忌巫女の国士録

真義える

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第一章

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 帰宅すると、玄関には鬼の形相をした養母が仁王立ちしていた。

「ただいま……ど、どうしたの?」

 ただらならぬ空気に、あおいは動揺する。
 また、義父ちちおやとの事で何かあったのだろうか。

「誰と一緒にいたの?」
「……と、友達」

 咄嗟とっさに嘘をついた。
 義父の愛人の息子、だなんて正直に言ったら、火に油を注ぐどころではない。

「金髪のチャラチャラしたのが? いつから不良と付き合いがあるの?」

(見られていた? でも……)

 あの時、家に義母は居なかったはずだ。
 ならば一体どこで……。
 とにかく今は誤魔化さなければならない。葵は誤解を解こうと、和真かずま擁護ようごした。

「ふ、不良なんかじゃ……」
「しかも男だって言うじゃない! お向かいさんが見たって! 変な噂がたったらどうすんのよ!? そんなのとは今すぐ縁を切りなさい!!」

 頷いたら、この話は終わると思っていた。
 しかし、義母は立ち去るどころか、葵を睨みながら何かを待っている。
 その意味を察するなり、葵は愕然とした。

「い、いま!?」
「今電話しなさい! もうお付き合いは出来ませんって!」
「と、友達だよ!」
「貸しなさい!」

 義母ほ葵の鞄を奪い取ると、スマホを取り出した。床に落ちた鞄から中身が飛び出して、玄関に散らばった。
 義母は血眼になって、電話帳から男の名前を探している。ロックはしていない。以前は設定をしていたのだが、義母に、何かやましい事があるのか、と疑われてからは解除していた。
 義母は常に、葵と義父のやりとりを気にしているのだ。義父が葵に連絡をよこすなんて、もう何年もないのに。
 唯一の救いは、和真かずまの連絡先は電話帳には登録していない。お互いの連絡先は、メッセージアプリの方で交換したのだ。それでも見つからないという保証はない。早くスマホを取り返そうと、手を伸ばした。
 そのままスマホの奪い合いに発展する。

「お願い、返してよ!」
「やっぱり! やっぱり何かあるのね!?」

 止めようとすればする程、義母はヒートアップしていく。

(ダメだ、止められない)

 そう思った時、スマホがメッセージを受信した。
 その音に敏感に反応した義母が、画面を凝視する。

「か、返して!」
「見せなさい!! どうせろくでもない男──!?」

 画面に表示された名前を見た途端、義母は絶句した。
 無理もない。送り主は義母も知っている名前、それも夫の愛人の息子なのだから。

(最悪だ……)

 葵は絶望の淵に立たされた気分だった。
 義母の顔は真っ赤に染まり、わなわなと震えている。

「……によ……これ……」

 葵は恐ろしくなって、思わず後ずさった。

「なんなのよこれ!? あんたも──! 私をバカにして!!!!」

 頬に裂くような痛みが走り、葵は横によろけた。

「ちがっ──! 違う!! 今日、さっき初めて会ったの!!」
「ご機嫌取りするふりして、ずっとかげで笑ってたんでしょう!? この裏切り者!!!! あんたなんか!! あんたなんか!!!!!!」

 髪の毛を鷲掴わしづかみにされ、乱暴に振り回されながら必死に弁解するが、全く聞き入れてはもらえない。
 揺れる視界と痛みに耐えながら、いつものように嵐が去るのを待つ。ひとしきり、義母が怒りをぶちまけさせて、疲れて泣き崩れたら、静かに部屋へこもればいい。
 そうやって、いつものパターンを考えていると、なぜか苦痛が軽減し、我慢できた。
 しかし、今回ばかりはその流れにはならなかった。

「──もう無理!! もう耐えられない!!」

 投げつけられたスマホが顔に当たりそうになり、咄嗟に両手で遮る。腕に当たったスマホは、床に落ちた衝撃で画面にヒビが入った。

「出てって!! あの女のとこで養子にでもなれば!?」
「……お母さん……」

 泣き崩れる義母に触れようと手を伸ばすが、強く弾かれ拒絶された。

「さっさと消えなさいよ!!」

 敵意を剥き出しに向けられた、そこに込められた憎悪が、葵の胸に大きな穴を空ける。その穴から、今まで溜め込んだものがぼろぼろとこぼれ落ちていく気がした。
 葵は床に転がっているスマホを手にとると、外へ駆け出した。


 住宅街の道端にうずくまって、嗚咽の混じった声をもらしながら泣いた。
 今夜はきっと帰れない。帰ってはいけない。だからといって、明日帰れるかもわからない。

〝はみ出し者〟

 その言葉が葵に付きまとう。それを否定出来ないむなしさが、身の内に広がっていく。
 胸に溜め込んだものを吐き出すように泣きはらした。

 しばらくそうしていると、少しだけ頭が冷静になってきた。深呼吸して、状況を頭で整理する。
 とにかく今は、一晩だけしのぐ場所が必要だ。立ち上がって、唯一持ってきたスマホの画面を触る。
 咄嗟にスマホを拾ってくるなんて、とっくにこの脳はスマホに侵されている。
 画面は和真かずまからのメッセージが開いたままになっていた。

【家ついた? 今日はありがと。またあそぼーね】

 最後にふざけたキャラクターのスタンプがついている。見かけによらず、マメな性格なのかもしれない。
 一瞬、カズに連絡しようかと思ったが、義父の愛人の息子、という関係を考えると手が止まった。愛人の家に泊まるなんて、それこそ義母との関係にみぞを作るばかりだ。
 思い直して、今度はナナとのメッセージ画面を開く。

(さすがに迷惑かな……)

 迷ったが、思いきって通話ボタンを押した。
 コール音が鳴る。が、しばらく待っても応答がない。
 深い溜め息が出た。タイミングが悪かったのかもしれない。

(どうしよう……。でも、もしかしたらナナから折り返しがあるかも)

 それが最後の頼みの綱だと、自分を励ます。
 とにかく誰かに話を聞いて欲しい。今こういている間にも溢れ出る想いを吐き出したかった。それが出来る相手は、もうナナ以外に思い浮かばなかった。
 自分の交友関係のとぼしさに、今更愕然とする。

(ナナんち、行ったら迷惑かな……)

 泊まれなくたっていい。ほんの少しだけでいいから話を聞いてもらって、ついでに「大変だったね」と言ってもらえたら、きっとそれだけで落ち着ける。その後のことは、それから考えよう。
 ぐちゃぐちゃな頭で結論を出すと、わらにもすがる思いで歩き出す。
 こんなに人肌恋しく思うのは初めてだった。


***


 ナナの家から少し離れた公園のブランコに腰掛けて、スマホを握り締めながらナナからの連絡を待つ。さすがに家の真ん前では迷惑だろうし、不審者だと思われるのも嫌だ。
 藁にもすがる思いで来てはみたが、暗くなった公園で、ひとりぼっちで待つというのはなかなか辛いものがあった。

(このまま連絡がなかったら……)

 いやそんなことはない、と顔を横に振ってネガティブな考えを払った。今までもナナは必ず返信をくれていたのだから、今日に限ってそんなことあるはずがない。

(ダメだ、心折れそう……)

 どんどんナーバスになっていく自分を止められない。
 自分が今、大人だったなら、こんな目に遭わずに済んだのだろうか。狭くて、少しくらいボロくても、当たり前に帰れる自分だけの家が……。
 少なくとも玄関の扉に手を掛ける度、憂鬱になることもきっとないのだ。

(こんなことなら、中卒で働いてた方がよっぽどマシだったかも……)

 和真かずまの言っていた事が、今更身に染みる。あの時、偉そうに説教した自分が恥ずかしくなった。

『 無理に大人ぶんなよ。つまんねーから』

 和真かずまに言われた台詞が胸に突き刺さる。

(ほんと、そのとおり……)

 葵は身の内で自嘲した時、コンクリートを踏むヒールの音が聞こえてきた。その足取りはスキップでもしているかのように軽やかで、浮かれているのが伝わってくる。
 見えた人影は葵が待ちわびていた人で、たまらず立ち上がって駆け寄った。

「ナナ──!」

 振り向いたナナは、葵を見るなり目を泳がせた。
 こんな時間に押しかけたから驚いたのだろう。

「あ、あおちゃん……!? こんな時間にどうしたの?」
「ごめんね、急に。あの、あのね、聞いて欲しくて」

 言いながら視界がみるみるぼやけ、ゆがんでいく。

「ど、どうしたの? とりあえず、落ち着こう?」

 取り乱す友人を前にして、ナナは慌てたように葵の手を、両手で握った。
 その瞬間、頭の中に映像が流れ込んだ。


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 目の前に信人のぶとが居る。
 微笑んでこちらを見ている。
 友人に向けるようなそれとは違う、愛おしいものに向けるような……。
 信人がそんなふうに微笑わらうなんて、知らなかった。

 華奢だが、がっしりとした信人の手が腰にまわされ、そっと引き寄せられる。
 その拍子に、自分が着ている洋服が視界に入った。
 白いプルオーバーと、赤いスカート。
 葵は目立つ色の服は持っていない。とくに、赤は絶対に着ない色だ。
 変だとは思ったが、今はそんなことはどうでも良くなるくらい、のことが、無性に愛おしくてたまらない。

 ゆっくりと、信人の顔が近づいてくる。
 葵は胸の高鳴りと共に幸福感で満たされていく。
 このまま身を委ねてしまおうと、信人の背に腕を回した。

 しかし、そのに映っていたのは……。

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 葵は咄嗟にナナの手を振り払った。
 時間にして一秒にもたない間に、一気に情報を詰め込まれる感覚に、立ちくらみがした。

「あおちゃ──!?」

 支えようと伸ばされた手を払い除けると、ナナは驚いたように目を見開いた。ナナが着ている赤色のミニスカートに、つい反応してしまったのだ。その服には見覚えがあった。
 つい一週間前、ほこらにいた所をナナが迎えにきた日のことだ。そのまま二人で買い物に出たかけた際に、一緒に選んだものだった。
 知らずうちに、自分の想い人とのデート服を選ばされていたのかと思うと、やるせなくなった。

(それならそうと、もっと早く言ってくれれば良かったのに……)

 しかしそれ以上に理解できないのは、信人と付き合っていながら、葵に告白するようあおっていたことだ。
 わざわざ自分の彼氏に告白させるなんて、葵がフラれる所でも見たかったのだろうか。

(でも、言いたくても言えなかっただけかも……)

 ならば、告白しろと煽る必要は無い。

(そもそも、私の気持ちを知る前から付き合ってたのかも!)

 今までずっと彼氏は居ないと言っていたのに……。
 なんとか良い方へ考えようと思考をめぐらせても、出てくる言い訳は呆気あっけなく論破ろんぱされていく。
 やがて、ナナを擁護ようごする文句が尽きたところで、ようやくナナが反応した。

「……と、どうしたの? 具合悪いの?」

 脚を踏ん張って持ち直すと、平静を装った表情かおを向ける。

「大丈夫」
「でも……」
「なんでもない。なんか、考えてみれば大した事じゃなかったよ」
「え……?」

 葵は笑顔を取りつくろうと、ナナは悲しげに眉尻を下げた。
 傷付けられたのはこちらだというのに、なぜナナがそんな表情かおをするのだろう。

「急にごめんね。おやすみ」

 腹が立つのをこらえて、葵はに背を向けた。

「あ、あおちゃ……」

 呼び止めようとする声したが、聞こえないふりをして、早足でその場を後にした。


 唯一心許せる友人だと思っていたナナが、葵と一緒にいることで優越感に浸っていたのかと思うと、自分が無性に情けない生き物に思えて恥ずかしくなった。
 好きな人の彼女に恋愛相談だなんて、間抜けにも程がある。

(……もういっそ、消えてしまいたい)

 どこへともなく歩きながら、ぼんやりした脳でせるように願う。
 何か食べたいわけでもないのに、ひどく飢えているような感覚に、眩暈めまいがする。

 ここ以外の遠くへ、自分のことを誰も知らない場所で、ひっそりと生きられたら……。
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