忌巫女の国士録

真義える

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第一章

ニシキ

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 こうなったら何がなんでも逃げなければならない。
 紗華さいかの言ったとおり、生きてさえいれば日本に帰れるかもしれない。
 葵はひざのうえでこぶしを握った。

「怖い顔をしているよ……まあ、無理もないか」

 そっと、肩に手を添えられた。
 見上げるとニシキが慈愛じあいの笑みを向けている。

「教育を受けていない君には、とてもこくなことだと思う。肝心かんじんのおくり子はあの調子だし……さぞひどい目にあわされたろう?」

 ひどい目なんてどころではない。もう散々だ。
 葵は唇を噛んでうつむくと、優しく頭を撫でられた。

「君にいいことを教えてあげる」

 耳元で囁かれて葵はニシキを見た。

「いいこと……?」

 突然、視界が白い幕にさえぎられた。
 強制的に手を離されたニシキは苦笑いを浮かべ、「リン」と呟いた。

「巫女への過剰な接触はさけて頂きたい」
堅物かたぶつなんだから」

 ニシキは笑った。

「優しくしてやるように言われたろう?」
だ。それ以上は不要」
「キミのできる範囲はんいが狭すぎるんだよ」

 リンがムッと表情をくもらせる。
 会議での冷静さは見受けられない。あれは仕事用の顔だったのだろうか。

「だから余計な世話だと言ってる。親の事を教えるのも、私は良い考えだとは思わぬ」
「いいじゃない、それくらい。何も知らされないままだなんて可哀想だろう?」

 楽観的なニシキの態度が気に食わないのか、リンの機嫌はどんどん悪くなっていく。

「こいつは逃げる。親の事を知ったら、なおさらじっとはしていないだろう」
「ずいぶん手をやいてるんだ? キミがねえ?」
「ばかを言うな。その気色悪い顔をやめろ」

 ニシキが可笑しそうに笑うと、リンは早々に切り上げたいらしく、葵の腕を引っぱって立たせた。

「親のことを教えてやる。着いてきなさい」

 自分を捨てた親なんかどうだっていい。けれどここから逃げ出せたなら、逢うことになるかもしれない。知っておいて損はないだろう。
 一度捨てられたとはいえ、頼るアテは他にないのだから。

 葵がリンに着いていこうとすると、逆の腕をニシキに引かれた。
 すぐに気がついたリンが、獣のうなるような声を出した。

「……どういうつもりだ?」
「その前に、巫女様を南棟みなみとうにおまねきしたいんだ」

 振り向いたリンの眼は血走り、狂気に満ちていた。

「邪魔をするな」

 今にも斬りかかってきそうな威圧に、葵は後ずさる。
 場に残っていた神官達が危険を察知し、逃げるように散っていった。

「そ、そんなつもりはないさ!」

 ニシキは慌てて両手をふった。
 争う気がないことを示しながらも、さり気なく葵を背後に隠す。

「この、すごく怖がってるんだよ。でも明日には儀式だし、今しか話す時間がないんだもの。ちょっとだけ貸しておくれよ、悪いようにはしないからさ!」
「怖いのはどの巫女も一緒だ。それに寝間着ねまきで村をうろつくような奴、そんなタマでもないだろう。あまやかすな」
「また女子おなごにそんなこと言って……」
「巫女は女ではない。〝供物くもつ〟だ」

 つまり人ですらない、と言いたいのだろう。
 今までの雑な扱いはそういうことだったのだ。
 これにはさすがに腹がたって、文句を言おうとしたところを、ニシキの手にさえぎられた。

「だけどリン、物心がつくまえから教育を受けているのと、昨日今日でいきなり言われるのとでは心持こころもちも違うだろう?」

 ニシキが穏やかな口調でさとすが、それでもリンはきびしい眼差しを向けている。

「頼む、僕に任せてほしい。結果的に、キミのためにもなる。兄弟なんだし、協力させておくれよ……ね、いいだろう?」

 ニシキはリンの手を両手で包むと「ね、お願い!」と繰り返してごり押しした。
 グイグイと詰め寄られて、リンの顔が引きつっていく。

「寄るな」
「じゃあ、任せてくれる?」

 リンはしばらく苦しげな顔をしていたが、ニシキの手を払い除けると諦めたように深く息を吐いた。

「……一刻だけだ。だが南棟に連れていくは許さない」
「え? 駄目?」

 ぽかんと聞き返すニシキを、リンが呆れ目で見やる。

「当たり前だ。盛りのついた猿のおりに入れるような真似まねができるか」
「うっ、言い返す言葉もない……」

 会議での一件をつつかれて、ニシキは言葉をつまらせた。
 しかし、なんとか食い下がろうと頑張っている。

「けれど、さすがに巫女に手出しする莫迦ばかはいないよ」

 リンは断固だんこ首を縦には振らない。

「本殿の居室を使え。のめないならこの話は無しだ」
「わかった、じゃあそれで! ありがとう、リン!!」

 ようやく落としどころが決まり、ニシキは満足げに両手を広げた。────が、待てどもその胸に飛び込む者はおらず、さみしげに背中をまるめた。

「話が済んだら書庫に連れてこい」
「うん。髪でも染めて待っていてよ。また父上に叱られてしまうし」

 リンは仏頂面ぶっちょうづらで、髪を一束つまんだ。

「……どうせすぐに落ちる」
「僕はその髪色の方が好きだよ」
「染めるか……」
「褒めたのに!!」

 リンが無愛想なのは既に心得ているが、ニシキにはさらに厳しいように見える。
 しかし兄はめげない。そっぽを向く弟をどうしても構いたいらしい。
 だが、一方では反応を楽しんでるようにも見える。
 仲が良いのか、悪いのか……。

「そろそろ兄上あにうえって呼んでも──」
「断る」

 リンは即答すると、これ以上関わりたくないのか、兄には目もくれずに行ってしまった。

 さっきよりも深く項垂うなだれるニシキを、葵は若干じゃっかん引き気味で見やる。
 本当にこの男について行って大丈夫なのか……不安だ。

「……じゃあ、行こうか……」
「は、はあ……」

(なんなんだろう、この人……)

 滂沱ぼうだの涙を流しているニシキに、かける言葉が見つからず、そろそろと後ろを着いて歩いた。


***


「……あの、大丈夫ですか?」
「うん? ああ、いつものことだよ」

 廻廊かいろうを渡りながら、そっと声をかけた。
 ニシキは目じりに残った涙をぬぐうと、へらっと笑って答えた。

「僕がここに来てもう十年になるけど、リンあのこ、なかなかなついてくれなくてね……」
「一緒に育ったんじゃないんですか? 兄弟なんですよね?」

 ニシキの笑みに苦さが混じった。

「リンの母君ははぎみ正室せいしつの奥方。僕は側室そくしつの子供なんだ。義兄弟きょうだいはもっといるけれど、みな離ればなれさ」
「今どき一夫多妻なんですか」
「子は必ず育つとは限らない。いつどうなるかわからないから、できるだけ子をすのも当主のつとめだろう?」
「そういうものですか……」
「君の国は違うのかい?」

 葵はうなずいた。

「普通は一人です。浮気しようものなら大問題ですよ。……もうそれは、めちゃくちゃですよ」

 言いながら、完全に自分の事を話しているようでいたたまれなくなった。
 養父のしていることは間違っていることなのに、この国では成立してしまうのだから、常識とはおかしなものである。

「……それは、大変だったね」

 ニシキがいたわるように言った。面倒見の良いお兄さんという印象を受ける。
 なのに、なぜリンが突っぱねるのか、葵にはわからない。
 こんな優しい兄がいるなんて、羨ましいかぎりだ。

(やっぱ、あいつの性格が曲がってるんだな)

 ニシキは廻廊かいろうの途中で足を止め、手摺てすりに手を置くと、どこか遠くを眺めた。
 葵も同じ方を見る。
 この社は、景色だけは別世界のように美しく、唯一好きなところだ。
 水面すいめんが鏡のように、月とやしろを反転して映し出している。一面に散らした星があちこちで輝いて、ため息が出るほど綺麗なのに、葵はなぜだかむなしくなった。
 じっと見つめていると、まるで時間が止まっているようで、自分の命のカウントダウンがせまっているのを忘れそうになる。
 下を見るともう一人の自分と目が合った。
 そっちに行けば何の心配もせずにすむのだろうか。
 けれど、向こう側の自分も同じく苦しげな顔をしているのを見ると、そんな想像も気休めにはならなかった。

「どうして神王みわおうと呼ぶか知ってるかい?」

 葵は首を横にふった。

「いえ……」
「神の王と書いて〝神王みわおう〟。文字通り、まつりごと神事しんじを管理する最高責任者であり、神に一番近い存在として、そう呼ばれるようになった」

 葵は答えなかった。
 無宗教の葵からしたら、バカバカしいと思ったのもあるし、人間が神に近づけるわけがない、という否定的な考えもある。

「すまない。儀式を止めることはできない」

 初めてニシキの深刻な声を聞いた。
 急にそんな言い方をされると、現実味が湧いて苦しくなる。

神王みわおうの言うことは絶対。従わないことは、神に背く行為と同じ 」
「……神なんかいない」

 ニシキはわずかに目を見開いた。
 その発言は反逆はんぎゃくにあたるのかもしれないが、人柱ひとばしらになる葵には関係のないことだ。

水神すいじん様は、たしかにおられるよ」
「私が死んだって、病気はなくならないし、バケモノもいなくならない。何もかわらないんです!!」

 ニシキの表情に陰りが出る。

「それは、けがれを見てないから言えるのさ」
「私はこの国になんの愛着もない。好きでもない国のために命は張れません!!」
「……それもそうだね」

 ニシキは水面に視線を落とした。
 その哀愁あいしゅうただよう横顔を見ながら、葵は紗華さいかから聞いたことを思い出していた。
 儀式を逃れる方法は一つだけある。が、それは葵にとって、とても容易にできることではない。けれど、死ぬことに比べればその方がマシに思えた。
 頭の中で、天秤てんびんが激しく揺れ動く。
 決断出来ないのは、ほとんど羞恥心しゅうちしんが皿を揺らしているせいだ。

 葵が身の内で葛藤かっとうしていると、そうとうひど表情かおをしていたらしい。
 ニシキは葵を見るなり、突然ふき出した。

「な、なんですか!?」
「はははっ……いや、すごい顔をしているから、つい……」
「────すごい顔って……」
「いやすまない」

 ニシキは朗らかに笑うと、支柱に背を預けた。
 目が合う。
 なくはない、と思った。
 初対面とはいえ、顔も性格も申し分ないし、変な男に触られるよりは断然いい。

(────死ぬよりは、マシだ)

 考えている事が顔に出ていたのか、ニシキがまた笑いだしたので、葵は罰が悪くなった。
 
「ありがとう。とても光栄だよ」
「何も言ってませんけど……」

 ニシキはまるでお見通しとでも言いたげに、首を振った。

「みな考えることは同じさ。資格を捨てようとした巫女は決して少なくはない。追いつめられると、人はなんでもするから。────あと、君は顔に出やすい」

 ギクリとする。
 バレていた。死ぬほど恥ずかしい。

「その通りだよ。男とまじわると巫女の力は失われる。けれど、二人ともタダでは済まない。言ってしまえば、ただの心中しんじゅうにしかならない」

 改めて言われると生々しい。
 ニシキが困ったように眉尻を下げた。

「助けてあげたい気持ちは山々なんだ。だけどごめんね、僕は心に決めた人がいるから──。それにまだ首も繋がっていたいし」
「────で、ですよねえええ!! すみません!! 本当すみません!!」

 熱くなる顔をおさえながら、高速で何度も頭を下げる。
 告白する前からフラれるってこんな感じか。いや、それはもう経験済みだが、好きという感情がなければこんなに恥ずかしいものなのか。羞恥心しゅうちしんだけで死ねそうだ。

「……でも、なんでそんなに重い罪なんですか?」
「多くの民の命を犠牲にするようなものだからね。みなひとしく死罪になるのは当然」
「そんな……」

 じゃあやっぱり死を待つしかないのだろうか。


『それは、他者を犠牲にしてもですか?』


 紗華さいかが言っていた意味をようやく理解した。
 資格を捨てられても、自分も相手の男も死罪。
 死罪をまぬがれても、大勢の人々を見殺しにする。
 自分が助かる代わりに、必ず誰かが死ぬことになる。

(────そんなこと言ったって……!!)

 再び紗華さいかの言葉がフラッシュバックする。


『ですから────』


 葵は恐ろしさで身震いし、勢いよく頭を振った。
 無性に紗華さいかに会いたくなった。
 会って、話したい。紗華さいかなら全てを受け入れてくれる気がする。


「まあでも、リンは別かな」

 頭を抱えていると、ニシキがぼんやりと言った。
 葵は純粋じゅんすいに疑問に思って訊ねた。

「……どうしてです?」
神子みわこだからね。跡継ぎを失うわけにはいかないだろう?」

 逆に言えば、あいつはやりたい放題ということか。だからあんなに理不尽なのか。
 まあ、あの融通ゆうずうの利かない堅物かたぶつが規則を破るとは思えないけれど。

「僕がここに呼ばれたのはね、リンの代わりとしてだったんだよ」
「代わり?」
「リンが、使い物にならなくなった時のため、と言った方がいいか」

 ニシキにしては嫌な言い方をする、と思った。
 が、自嘲気味に笑うのを見ると、本心からではないのがわかる。思いとは裏腹に、大人たちの圧力があったのだろう。
 ニシキは少し迷ったような素振りを見せると、重たげに口を開いた。

「────十年前、リンは大罪をおかしたんだよ」
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