたくない台詞だった。
(……そっか)
葵はようやく気が付いた。
ずっと自分が一番悪いのだと思っていたが、それ以上に──。
(私は養父母を軽蔑している)
幼い頃からずっと、家庭を壊したのは自分のせいだと思っている一方で、心のどこかでは、自分はあの人達のようにはならない、と思っている。
「ムカつくよ、大人にふりまわされんの」
和真がぼんやりと、天井を見つめながら、無気力に呟く。
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葵は返事が出来なかった。
逃げたい気持ちは痛いほど分かる。逃げられたとして、その先の生活に自信がないのも。自信がない者同士でどうにかなるものなのか、葵はまだ社会の事をよく知らない。
けれど、葵が和真を受け入れられないのには、別の理由があった。
(なんていうか、私だけ追い出されるって感じ)
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対して葵は卒業と同時に捨てられる。血の繋がらない家族の絆は、虚しいくらい希薄なものだ。
逃避と追放、同じ境遇なのに正反対の立場にあるカズとは、仮に一緒に住んだとしても上手くやっていける気がしなかった。
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「ゴチです。あと、急に来てごめんね?」
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「へへ、ありがと」
照れ臭そうに笑う表情は、年相応の可愛らしい少年で、葵もつられて微笑った。
夕日が半分程沈んだ空は、細く長い雲を赤く染めあげている。
「なんかさ、葵ちゃんって浮いてるよね」
「……え?」
和真が真面目な表情をしている。
どういう意味なのかわからず、葵は戸惑った。
「言うことはテンプレでつまんねーのに、なんか……はみ出してるよなあ」
「──なにそれ」
葵が不満げに言うと、和真は「いや、なんとなく」と付け足した。
和真が言わんとしている事は、葵があの祠に感じているものと一緒なのかもしれない。
〝はみ出し者〟
和真が何気なく言ったその言葉が頭の中にこびり付き、心に影がさした。
──が、突然肩を叩かれて我に返る。
「ま、気にすんなよ! そのうち面白い事も言えるようになるって!」
「別に芸人目指してないけど」
ズレまくった励ましを受けてもちっとも嬉しくはないが、和真が剽軽に笑うのを見ているうちに、気持ちが軽くなった。
こういう性格が年上に愛される理由だろう。
「次はそっちが会いに来てよ」
「うーん、ご馳走してくれるなら」
「えー、義弟にたかる?」
「初対面でたかる人に言われたくない」
二人同時に笑う。
最初は驚いたが、なんだかんだで和真に会えて良かったと思えた。
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